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J2上位を快走!湘南・チョウ監督(5月9日)
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【コラム 撃戦記】極真を進化させた大道塾の東孝2012年5月10日 極真空手は大山倍達総裁死後の分裂で何人もの門下生たちが極真を名乗って混迷を深めたが、総裁が存命中に道場を開いた門下生も少なくない。選手を全日本大会に出場させた道場もある。だが、その多くは極真の知名度頼み。極真スタイルを進化させて独自性を進めたのは、大道塾の東孝だけだ。 東は第9回全日本選手権大会で優勝、世界大会でも活躍した。面防具着用で投げや関節技を取り入れた「空道」を創案した。芦原会館が極真から離れたのを機に門下生の石井和義が正道会館を興し、K−1をイベント化したが、スタイルやルールはムエタイ(キックボクシング)の一部を修正しただけで、特段の特色はなかった。 かつて柔術の投げは柔道、打撃は空手、関節技は合気道へと進化した。1964年に完成した極真会館の1階は、床にスプリングを敷いた立派な柔道場だった。空手の普及で渡米し、プロレスも経験した大山館長は柔道2段で、得意は寝技と聞いた。木村政彦を尊敬し、交流もあった。併設の畳道場に東孝の“空道”がダブった。 (格闘技評論家) PR情報
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