私が尖閣に上陸し“日の丸”掲げた真意…元海自特殊部隊幹部が激白

2012.08.28


魚釣島の頂上付近の崖に掲げられた日の丸(撮影・山本皓一氏)【拡大】

 日本固有の領土ながら、中国が野心をあらわにする沖縄県・尖閣諸島。今月19日、疎開船遭難事件の慰霊祭に集まった地方議員ら9人が魚釣島に上陸する数時間前、闇に紛れて海を泳いで渡り、山頂付近の断崖絶壁に日の丸を掲げた強者がいる。元海上自衛隊特別警備隊先任小隊長の伊藤祐靖(すけやす)氏(47)だ。超人的な行動に及んだ真意について、夕刊フジの独占インタビューに激白した。

 「(香港の民間活動家上陸事件に対する)任務遂行後に、悔し涙を流したであろう海上保安官や沖縄県警の警察官、そして、『尖閣に来ることで国民としての義務を果たしたい』と、純粋な気持ちで慰霊祭に参加した数十人の一般の人たちに日の丸を見せたかった。『分かっているぞ』とねぎらい、励ましたかった」

 伊藤氏は1987年、海上自衛隊に2士で入隊。99年の能登半島沖不審船事件では、イージス艦「みょうこう」の航海長として追跡した。米軍最強の海軍特殊部隊(ネービーシールズ)を参考にした、海上自衛隊特別警備隊の創設準備に携わり、2001年の創隊後、即応部隊を率いる先任小隊長に着任した。07年に2佐で退官。麻生幾氏の小説「奪還」のモデルにもなった。

 その実力と経験を買われ、サポート役として3回目の尖閣視察。地方議員らが船上で寝静まっていた19日午前4時過ぎ、ウエットスーツ姿で、音もなく海中に身を沈めた。

 「最初の約50メートルは潜水で移動し、残りの約350メートルを10分足らずで泳いで上陸した。まず、灯台に1つ目の日の丸を付けた後、道なきジャングルを歩き、岩場をよじ登って、約1時間半で、島の最高峰・奈良原岳(362メートル)山頂に到達した。日の丸の両端に重りを付け、数十メートルの切り立った崖の上からロープで日の丸を垂らした」

 特殊部隊出身者ゆえのまさに神業だが、伊藤氏は「自分ができることをやっただけ」といい、冒頭の「悔し涙」について、こう説明する。

 「一昨年の尖閣沖中国漁船衝突事件でも、15日の尖閣上陸事件でも、現場は命令通りに任務を果たしたはず。ところが、犯人たちはすぐ強制送還となり、ピースサインをして、英雄気取りで帰国していった。国家が断固とした意思を示さないからだ。海上保安官や警察官は涙が出るほど悔しかったと思う」

 絶望的な現実ともいえるが、伊藤氏には希望の光も見えている。昨年の東日本大震災で見た、日本人1人ひとりの姿だ。

 「あれだけの大災害ながら、略奪事件もなく、被災者の方々は食料を分け合っていた。自分が犠牲になっても、周囲の人々を助けようとしていた。国家の意思は見えなくても、日本人の根っこは残っていた。この国で本気で生きてきた祖先が、子孫に伝えてきた『この国の掟』は消えていなかった。尖閣の崖に日の丸を掲げることで、誰かが何かを感じてくれればいい。日の丸にはそういう力があるはずだ」