(一)、
云く ---------------------------------------------------------------- 日興上人の著述である本因妙では、天台の教観二門はともに『教相』になるということのようですね。 ----------------------------------------------------------------
※確認したいのだが、この「日興上人の著述である本因妙」とは、「本因妙抄」のことでありますか。もしそうであればその理由を説明されたし。
(二)、
云く ---------------------------------------------------------------- 東大寺は小乗の戒律によって受戒し、大僧(高僧)の資格を与えられて、ついで大乗戒を受けるというものでした。その理由は『一乗の機の人間は小乗の機に問迅、礼するのを許さず、講堂を同じにすることえお許さない』というものでした。 ----------------------------------------------------------------
※いや、東大寺の戒壇については最近も波木井坊氏の意見に補足を加える意味で我が国の三大戒壇(東大寺・太宰府観世音寺・下野薬師寺)について論じたばかりだが、東大寺で大乗戒も受けていたというのは何かの錯誤ではあるまいか。
いわゆる僧階を得るための「戒壇」とは「具足戒」が必須で、三師・十証≠ノよって具足戒を得てついでに大乗戒を受けたが、浄戒・法戒・生戒、はいわゆる大乗菩薩僧≠ニなるための梵網菩薩戒ではなく、僧としての心構えの次元であり、この戒は震旦でも中国でも行われていたが、「大乗戒壇」というものは存在はしていなかった。
三国で始めて大乗戒を受けるための「大乗戒壇」が建立されたのは最澄の叡山戒壇(戒壇院)が最初であり、これは「大乗戒」を受けるには「大乗戒壇」が必要であると最澄が勘違いしたためであると考えられている。
(三)、
云く、 ---------------------------------------------------------------- 言い直します。法華経に限っては果分の法と。平安時代はすでに法華経。また題目もありましたもので。 ----------------------------------------------------------------
※じつは、これについて私は決めてを持っておりません。現在叡山の勤行は、朝題目(南無妙法蓮華経)・夕念仏(南無阿弥陀仏)なのだが、いつころからこの化義が確立していたのかまったくわかりません。
もし、最澄の時代に既に「南無妙法蓮華経」が定着していたのであれば、わざわざ題目≠フ正当性を智、最澄等の「稽首妙法蓮華経」「帰命妙法蓮華経」等の意義に対し南無妙法蓮華経であったと論ずる必要は無かったとおもうのだが。
以上の三点、よろしく願いたい。
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