白地に赤の太陽、四方に広がる太陽の光―。日本の軍国主義の象徴、旭日昇天旗だ。観客席のあちこちで、恨みを晴らすかのように恐ろしげにはためいていた。
日本の軍国主義の亡霊が生き返った。30日に東京・国立競技場で行われたサッカーのU20(20歳以下)女子ワールドカップ(W杯)準々決勝の韓国―日本戦では、日本の植民地支配を象徴する要素が堂々と登場した。本部席左側に位置する日本のサポーター席には、旭日昇天旗がはためいた。選手入場の際、大型の日の丸の下に、サイズは小さいもののはっきりとその形が捉えられた。旭日昇天旗はすぐに影を潜めたが、前半8分に柴田華絵(20)=浦和レッズレディース=が先制点を挙げると、再び姿を現した。彼らにとって韓日戦は、サッカーではなく「戦争」だった。
競技場の外の雰囲気も荒れていた。試合開始1時間前になって日本のサポーターが本格的に集まり始めると、日の丸や、日本の皇室を象徴する菊の紋様、刺激的な文言で車体を飾った黒のバン(街宣車)が周囲を走り回った。車体の上に設置された大型拡声器からは、第2次世界大戦当時、アジアの若者たちを戦地に送り込んだ際の日本軍の軍歌が誇らしげに流れていた。普段は自国の国民からも相手にされていない極右団体も、この日だけは勢いづいていた。
韓日戦を控え、国際サッカー連盟(FIFA)は気をもんでいた。日ごろから絶対に負けられないとライバル意識を燃やしている韓日両国が、第三国ではない場所で対戦するからだ。独島(日本名:竹島)問題や、李明博(イ・ミョンバク)大統領による天皇謝罪発言など、一連の政治的な問題に日本政府はデリケートに反応していた。日本サッカー協会(JFA)は当初、政治的な理由を挙げて旭日旗の持ち込みを禁止した。だが、反発の声を受けて持ち込み禁止の方針を撤回したため、このこともFIFA関係者の不安をあおった。日本のホームグラウンド、それも日本サッカーの「心臓」ともいわれる東京・国立競技場で行われる韓日戦は、FIFAにとっても負担だった。試合前日、FIFAのデボラ・トウ安全担当官は両チームの関係者との会合で「最近の両国のデリケートな状況をめぐり、ファンたちが政治的な応援メッセージや横断幕、プラカードなどを掲げないよう、万全を期したい」とした上で「両国の選手には、応援団を刺激するようなパフォーマンスや発言を自制するよう求める」と両国の関係者に促した。政治的問題にデリケートに反応するFIFAの立場がそのまま反映された格好だ。だが、結局はこのような事態が起きた。ナチス・ドイツのシンボル「ハーケンクロイツ(逆かぎ十字)」と同格と見なされる旭日昇天旗は、誇らしげに東京の空を舞った。日本の警察官や大会ボランティアは、入り口で二重に入場客の所持品チェックを実施するなど慌ただしく動き回ったが、事態を防ぐことはできなかった。
「東京の奇跡」を願っていた韓国の選手たちは、前半だけで3ゴールを許し、日本に敗れた。柴田に先制点を許した7分後の前半15分、韓国はチョン・ウナ(19)=江原道立大=が同点ゴールを決めて勝負を振り出しに戻したが、運は巡ってこなかった。前半19分、柴田がペナルティーアーク付近から放った左足のシュートは、ポストに当たってそのままゴールに吸い込まれた。前半37分には、田中陽子(19)=INAC神戸=がゴール前の混戦からのパスを右足で軽く押し込み3点目。点差をつけられた韓国は、後半に入り反撃に出たが、日本の密集守備を崩せなかった。エースのヨ・ミンジ(19)=蔚山科学大学=は、左足首のけがに耐えながらピッチを縦横無尽に駆け回ったが、最後までゴールは生まれなかった。韓国サポーター「レッドデビルズ」が日本の(応援席の)厚かましい行為に一撃を加えようと叫び続けたが、若い選手たちにはあまりに重荷だった。ゴールのたびに総立ちで拍手を送る日本の観衆に押され、徐々に小さくなっていった。厚かましい行為によって、東京の夜はいっそう憂鬱(ゆううつ)なものになった。