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国際
【再び拉致を追う】第1部 めぐみさんは生きている(1) 北「死亡」シナリオの原点「知りすぎた」
2012.8.31 02:00
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「まことに申し上げにくいことですが…」。10年前の9月17日、東京・麻布台の外務省飯倉公館の一室で、横田めぐみさんの父、滋さん(79)と母、早紀江さん(76)らを迎えた植竹繁雄外務副大臣(当時)はそう切り出した。北朝鮮・平壌では、小泉純一郎首相(同)と会談した金正日総書記が日本人拉致を認め、謝罪。その後、飯倉公館で待機していた家族らに被害者の「安否」の説明があったのだ。
「娘さんは亡くなっています」。断定的な物言いに、滋さんらは「いつごろ」「原因は」と矢継ぎ早に尋ねた。返ってきたのは「詳細は分からない」という一言だった。
その後、日本政府は調査団を派遣したり、複数回にわたって実務者協議を続けた結果、北朝鮮側の説明は「1994年4月、精神状態を治療するため、平壌市49号予防院に入院した後、院内を散歩中に近くの松の木で首をつって自殺した」という内容に集約された。
北朝鮮側は、証拠として病院の「死亡台帳」なるものを出してきた。表紙には「患者入退院台帳」とあり、「入退院」の文字の部分に何本もの線をひき、その上に「死亡」と書き換えたものだった。
当時は、捏造(ねつぞう)された台帳という認識だった。
日本政府も「信憑(しんぴょう)性が低い」と北朝鮮側に照会しているが、2001年時点のめぐみさんの生存情報が明らかになったことで、台帳が「入退院」だったことも、逆にうなずける。
めぐみさんは94年の時点では、帰国した拉致被害者の一部と同じ集落の招待所で生活していた。
被害者らはめぐみさんが病院に連れて行かれたのを確認しているというが、「死亡した」という点については、「その後、噂で聞いた」としているだけだ。
北朝鮮側が描いためぐみさん「死亡」のシナリオの原点がおぼろげながらに見えてきた。
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