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古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)刊行記念イベント
  ―― 小熊英二・古市憲寿対談 / 2011年11月18日東京堂書
店(構成 / 宮崎直子・シノドス編集部)

「震災後の日本社会と若者」(1) ⇒ http://synodos.livedoor.biz/archives/1883807.html

■若者論はなぜ繰り返されるのか

小熊 ところで、若者論というものが今どういう意味を持つかを話しましょう。「若者はだらしない」の類の言辞は太古の昔からあるといわれ、あなたも書いているように、戦前も戦中も戦後も若者論はありました。しかしそれが定着したのは、これもあなたが書いているように、日本では高度経済成長期からです。これは階級要因が退いたからです。
これは同じ頃に、フェミニズムやリブが台頭したのと似ています。つまり一億総中流意識が広まり、階級要因が目立たなくなったことで、大奥様であろうと女工であろうと農村婦人であろうと、「女」としての共通の問題があるんだと語れるようになった。1970年代から80年代半ばまでのリブやフェミニズムの議論を見ると、ほとんどが都市部の高学歴中産階級女性の問題を論じている。バリエーションがあるにしても、職業に就くことを選んだ女性と、専業主婦になる女性の違いくらいだった。農村女性や女性工場労働者がいるとしても、やがて都市部の高学歴中産階級になっていくんだろうと思われていたのでしょう。

「若者論」も同じだったと思います。1960年代には大学進学率がどんどん上がっていき、みんな大学生になって、終身雇用でサラリーマンになって、中産階級になるんだろうと思われていた。ブルーカラーであっても職業欄に会社員と書くというような時代でしたからね。実態よりも意識がそうなっていた。その時期に、大学生を典型的な「若者」とみなして、それを論じることが栄えたんです。

古市 しかも、日本には移民が少ないから人種で区切る意味もない。若者論は特に70年代以降流行しましたが、不思議なのは、2000年代以降も若者論が続いていることです。格差社会というリアリティを人々が感じるようになって、一億総中流だとはもはや誰も思わなくなったのに、それでもなお、若者論は続いています。

もう一度階級というものが前景化してきたにもかかわらず、若者論が繰り返されている。それは個人のレベルではわかる話です。コミュニケーションツールとして若者論はすごく使いやすいものだからです。歳をとって時代についていけなくなっただけなのに、「最近の若者はこうだ」というと、さも一端の社会論に聞こえる。その意味で若者論というものが、若者ではなくなった人たちにとってのある意味自分探しだとか、社会と自分の認識作業として残ってしまうのはわかります。だけど、世代一般を語る「若者論」が今でも量産されています。

小熊 一つは単純な理由で、まだ階級でものを語るのに慣れていない人たちが多いから。特に年長の人はそうです。

二つ目は、時代の変化というものは確かにあるからです。敗戦後すぐも若者論、というより世代論が栄えました。この時点では、階級があることはわかっていたけれども、戦争を何歳で経験しているか、あるいは大正デモクラシーの時代に教育を受けているか、というような人間類型論でした。

そういう違いは今でもあると思います。今40代後半以上で、80年代までに人格形成した人は、若者は車を買って当たり前、終身雇用が当たり前、日本は製造業の国だ、といった感覚が染み付いている人が多い。それ以後に人格形成をした人は違いますね。

■若者バッシングと移民排斥運動

小熊 そして三つ目は、先ほどあなたがおっしゃったように、日本には移民が入ってこないから、「人種」ではなく「世代」で語られるのだと思います。先ほどもいったように、外国だったら移民が働くような職場で日本の若者は働いています。ヨーロッパだったら本国人の女性や若者が就かないような時給700円のマックジョブですね。東日本大震災の被災地では、津波で壊滅した町の部品工場で、農家の中年女性が時給300円で働いていました。そういう人たちがいるかぎり、日本で移民は大量には入りません。

こういう状態の社会で、ニューエコノミーで変動した社会についていけない中高年の違和感と反発がどこに向かうか。どこの先進国も、製造業が衰退し、男性の平均賃金が低下し、女性が働きに出ざるをえなくなり、家族が揺らぎ、結婚できない若者が増えている。それでヨーロッパの場合は、移民が入ってから社会が悪くなったんだ、と語られる。ところが日本の場合は、こんな社会になったのは若者が悪いんだ、携帯いじってモラルが低い、意外と豊かそうなのに生活保護をもらっている、我々を脅かす連中で社会を不安定化させる、といった言説が流行る。これはいわば、日本における移民排斥運動の代替版です。

古市 若者バッシングは、ある種、移民排斥運動と同型だということですか。

小熊 ヨーロッパなら移民が入るはずの労働市場で若者が働いているわけですから、社会的な代替物になりやすいのでしょう。

古市 移民は排斥というゴールがありますが、若者に関しては日本人である以上排斥はでききれないわけですよね。ということは、移民排斥運動みたいなかたちでの若者バッシングや若者論というのは、今後も続いていくのでしょうか。

小熊 日本から追い出すことはできないから、しっかり教育して立派な日本人にしろ、という教育論というかたちで出てくるでしょう。歴史を教えろとか、ボランティアやらせろとか、いっぺん軍隊に入れろとかね。

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■若者語りをしたい人は多い

古市 『絶望の国の幸福な若者たち』は自分が思っていた以上に話題になりました。もはや若者論なんて流行らないと思っていたからこそ、エッセイとして自分たち語りをしてしまったところもあります。若者論をやる意味は、僕にとっては自分探しというか、自分はこう思っていてこんなふうに今の世の中を見ていて、どうやら世の中の同世代もこうらしいという程度のものでしかなかったんです。

しかし、それ以上に若者語りをしたい人が多くいるということに、この本を出して気づかされました。ということは「若者論に意味がない」とだけいっていても仕方がない。一つのリアリティに回収されないかたちで、ちょっとでもましな「若者像」を出していくことが大事だと思うようになりました。

小熊 この本が注目されているとするならば、確かに若者論のニーズというのはあるのでしょう。教育社会学や格差研究の要素を組み込んでいる若者論はそんなに多くはありませんので、それはこの本の優れた点だと思います。また、若者論は年長の人が論じることが多かったので、20代が書いたということが新鮮だったということもあると思います。

古市 ただ、僕自身は若者論を40、50歳にもなってもやるつもりはあまりないんです。そもそも若者論の学術的な意義はこれから縮小せざるをえないという認識は変わりません。これから階級が前景化せざるをえないとすると、ますます「世代」で語ることは難しくなってくる。大人たちのコミュニケーションツールとしての若者論は続いていくと思いますが、アカデミックな文脈で考えれば、ヨーロッパのようにトランジション研究などが中心になっていくんでしょう。さらにその先にはイギリスのように、アンダークラス研究が盛んになるという未来像もありえますが。

一方で、小熊さんがおっしゃったように、人々がまだ「階級」語りに慣れないのならば、一般向けの「若者論」はまだニーズがあるということですよね。そのとき、研究者にできることがあるとすれば、個別の領域で論じられてきたことを「若者論」として組み替え直すことだと思います。

たとえば、社会政策の分野における結婚や出産をしない若者を論じた少子化の議論、あるいは教育社会学における若者が正社員になりにくいことを論じた労働問題などを、「若者論」とパッケージし直すことで、少しでも多くの人に伝えていくということです。

小熊 あなたがまさにこの本でやったことですね。

■フリーの学者は成立するか

古市 僕はたぶん、アイデンティティが研究者じゃないところにあるんだと思います。たとえば1章で書いたような若者論の変遷は、もっと緻密に研究すればそれだけで一冊の本になるような内容だと思います。そして研究者として若者論を書こうとすれば、2章以降の時代のスケッチというのは無駄だったのかもしれない。だけど、若者論の変遷など歴史言説を追う作業は僕よりもたぶん得意な人がいるだろうし、そういう人がやるべきだと思っています。それが、こんな構成の本になった理由の一つです。

小熊 せっかく学問的なトレーニングを積んで知識もあるのだから、それを生かしていったほうが得ではないですか。ジャーナリスティックなライターとして、生き残っていけるかどうか。はっきりいってフリーの学者なんて成立しないですよ。たとえば『絶望の国の幸福な若者たち』は1800円で、印税率が10パーセントとすれば、1冊あたり180円があなたの収入ですね。1万部売れたら180万円ですが、親と同居ででもないと、180万円で生きていけませんよね。

古市 確かに物書きとして食べていくのは難しいですよね。ただ、僕は友達と会社をやっていますので、そちらのほうがメインです。

小熊 それがうまくいくならいいでしょう。しかしもしフリーの物書きで生きていくつもりなら、毎年1万部以上出る本を2冊ずつ書いても年収360万。それを20年も30年も続けられるなんて人は、日本社会で数人しかいない。しかもこれから出版市場も縮んでいくし大変難しいといわざるをえません。

古市 本を書くって、本当に費用対効果が悪いと思います。そんなに売れたわけでもないのに、みんなから批判もされますし(笑)。

■1968年、読書は若者の一番の趣味だった

小熊 日本の歴史でいえば、昔は、物書きはいい商売だったんです。原稿料も戦前はすごく高かった。たぶん400字で3万円くらいだと思います。岩波新書一冊出せば家が建つといわれた時代ですから。

それに、1960年代は出版市場が急膨張したので、作家専業でも食べていけたんです。私は『1968』で、1968年に行われた、過去三ヶ月で経験したレジャーおよび趣味をあげてくださいという調査を引用しました。1位は読書だったんです。ちなみに、2位は国内一泊旅行。3位は手芸・裁縫。4位は自宅での飲酒。5位が映画・演劇です。

もちろん読書が趣味といっても、そんな高尚なものを読んでいたわけではないでしょう。小説を読むとか、週刊誌を読むとかだったと思います。それでも本は売れたし、小説も売れた。新築の家を買ったら平凡社の百科事典を本棚に入れるという時代だった。だけど今は、純文学の作家は大学の人文系の先生になって生計を立てている人が多い。ライトノベルの世界とかはかなりよくない労働条件のようです。

古市 そうなんですか。

小熊 単純に計算すればわかります。たとえば600円のライトノベルの本を書き下ろし、挿し絵の人と分け合いだから印税率5パーセントとすれば、一冊30 円ですから1万部売れても30万円にしかならない。年間10冊以上書かないと生活が成り立たないでしょう。だから掛け持ちでバイトをやって書いているという人も多いと聞いています。

古市 『フクシマ論』を書いた開沼博さんと、今ノンフィクションライターが新しく生まれてくる余地がないという話をしたことがあります。調査には取材費がかかるのに、それを出してくれる媒体が減った。そして本を出してもそこまで売れるわけではないから、専業のノンフィクションライターはもはや成立しにくい。それはたぶん研究者も同じですよね。

小熊 学問の本はそれだけで食えるようには売れないのが普通ですから、フリーの研究者というのは、日本ではたとえば柳田國男とか、そういう人はいましたけれども、資産家でもないと成り立ちにくい。研究するには、食べられる職を得ることです。大学の先生のように時間があるか、調査職のように仕事が研究に結びつくのがベターです。大学院でアカデミックな修行の投資をしたなら、それを生かす職を目指すほうが堅実でしょう。ライターの道で生きていくのは、かつては成立したモデルかもしれませんが、これからはけっこう大変です。

学問がかった本を、ちょっとポップな味付けにして売って食べていこうというモデルは、バブル期だけ一時的に成立するかに見えただけで、今やるのは時代錯誤だと思います。今では数が売れない新書なんか出しても、著者に入るのは30万円くらいにしかなりません。出版界のマックジョブです。定職のある人が啓蒙書として出すならいいですが、とくに若い人はそんなことをやるより、地道な研究をしたほうが将来につながると思う。マックのバイトをやるために高校を中退するより、学校は卒業したほうがいいよ、今はよくても先がないよ、という平凡なことですが。

(つづく)

「震災後の日本社会と若者」(3) ⇒ http://synodos.livedoor.biz/archives/1885407.html

小熊英二(おぐま・えいじ) 
1962年東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。東京大学農学部卒業。東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。主な著書に『単一民族神話の起源―<日本人>の自画像と系譜』『<日本人>の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮―植民地支配から復帰運動まで』『<民主>と<愛国>―戦後日本のナショナリズムと公共性』『1968』『私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集』他。

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古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985 年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。専攻は社会学。著書に『希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)。共著に『遠足型消費の時代―なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』(朝日新書)、『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります―僕らの介護不安に答えてください』(光文社新書)。

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