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風塵山荘
この掲示板は仏教者の視点から時事を語る掲示板です。宗教・宗派を問わず、特に正系六門下の日蓮主義≠謔閧フ時事評論は歓迎します。また十数年の長きにわたり特定の人物を誹謗・中傷してきた冨士尻学研究≠ニ称する不倶戴天≠フ邪妄団とは情報交換を通してともに闘う掲示板である。

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「法隆寺釈迦三尊」さんに、三点、確認したい、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:08月31日(金) 21時10分

(一)、

云く
----------------------------------------------------------------
日興上人の著述である本因妙では、天台の教観二門はともに『教相』になるということのようですね。
----------------------------------------------------------------


※確認したいのだが、この「日興上人の著述である本因妙」とは、「本因妙抄」のことでありますか。もしそうであればその理由を説明されたし。


(二)、

云く
----------------------------------------------------------------
東大寺は小乗の戒律によって受戒し、大僧(高僧)の資格を与えられて、ついで大乗戒を受けるというものでした。その理由は『一乗の機の人間は小乗の機に問迅、礼するのを許さず、講堂を同じにすることえお許さない』というものでした。
----------------------------------------------------------------


※いや、東大寺の戒壇については最近も波木井坊氏の意見に補足を加える意味で我が国の三大戒壇(東大寺・太宰府観世音寺・下野薬師寺)について論じたばかりだが、東大寺で大乗戒も受けていたというのは何かの錯誤ではあるまいか。

いわゆる僧階を得るための「戒壇」とは「具足戒」が必須で、三師・十証≠ノよって具足戒を得てついでに大乗戒を受けたが、浄戒・法戒・生戒、はいわゆる大乗菩薩僧≠ニなるための梵網菩薩戒ではなく、僧としての心構えの次元であり、この戒は震旦でも中国でも行われていたが、「大乗戒壇」というものは存在はしていなかった。

三国で始めて大乗戒を受けるための「大乗戒壇」が建立されたのは最澄の叡山戒壇(戒壇院)が最初であり、これは「大乗戒」を受けるには「大乗戒壇」が必要であると最澄が勘違いしたためであると考えられている。


(三)、

云く、
----------------------------------------------------------------
言い直します。法華経に限っては果分の法と。平安時代はすでに法華経。また題目もありましたもので。
----------------------------------------------------------------


※じつは、これについて私は決めてを持っておりません。現在叡山の勤行は、朝題目(南無妙法蓮華経)・夕念仏(南無阿弥陀仏)なのだが、いつころからこの化義が確立していたのかまったくわかりません。

もし、最澄の時代に既に「南無妙法蓮華経」が定着していたのであれば、わざわざ題目≠フ正当性を智、最澄等の「稽首妙法蓮華経」「帰命妙法蓮華経」等の意義に対し南無妙法蓮華経であったと論ずる必要は無かったとおもうのだが。


以上の三点、よろしく願いたい。
 

ご返信ありがとうございます。 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:08月31日(金) 01時52分
ご返信ありがとうございます。

>※五重相対については大石寺と一致派≠ナは相違はあるが紙一重≠ニいうところで意義的にはそんなに変わらないものと思う。

分かりました。日興上人と一致派の違いも、分かりました。
教観二門は調べてみると、もともと天台教学のようでありました。
日興上人の著述である本因妙では、天台の教観二門はともに『教相』になるということのようですね。
その上で下記↓のお書き込み、理解出来ました。

>本迹相対の次に「教観相待」を持ってくることはやや苦しい一面がある。百六箇抄によれば題目は観心のうえの教相であるから熟脱の教相・観心と、下種の教相・観心があり、これは天地雲泥である。
===============================

>[1、直道思想]
三諦論には「円融三諦=法華経」と「隔歴三諦=別教」とがあり直道≠ニ云うのであれば円融三諦を指向しなければならないのではないか。

その認識で書きました。

>火宅の中で遊戯することは衆生に譬えられているもので救うのは大乗であるという思想によるものでプロセスに小乗思想を経ることは一応は仏教の次第によるものであるが、譬えは凡夫に理解しやすいものでなければならず、敢えて考えすぎた思考はいかがなものか。

私は、その仏法の次第に迂回道という意味を見出しました。
が、言われてみれば、法華経そのものが直道であり、出発点がもはや、終わってます。

>奈良で戒壇といえば鑑真和尚の建立した唐招提寺であるが

いえ、受戒自体は東大寺です。これが事実です。鑑真が受戒を行うために来日しました。
さて、この私の読んだ論考では、
東大寺は小乗の戒律によって受戒し、大僧(高僧)の資格を与えられて、ついで大乗戒を受けるというものでした。その理由は
『一乗の機の人間は小乗の機に問迅、礼するのを許さず、講堂を同じにすることえお許さない』というものでした。
これを間違った解釈の火宅になぞらえて迂回道と言ったわけです。
東大寺は華厳教であり大乗です。そのような理由からです。
また、華厳経は爾前です。ですのでここでは、歴劫道であり、仏果を得るための因位の修行をするための分際で、因分の修行とは、そういう意味です。
これは、直道に対抗して、書き込みました。

私は仏教は初心者であり、このような立て分け、整理ができておりません。申し訳ありません。
しかし、恥であろうが、なんであろうがぶつかってみないことには前に進めません。
お世話になっております。なかなか、そこまで教学力のある方が相手して下さることは滅多とないことです。

>[2、果分の法]
南都六宗は学派仏教でありこれを因分とし、最澄の法華経を果分と為すプロセスは理解出来ない。確かに叡山は法華思想が主であるが密教や禅も兼学しており一概に果分とは云えないのではないか

存じております。像法時代のことです。
言い直します。法華経に限っては果分の法と。平安時代はすでに法華経。また題目もありましたもので。

書き物は忠実に表現しなければいけないことが分かりました。
かなり難しいです。
しかし、松木さんの書き込み、徐々に難解なものへと吊り上げられている感が・・・・・・・私、ついていけるのだろうか。(笑)

日蓮非*{仏論読ませて頂きます。
一個一個にしていきます。
しかし、他のかたも研鑽されているかたっておられますね。
なかなか、松木さんのようにオタクの人も見受けられました。
文献にて、しっかり書いておられます。
今日は、ほかの方も日蓮本仏論、本尊が気になる方がおられるよですが、今日の人は日興上人にも久遠元初なる文献がまだ見つかってない。
とのことでした。
このような研鑽はそのような文献が手元にあることで論が変わってきます。どのような文献を読まれているのか、それもまた見てみます。



Re: ご返信ありがとうございます。
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:08月31日(金) 01時58分
訂正
>また、華厳経は爾前です。ですのでここでは、歴劫道であり、仏果を得るための因位の修行をするための分際で、因分の修行とは、そういう意味です。
これは、直道に対抗して、書き込みました。

直します。

後で、果分の法のことを下記に書きますが、また、華厳経は爾前です。ですのでここでは、歴劫道であり、仏果を得るための因位の修行をするための分際で、因分の修行とは、そういう意味です。
これは、果分の法に対抗して、書き込みました。

日蓮非*{仏論 (三)、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:08月30日(木) 21時50分

[互為主伴]

日有上人に師事した左阿日教師は二百五十箇条に「釈尊・宗祖、互為主伴」と説かれているが、互為主伴と宗祖・上行一仏説は別物であると捉えるべきではないか。

互為主伴は妙楽が文句を解説した文句記に説かれるところであり、日蓮宗祖はご自身の註法華経に引用されている。

「『記九云。引(二)梵網経三結經(一)者。以(下)義大旨与(二)三經(一)同。而義意撮(上レ)要若花嚴中十臺葉。
互為(二)主伴(一)。(法蔵館蔵版、定本注法華経・下巻407頁)」

とあり、通途の御書判にもいくらかある。


【文証・一】
この書は随分の秘書なり。已前の学文の時も、いまだ存ぜられざる事粗之を
載す。他人の御聴聞なからん已前に御存知有るべし。

総じてはこれより具していたらん人にはよりて法門御聴聞あるべし。互ひに
師弟と為らんか。恐々(弁殿御消息・新編六○八頁)

【文証・二】
爰に日蓮思ふやう、堤婆品を案ずるに堤婆は釈迦如来の昔の師なり、昔の師
は今の弟子なり。今の弟子はむかしの師なり。古今能所不二にして法華の
深意をあらはす。(上野殿御返事・新編一三六○頁=杖木書)

【文証・三】

疑って云はく、多宝の証明、十方の助舌、地涌の涌出、此等は誰人の為ぞや。
答へて曰く、世間の情に云はく、在世の為と。

日蓮が云はく、舎利弗・目建等は現在を以て之を論ずれば智慧第一・神通第
一の大聖なり。過去を以て之を論ずれば金竜陀仏・青竜陀仏なり。未来を以
て之を論ずれば華光如来、霊山を以て之を論ずれば三惑頓尽の大菩薩、本を
以て之を論ずれば内秘外現の古菩薩なり。文殊・弥勒等の大菩薩は過去の古
仏現在の応生なり。(法華取要抄・新編七三五頁)

【文証・四】
御義口伝に云はく、法とは諸法なり、師とは諸法が直ちに師と成るなり。森
羅三千の諸法直ちに師と成り弟子となるべきなり。今日蓮等の類南無妙法蓮
華経と唱へ奉る者は法師の中の大法師なり。諸法実相の開覚顕はれて見れば、
地獄の灯燃猛火乃至仏果に至る迄悉く具足して一念三千の法師なり。又云は
く法とは題目、師とは日蓮等の類いなり。(御義口伝・新編一七四九頁)

【文証・五】
御義口伝に云はく、此の品は迹門流通の後本門開顕の序分なり。故に先ず本
地無作の三身を顕はさんが為に、釈尊所具の菩薩界本化の弟子を召すなり。
(御義口伝・新編一八一○頁)


文証の五についてはやや躊躇したが、参考のために挙げておいた。本果第一番(我実成仏已来)より化導に出て様々な弟子に法を授け、弟子と師が互いに応化して衆生を教化するという図式は大乗思想の骨目といえようか。

しかしこの互為主伴と日蓮本仏論(勝日蓮=劣釈尊)は相容れない思考であることは云うまでも無い。よく日蓮本仏論者が引用する諸法実相抄の

「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。然れば
釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候
はず、返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり。」

との御書判は日蓮本仏論の文証とはならない。体(日蓮)と用(釈尊)との対比に過ぎないからである。日精上人は随宜論に「凡そ体用の法門は体を取って用を捨つるは常途の義なり」と述べられている。即ち、仏の用(本果)が存するときは必ず無作の体(本因)が存するのであり勝劣は無い。

百六箇抄には本果を迹≠ニし本因妙を本≠ニしているが同じ百六箇抄(八)に「本の迹は迹にあらず、迹の本は本にあらず(趣意)」と御指南されており、下種益の上における本迹と種脱相対の本迹勝劣を同一視してはならない。

日蓮宗祖は自身を上行再誕であるとの自覚があり、保田の万年救護本尊の讃文に末法に上行が出現して始めて表す御本尊なり(趣意)」とあり、日蓮宗祖の立位置はあくまでも遣使還告の上行再誕であり、法華経の教主釈尊より承けた本因妙を弘宣する立場であるのだ。故に、他宗には通用しないが、大石寺で論じる百六箇抄の次の文証について論じてみたい。

(一)、
下種の法華経の教主の本迹。
 自受用身は本、上行日蓮は迹なり。我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底
 の本因妙の事なり。其の教主は某なり。


この通りであろう。だが法先仏後(法勝人劣ではない)≠ナあるから本因妙は本となり自受用報身は迹となることは同じ百六箇抄に説かれているところである。所対によって本迹が変わることは当然であり、凡夫日蓮が発迹顕本して上行日蓮となり、上行の本地を尋ねたら自受用報身であり、自受用報身とは本因妙からは迹体となるのは理の当然である。

(二)、
下種の今此三界の主の本迹。
 久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり。久遠は本、今日は迹なり。三
 世常住の日蓮は名字の利生なり。

「久遠元始の日蓮」とはまさしく日蓮宗祖の謂いである。本因妙の教主は無作三身であり我本行菩薩道≠フ当初に成仏を認める本因思想では既に本果が具わっており日蓮が釈迦如来であるとの開示である。

本因妙の教主はあくまで菩薩行であるから本果所具の本因を日蓮と称しているがあくまで釈迦如来の末法における主張であり、釈迦如来が過去に大通仏の十六王子とあらわれ大通覆講として衆生を済度しことと同じことである。この時の大通仏は大通下種のときの弟子なるか。

研深読みのしすぎではないのかね、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:08月30日(木) 20時21分


云く、
----------------------------------------------------------------
五重の相対だって、日寛曰く、文底読みというものが新たに造られれば、厳密には五重の相対ならず、六重の相対だよ。そんなに煩雑にしなくても......実は、これ種脱に問題があるのじゃないか?
----------------------------------------------------------------


※五重相対については大石寺と一致派≠ナは相違はあるが紙一重≠ニいうところで意義的にはそんなに変わらないものと思う。面白いのは大石寺で、日寛師は権教と実教の相待を「権迹相待」としているが、大石寺はこれを採用しておらない。(笑)、

種脱の相待は観心本尊抄の「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は題目の五字なり。」によるもので、当然の帰結と云うべきではないか。

種脱相対の文証は、管見では通例の御書判ではこの観心抄のみだが、本因妙抄、百六箇抄に随分示されているが、余談だがこの相伝書は古くから日蓮宗祖から興師への相伝法門とされてきたが、ともに日興上人の著述≠ニすべきであろう。

本迹相対の次に「教観相待」を持ってくることはやや苦しい一面がある。百六箇抄によれば題目は観心のうえの教相であるから熟脱の教相・観心と、下種の教相・観心があり、これは天地雲泥である。


云く
----------------------------------------------------------------
最澄の教学の特質を、叡山に学んだ親鸞、道元、日蓮とここでは三人にしぼって、その共通する基盤思想の特質を抽出した論考がありました。そこからの最澄教学的な特色は二つに要約、出来るのではないかと、この論考では述べている。
1、直道の思想
2、果分の法
----------------------------------------------------------------


※私には分かりづらい論考である。果分の法という立て分けがあるのであれば因分の法が対処することとなるが、直道の思想というものも判りづらいです。

双方ともに依拠としなければならないのは「経典」であり、どの経典のどこの文証をもって解釈をほどこすのであるかが論証されていなければ正論とは云えないのではないかと思います。

[1、直道思想]

三諦論には「円融三諦=法華経」と「隔歴三諦=別教」とがあり直道≠ニ云うのであれば円融三諦を指向しなければならないのではないか。法華経七譬の三車火宅の譬えに小乗を経て大乗に至るという論法には少し違和感がある。

火宅の中で遊戯することは衆生に譬えられているもので救うのは大乗であるという思想によるものでプロセスに小乗思想を経ることは一応は仏教の次第によるものであるが、譬えは凡夫に理解しやすいものでなければならず、敢えて考えすぎた思考はいかがなものか。
奈良戒壇については私は知識は無い。奈良で戒壇といえば鑑真和尚の建立した唐招提寺であるがれっきとした、いわゆる小乗戒壇で具足戒であり比丘に二百五十戒尼僧に五百戒があり、大乗の菩薩戒は梵網経戒であるが中国では天台も含め出家は必ずこの具足戒を受戒してはじめて僧侶となれたのである。

なお、大乗菩薩戒(梵網経戒)は自誓授戒でもあるが大乗の戒壇は最澄以前には無かったもので授戒とは必ず具足戒であった。日本に本格的に戒壇を建立したのは鑑真和尚であるが鑑真和尚はれっきとした中国天台の阿闍梨であることからも理解出来ると思う。大乗戒壇は最澄の勘違いで建立されたとも云われているものである。


[2、果分の法]

南都六宗は学派仏教でありこれを因分とし、最澄の法華経を果分と為すプロセスは理解出来ない。確かに叡山は法華思想が主であるが密教や禅も兼学しており一概に果分とは云えないのではないか。最澄は仏教を法華経によって統合しようという目的があったと考えられているがこのあたりはいかがなものか。
 

お疲れ様でございます。昨日の補足です 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:08月30日(木) 00時55分
>五重の相対だって、日寛曰く、文底読みというものが新たに造られれば、厳密には五重の相対ならず、六重の相対だよ。そんなに煩雑にしなくても......実は、これ種脱に問題があるのじゃないか?

日蓮宗では、五重相対の最後を、この教観相対とします。
教とは、文上の教相(きょうそう)のこと。文上とは法華経の経文上にはっきりと書かれていること。
観とは、文底の観心(かんしん)のこと。文底とは法華経の経文上ではなく、底に沈んでいること。
法華経・如来寿量品にも、文上の教相と文底の観心に区別される。

日蓮は『開目抄』で「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづ(沈)めたり、竜樹・天親・知ってしかも・いまだ・ひろ(拾)い・いだ(出)さず但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり」と述べている。これを文底秘沈(もんていひちん)という。
文上の教相とは、法華経の経文の上に示された理論理屈、つまり文証と理証である。
日蓮の滅後、門弟間において、これをどう解釈するかでまた議論があり、文の底に沈められているのは、事の一念三千であるとする身延山などの一般的な日蓮宗諸派と、三大秘法の妙法あるいは南無妙法蓮華経であるとする富士門流に分かれた。
お粗末で申し訳ないのですが、今日はネットから引っ張ってきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E9%87%8D%E7%9B%B8%E5%AF%BE

私、言葉足らずでしたが、文底と文底独一戒壇と一緒になってたり、整理がついていないような状態でした。
宜しくおねがいします。

おもしろい、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:08月29日(水) 22時13分

仏教の思想的展開は常に流動的で、いつぞや「流転門・還滅門」の二方向からの立て分けが流行し、
明治の最中に島地大氏は仏教の見方を「始覚門・本覚門」から分類、大別することを主張、
本因妙思想に対して本果妙、脱益仏教に対して下種仏法、迹門思想に対抗して本門思想、等。

まあ、いろいろ考えるものである。


おかげで、後代の学徒は勉強の材料に事欠かなくなっており、勉学の範囲はますます広くなっている。(汗;

本日はさきほど帰宅したばかりで、仕事で疲れ、私ごとで疲れているのでもう、寝ます。(笑)、

では、明日はじっくり読ませていただきます。
  

今日は、このような論考を発見しました。この主題は 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:08月29日(水) 02時26分
>日蓮本仏論≠ニは大石寺独特の教義であり、その特質は勝釈迦≠ナある。即ち釈迦如来を劣とし日蓮勝を論じるのが大石寺の誇る教義であるが、上代にはこのような思想は見られない。興師の日蓮観≠ヘあくまでも法華経の教主釈尊の遣使還告≠ナあり上行菩薩の後身であり、そのうえでの内証久遠元初自受用報身であり、教主釈尊と上行日蓮は一仏の表裏(因果)というものを越えるものではない。

から調べてみました。

最澄の教学の特質を、叡山に学んだ親鸞、道元、日蓮とここでは三人にしぼって、その共通する基盤思想の特質を抽出した論考がありました。
そこからの最澄教学的な特色は二つに要約、出来るのではないかと、この論考では述べている。
1、直道の思想
2、果分の法

1、直道思想
仏道に1、直道、2歴劫道、3迂回道の内、末法の時代にあっては直道。これは、皆様、周知の通り。
因みに、三車火宅の例えは、火宅の中の子供を小乗(羊、鹿、牛)を与えると一旦、用いて誘引し、子供を路地に出してから大乗(大白牛車)に乗せるという迂回道方式。奈良での受戒も、迂回道という。
奈良の受戒方法は元来小乗の戒律であった四分律によって受戒し、大僧の資格を与えられて、ついで大乗戒を受けるというもの。
最澄はこれに対し、今、直道を用うべき時は、小乗戒律の四分律は用いず、直接大乗梵網経によって受戒すべきと最澄独自の大乗戒独立運動になり展開される。

2、果分の法
南都諸宗の教学は全て因分の法。仏になる為の学問・修行段階についての法であるにすぎない。経に基づく宗派、論に基づく宗派いづれもである。
これに対し、最澄は果分の法である。
法華経は天台教学によって、その法を受容し実践する時は直接釈尊の果分の悟りの中へ入るのである。そこで、果分の法であるので難信難解であるが、釈尊の随自意の法、内證の法であり、そこから即身成仏に至るが可能となる。
日蓮の場合、本門の観心である唱題を行う時、教主釈尊の因行果徳すべてを自然に譲り与えられる。こうして、主題五字七字である南無妙法蓮華経を行ずるとき、直接、果分の法の中に住すると。信もまた果分の信であることに注目したい。



上記、書き込みから日蓮教学で発展させて
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:08月29日(水) 03時47分
この論考は、因分の法から、果分の法と法華系の歴史的な教学の推移です。
仏に成るという発想、は因分の思考ではないかと思われます。
私見ですが、仏の中に直ちに入る。或いは己心の仏界を開くとは果分の法ではないかと思います。
この果分の法は重要な手掛かりになるやも知れないと思います。
最澄以降は因よりも果の方が重視されているように思えてまりません。

観心本尊抄
下記は題目の解釈についての御文です。まずは因果具時
『文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う』

また因と果との対照的な御文。観心本尊抄

観心本尊抄
『又迹門爾前の意を以て之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏なり、過去の因行を尋ね求れば或は能施太子或は儒童菩薩或は尸毘王或は薩〓王子或は三祇・百劫或は動喩塵劫或は無量阿僧祇劫或は初発心時或は三千塵点等の間七万・五千・六千・七千等の仏を供養し劫を積み行満じて今の教主釈尊と成り給う、
是くの如き因位の諸行は皆我等が己身所具の菩薩界の功徳か』

これは、始成正覚の仏の因行
しかし、果分の法で始成正覚の仏を解釈すれば

『果位を以て之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏四十余年の間四教の色身を示現し爾前・迹門・涅槃経等を演説して一切衆生を利益し給う』
そんな意義から下記の仏は果位の仏
『所謂華蔵の時・十方台上の盧舎那・阿含経の三十四心・断結成道の仏、方等般若の千仏等、大日・金剛頂の千二百余尊、並びに迹門宝塔品の四土色身、涅槃経の或は丈六と見る或は小身大身と現じ或は盧舎那と見る或は身虚空に同じと見る四種の身乃至八十御入滅舎利を留めて正像末を利益し給う、
本門を以て之れを疑わば教主釈尊は五百塵点已前の仏なり因位も又是くの如し、其れより已来十方世界に分身し一代聖教を演説して塵数の衆生を教化し給う』

しかし、『本門を以て之れを疑わば教主釈尊は五百塵点已前の仏なり因位も又是くの如し、其れより已来十方世界に分身し一代聖教を演説して塵数の衆生を教化し給う』
これをどう解釈すればいいのだろうか。
論理破綻。


依文判義
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:08月29日(水) 03時52分
全ての解釈は、依文判義でなければいけない。
つまり演繹法

果分の法か、因分の法か、はっきりしたい。


Re: 今日は、このような論考を発見しました。この主題は
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:08月29日(水) 04時49分
いや、日興→日寛教学での思考が定着しているが故におかしくなっているのかもしれない。

五重の相対だって、日寛曰く、文底読みというものが新たに造られれば、厳密には五重の相対ならず、六重の相対だよ。そんなに煩雑にしなくても......実は、これ種脱に問題があるのじゃないか?

『本門を以て之れを疑わば教主釈尊は五百塵点已前の仏なり因位も又是くの如し、』
これは、因果具時であり、因も果も分け隔てする必要なんぞ、どこにもないかも。もともと仏は無始無終なんだから。
だから、爾前のように因分の法思想も偏りな思想であれば、果分の法思想なるのも偏りがあるのではないだろうか。
造語せずに、法華経そのまま、大聖人そのままでいけば、久遠実成を明かしたことこそ、また、久遠実成の釈迦牟尼仏。が妥当のかも。
本門の極理は主題五字七字は定着しているので悩む必要なし。
本尊も、文字曼荼羅は理に叶っている。また、今日は、曼荼羅に大日・金剛がなぜ入っているかも理解できた。





其れより已来十方世界に分身し一代聖教を演説して塵数の衆生を教化し給う』

日蓮非*{仏論 (二)、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:08月28日(火) 21時05分


[上代に見る宗祖本仏義]


日蓮本仏論≠ニは大石寺独特の教義であり、その特質は勝釈迦≠ナある。即ち釈迦如来を劣とし日蓮勝を論じるのが大石寺の誇る教義であるが、上代にはこのような思想は見られない。興師の日蓮観≠ヘあくまでも法華経の教主釈尊の遣使還告≠ナあり上行菩薩の後身であり、そのうえでの内証久遠元初自受用報身であり、教主釈尊と上行日蓮は一仏の表裏(因果)というものを越えるものではない。


日興上人は弟子檀那からの御供養の返書に、あきらかに日蓮宗祖を法華経の当体としての仏≠ニし明言されている。

【文証(番号は歴法全の番号)】

 聖人御影の御宝前・20番/ 法花聖人の御宝前・37番/ 法主上人御神殿・47番/ 仏にまいらせて・61番/ 仏の御見参・63番/ 御経日蓮聖人・64番/ ほくゑしやう人の御けさん・89番/ 法華しやう人の御ほうせん・90番/ ほつけしやうにんの御ほうせん・91番/


上記を見ると、興師が日蓮宗祖を仏≠ニして見ていたのは史実であろう。しかしその本質はあくまで上行後身、内証は自受用報身如来であっても教主釈尊≠出るものではない。

【文証・一】

「此の国をば念仏真言禅律の大謗法の故大小守護の善神捨て去る間、その後の祠(ほくち)には大鬼神入り替わりて、国土に飢饉、疫病、蒙古国の三災連連として国土滅亡の由、故に日蓮聖人の勘文関東の三代に仰せ含ませられ候い畢んぬ、此の旨こそ日蓮阿闍梨の所存の法門にて候え、国の為世の為一切衆生の為の故に、日蓮阿闍梨仏の御使として大慈悲を以つて身命を惜しまず申され候いきと談じて候いしかば」(原殿御返事)

【文証・二】
御義口伝に云く、此の品は迹門流通の後、本門開顕の序文なり、故に先ず本地無作の三身を顕わさんが為に、釈尊所具の菩薩なるが故に、本地本化の弟子を召すなり、是れ又妙法の従地なれば十界の大地なり。(御義口伝・聖五一一頁)


日興記の文証は決定的である。御義口伝は徹底的に無作三身を以て実仏とし、釈尊を嫌う文面が多々見られる。例えば「此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり、既に此の品の時、上行菩薩に付嘱し玉う故なり(御義口伝・神力品)」等の文証があるが、日蓮宗祖がご自身を指して論じているのだから本因を全面的に出して本果を隠されているだけの話しである。

肝心なことは、上行菩薩は法華経の教主釈尊の九界(本因)であると決判されていることである。この、日蓮宗祖が上行後身で本地は教主釈尊であるという思想は富士門下には徹底されていたようで、興師の本弟子である日仙師に帰依していた秋山氏は讃岐に居を移されてからも日蓮宗祖の御講参詣の意義について厳しく一門に遺戒されている。

【文証】

[秋山泰忠状]
十月十三日の御事は泰忠が跡を知行せんずる男子女子孫彦に至る迄忠を致し申すべきなり、此の御堂より外に仮初にも御堂を建て此の御堂を背き申すまじき印に、又内々は兄弟と云ひ又は伯叔父中従兄弟の中にも恨むる事有りとも、十三日には相互に心を一つにして御仏大上人を泰忠が仰ぎ申す如くに、十五日迄皆々一所にて御勤も申し候べく候。 (要集八巻・二三四頁)


ここに日興門流の意識が強く表されている。即ち十三日という日蓮宗祖の命日にあたる報恩御講≠ノは、どのような諍いがあったとしても秋山一門は日蓮宗祖に対する信仰をひとつにして十五日まで報恩を尽くせ、と遺戒されていて「御仏(みほとけ)大上人」と、上行後身思想と内証釈尊との教義がいかんなく顕れている。

なお、この讃岐の秋山氏の子孫はけっこう残っていて、北海道深川市の宝龍寺の講頭を勤めていた秋山氏豊一氏も日正寺の秋山御能師も讃岐の秋山氏の末裔である。(余談)


日興上人のもとで重須の学頭を勤められていた三位日順師にいたっては、印度応誕の釈迦如来を迹仏と見放す思考が見受けられる。



【文証・一】
@日蓮聖人の出現は上行菩薩の後身なり、行者已に出世して結要付嘱を弘通す。(富士宗学要集二巻・二一頁)

A従地涌出の下方の大士・神力別付の上行応化の日蓮聖人。(同 二九頁)

B本尊総体の日蓮聖人の御罰を蒙り。(同 二八頁)

C久遠元初自受用報身とは本行菩薩道の本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなりこと。(同 八三頁)


※以上は類文ではあるが、各方面からの指摘なので敢えて四種を出した。問題なのは次の御指南である。


【文証・二】

然ルに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり、彼ノ本仏の顕シ玉ふ所なれば日本を中国と云フなり。
(同 百十三頁)

これは本迹勝劣≠フうえから種脱相対のもとに説かれたものであり、教・機・時・国・序の五義判によるものであるが釈迦仏法と日蓮仏法との対比のうえでの勝劣ではない。あくまでも上行後身≠ニいう線を前面に押し出したうえでの本国土妙の相違によるのであり、日寛師のような「勝釈尊」とは云えないが、日蓮本仏論の先駆と云えるのではないか。

 



(補遺) 追伸の文証について、
名前:松木法太郎    日付:08月28日(火) 21時19分

日興上人が、「御経日蓮聖人・64番/ ほくゑしやう人の御けさん・89番/ 法華しやう人の御ほうせん・90番/ ほつけしやうにんの御ほうせん・91番」と云われたことは重要である。日蓮宗祖を法華経そのものであると御指南されているのである。


【文証・一】
云はく「若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写すること有らん
者は当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり。仏口より此の経典
を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり」已上。

此の文を見るに法華経は釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には釈迦
牟尼仏入滅を取り、此の経を信ずる者の前には滅後たりと雖も仏の在世なり。
(守護国家論・新編一四九頁)

【文証・二】
されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もをしまず修行して、此の度仏
法を心みよ。(撰時抄・新編八七一頁)

 

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