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名物「太白飴」さようなら 明治創業、仙台唯一の専業店閉店

取り壊される店の作業場に残る年代物の道具を見つめる兵藤さん

右側の建物が店舗兼作業場、左側が2階建ての自宅

 仙台市内で唯一、あめの製造販売を専業としてきた「兵藤飴老舗(あめろうほ)」(青葉区広瀬町)が閉店し、間もなく店舗の解体が始まる。創業は1884(明治17)年。4代目夫婦が店ののれんを守ってきたが、東日本大震災で建物が半壊した上に体調不安なども加わり、128年の歴史に幕を引く。
 店では、4代目の兵藤嘉夫さん(71)が主にあめ作りを、妻の〆(しめ)子さん(73)が接客や販売を担った。看板商品の仙台名物「太白飴」をはじめ、ニッキ味、しょうゆ味など、十数種類の手作りのあめを提供。優しい甘さと口溶けの軟らかさが特徴だった。
 創業以前に建築された店舗は、震災で全体にゆがんだ。作業場の壁はずり落ち、壁に接していた作業台やあめを延ばす機械も傾いた。
 夫婦はその後も何とか店を続けてきたが、今年5月に〆子さんが体調を崩して入院。休業したのを機に、7月末での閉店を決断した。店舗に隣接して1935年ごろに建てた自宅も、店と共に取り壊す。
 「ここ10年は売り上げが減る一方。年を取り体力も落ちた。残念だけど動けるうちに整理しようと考えた」と兵藤さんは話す。一人息子に継がせる考えはもともとなく「いつかやめるときが来ると思っていた」という。
 昔ながらの製法に最後までこだわり、もち米と麦芽で原料の水あめから作った。兵藤さんは長年の経験と勘を頼りに、温度計もはかりも使わなかった。「店で作って店で売るから、どこよりも軟らかく作れた」と胸を張る。
 あめ専業店はかつて市内に十五、六軒あったが、10年ほど前から兵藤飴老舗のみになった。兵藤さんが高校を卒業して働き始めたころは「甘い物といえばあめ」。70年代半ばごろまでが最盛期で、大崎八幡宮(青葉区)のどんと祭の夜は客足が途切れず、店じまいはいつも午前3時ごろだったという。
 七五三の千歳飴などでも取引があった大崎八幡宮の小野目博昭宮司(61)は「やむを得ない事情とはいえ、昔ながらの味も、古い商家の建物もなくなるのは残念としか言いようがない」と語る。


2012年08月29日水曜日


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