津軽の遺産 北のミュージアム 第4回 津軽地方に残る文化財には、法律で保護することを定められた有名な資料だけではなく、一般にはあまり知られていないが、大変貴重な資料が数多く存在する。
また、それらのなかにも、古文書や古い道具、工芸品、金石文、建物などの「有形」と、伝統的な行事や習俗などの「無形」の資料がある。
どちらも、わたしたちのふるさとの歩みを知るための重要な文化財であるといえよう。そのなかの無形の文化財として、年越しに家々を訪れる神々を紹介したい。
写真1 A家の主人が玄関から、見えない「山の神サマ」を招き入れる 小山隆秀撮影 弘前市のA家では代々、毎年12月31日の年越しの夜になると、見えない神を玄関から座敷へ招き入れる。「山の神サマ」だという。30日から、家の神棚や床の間、屋内の各所、小屋、井戸、蔵、便所などにお供えを飾り、新年を迎える準備をする。これは、市内の他家だけでなく、他地方でもよくある習俗で、それぞれ、屋内の神々が宿る場所を意識していた名残りではないかと考えられる。
写真2 A家の座敷で「山の神様」にお膳をすすめる主人 小山隆秀撮影 ところがA家が近所の家々と大きく異なる点は、年越しの晩になると、床の間がある座敷の隅に、年越しの料理を盛った、二つのお膳を用意することである。その日の夕方、玄関の戸が開けられる。式台(しきだい)には家の主が座り、外の闇へ向かって告げるのである。「どうぞ、お入りください」と。
目には見えないが、「山の神サマ」が来たのだ。半世紀前までは、家の前の道路まで出迎えて、赤子のようにヒモで背負うまねをして連れてきたという。
家に入った「山の神サマ」は、座敷の二つのお膳へと招かれる。「どうぞお座りください、ゆっくりとおあがりください」と歓待されるのだ。その間、当主は神棚と仏壇を拝む。まもなく「お召し上がりになりましたか、足元を大事にお帰りください」と、主人は「山の神サマ」を再び玄関から送り出す。
代々、年越しにA家にやってくる「山の神サマ」とは何者なのだろうか。家に来たらすぐに返されることや、「山の神サマに供えたお湯は、道路の真ん中に捨ててきた」というから、あまり歓迎される神ではなさそうだ。また、「床の間へ上げられると恐れ多くて困る神なので、部屋の隅に招く」というから、それほど高い神格ではないことがわかる。
全国的な事例からすれば、この「山の神サマ」の送迎習俗は、他地方の「疱瘡神送り」と似ているのだ。疱瘡神(ほうそうがみ)は、恐ろしい病、疱瘡をもたらす神として、古くから全国で恐れられてきた。江戸時代の弘前藩でもたびたび疱瘡が流行ったが、災いのもととなる疱瘡神を、異界へ送り出す儀式をやった記録がある。
奈良県や山形県では、A家と同じ作法で、年越しに家の当主が、疱瘡神を家へ招き入れ、供物を上げて返す家がある。実はA家の神棚には、さらに、風邪神サマ、ウチ神サマ、疱瘡神サマの3体が祀られてきた。これらの神々はふだん、家族を病から守り、家内安全を祈願する神だという。
よって、年越しにやってくる「山の神サマ」は、もともとは神棚にいる風邪神や疱瘡神であったが、いつの時代にか交替してしまった可能性も考えられないだろうか。実は、このように年越しにやってきて、すぐ帰る小さな神々は、津軽の各地にいたらしい。
1935年(昭和10年)頃まで田舎館村では、小正月1月15日の年取りに、A家のように疱瘡神と麻疹神を招き入れて帰す家があったという。
写真3 B家の玄関で訪問する神へ供えられたお膳 渡辺真路撮影 また、つがる市木造のB家でも、代々、年越しにやってくる見えない神がいて、家の戸障子を全部開け、玄関にお膳を用意し、もてなしてから帰している。この神の名は不明だという。同様の習俗は昭和30年(1955年)代まで、青森市内でもあったようだ。ほかにもご存じの事例があれば、教えて頂きたい。
このように古くから日本各地では、年越しには豊穣をもたらす年神(としがみ)だけでなく、歓迎されない神もやってくるという信仰があった。
これらの来訪神を送迎する習俗は、伝染病の恐怖に脅えたふるさとの歴史的な記憶を示す、見えない無形の文化財であるといえよう。
(青森県立郷土館研究員 小山隆秀)
○一口メモ
疱瘡(ほうそう)近代医学以前、全国各地で大変恐れられた病。原因とされる「疱瘡神」を歓待して鎮め、異世界に送り返すと病気が治ると信じられた。
※この記事は陸奥新報社の承認を得て2007年4月2日付け陸奥新報より転載したものである。