歴史学者の内藤正中・名誉教授は、島根県との縁が深い人物だ。島根県といえば、独島(日本名:竹島)を「県の区域に属する」と主張し「竹島の日」を制定した県だ。同じく歴史学者だった内藤教授の父親はこの地で生まれ、内藤教授もまた、同県の地域経済史の研究に打ち込み、国立島根大学の教授を務めた。同大は業績を認め、名誉教授の称号を授与した。そんな内藤教授が故郷に背を向けるというのは、人間的に容易なことではなかったはずだ。しかし内藤教授は、独島についての研究を始めて以来「独島は日本の領土ではない」という主張を曲げていない。
2008年に記者と会った内藤教授は「独島に関する史料を研究し『これ(日本の主張)は事実ではない』と確信した」と話した。だが、学問の世界には常に「曲学阿世(きょくがくあせい、学問の真理に背いて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱える)」の誘惑が付きまとう。官学(政府が認めた学問)の伝統が根強い日本では、学界が先頭に立ち、権力の罪悪を美化してきた前歴がある。内藤教授と同じ史料を研究しながらも「竹島は日本の領土」と結論付けた元外務官僚の川上健三氏の研究は、そのような時代の産物といえる。
京都大大学院で経済史を専攻した内藤教授は「京大出身なので、権力に素直に従うことはしない」と語った。京都大は名門国立大学だが、権力に従順なエリートを養成する東京大とは異なり、時の流れに抵抗する学風を守ってきた。そのため、批判的な人文科学の力が強く、また東京大よりも多くのノーベル賞受賞者を輩出した。
内藤教授は08年、政府から「瑞宝中綬(ちゅうじゅ)章」という勲章を贈られた。内藤教授は「文部科学省の官僚が(私がどんな主張をしているのかも)知らないで授章を決めたようだ。勲章を授与する天皇陛下は独島についてどんな考えを持っていらっしゃるのか気になる」と笑いながら話した。このようなコメントは当時「日本は天皇から官僚に至るまで、独島について真剣に研究していない」という意味に解釈された。