先日テレビをつけたら、発明学会が詐欺で訴えられたとのことだった。
思わず苦笑した。
なにを隠そう私は発明学会員のはしくれで(でも会費を一回しか払っていないから、向こうではとっくに登録抹消しているに違いない)それをいまでも誇りに思っている。
私は個人的に三つ、会社として二つの特許出願をしたことがある。これはそんなに悪くはない。出願数だけなら私は発明家だとちょっと威張ることができる。ただしそれらは結果として見事に全て拒絶査定となり特許権を受けることはなかった。それでもそれによって大金持ちになれるかもしれないという夢を見たことは実に楽しいひとときであった。
その内容をここに記すのは恥ずかしいから止めるが、私はそれらのアイデアの図面と出願申請内容を、発明学会の教えてくれた定型にまとめ、なけなしの小使いのなかから郵便局で買い求めた特許印紙を添えて東京へ送った。そして暫くののち私の手元には、出願を受理したというありがたいハガキが特許庁から届いたのだった。
それから私は、その発明品に関連すると思われる企業を探し回った。電話帳や、スーパーや、百貨店の製品に添付してある説明書から販売会社、あるいは製造企業名をメモに書き取った。ときには店員に怪しまれたこともあったのは想像の通りである。そして特許出願済という玉虫色の言葉を添えて、何十通もの製品採用のお願いをそれらの企業へ送付しまくったのである。
結果として、これを言うのもしゃくだが、三つの個人的特許出願のそれぞれの対象である数十もの企業から色良い返事が来たのはただの一通もなかった。それどころか、いくつかの企業からは、受け取り拒絶などいう失礼な赤いはんこが押され、開封もせずに封筒が帰ってきた。世の中はやはり厳しいものだな。という実感がふつふつと湧いてきたが、中には真面目に対処してくれたらしいと思われる企業からの返事もあり、それはいまでも大切に保管してある。いわく、貴殿の発明を社内の採用検討会で協議したところ、あいにく今回の採用にはいたりませんでした。しかし、今後また良いアイデアがあればこれに懲りずに送られたし。体のよい不採用に失意を重ねながらも、私が個人でこれらの企業の内部を動かしたのだという満足感に酔いしれたものだった。それから一年ほどたって私のアイデアに良く似た製品がそのメーカーから製品化されたのを、あるホームセンターで見つけたが、私は抗議しなかった、なぜならその商品の売れ行きがどうもよろしくなさそうであったからだ。所詮は売れなければ意味がないのである。それよりも、ひょっとして私のアイデアが形を変えて、この商品に生きたのかも知れないと思って嬉しかった。そのころにはもう、街の発明家がよく陥って失敗するという、唯我独尊的な自己の発明に対する思い上がりを戒める一般常識がちゃんと私に備わっていたのである。
会社では二つの職務発明を出願した。これは私の個人出願とは別物の業務上の発明であって、そのときにはすでに売れかけていた製品に関するものであった。
ただ惜しむらくは、そのとき会社が特許というものを全く理解しておらず、そのずっとあとになって他社に対して特許料を支払う身になって初めて事の重大性に気づくという、のほほんとした体質であった。そのときの出願にかかる金を会社から出させるのさえにも苦労したのを覚えている。暫くしてからその製品は売れる気配を見せ始め、私は内心しめしめと思った。普通は売り上げの何%かは発明者に還元されるのである。ところが、会社には特許に関する規定どころか、そんなつもりさえも全くなかったことが判明した。まるで改善提案のちょっといいやつくらいにしか特許というものを理解してもらえなかったのである。私は憤慨し、もう二度と会社の為にこの件で働くのは止めようと心に誓った。そのうち、どこで調べたのかある企業がこの特許出願を買いたいと言ってきた。私としては売れるものなら売ってしまいたかった。それで初めて金銭という形で私の努力は報われるのである。ところが会社はひょっとしてこれは価値があるのではと欲を出し、その申し出を慇懃丁寧に断ると私に言った。もっとちゃんと書いて出願し直すべし。このように会社というのは理不尽なるものだということを私は身に沁みて理解した。出願中の特許はいつかは査定がやって来る。多分は来るであろう拒絶査定に対していちいち自分で対応するのは片手間では無理だと思っていた。それでもう一度会社に進言し、これを弁理士という特許の専門家の手にゆだねることにしたのである。
弁理士事務所の先生方は私の出願を素人にしては良く出来ていると褒めてくれた。それが私にとって唯一のご褒美だったような気がする。どうやってこれを作ったのかという問いに、私が発明学会員であると言うと、ちょっといやな顔をされたのを覚えている。その出願はそれから数年間に何度かの拒絶査定と意見提出を繰り返し50万円ほど経費を使ったあと、ころあいを見て放棄した。そのころにはもう製品は売れなくなっていたのである。私はそのころにはもう違う仕事をやっていて、特許なんていう疲れるものには関わりたくなかった。会社がそれを損失として私に請求しなかったことがせめてもの救いであると思うことにした。大変であったが、面白いゲームであったと思うことにしたのである。
このとき私は世の中には発明協会と、発明学会という二つの組織があることを知り、どうもお互いを無視しつつも、敵対しているらしいことに気がついたのだった。
今回訴えたのは弁理士会だそうだ。やっぱりと思った。
訴えた内容とはというと、学会に登録することで、あたかも特許が取得されたかのように会員に思い込ませ、会費を集めて私腹を肥やしたとのことである。私に言わせればこれはちゃんちゃら可笑しい論理である。それを言うなら弁理士会のほうがよっぽど詐欺的だと述べざるを得ない。
自分でやればたった2〜3万円程度でできる特許出願費用を、その何十倍もの金額で引き受けているのが弁理士会のセンセイ方なのである。特許の取得の道のりは簡単ではなくて、何回もの拒絶査定通知とそれに対する意見書の提出を繰り返して、お役人を説得しなければならない。最終的にはそれらの熱き恋文のようなやりとりにかかる手続きの費用だけで数十万から百万円もの金額が必要になるのである。
発明学会は、こんなヒマなことに金をかける必要がさらさらないことを実践し証明している。私の経験からもそれは明らかであった。アイデアが商品価値のあるものならば、特許取得の手続きに煩わされず、それを買ってくれる事業者にただちに売って、金を儲けることを援助しようという組織だ。目的が個人の金儲けという単純明快なところがいい。(ボケ防止という目的で参加している老人もいるらしい。)発明学会は民間組織でありアイデアさえあればどんなに無学だろうがだれでも参加できる。こしゃくなことに弁理士は国家資格であり、オツムが良くて勉強しなければ資格が取れないことになっている。そしてそれを束ねるのが発明協会である。
訴えを起こしたのはむしろこの発明協会からの圧力に違いないと思う。でもそうすれば団体同志の利益対立の構造が明らかになるので世間の印象が悪いから、テキもさるもの難関の国家資格取得者の団体である弁理士会を使ったのである。
この訴訟が結果としてどうなったかは私は知らないし、知りたくもない。これはただのお上の悪あがきなのである。例えば自動車の車検しかり、こんなものは我が国にはいくつもある。
世界の生産を大変革するような発明が純粋な研究によってなされ、その栄誉を受け取る為だけに特許申請が行使されるのであれば、それはいくらでも弁理士様がやれば良い。でも、事業化比例成功報酬がタダであれば、そんなものをやりたがる弁理士がいるかどうか疑問である。いまどきどこの大学の研究者でも、個人であるいはタイアップした企業との連名で特許申請書に名を連ねている。すべては金の為である。正直に言えばいいんだ。
単純に言うと、発明協会は企業向け、発明学会は個人発明家向けとされている。この二つの組織の対立図式は昔からあった。今まではお客の対象別に棲み分けをしてきたのである。最近になって発明協会側からの対立が顕著になってきた理由は、ははんとうなずくものがある。企業がムダなものに金を使わなくなったのである。特許権が取れるかどうか判らないようなチンケな社内の考案に対しても、日本の大企業はそれこそ洪水のように出願しまくってきたし、きっと今もそうだろう。いっとき、企業名別の出願数をグラフにしてそれがあたかも技術力の高さを象徴するかのように競ったときさえもあった。まるでこれで日本の未来が明るいかのような印象をみんなに与えたものだった。で、それでどうなったかというと、相変わらずわが国には独創的な研究は育っていず、インターネット、ゲノム、通信、コンピューター、ビジネススタイルなどのディファクトスタンダードは外国にある。日本あるのはせいぜいどこかの国の発明を、いかに小さく製造するかの技術くらいのものである。外国がSONYという日本の企業に対して抱いている印象そのものだ。アメリカの大統領のマネをして日本の首相がいくらアイテーアイテーと繰り返そうが、相当に出来の悪い猿まねに終るのがオチだ。だがこれ以上は話がそれるのでもとに戻す。
バブルが終り、テレビコマーシャルを削減し、プロスポーツのスポンサーも降り、リストラも一段落してすっかり経費削減慣れした企業は、今度は特許管理課の金食い虫に気がついたのである。企業がそうしたムダに気がつき、いままで外に任せておいた仕事を社内でまかなうようになったことが、弁理士の仕事を結果的に減らしたのである。東京特許許可局のお役人も所詮は人の子だから、しかるべき天下った所長のいる弁理士事務所からの出願には一目置くはずという幻想がある。それが企業の弁理士に対するせいぜいの存在価値なのかもしれない。企業からの注文が減ってあらためて周りを見てみると、個人客という市場を逃していたことに彼らは気がついたのである。まるで最近の銀行のようなあさましさである。
もう一つはインターネットだ。日増しに膨れ上がる業務をこなすために特許庁はこれに早くから注目していた。その検索能力をフルに活用するシステムを作り上げたのは、別に先見の明があったからではなくて自然の成り行きであった。弁理士が今まで行ってきた、類似発明の先行出願調査はある日、ボタン一つで誰にでもできるようになってしまったのだ。恐るべしインターネット。特許庁の役人はこれを見て仕事の効率の革命的な推進への歓喜と、それが自らの定年後の就職先を駆逐するだろうという悲哀とを同時に味わったことだろう。でも、その危惧が庁内で最初に論議されていようとそうでなかろうと、世界の流れはもうとっくに決定されており、日本だけがこれに乗り遅れるわけには行かなかった。いや実際には一番列車には乗り遅れてしまった。世界の技術の先端を走るトップランナーという自負が名実共に本物であったら良かったのに、それに気づくのが遅かった。金持ちのところにさらに金が集まるのが世の常であるように、新しいビジネススタイルを真っ先に創造したものにのみ、成功が与えられるような仕組みがインターネットによって既に決定されていたのである。
いまはもう家族から「これは特許になるねっお父さん」などとからかわれるだけになった出来事であるが、男ならいつかもう一度やってやると思うときが来る。かもしれん。
(ところで私は発明学会のまわしものなんかではない。ただ権威が嫌いなだけだ。)
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