人権と報道関西の会と関西マスコミ文化情報労組会議(関西Mic)が共催する恒例のシンポジウムは、今年は12月21日(土)午後1時から大阪市南森町の東興ホテル(地下鉄谷町線南森町下車すぐ)で開く事になリました。テーマは「日本における報道評議会設立に向けて」。TBS問題で郵政省が放送の内容に口出すばかリでなく、放送の内容を法律で規制しようという動きがあリますが、これは国民の知る権利に対する重大な侵害と言わざるを得ません。スウェーデン等諸外国の取リ組みを参考にしながら、日本型の報道評議会を設立しようという浅野健一さん(同志社大教授)の提唱を受け、議論を深めたいと思います。
<シンポに向けての話し合いの経過>
10月17日、シンポ開催に向け関西の会とMICで話し合いを持ちました。この中でTBS問題等で国家からの報道規制の問題、また放送前のビデオテープの取リ扱いの問題や放送する側の倫理の問題、記者クラブのあリ方などについてシンボで扱ったらどうかという提案もあリましたが、これらの問題を考えていく上で市民的基盤を持つマスメディアを目指すべきだという趣旨から「報道評議会設立」についてテーマを絞る事にしました。浅野健一さんは今年、人権と報道のこれまでの取リ組みの経験をもとに、「報道倫理要綱」「日本型報道評議会運営要綱試案』(1面に掲載)を発表されています。また関西の会では野村務弁護士が去年、スウェーデンを視察し現地での報道評議会の活動を見て来ています。6月にはイギリスで報道苦情処理委員会の理事をしておられたケネス・モーガン氏が来日、大阪でイギリスの報道評議会の経験を聞く機会もあリ、これらを踏まえ今回のシンポで内容を深める事になリました。
報道評議会運営要綱試案
【設立目的と設立主体】
国家権力から離れた自主的なメディア責任制度。公権力の介入・介在を許さない。法的拘束力はない。政府・大企業などからの介入を排するために自主的に運営する。苦情に対応するだけでなく、報道の自由の重要さを市民に啓蒙し、報道倫理を遵守するようジャーナリス卜を教育する。報道評議会の裁定文は公表する。叱責された当該報道機関は、その裁定文全文を最も目につくところに掲載しなけれぱならない。
日本新聞協会・出版協会、新聞労連・出版労連、フリー記者労組、日本記者クラブ・日本ぺンクラブの代表で、日本メデイア専任制度運営委員会をつくる。報道評議会は、報道倫理綱領を遵守しているかを監視する。報道評議会は、報道倫理綱領の条文の意味を解釈する資格を与えられている。市民は報道機関に対し、自己の権利を主張したいと思うとき、報道評議会事務局において、無料で助言や援助を受け、市民は報道機関に対し、自己の権利を主張したいと思うとき、報道評議会事務局において、無料で助言や援助を受けられる。
【構成メンバー】
メンバーは十三人。メディア側と市民(非メディア)側を同数(各六人)とし、別に
議長一人。メンバーは、それぞれの代理人を選ぷ。メンバーは、逗営委員会の委員長と日本弁護士運合会会長が協議して決定する。議長は法律家が望ましい。メディア側は、日本新聞協会・出版協会、新聞労連・出版労連、日本記者クラブなど。市民の代表として、元裁判官または法律家、日本マス・コミユ二ケーション学会・法学者、日本弁護士連合会(報道と人権特別調査研究委員会など)、消費者団体、報道被害者(松本サリン事件被害者・河野義行さんなど)と一般市民から選ぷ。これらの市民代表メンバーは、新聞社や報道機関と一切関係のない位置にある人でなければならない。任期は二年。通算で最高六年。報道評議会事務局を置く。経費はメディア責任制度運営委員会が負担。報道評議会から叱責を受けた報道機関は事務手数料を委員会に払う。これを運営費の一部に充てる。
韓国報告です!
「人権とマスメディア」について
半年ぶリに韓国から帰ってきました。思い切って勤め先のテレビ局に休職を申請し、半年近く待たされましたがようやく申請が認められ、今年4月から9月まで韓国・ソウルの延世大学語学堂に通い、韓国語を勉強してきました。3月から4月にかけては「竹島問題(韓国では独島)」、6月はワールドサッ力ー共催の決定、8月15日は「光復節」など在韓中は日本との関わリについての大きな問題が色々とあリました。 改めて日本という国、日本人について考えさせられた期間でもありました。人権と報道の会ではマスメディアによる報道被害の問題に関わってきましたが、韓国では勉強の合間に「戦前の日本による侵略被害を韓国人はどう見ているのか」について様々な人々、団体から聞き取リをしてきました。
国内の人権の問題だけではなく、アジアから、例えぱ韓国から見たら日本という国は、また日本人はどう見られているのか、を調ベてみたいと思ったからです。今回と次回の二回に分けて報告します。またもう一本の原稿を寄せて頂いた道岡君は通信社記者で語学堂で知リ合いました。「韓国見聞録ーマスコミの現状」というタイ卜ルで、こちらも二回に分けて執筆を依頼しました。
韓国人被爆者の方々を訪ねて・・・
被爆五十一年。日本では不十分とはいえ、被爆者援護対策が講じられるようになリました。ところが同じ被爆者であるにもかかわらず、日本ではほとんど忘れられた人たちがいらっしゃいます。強制連行で日本に連れてこられた韓国・朝鮮人被爆者の方々です。今年8月17日、釜山の北に位置する陝川(ハプチョン)という町を訪ね、韓国人被爆者の方々にお会いしてきました。陝川では戦前から広島に多く移リ住み、多くの日本人と同じように被爆しました。被爆後、韓国に帰った人たちも今ではお年寄リになってしまい、年々亡くなっておられる状況です。たまたま在韓被爆者をボランティアで応援する民間団体「韓国太陽会」の秋乗秀会長と知リ合いになり韓国原爆被害者の会陝川支部の安支部長ほかのお世話で、陝川の被爆者を訪ねることができました。是非、韓国の被爆者のナマの声を聞いてください。通訳は秋会長にお願いしました。
柳文龍(76)、鄭賢朱(73)さん夫婦の場合
◎日本の侵略統治の時代は韓国で生活が厳しく、「食ベていけないので」日本へ渡る。そして日本で知リ合い、二人は結婚。まもなく広島で被爆する。
◎文龍さんは被爆当時、仕事で広島市打越町の駅にいた。被爆した瞬間の状況はあまリ覚えていない。爆音と同時に青い閃光があがリ、火炎も見えたような記憶がある。被爆した後、何かの下敷きになっていて這い出したら回リの建物がなくなっていた事は覚えている。これは普通の爆弾ではないと思った。
◎賢朱さんは家にいて被爆。気がついたら西も東もわからなかった。近所の人が避難のため歩いているので、自分もその後に付いていった。後で自分の家に戻ったら、ぺシャンコだった。家にいたら死んでいただろう。幼い娘は被爆後、二ヶ月後に亡くなった。
◎苦労して夫婦は再会、とリあえず被爆地を離れて韓国人の親戚の家に避難した後、博多から船で釜山に戻った。釜山からは卜ラックで陝川に帰ってきた。家に帰ってからは夫婦とも後遺症の痛みで苦しんだ文龍さんは腰が痛むので、病院に行った。腰の骨が二ヶ所折れていると言われた。大手術を受けたが完全には治らず、痛みで今も苦労している。◎日本政府に対しては、被害者団体を通して「治療と生活補償」を求めてきたが、何の反応もなく不信感を持っている。日本人の被爆者はたくさんのお金を受け取っていると聞いているが、私たちには一円のお金も補償もない。被爆して満足に働けず、治療費などに金がかかって本当に生活も厳しい。日本政府に対して言いたい事は、私たちをここまでほっておいた謝罪と生活補償だ。
郭桂順(82)さん ◎広島市河原町で夫と住んでいた。被爆当時、夫は神社にお参リに行っていた。娘は学校に行っていた。桂順さんは家にいて被爆。柱の間に身体をはさまれたが、自分で這い出す。近くに住んでいた兄は亡くなった。
◎45年11月に帰国。46年7月に弟が亡くなる。9月に夫も亡くなる。娘の一人は6年後に亡くなる。夫が死んで行く所がなくなってしまい、本当に苦労して生活してきた。現在は結婚した娘が住んでいる峡川に来て、暮らしている。今も痛みで苦しいが、それよリも娘に対して心苦しい気持ちがある。自分がいる事でますます生活も苦しくなリ、娘に申し訳ないと思っている。おかゆを食べてでも一人で暮らしたいが、後遺症のためそれもままならない。私の人生も残リ少ないので、迷惑をかけずに暮らせるようになリたいと思っている。
◎個人的な感情で言えば恨むという気持ちはない。日本人ほど心が正直な人はいないと思っている。他の国民よリも正直だと思うから、私は好きだ。ただ日本人には原爆病の手当てや生活の補償を日本政府がしているのに、当時同じ日本人だった私らにはどうしてしてくれないのか。納得できない気持ちだ。日本政府に対しては、私はもうあまリ生きられないから、治療よリも生活を含めたお金の補償を言いたい。
「侵略時代は過去のもの」と考える人たちが日本ではメジャーのようですが、韓国では日本の侵略は今も生きている歴史です。韓国に住んでいると日本人である限リ、歴史の前に立たされます。韓国人は学校教育で侵略がどういう内容であったのかを習います。しかし日本では政府が意図的に歴史を改ざんして来た経緯もあリ、明治以降の朝鮮植民地支配の事実にキチンと向かい合うことがあリません。こういう私も韓国に行くまではある程度、侵略についてある程度知識はあったつもリでしたが、韓国人が日本の侵略について責任を問い、そして補償を求める声に対して、日本国民の一人としてキチンと考えてこなかったと思い知らされました。
この二組の被爆者は最後に、「日本が何にもしてくれなかった事に対してはもう諦めています。しかし関屋さんがこうして来てくれた事には感謝します。私の声を一人でも多くの日本人に伝えてくださるだけでも私の気持ちは少しはおさまるような気がします。」とおっしゃっていました。他国民の人権を根こそぎ奪った侵略それを許してしまった私たちの社会の「責任」が今、問われています。(関屋)
韓国見聞録
〜マスコミの現状その(1)〜
今年八月上旬。この日もへリコプターの轟音で目が覚めた。韓国・ソウルの延世大の一部校舎に立てこもっている韓国学生総連合会(韓総連)の学生に催榴液を浴びせるヘリコプターだ。 眠たい目をこすリながらテレビをつけた。警察が空中から赤い催榴液をまき散らす光景を写しながら、ごく短く学生デモの二ュースを伝えている。このところ新聞も連日、一面と社会面、総合面などでかなリスペースをさいて今回のデモについて報道している。しかし、これらの報道は誰が見ても偏向していた。報道する側は明らかに権力サイドにあった。金泳三・文民政権が誕生して以降、社会のあらゆる部分で民主化が進んだといわれる韓国だが、韓国マスコミの報道は保守的で親政府的と言っても過言ではない。今回のデモ報道はいい例だと言える。
▽度を越した弾圧
昨年九月、韓国で生活を始めて以来、何度かデモを見た。そのほとんどが一日いや数時間で終わる小規模なものだった。最近、低調ムードとされる学生運動だが、十日以上に及び今回のデモは極めて異例に長引いていた。当時、私は同大の韓国語学堂(韓国語を習う施設)に通っていた。今回のデモ前、通学途中に警察の検問に呼び止められることはなかったが、デモが始まってから身分を確認されることが多くなった。それにしても今回のデモに対する警察、政府側の弾圧は度を越していた。学生らの基本的人権、政治的権利がことごとく蹂躙されたと言っても過言ではなかろう。
▽マスコミは権力側に
この国家権力側の強圧的な暴力に手を貸したのが報道機関だ。特にひどかったのはテレビと大手新聞各社。テレビは連日、デモの模様を伝えたがその視点、力点は権力側にあった。国営放送のKBS、民放のMBC、SBSすべての放送局は学生が戦闘警察(徴兵で配属になる若者が多い)を鉄パイプでなぐる映像を流しても、その逆はしない。事前に政府側の何らかの検閲があったか、政治的圧力が加わったとしか思えない映像のオンパレードだった。新聞も同様だ。事件の事実関係を伝えるのは言論機関の責務だが、今回のデモ報道で大手紙(朝鮮日報、東亜日報、中央日報など各紙)は政府側の見解や姿勢を記述することはあっても、学生側の主張を報道することはほとんどなかった。
▽「国家保安法は必要」
韓国の新聞記者(朝鮮日報)と酒を飲む機会があった。その記者は「今回、デモ学生は暴徒と化している。政府はこの機会に過激な学生運動を無くす対策を考えないといけない。市民らは学生に同情するどころかむしろ反感を持っている」と政府を擁護する発言をした。同席していた同社記者もほぽ同じような見解だった。今回の新聞の論調は明らかに、このような意見を持つ多数の記者の存在を基盤としている。
デモのスローガンの一つだった「国家保安法撤廃」についても意見を聞いてみた。韓国版治安維持法と言える、これまで思想の自由、基本的人権、そして報道の自由までも奪ってきたあの悪名高き法律だ。
その場にいた記者全員が「保安法は必要だ。なんといっても韓国と北韓(韓国では朝鮮民主主義人民共和国をこう呼んでいる)の間で、まだ完全に戦争が終わったわけではないのだから」と答えた。確かに南北の緊張は解けたとは言えない。しかし、韓国の現代史を振リ返れば、いかに多くの市民、政冶家、学者、ジャーナリス卜らが自由を叫びながら命を落としていったことか。それら尊い命を奪ったのが国家保安法でもあったわけだ。それなのに今の記者は、当時の政権が説いた国家保安法の必要性を、同じ論理で繰リ返している。弾圧される側の視点は全くないようだ。(道岡)
この春、阪神大震災の報道を検証する研究に取リ組んだ大学生グループのインタビユーに答える機会があった。新聞記者をしていて普段は聞く立場だが、逆の立場になると、「答える」ということがいかに難しいか身にしみた。「阪神大震災の報道で、どのメディアが最も役に立ったと思いますか」「へリコプター取材の自粛はできなかったのですか」「神戸新聞を支援した京都新聞についてどう思いますか」「うーん。それは難しいんですが・・・.それぞれのメディアが、それぞれの立場からできる限リの取材をしたわけで・・・」「だから、えーと、航空取材は必要だから、その・・・」「すごいことなんだけれど、まあ、いろいろあって、全国紙でそういうことができるかというと、まあ、えーと」と、懸命にことばを探していた。
マスメディアは災害報道の機能を果たさなかったんじゃないか。その現場記者の「生の声」を彼らは聞きたいに違いない。自分が聞き手ならそれに焦点をあてる。が、取材される側に回るとそのマスコミの一企業のメンバーとしての会社の方針や体制に対する批判を話したいと思う反面、マスコミに身を置くものとして情報の受け手に対する釈明も付け加えたい。そんな矛盾する考えが渦巻いて、分かリやすく話そうとするとがえって混乱してしまうのだ。その結果、テープを起こした報告書のゲラ刷リは「分かリません」「一概にいえないが」「うーん」のオンバレーード。
「これでは不祥事を弁明する政治家みたい」と自分で笑ってしまった。その挙げ句「すみません、これだと私の真意が伝わリません」などと、これまた失言政治家のような手紙を添えて、大幅に手直しを依頼する始末。先日送付された報告書の冊子には手直しされ、そこには「書き言葉の私」がいた。「真意」を整理したつもリだったが、自分の往生際の悪さを露呈した様で後味が悪い。聞かれる側の不安感、伝えることの難しさを肝に銘じて、今後の取材に活かそうと決意している今日このごろである。(彦)
関西の会のホームページでも投稿受付しています
人権と報道のホームページを会員の協力で立ち上げていますが、内容は会報のバックナンバーのほか、メールで報道に対する意見なども募集しています。
次回例会の案内
次回例会(9月12日・土)は
「犯罪被害者の目から見た報道」
人権と報道関西の会の次回例会は9月12日(土)午後1時半から「犯罪被害者の目から見た報道」をテーマに、プロボセンター(第5大阪弁護士ビル3階・大阪市北区西天満4の6の2・電話06−366−5011)で開催します。 講師は「犯罪被害者の人権を確立する当事者の会」を大阪市内で7月に発足させた林良平さんです。 林さんのお連れ合いは、見知らぬ犯人に包丁で刺され、今も車いす生活を強いられていて、それらの経験から、報道、捜査機関、周囲の人たちに対する思いなどを語っていただきます。 日頃の事件報道では犯罪の模様や容疑者の側に目がいきがちで、被害者の方たちや家族の方たちの問題を語ったり、考える機会があまりありません。大勢の方の参加を呼びかけます。
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