古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)刊行記念イベント
―― 小熊英二・古市憲寿対談 / 2011年11月18日東京堂書店(構成 / 宮崎直子・シノドス編集部)
「震災後の日本社会と若者」(1) ⇒ http://synodos.livedoor.biz/archives/1883807.html
「震災後の日本社会と若者」(2) ⇒ http://synodos.livedoor.biz/archives/1884961.html
■3.11で何かが変わったのか
古市 一口に「震災後」といっても、その人の住む場所や置かれたポジションによってまったくリアリティが違うなと思います。東京など中央にいた言論人によく見られた言説ですが、3.11をきっかけに日本は変わって、新しい公共性や希望が生まれるというようなことが震災直後は語られていました。
ところで僕は3.11の少しあとに関西や九州に行っていたんですけれども、そこで見たリアリティはまるで違ったものでした。
別に街中で騒いでいるわけでもないし、みんな普通に会社にも行っている。東北地方で大きい地震があったことに関しては心を痛めているけれども、少なくとも東京ほどの緊張感はなかった。むしろ僕が印象的だったのは、3.11ぐらいでは変わらないような確かな営みとして、日常というものが続いているんだなということです。
小熊 私も3、4月は京都にいましたから同じことは感じていました。今年度から朝日新聞の論壇委員になって、一通りの雑誌が送られてきてそれを読む仕事をしていますが、いわゆる論壇で大騒ぎされているようには変わらないだろうとは思っていました。
論壇で「日本が変わる」といっていた人の大部分は、前からいっていることを繰り返していただけでしたね。これを機に新しい公共性ができるという人は、前からそういっていた人だし、震災復興を自由化で進めようという人は前からTPP賛成といっていた。「日本人はだめになった」といっていた人は相変わらずそういい続けているし、「被災地にボランティアに行け」という人は前から「若者は軍隊に行け」といっていた人です。
震災を機に、その人が従来から思っている「望ましい方向」に変わってくれればいいなと期待表明をしているだけだ、ということがよくわかりました。そもそも社会構造の基盤が変わらないんだから、意識がそう変わるわけがない。社会構造の変化に意識がついていってなかった部分が、これを機会に社会構造に沿ったかたちに変わるということはあるかもしれませんが。
古市 小熊さんは3.11以降、デモでスピーチをされたり、ツイッターで発言をされたりしていますよね。遠くから見ている人間からすると何か変化があったのかなという気がします。アクティブに前に出て、多くの人に向けて言葉を発するということが増えたようにお見受けするのですけど、いかがでしょうか。
小熊 外から見るとそう見えるのかもしれないけれど、震災とは直接関係ないです。2000年代の後半は『1968』を書くのに精一杯で何もできなかったし、書き上げたら意識不明で入院して、その後1年近くは自宅療養で動けなかった。ようやくまともに心身が動くようになってきたのが今年の初めぐらいで、ちょうど震災と重なった。デモに関していえば、私は80年代も、2003年のイラク反戦のデモも行っています。私にとっては珍しいことではないですよ。
■1995年と3.11
古市 阪神大震災とオウム事件が起こった1995年には、日本における重大な転換点だった議論があります。著作などを読むかぎり、小熊さんはそれに対しては否定的ですよね。同じように「2011年」や「3.11」が時代の転換点だったという議論はすでに多くありますし、これからも多く生まれていくと思うのですが、小熊さんはどうお考えですか。
小熊 私は戦後史にかぎっていえば、1955年あたりと1990年あたりが区切りだろうと考えています。高度成長のはじまりとバブルの崩壊の時期なんだから、誰でも納得するでしょう。国際的に見ても、スターリンが死んで朝鮮戦争が終わって、冷戦の安定期、平和共存期に入ったのが1955年くらい。それから冷戦が終わったのが1991年ですから、ちょうどその時期が境目になります。
95年については、その頃から非正規雇用が増え、産業構造の転換で製造業が衰えたりしました。91年ごろから構造転換が、本当に効いてきたんです。それらの変化がいつからはじまったのかと人々が考えたとき、震災やオウムが境目だったと感じる人が多かったんでしょう。
実際に労働現場では、95年くらいから非正規雇用の労働条件や、新卒採用の状況が悪くなったという意見は多い。85年のプラザ合意による円高から日本の工業が国外に移転しはじめ、冷戦が終わったあたりでさらにバブルがはじけて、92年ぐらいが日本の製造業の雇用のピークだった。その頃は、短期的な不況だと思って雇用を持たせていたんだけれども、持たなくなって非正規雇用に切り替えはじめたのが95年ぐらいあたりだったのでしょう。日経連の「新時代の『日本的経営』」もその頃に出ました。就職協定がなくなったのは96年で、それから就職活動がやたらと早まりましたね。
だから95年に社会が激変したというより、社会の変化がその時期に意識されるようになったということです。今回も同じで、この20年間ぐらい大きく変化してきていることが、これを機に意識された。
その一つは原発です。これは60〜80年代に建設のピークがあり、補助金漬けで成り立っていた「昭和の重厚長大産業」ですけれども、その問題と実態が改めて明らかになりました。
また、地方の厳しい状況と、東京との格差も浮き彫りになりました。その前から都会のワーキングプアや格差はよく語られていたけれども、地方の実態が突きつけられた。高齢者が多くてシャッター街ばかりで、雇用条件も悪い。2000年代に構造改革で公共事業が切られ、産業も成り立たず、原発を受け入れたところ以外は、かなり苦しくなくなっている。とはいえ原発も地方も、前からあった構造的な問題で、これを機に意識されたというだけです。
ただし、2011年が本当に世界的な転換期だったことになってしまう可能性もある。ヨーロッパとアメリカの経済不安が深刻になり、アラブの春やウォール街占拠もあった。そういうものの一環として、日本では原発事故があった、と位置づけられるようになるかもしれません。
当たってほしくないですが、万が一、来年ぐらいに日本が財政破綻すれば、本当に3.11が境目だったという話になるでしょう。そうなれば将来、2011年の大災厄が起きたあとでも、「不安だけど幸せ」とかいっていたんだなということで、『絶望の国の幸福な若者たち』がタイトルだけ残って「歴史的な本」になるかもしれませんね。
古市 やけに呑気なことをいっていた本があったということですね(笑)。
小熊 そう、まだこういう気分だったんだなと(笑)。

■デモは若者がやるものではない
小熊 ご新著の中で、原発デモの取材に行って意外と年長者が多かったと書かれていましたけれども、ずいぶんと古い感覚してるんだなと思いました。若者は政治に一番無関心な層だというのは、1970年代以降は定説です。知識もないし、生活の厳しさも実感していないからです。
昔は若者が政治に敏感だった時代がありました。ただそれは、大学生が敏感であったという意味で、一般的に若者が敏感だったわけではありません。大学生はどの国でもかぎられたエリート層だったので、我々がこの国を引っ張っていかなければならない、我々が立ち上がって政治を変えていかなければならないという使命感が高かった。しかし、それは大学進学率が10パーセント台ぐらいのときまで、日本でいえば1960年代までしか続きませんでした。韓国なんかでも80年代末はそうでしたが、それもどんどん変わってきています。
日本の68年というのはその境目の時期でした。しかし今どき、大学生に自分は特権階層だから立ち上がらなければなんて使命感があるわけがない。あとは知識と経験の不足があるだけですから、必然的に一番鈍い層、一番デモに来ないはずの層だと思う。もちろん、そういう統計的多数像が当てはまらない人は、いくらでもいるでしょうが。
古市 でも、僕と同じような感覚を持っている人も思かったと思います。オキュパイ・トウキョウにしても「若者のデモ」というかたちでメディアでは括られましたよね。
小熊 単に60年代末に作られたイメージの残存です。「世界を変えるべく立ち上がるのは若者だ」とかいうのは。
古市 その通りだと僕も思います。オキュパイ・トウキョウは僕も見に行ったのですが、20代はほとんどいなかった。参加者のほとんどが中高年でした。
小熊 当たり前だと思います。大学生は気楽な状態の人が多いし、20代のフリーターでもまだよくわかっていない人が多いから。雨宮処凛さんも赤木智弘さんも、30代になったときに変わったわけですしね。
古市 学生運動をテーマにした映画『マイ・バック・ページ』の論考で、小熊さんは「後ろめたさ」をキーワードに論じられていました。その後ろめたさというものは、今の大学生でも持っていると思います。
小熊 あると思いますが、それは遠い国とか、被災地とかに対するものでしょうね。そこでボランティアをすることで、自分が承認される機会を得たいとか。自分の状況は、よくわかっていないか、悪いとすれば自己責任だと思っている。
承認の機会を得たかった点は68年の日本の若者も変わらないですが、日本の68年の若者の場合は、国内的な貧困への後ろめたさがありました。たとえば自分の村で大学に行けたのは自分だけだとか、自分より優秀だったけど学費がなくて行けなかったやつがいるとか、そういうことを知っているんですね。しかも、大学生がまだエリートたるべきという価値観から抜け出せていない時代ですから、自分は特権階級だという感覚が強まった。
しかし68年前後には、日本だけでなく他の先進諸国でも学生運動が起きています。景気もよかったから大学生以外はみんな安定していて、大学生以外は動かなかったんですね。
古市 当時も若者が一番安定していない状況にあったということですか?
小熊 雇用は良かったから、経済的に安定していないという意味ではありません。大学生以外は、年下だったら校則のある高校に通っているし、年長だったら会社勤めをしているか、お嫁に行っているかなんです。人生の自由期間が18歳から22歳の大学生にだけあった時代です。そのときに突発的に大学生の運動が起きたのですが、学生以外には広がらなかった。学生も22歳になると就職するかお嫁に行って政治活動から引退してしまう。あの時代は、30代や40代がデモに来てくれない、労働者が立ち上がらないとだめだ、ということが悩みだったんです。
古市 逆になぜ今のデモは年配の人しかいないのでしょうか。
小熊 あの頃の運動の残滓をひきずっている人たちが今もやっているのが一因でしょう。しかし最近のデモを見ていると、たとえば「素人の乱」の主催デモなどに来ていたのは主に30代です。30代になると知識も経験もあるから、社会意識が高くなるのは当たり前の話です。そして68年と違うのは、30代で自由度の高い人が増えたことです。スーツ姿の正社員ではない30代、会社の縛りが強くない30代が、いろいろな意味で多くなったということですね。
今の時代に20代前半の大学生がデモに来るとしたら、「社会に対して意識を持たねばならない」とか、観念的なかたちで問題意識を持ってということが多いのではないでしょうか。もちろん大学生でも自分の状況に本当に困っている人たちはいますが、観念的に問題を考える人は、社会参加の機会を探しているわけですから、題材は何でもいい。カンボジアにボランティアに行こうか、脱原発のデモに行こうか、フジテレビに韓流ドラマの抗議に行こうか、みたいな選択になると思いますね。
古市 20代の政治離れは仕方がないとすれば、30、40、50代の人たちが勝手に社会を変えてくれればいいと、とりあえず若者は座視していればよいということになりますか。
小熊 任せておいたら中高年に都合のいいようにしか変わりませんよ。
■変革主体は若者ではない
古市 高円寺で4月10日にあった脱原発デモは20、30代が多くて、逆に5月以降の脱原発デモは、労組などの看板や旗を掲げた昔ながらの人が多かったと思います。しかもそれがお互い交わっていなかったのが印象的でした。
小熊 政治文化が違うのだから、無理に交わる必要もないと思います。
私のところに、最近のデモについてどう思うかといった取材に新聞記者がよく来てくれますが、「大学生は立ち上がっているんですか」とよく聞かれます。いまだに40年前の68年のイメージが強いんだなと思いますね。
古市 先ほどもあった「若者が変革主体である」というイメージを引きずっているということですね。
小熊 そうです。社会運動はこの20年ぐらい停滞していて、あまり最近の現物を見たことがないから、いまだに68年のイメージに縛られているんでしょう。大学生やミュージシャンが立ち上がってくれるんじゃないか、と思っているようです。
68年のようなカウンターカルチャーは、今ではありえないでしょう。68年の頃は、本来ただの商品だったジーンズやロックミュージックが、若者だけが享受しているものだったために、年配者に対するカウンターカルチャーになったんです。「エレキを弾いていれば不良」という時代でしたからね。ファストファッションのブランドが68年をうたったり、年長者もジーンズをはいていたり、ロック雑誌の表紙に70代の人がなる時代に、ファッションや音楽がカウンターカルチャーになるわけがないですよ。
古市 現代において、当時にカウンターカルチャー的なものを担保するとしたら、どこから出てくる可能性があるのでしょうか。もはやそんなものはありませんか。
小熊 今どき若者だけが享受しているカルチャーなんてありますか。
古市 ないですね。あらゆるカルチャーは年齢に関係なく遍在してしまっています。
小熊 たとえば北朝鮮みたいな国だったら、ロックミュージックを聞いているのが最大の抵抗だということはありえます。
古市 日本では何をしても、もはや抵抗にはならないんですね。
小熊 でも、タブーはいくらでもあるでしょう。
古市 タブーを出していくということですか?
小熊 どういうかたちで出すかを考える必要がありますけどね。
(つづく)
小熊英二(おぐま・えいじ)
1962年東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。東京大学農学部卒業。東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。主な著書に『単一民族神話の起源―<日本人>の自画像と系譜』『<日本人>の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮―植民地支配から復帰運動まで』『<民主>と<愛国>―戦後日本のナショナリズムと公共性』『1968』『私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集』他。
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古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985 年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。専攻は社会学。著書に『希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)。共著に『遠足型消費の時代―なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』(朝日新書)、『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります―僕らの介護不安に答えてください』(光文社新書)。
希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)
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小熊 私も3、4月は京都にいましたから同じことは感じていました。今年度から朝日新聞の論壇委員になって、一通りの雑誌が送られてきてそれを読む仕事をしていますが、いわゆる論壇で大騒ぎされているようには変わらないだろうとは思っていました。
論壇で「日本が変わる」といっていた人の大部分は、前からいっていることを繰り返していただけでしたね。これを機に新しい公共性ができるという人は、前からそういっていた人だし、震災復興を自由化で進めようという人は前からTPP賛成といっていた。「日本人はだめになった」といっていた人は相変わらずそういい続けているし、「被災地にボランティアに行け」という人は前から「若者は軍隊に行け」といっていた人です。
震災を機に、その人が従来から思っている「望ましい方向」に変わってくれればいいなと期待表明をしているだけだ、ということがよくわかりました。そもそも社会構造の基盤が変わらないんだから、意識がそう変わるわけがない。社会構造の変化に意識がついていってなかった部分が、これを機会に社会構造に沿ったかたちに変わるということはあるかもしれませんが。
古市 小熊さんは3.11以降、デモでスピーチをされたり、ツイッターで発言をされたりしていますよね。遠くから見ている人間からすると何か変化があったのかなという気がします。アクティブに前に出て、多くの人に向けて言葉を発するということが増えたようにお見受けするのですけど、いかがでしょうか。
小熊 外から見るとそう見えるのかもしれないけれど、震災とは直接関係ないです。2000年代の後半は『1968』を書くのに精一杯で何もできなかったし、書き上げたら意識不明で入院して、その後1年近くは自宅療養で動けなかった。ようやくまともに心身が動くようになってきたのが今年の初めぐらいで、ちょうど震災と重なった。デモに関していえば、私は80年代も、2003年のイラク反戦のデモも行っています。私にとっては珍しいことではないですよ。
■1995年と3.11
古市 阪神大震災とオウム事件が起こった1995年には、日本における重大な転換点だった議論があります。著作などを読むかぎり、小熊さんはそれに対しては否定的ですよね。同じように「2011年」や「3.11」が時代の転換点だったという議論はすでに多くありますし、これからも多く生まれていくと思うのですが、小熊さんはどうお考えですか。
小熊 私は戦後史にかぎっていえば、1955年あたりと1990年あたりが区切りだろうと考えています。高度成長のはじまりとバブルの崩壊の時期なんだから、誰でも納得するでしょう。国際的に見ても、スターリンが死んで朝鮮戦争が終わって、冷戦の安定期、平和共存期に入ったのが1955年くらい。それから冷戦が終わったのが1991年ですから、ちょうどその時期が境目になります。
95年については、その頃から非正規雇用が増え、産業構造の転換で製造業が衰えたりしました。91年ごろから構造転換が、本当に効いてきたんです。それらの変化がいつからはじまったのかと人々が考えたとき、震災やオウムが境目だったと感じる人が多かったんでしょう。
実際に労働現場では、95年くらいから非正規雇用の労働条件や、新卒採用の状況が悪くなったという意見は多い。85年のプラザ合意による円高から日本の工業が国外に移転しはじめ、冷戦が終わったあたりでさらにバブルがはじけて、92年ぐらいが日本の製造業の雇用のピークだった。その頃は、短期的な不況だと思って雇用を持たせていたんだけれども、持たなくなって非正規雇用に切り替えはじめたのが95年ぐらいあたりだったのでしょう。日経連の「新時代の『日本的経営』」もその頃に出ました。就職協定がなくなったのは96年で、それから就職活動がやたらと早まりましたね。
だから95年に社会が激変したというより、社会の変化がその時期に意識されるようになったということです。今回も同じで、この20年間ぐらい大きく変化してきていることが、これを機に意識された。
その一つは原発です。これは60〜80年代に建設のピークがあり、補助金漬けで成り立っていた「昭和の重厚長大産業」ですけれども、その問題と実態が改めて明らかになりました。
また、地方の厳しい状況と、東京との格差も浮き彫りになりました。その前から都会のワーキングプアや格差はよく語られていたけれども、地方の実態が突きつけられた。高齢者が多くてシャッター街ばかりで、雇用条件も悪い。2000年代に構造改革で公共事業が切られ、産業も成り立たず、原発を受け入れたところ以外は、かなり苦しくなくなっている。とはいえ原発も地方も、前からあった構造的な問題で、これを機に意識されたというだけです。
ただし、2011年が本当に世界的な転換期だったことになってしまう可能性もある。ヨーロッパとアメリカの経済不安が深刻になり、アラブの春やウォール街占拠もあった。そういうものの一環として、日本では原発事故があった、と位置づけられるようになるかもしれません。
当たってほしくないですが、万が一、来年ぐらいに日本が財政破綻すれば、本当に3.11が境目だったという話になるでしょう。そうなれば将来、2011年の大災厄が起きたあとでも、「不安だけど幸せ」とかいっていたんだなということで、『絶望の国の幸福な若者たち』がタイトルだけ残って「歴史的な本」になるかもしれませんね。
古市 やけに呑気なことをいっていた本があったということですね(笑)。
小熊 そう、まだこういう気分だったんだなと(笑)。
■デモは若者がやるものではない
小熊 ご新著の中で、原発デモの取材に行って意外と年長者が多かったと書かれていましたけれども、ずいぶんと古い感覚してるんだなと思いました。若者は政治に一番無関心な層だというのは、1970年代以降は定説です。知識もないし、生活の厳しさも実感していないからです。
昔は若者が政治に敏感だった時代がありました。ただそれは、大学生が敏感であったという意味で、一般的に若者が敏感だったわけではありません。大学生はどの国でもかぎられたエリート層だったので、我々がこの国を引っ張っていかなければならない、我々が立ち上がって政治を変えていかなければならないという使命感が高かった。しかし、それは大学進学率が10パーセント台ぐらいのときまで、日本でいえば1960年代までしか続きませんでした。韓国なんかでも80年代末はそうでしたが、それもどんどん変わってきています。
日本の68年というのはその境目の時期でした。しかし今どき、大学生に自分は特権階層だから立ち上がらなければなんて使命感があるわけがない。あとは知識と経験の不足があるだけですから、必然的に一番鈍い層、一番デモに来ないはずの層だと思う。もちろん、そういう統計的多数像が当てはまらない人は、いくらでもいるでしょうが。
古市 でも、僕と同じような感覚を持っている人も思かったと思います。オキュパイ・トウキョウにしても「若者のデモ」というかたちでメディアでは括られましたよね。
小熊 単に60年代末に作られたイメージの残存です。「世界を変えるべく立ち上がるのは若者だ」とかいうのは。
古市 その通りだと僕も思います。オキュパイ・トウキョウは僕も見に行ったのですが、20代はほとんどいなかった。参加者のほとんどが中高年でした。
小熊 当たり前だと思います。大学生は気楽な状態の人が多いし、20代のフリーターでもまだよくわかっていない人が多いから。雨宮処凛さんも赤木智弘さんも、30代になったときに変わったわけですしね。
古市 学生運動をテーマにした映画『マイ・バック・ページ』の論考で、小熊さんは「後ろめたさ」をキーワードに論じられていました。その後ろめたさというものは、今の大学生でも持っていると思います。
小熊 あると思いますが、それは遠い国とか、被災地とかに対するものでしょうね。そこでボランティアをすることで、自分が承認される機会を得たいとか。自分の状況は、よくわかっていないか、悪いとすれば自己責任だと思っている。
承認の機会を得たかった点は68年の日本の若者も変わらないですが、日本の68年の若者の場合は、国内的な貧困への後ろめたさがありました。たとえば自分の村で大学に行けたのは自分だけだとか、自分より優秀だったけど学費がなくて行けなかったやつがいるとか、そういうことを知っているんですね。しかも、大学生がまだエリートたるべきという価値観から抜け出せていない時代ですから、自分は特権階級だという感覚が強まった。
しかし68年前後には、日本だけでなく他の先進諸国でも学生運動が起きています。景気もよかったから大学生以外はみんな安定していて、大学生以外は動かなかったんですね。
古市 当時も若者が一番安定していない状況にあったということですか?
小熊 雇用は良かったから、経済的に安定していないという意味ではありません。大学生以外は、年下だったら校則のある高校に通っているし、年長だったら会社勤めをしているか、お嫁に行っているかなんです。人生の自由期間が18歳から22歳の大学生にだけあった時代です。そのときに突発的に大学生の運動が起きたのですが、学生以外には広がらなかった。学生も22歳になると就職するかお嫁に行って政治活動から引退してしまう。あの時代は、30代や40代がデモに来てくれない、労働者が立ち上がらないとだめだ、ということが悩みだったんです。
古市 逆になぜ今のデモは年配の人しかいないのでしょうか。
小熊 あの頃の運動の残滓をひきずっている人たちが今もやっているのが一因でしょう。しかし最近のデモを見ていると、たとえば「素人の乱」の主催デモなどに来ていたのは主に30代です。30代になると知識も経験もあるから、社会意識が高くなるのは当たり前の話です。そして68年と違うのは、30代で自由度の高い人が増えたことです。スーツ姿の正社員ではない30代、会社の縛りが強くない30代が、いろいろな意味で多くなったということですね。
今の時代に20代前半の大学生がデモに来るとしたら、「社会に対して意識を持たねばならない」とか、観念的なかたちで問題意識を持ってということが多いのではないでしょうか。もちろん大学生でも自分の状況に本当に困っている人たちはいますが、観念的に問題を考える人は、社会参加の機会を探しているわけですから、題材は何でもいい。カンボジアにボランティアに行こうか、脱原発のデモに行こうか、フジテレビに韓流ドラマの抗議に行こうか、みたいな選択になると思いますね。
古市 20代の政治離れは仕方がないとすれば、30、40、50代の人たちが勝手に社会を変えてくれればいいと、とりあえず若者は座視していればよいということになりますか。
小熊 任せておいたら中高年に都合のいいようにしか変わりませんよ。
■変革主体は若者ではない
古市 高円寺で4月10日にあった脱原発デモは20、30代が多くて、逆に5月以降の脱原発デモは、労組などの看板や旗を掲げた昔ながらの人が多かったと思います。しかもそれがお互い交わっていなかったのが印象的でした。
小熊 政治文化が違うのだから、無理に交わる必要もないと思います。
私のところに、最近のデモについてどう思うかといった取材に新聞記者がよく来てくれますが、「大学生は立ち上がっているんですか」とよく聞かれます。いまだに40年前の68年のイメージが強いんだなと思いますね。
古市 先ほどもあった「若者が変革主体である」というイメージを引きずっているということですね。
小熊 そうです。社会運動はこの20年ぐらい停滞していて、あまり最近の現物を見たことがないから、いまだに68年のイメージに縛られているんでしょう。大学生やミュージシャンが立ち上がってくれるんじゃないか、と思っているようです。
68年のようなカウンターカルチャーは、今ではありえないでしょう。68年の頃は、本来ただの商品だったジーンズやロックミュージックが、若者だけが享受しているものだったために、年配者に対するカウンターカルチャーになったんです。「エレキを弾いていれば不良」という時代でしたからね。ファストファッションのブランドが68年をうたったり、年長者もジーンズをはいていたり、ロック雑誌の表紙に70代の人がなる時代に、ファッションや音楽がカウンターカルチャーになるわけがないですよ。
古市 現代において、当時にカウンターカルチャー的なものを担保するとしたら、どこから出てくる可能性があるのでしょうか。もはやそんなものはありませんか。
小熊 今どき若者だけが享受しているカルチャーなんてありますか。
古市 ないですね。あらゆるカルチャーは年齢に関係なく遍在してしまっています。
小熊 たとえば北朝鮮みたいな国だったら、ロックミュージックを聞いているのが最大の抵抗だということはありえます。
古市 日本では何をしても、もはや抵抗にはならないんですね。
小熊 でも、タブーはいくらでもあるでしょう。
古市 タブーを出していくということですか?
小熊 どういうかたちで出すかを考える必要がありますけどね。
(つづく)
小熊英二(おぐま・えいじ)
1962年東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。東京大学農学部卒業。東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。主な著書に『単一民族神話の起源―<日本人>の自画像と系譜』『<日本人>の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮―植民地支配から復帰運動まで』『<民主>と<愛国>―戦後日本のナショナリズムと公共性』『1968』『私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集』他。
著者:小熊 英二
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古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985 年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。専攻は社会学。著書に『希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)。共著に『遠足型消費の時代―なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』(朝日新書)、『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります―僕らの介護不安に答えてください』(光文社新書)。
著者:古市 憲寿
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