第七回人権と報道シンボジウム開催

逮捕段階での犯人視 後を絶たず

大分みどり荘事件をめぐって活発に議諭

 関西マスコミ文化情労組組会議と人権と報道関西の会共催の第7回人権と報道シンポジウム「今、報道を考える」が十一月十二日(土)大阪市のホテルで約七十人が参加して開かれた。今年のテーマは「冤罪と報道−大分みどり荘事件の報道をめぐって」。浜田寿美男・花園大教員の基調講演の後当会会員で弁護士の桂充弘さんの司会で、冤罪を訴え続けている同事件の被告、輿掛良一さんと弁護団の鈴木宗厳さん、それにジャーナリストの木部克己さんと当会の木村哲也弁護土によるシンポジウムが行われ、逮捕段階で容疑者を犯人扱いする報道が依然後を絶たず、当事者の人権を侵害しいる状況が浮き彫りにされた。

 

−事件の経過−

控訴審の審議中に異例の保釈

 一九八一年八月、大分市内のアパート「みどり荘事件」で女子短大生が殺されているのが見つかり、翌年一月に同アパートの住人である輿掛良一さんが速捕された。輿掛さんは厳しい取り調べを受け、捜査員に『お前はわからんと言うが、夢遊病みたいに(犯行現場へ)行っちょるんや」と迫られて、一度は犯行を認めてしまう。裁判で検察側はDNA鑑定を持ち出し、犯行現場で採取された毛髪が輿掛さんの血液から抽出したDNAと一致すると有罪を主張してきた。一審では無期判決。現在は控訴審の審理中だが、九四年八月に異例の保釈請求が認められた。逮捕時の報道では「ムッツリした犯人」と連行中の写真を載せられ、「やっと自白ー私に間違いない」「良心揺さぶる説得で」などと犯人視報道された。

 浜田さんは「甲山事件ー証言台の子どもたち」「狭山事件虚偽自白」などの著書を通じて、心理学の側面から被疑者の自白形成過程について詳細に検討、裁判で冤罪を訴える人たちに大きな力を与えている。シンポジウムでの講演要旨は以下の通り。

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 警察に速捕された被疑者がマスコミを通して自白したと伝えられると、心理学者は、その犯行心理はどんなものであったかについてコメントを出したり、あるいは検察側の艦定人として登場し、犯行時における心理状態を分析したりする。いわば権力側に立った心理分析が行われているのが現状だが、私の立場は警察が捕まえたのだから犯人だという思い込みを出来るだけ排除し、供述そのものの形成過程を客観的に見つめようと言うものだ。世間一般は、自白に関して、被疑者は犯人でないのなら、罪を見とめるずがないと思ってしまう。まして死刑になるかもしれない重大犯罪であれば、見とめる事から来る不利益を考えればなおさらだ、と思いがちである。そこに大きな落とし穴がある。警察の取り調べ状況の中では、無実の被疑者が自白をしてしまうケースは例外ではないという認職を持って、供逃を見ていく必要があるのだ。以下、一般的な誤解のパターンを二つ紹介したい。

 まず最初が、自白することの不利益と否認することのバランスで考える時に忍び込む誤解。つまり、犯人でないのなら犯罪者だと認める訳はないという推測のことだ。無実の人こそ刑罰を受けることに実感を持ちにくいのでは?死刑再審で無罪となった免田栄さんも、獄中の人たちが執行されて初めて恐ろしさを感じることになったと言っている。身柄を拘束されての取り調べは、想像以上に大きなプレッシャーが被疑者にかかってくるものだ。被疑者にとって自白した結果は「遠い未来」にあり、否認の結果はまさに「いま」引きうけなければいけないという「時間のファクター」を考慮する必要がある。

 もう一つのパターンは、虚偽自白はもっぱら捜査官主導で引ぎ出され、被疑者はそれを受け入れて飲み込んでいくだけであるかのように考える誤解。被疑者の自白がデッチ上げだとしたら、捜査官は無実であることを承知していることになるはず。でも現実は捜査側が被疑者を犯人と決めつけて弁解を受け付けないため、被疑者自身が犯行に至る過程や心理状態を、主体的に想像、創作していくのが通例である。大分みどり荘事件も調書をよく読むと、輿掛さんが犯人でないことが分かるはずだ。

 

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 続いて行われたパネルデスカッションでは、最初に弁護団の鈴木さんが、逮捕された八二年一月一四日から五日間、輿掛さんはほとんど食事を取らせてもらえず、連日最高十三時間の取り調べを受けた事や、迫られて「自白」した「気がついたら被疑者の部屋の中にいた」という発言にも真犯人しか知り得ない臨場感がないことーなど当初から問題点を含む事件であったことが報告された。


「係争中の鑑定人に非科学的態度」

報道しないマスコミも問題

輿掛さんが問題提起

 

 続いて輿掛さんは「速捕されてからは連日取り調べられ、留置場に戻っても捜査員の声が耳に残り、ウトウトしてすぐに朝が来るという状態だった」。またマスコミについて「裁判の中で、DNA鑑定にあたった鑑定人に科学的とは思えない対応が見られたのに、マスコミはそれを報じなかった。八月の保釈時の支援集会を報道してくれたが、一体それまでマスコミは何をしていいたのか、と思った。人権の問題にすべての社できちんと取り組んで欲しい」と訴えた。木部さんは、自身の新聞記者時代の経験を踏まえて「大分みどり荘事件は十年以上前の事件だが、逮捕段階で犯人視する報道は今も変わっていない。記者は警察からの情報だけに頼らずに、自白の問題点や刑事弁護について専門家の話を聞く機会を作るべき」。木村さんも「この事件では、被疑者だけでなく、実名や写真入りで報道されたため.被害者の名誉も傷ついている」とコメントした。浜田さんは「第一線の記者は警察からの情報の解釈は出来ないにしても、それをどう見るのかについては出していけるはず」と指摘。

 この後行われた討論の中で「松本サリン事件の例を見ても分かる通り、事件報道が今も昔も基本的に変わらないのはなぜ」という質問が出され、木部さんは「経営に影響がない限り、メディアは根本的な問題だとは思わないだろう。購読や視聴を止めるなど、一人々々が考える時代に来ている」などと問題提起した。

 最後に関西マスコミ文化情報労組会議の吉田一典議長は「我々も職場の中で、問い掛けを続け、議論を進めていきたい」と決意を表明した。

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<参加者の感想>

 二○代から三○代にかけては、その後の人生への流れとなるポイントがいくつもあります。わが身を振り返っても、色々なことがありました。こうした時期を一方的に奪われ、十年以上の拘留生活を余儀なくされることは、今の私にとって予想をはるかに越えることです。特に輿掛さんと私はほぼ同年代にあたるので先日の話を聞いていても、彼が捕らえられていた時私は何々をしていた、という風に、自分の時の流れと対比させて記憶をたぐろうとしていました。そうすると輿掛さんと私にはどれほどの違いもなく、明日にも私が輿掛さんの立場になりうる社会に住んでいるということに気づきました。こうした「恐怖社会」をなくすためにも、報道の送り手側も受けての側も、意識の変革が求められていると思います。さしあたり人権侵害を被った人の話を聞くことは、自分を守る手だてを考える上で貴重な場だと思いました。(放送局勤務)


飯塚女児殺害報道で抗議へ

 当会有志が文書作成

 福岡県飯塚市で九十二年に起きた連続幼女誘拐殺人事件。九十四年九月に容疑者が逮捕され、新聞各紙も大々的に報道しましたが、各紙が軒並み被害者を匿名扱いする中、ただ一紙、西日本新聞社だけが実名で報道したことは、前回の当会報でお知らせした通りです。被害者の父親の代理人である当会会員の木村哲也弁獲士の「一緒に行動して欲しい」との呼びかけを受け、当会の有志数人らと木村弁護士が、同社に連名で抗議文を送ることになりました。現在、賛同してくださる方を募っています。ご質問やご意見などを世話人会までお寄せ下さい。抗議文(案)の要旨は以下の通り。  

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 九二年十二月三十日付けの文書で貴社(西日本新聞社)に対し、通知人(被害者の父親)は娘の実名を報道されたことについて、プライバシー侵害と考えている旨などを明記した上で、今後は実名報道を行わないよう要求した。今回、他紙がそろって匿名扱いした中で貴社だけが事前の意思表示を顧みず、通知人に重大な苦痛を与えたことの違法性はとても大きい。貴社は九四年一○月三日付の回答書で、(1)真実の追及に事実の積み上げは欠かせず、事実の要素として実名は欠かせない(2)匿名報道が一般化すれぱ公権力が実名発表をしなくなり、不当捜査につながるーとの見解を表明されている。しかし、人権侵害を伴っても許される真実の報道とはどんな場合なのか、が主張されるべきであり、(1)の主張は貴社の実名報道を正当化する根拠になっていない。(2)についても、捜査権力と直接相対する容疑者の氏名は別として、直接の不当行為は考えられない。公共の正当な関心事とは「飯塚市で九二年一二月に五歳の女児が誘拐され、殺された」ということだけのはず。法律で違法性阻却が認められているのは、犯罪事実の正否に関する被疑者についての事実のみで、プライバシーの公表に認められているのではない。実名報道の必要性がなかったとことは、他社の匿名報道に不都合が起きていないことからも、明らかだ。貴社は通知人に対する謝罪文を紙上に掲載し、人権に配慮した報道をする旨を約束して欲しい。


 アジア報道を専門にする知り合いのフリージャーナリストが言っていた。「日本の新聞のアジア報道は対象を日本人の視点だけで見ており、取材される側の視点に欠けている。これから国際的に通用する紙面を作るべき時代なのに、例えば特派員にしても二、三年のローテーションで回していくだけで、社内に専門家を養成するという忘向がない。今、対策を造進めないと紙面は確実にだめになるだろう」。十五年以上もアフガニス夕ン内戦・東欧の変革などに取り組んできた彼は、独自の国際的ネットワークを駆使し、優れたルポルタージュを何本も発表してきた。ひるがえって、今のマスコミはどうか。私も新聞記者なのでよく分かるが、新聞社には"専門記者の養成"という発想はほとんどない。事件報道の経験が、記者にとって大切なのは分かる。しかし「多メディア時代の新聞の存在意義は評論・解説性』 (かつての私の所属長の言葉)という問題意識を皆が持っているなら官僚や研究者に太刀打ち出来る専門家を育てずに、どうやって読ませる記事を作るのかと問いたい。事件を中心に日々のニュースを追う取材の規模・態勢に、メスを入れる必要がある。マスコミにとって事件報道の有り方は、人権問題としては言うに及ばず、「マルチメディア時代の生き浅り策」を考える時にも避けては通れない問題になって来るはずだ。(伸)


次回例会

元新聞記者を招き「女性の目から見た報道」

2月27日(土)午後1時から

 人権と報道関西の会の次回例会は2月27日(土)午後1時から、「記者として、読者として、女性の目から見た報道」をテーマに、プロボノセンター(大阪市北区西天満4の6の2、第5大阪弁護士ビル3階、電話06・6366・5011)で開催します。講師は元毎日新聞記者でフリーライターの中野温子さん。中野さんは、甲山事件救援会の機関紙で、新聞社内で差別的に扱われた記者経験や事件報道の疑問などを掲載されたほか、未だに男性の視点で作られることの多い紙面に提言されています。また昨秋まで半年間、アメリカでも見聞を広げてこられましたので、欧米の報道との比較なども交えて、女性の目から見た報道を分析していただこうと思っています。当会ではこれまで、「女性の目」を重視した勉強が欠けていたと反省しておりますので、どうか奮ってご参加ください。(小和田侃)


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