2012-07-24 08:00:00

伊藤みどりと山田満知子2

テーマ:伊藤みどり
日本のメダリストのコーチたち~山田満知子〈3〉

 右足首骨折で1985年世界選手権出場を棒に振った伊藤みどり。だが、指導する山田コーチばかりでなく日本スケート連盟、さらには周囲のバックアップは増していった。

 城田「東京世界選手権(伊藤みどり15歳、出場すれば2度目の世界選手権)。まず、みどりちゃんから、『足が痛くて練習できないんです』って連絡がきて…」

 山田氏「最初は痛み止めの注射を打って、試合には出ることになったのね。でも注射でどうにかなるものなのか確信が持てなかったから、お医者さんに『公式練習の時に試しに注射を打ってみてください。どれだけ効くのか、見てみたいから』って言ったんです。それでみどりは、注射で右足をマヒさせた状態で公式練習に出た。痛み止めが効いてるから、痛くない。痛くないからトリプルフリップを跳んでみた。その途端に…バーンっていっちゃったの」

 城田「あの時は大変だったわね。世界選手権、みどりのために東京に持ってきたようなものだったから」

 山田氏「だから連盟の人たちも、『なんとか一晩で直せないか』っていう。最初の診断では、骨折と言われなかったからね。足を氷で冷やしたりもして頑張ったのよ。それでも立てないみどりをもう一度病院に連れて行ったら、痛くてもう、足を着くこともできない。これでコンパルソリーが描けるわけがない」

 城田「私も目の前で見てたけれど、あの状態はかなりひどかった」

 山田氏「結局、疲労骨折だったのよ。だから『これはちょっと無理です。だって立てないんですよ!』って連盟の人に言ったら、『何を弱気なこと言ってるんだ!』って言われてね……。私も分かりますよ。みどりを出そうって頑張って、日本開催にした世界選手権。ここでいい成績を出して、オリンピックにつなげて…って、筋書きが全部できてたのに」

 城田「あの時は、記者の人たちの取材もすごかった。何が起きてるのかって、みどりちゃんと山田先生をみんなで追いかけるから、別の車を出して取材の車を巻いたりしてね。あれはみどりちゃんもかわいそうだったな…。そして連盟もみんなで相談して、『もう、みどりはあきらめよう』と、神宮で松葉杖ついたみどりちゃんを記者会見に出して。あの時のみんなの悲痛さというのは、やっぱり半端なかった」

 山田氏「うん、大変だったと思うよ。皆さん本当に一生懸命やってくださったけれど、どうしようもなかった。私たちも世界選手権の会場で骨折してしまったこと、すごくショックだったね。これはもう、連盟に対しても顔向けできない。これだけお膳立てしてもらって、みんながみどりのために動いてるのに棄権なんて…ね。でももう出られないわけだから、せめて勉強のために、(カタリナ)ビットを見にみどりを観覧席に行かせたんです。そうしたら、また怒られたのよ」

 城田「『こんな目立つところで、何やってんだ』って(笑)」

 山田氏「そう(笑)。もう私たち、どうしたらいいの? って、なってしまいました。あの当時は私も若くて、自分でも『頑張らなきゃ』って気持ちがすごく大きかった。それで選手たちを、頑張らせすぎたのかもしれないな。最近では年を取ってきたから、『無理せずに休んだら?』ってだんだん言うようになったのよ。以前は私がどんどん練習させるから『あそこが痛い、ここが痛い』って選手たち嘘ばっかりついて練習休もうとしてた(笑)。それが今は、佳菜子なんかが『疲れた』って言えば、『じゃあ今日は上がろうか』って感じなんです。疲れて嫌々練習しても、いい成果は出ない。だったら休ませちゃおう、とね。だから逆に、今の選手の方が弱音を吐かなくなったのよ。『痛い』なんて言おうものなら、『無理しないで、1週間くらい休もう』って私に言われちゃうから(笑)」

 城田「それがみどりちゃんの時代は、頑張らせすぎちゃってた」

 山田氏「そうかもしれない。私も、本当に何も分からなかったのね。トップの選手なんて、育てたことなかったから…。もう必死になってやるしかないんだもん。でもあの頃の私たちには、夢があった」

 城田「そう、夢があった。みどりちゃんと山田先生を中心に、オリンピックで金メダルを取れるかもしれない、ってね。アルベールビル(五輪)の時なんて、堤さん(義明氏=元西武鉄道オーナー)がずいぶん協力してくださって、『僕がやろう』って日本選手団の団長にもなって。あの堤さんが、選手席に一緒に座って、太鼓叩きながらみどりちゃんの応援をしてくれたのよ。『僕はチームと一緒にいるよ』って」

 山田氏「そう、私たち、堤さんにもすごくかわいがってもらった。それは本当に、ラッキーだったね」

 城田「堤さんだけでなく、連盟の久永さん(勝一郎氏=元連盟会長)、土ヶ端(武志)さん、大橋(和夫)さん…。オリンピック当時なんて、スケート連盟の事務局に2人しか残ってなかったのよ。みんなでアルベールビルに来て、選手たちのお手伝い!」

 山田氏「連盟の人と、インストラクターと、選手たちの家族と。選手村のご飯が口に合わないと困るからって、炊飯器を持ってきて、『ご飯できてるよ』『味噌汁できてるよ』って私たちにいつも声掛けてくれてた」

 城田「選手が練習から帰ってきたら、すぐ好きなものを食べられるようにしよう、ってね。私も炊飯器持って行って、おにぎり握ったわよ(笑)。魚焼き機を持っていったり、あんみつ、おしるこ。日本の選手が喜びそうな、ありとあらゆるものを用意したりしてね」

 山田氏「お握りだけじゃないでしょ。この人は、自分が良かれと思ったらあと先関係なくむちゃくちゃややったからね(笑)」

 城田「まあでも、色々な方に協力していただきながら(笑)。連盟だけでなく、スポンサーさんをはじめ、色々な会社の方にも連絡をとって」

 山田氏「選手のママたちも自分の子どもだけじゃなく、チームみんなの面倒を見てくれてね。今とは時代が違ったのかもしれないけれど」

 城田「そんな風に一つの夢に向かって身を捨てるくらいの人たちがいないと、うまくいかないのよ」

 山田氏「そうね。当時は経済的に恵まれた方も多かったから。連盟の大橋さんなんて、半年お仕事で稼いで、半年をスケートにつぎ込んでくれてた。太っ腹というかめちゃくちゃというか(笑)、最近はそういう人は少ないわね。まともな人が多い」

 城田「大橋さん、人の面倒を見るのも好きだったけれど、それ以上に…」

 山田氏「スケート命、だったね」

 城田「そう、スケート命。そんな純粋な少年みたいな気持ちを持ってる人、今はあまりいないねえ」

 山田氏「大橋さんの他には、やっぱり久永さん。『名古屋の山猿みたいなやつら』って言われてた私たちを認めてくださった。よく、『何が悪いんだ? 日本人は足が太いんだ、短いんだ。これで勝負すりゃあいいじゃないか!『って、言ってた。『スケートはスタイルが大事』ってみんなが言ってた時に、そんなことを力強く肯定してくれる人がいて、私たちは救われたのね。そうこうしてるうちに、日本人体型のみどりが世界をひっかきまわして、凄い! ってことになって、みんなが久永さんの言うことに納得して」

 城田「そう。実は今のスケート界の基礎、要を作ってきた。日本のスケートをこれだけのものにしてくれたのは、彼と土ヶ端さんの力は大きいのよね」

 山田氏「その久永さんもね、『やっぱりいい選手が出なきゃ、僕たち連盟もどうしようもないんだよ』って言ってくれたの。あの頃は割り当てで出場できるGPシリーズじゃなくて、各国の試合は招待制だった。いい選手であれば、試合に出てください、って外国から呼んでもらえる。だから、『みどりとまっちゃんのおかげで、僕たちはずいぶんいい勉強になりました』っておっしゃってたな。それで私たちも、『やっぱり選手は頑張らなきゃ』って思ったの。連盟の人たち、周りの方たちが一生懸命頑張ってくださっても、選手が頑張らなかったら何の足しにもならないから」

 城田「とにかくあの頃は誰に怒られても、大変な目に遭っても、腹が立っても、全部自分の勉強だ…。みんながそう思ってやってたんじゃないかな。そしてみんなの中心にいるみどりちゃんが、日本だけでなく世界中で愛される子だったのよ」

 山田氏「そうね。よくパーティでも、ISU(国際スケート連盟)のみなさんにほめられてね」

 城田「パーティがけっこう遅くまで続くから、途中でみどりちゃんが居眠り始めちゃって」

 山田氏「『みどりは小っちゃいから、先に帰らせます』ってみなさんにごあいさつさせて。そうしたらお行儀良く、ちゃんとしてるわねって、ISUの皆さんがすごくかわいがってくれたのよね。やっぱり日本って国で育った子だから、お行儀はいい。それでかわいがってもらえるのは、どこに国も一緒なんですよ」

 城田「当時の会長のポールセンさんをはじめ、みんながかわいがってくれた。あるパーティで、みどりちゃんにバラの花を一輪持たせて、ポールセンさんに渡させたの。そうしたら、すごい感激しちゃって!」

 山田氏「ポールセンさん、アルベールビル五輪の時なんて、『みどりに金メダルをかけられると思って女子の表彰式を待ってたのに、ものすごく悔しい』って言ってくださったのよ」

 城田「だからロビー活動ではないけれど、強いだけでなく、みんなから愛される選手を育てることは大事なんだな、と。日本はまだ世界で勝つなんてことは考えられない国だったから、なおさらね。それでみどりちゃんに、ちょっといいお洋服を着せたりもしてね」

 山田氏「なぜか私と城田さんまで、おそろいの服を作ったりね(笑)」

 城田「ちょっとでも感じのいい日本チームになろうとしたのよ(笑)。それからは選手たちの合宿でも、まずあいさつから徹底させたの。誰に会ってもきちんと出来るように、って。でもそんな風に気を使うことも多かったから…。山田先生は試合が終わると疲れちゃって、いつもガックリ力が抜けてた。それでうちの旦那が、成田まで先生を迎えに行ったことがあったわね」

 山田氏「あったね(笑)。試合会場で『日本に帰れるかしら?』ってくらい具合が悪くなって。城田さんの御主人がお医者様だから、成田で待機してくださってた」

 城田「ところが成田まで行ったのに、山田先生、ピンピンしてたって!」

 山田氏「飛行機の中で元気になっちゃったのよ(笑)。でも、本当に大きな決戦の試合の時ほど、色々疲れてた…」

 城田「本当に疲れてた…。今はもう肝が据わって大丈夫なこともあるけれど、あの頃は私もまだ若かったから、試合のたびにすごいドキドキ。チームを任されたからには勝たなきゃいけない、なんて背負うものがあって…。山田先生も今でこそドン! ドシっていられるけれど、あの頃は『何とかしなきゃ』って気持ちが強くて。試合が終わるたびに、ガクンとなってたわね」

(2012年7月12日18時02分 スポーツ報知)

日本のメダリストのコーチたち~山田満知子〈4〉

 山田氏「まあ、そんな風に私たちのやり方や、私がみどりを育てることに対して反対の人がいっぱいいたと思うんですよ。でも無事にみどりが引退して、次に小岩井(久美子)がいろいろな大会に出させてもらえる選手になって、そして恩田(美栄)、中野(友加里)、舞、真央(浅田姉妹)が続いて…。今は佳菜ちゃん(村上佳菜子)と、私も選手に恵まれてるよね」

 城田「選手たちを育てたことに加えて、山田先生の功績で面白いのは、振付師のデビット・ウィルソンを、早くから日本に呼んでたでしょう? みどりちゃんから始まって、真央ちゃんくらいまで」

 山田氏「デビットね。みどりが引退して、ショーに出てたころかな? アメリカやカナダの男の子たちを見てると、すごく目に入ってくるプログラムがあってね、『誰が振り付けてるのかなあ?』って思った。聞いたら、デビット・ウィルソンって人だよ、って。それで樋口先生(樋口美穂子コーチ)にコンタクトを取ってもらったの。最初はみどりのショーの振り付けを頼みたいと思ったのね」

 城田「デビットといえば、ヨナ(金妍兒)に(ジェフリー)バトル、高橋大輔君と、ビッグネームの振り付けで知られてるけど…」

 山田氏「当時はまだそれほど有名じゃなかったから、『名古屋に来てくれる? 』って頼んだのよ。しかも『安くお願いね』って(笑)」

 城田「安くね(笑)」

 山田氏「うちはそんなに払えないからね。その変わり出来るだけ稼げるように、みどりから初心者の子どもたちまで全員見てもらったの。長い時は1カ月、名古屋にいてもらったかな」

 城田「ちびっ子までデイビット! 今じゃ考えられない…」

 山田氏「働く気があるのなら、お願いしたい仕事はいっぱいあるのよ、と」

 城田「でもデビット、芸術家タイプだから気まぐれで、大変なこともあったでしょう?」

 山田氏「うん、だから私、すごく怒ったこともあるよ。『そんなにたるんでばかりじゃ、お金払えないよ!』『お金稼いでカナダに帰りたかったら、頑張りなさい』なんて。今考えるとすごいことだけれど、彼は大須のリンクの一般営業の時間に子どもたちを教えてくれてたんですよ」

 城田「あの、お客さんでいっぱいのリンクで? 今はトロントの名門クラブで貸し切って振り付けしてるのに!」

 山田氏「ある時、小学生の団体が遊びに来たの。リンクを仕切って、あっち側では子どもたちがギャアギャア騒いでる」

 城田「そのすぐ近くでプログラムの振り付け…」

 山田氏「そう、デビットもさすがにギャーっとなって、リンクの真ん中でキレて出てっちゃった!」

 城田「さすがにかわいそうねえ」

 山田氏「美穂子先生とね、『どうする? 怒って出ちゃったよ』『仕方ない。捜しに行くか…」って(笑)。彼には日本のリンク事情を話して、『ごめんね、日本はこうなの。イライラするかもしれないけど、頑張ってね』って言った」

 城田「今や彼に振り付けてもらいたくて、世界中の選手がカナダに行く、そんな振付師よ」

 山田氏「ねえ(笑)。そんな風にデビットの振り付けたプログラムを、例えばジュニアの選手たちが国際大会で滑るでしょ? そうすると、『これ、誰の振り付け?』ってよく聞かれたな。時にはカナダの人にも聞かれるから、『デビット・ウイルソン。カナダの人よ!』って言っても『ええっ! 誰?』って驚かれたりもして(笑)」

 城田「私が覚えてるのは、みどりちゃんがアイスショー(97年プリンスアイスワールドなど)で日本の曲で滑ったプログラム。『ずいずいずっころばし』だっけ?」

 山田氏「そう、『ずいずいずっころばし』。あれはデビットよ」

 城田「あれは、かわいいプログラムだった。そのことでデビットと話したこと、覚えてるわよ。『このへんでもうひとつ、ステップ入れたらどう?』『いいねえ』って。でもみどりちゃん、ステップ増やしたらジャンプ跳べなくなるからイヤです、って(笑)」

 山田氏「そのうちデビットも、カナダでトップの選手たちの振り付けをするようになって」

 城田「(ジョアニー)ロシェットとか、(シンシア)ファヌフとかね。あれが05年頃でしょう? 実は山田先生の方が、先に彼の才能を買ってたのね」

 山田氏「そうそう(笑)。古くからの付き合いだからね。デビットが何かのインタビューで私のこと、『日本のママだ』って話してくれたのよ。真央ちゃんを連れて世界ジュニアに行った時も、彼がわざわざ会いに来てくれたの。『デビットっていう人が、先生を待ってますよ』って言われて、どこのデビット? って思ったら、彼だった。もう結構有名になってたのに、ずっと私のこと待っててくれてね」

 城田「05年の世界ジュニア(カナダ・キッチナー)ね」

 山田氏「そう。『いやあ、久しぶり』『デビット、ちょっと太ったんじゃない?』なんて話したの(笑)。デビットはまた、美穂子のことをすごく可愛がってたし、認めてたみたい。『カナダに連れて帰りたい』『自分と一緒に仕事をさせたい』って、よく言ってたな」

 城田「今でも選手たちが海外に振り付けに行く時は、だいたい美穂子先生が付き添ってるわよね」

 山田氏「うん、デビットの後に真央ちゃんたちは、リー・アン・ミラーやローリー・ニコルのところに行ったんだけれど、だいたい美穂子に行ってもらってた。美穂子も振り付けのアイディアをすごく豊富に持ってる人だから、デビットだけじゃなくみんなにかわいがってもらったのよ。他の振付師がついてくるのはダメだけど、美穂子だったらいいよ、なんて言われてね。去年も真央ちゃんの振り付けで名古屋に来てたローリーが、『ミホコ、元気?』って訊いてくれたの」

 城田「美穂子先生も、世界中で勉強してきたんでしょうね」

 山田氏「色々な人と組んで来て、美穂子もたくさんのノウハウを得られて。また今度は違う人とやりたいってことで、去年は佳菜ちゃんと一緒にタラソワの所に行ったり、マリーナの所に行ったりもした。ありがたいなって思いますよ。私たちチームみんな、あちこちで良くしてもらって。デイビッドにも、私たちがまだこんなに頑張ってるところを見せたいよね、って美穂子と話すのよ」

 城田「デビット、本当に毎年のように名古屋に来てたものね。もう世界的な振付師なのに」

 山田氏「その世界的な振付師に、文句言って作り直させたの、誰だっけ?」

 城田「アハハハハ」

 山田氏「『これダメ、やり直し』って(笑)。あれは美栄の時だったかしらねぇ。当時は美栄ちゃんが日本のトップの一人だったから、城田さんがわざわざ名古屋に来たのよ。『え、デビットって人を呼んでるの? じゃあ見に行くわ』って。そしたらいきなり、『このプログラム、左回りばっかり! もうスタートから変えなさい』って(笑)。しょうがないからデビットに、『左回りばかりでダメだって。スタートから変えろって言ってるよ、連盟が』って伝えた。あれには彼もびびったと思うよ。『はあ?』って(笑)」

 城田「いやあ、あの頃は私も純粋というか(笑)。デビットもまだ若くて、ぶつかり合ってね。『これダメ』『もう、曲から変えちゃいなさい』とか(笑)。でも私とデビット、今でも仲良しなのよ。去年も中国でたまたま会ったの。私が参加したセミナーに彼も来ていて、『日本は最近声を掛けてくれないけれど、中国は僕を呼んでくれるから来てるんだよ』だって(笑)。まあ強化部長だった頃には、選手を強くさせようって気持ちできついことも言ったし、怒ったりもしてきた。でもやっぱり、常に本音で付き合っていきたい気持ちがあったのよ」

 山田氏「城田さんがわがまま娘だってことは、よく分かってますから(笑)。でもやっぱり、そんな人も一人、連盟にいなきゃいけない。聞きわけのいい人ばっかりじゃ駄目なの」

 城田「私もかなり無茶やったけれど、山田先生だってけっこう無茶苦茶だったんだから。私たち、ぶつかりあったりもしたけれど、でもいつもどこかで…」

 山田氏「そう、城田さんと私って、どっかで仲がいいんですよ。連盟とインストラクターって、絶対に相いれないものがある。本来、そうあるべきだ、とも思う。だけど城田さんと私って、どこかでお互いに認め合える部分があるのよね。たぶん連盟とインストラクターという枠を越えた、人間的な共通点があるのかな? お互いに人間的に、惹かれあってるのかな? ちょっと、褒めときましたけど(笑)」

 城田「そうよね(笑)。だからぶつかり合いそうでいて、そうでもないよね?」

 山田氏「いや、ぶつかり合ってはいるけれど(笑)。でもお互い正直だからね」

 城田「お互いにわがままだしね(笑)。よく遠征先でも、みんなの目を盗んで買い物に行ったりしてた。『試合終わっちゃったし、行っちゃおうか?』って(笑)」

 山田氏「パリなんて、よく2人で歩き回ったわねえ。(佐藤)信夫先生にも私たちの荷物を持ってもらったりしたよね。信夫先生からは『のこちゃんと山田先生がそろうと最悪』って、今でも言うもの(笑)。『この2人と一緒に試合に行ったら、ろくなことがない』って(笑)」

 城田「私たち3人で試合に行くこと、多かったからね。私も言われたよ。『のこの旦那さんは大変だよねえ』って(笑)。だから同じわがまま娘でも、久美(佐藤信夫氏の妻)ちゃんは、私たちに比べればまだマシだ、なんて思ったんじゃない?」

(2012年7月23日17時50分 スポーツ報知)

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デビッドウィルソン(中央)と山田満知子コーチ(左から2番目)とご主人(左端)

↓前篇は、こちらです。

http://ameblo.jp/shuppansports/entry-11287043747.html
伊藤みどりと山田満知子

伊藤みどりさんの時代は、有力選手が少なくて、彼女一人に、過大な期待がかかっていて大変だったようです。

しかし、その代わりに、応援してくれた方々も沢山いたようです。

前会長の久永さんの敏腕さは、目を見張ります。

若い時のデビット・ウィルソンさんが、日本から早く、その腕を見込まれて、振り付けの仕事を沢山していたのですね。

山田コーチの先見の明は、凄かったのですね。



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2012-06-26 12:00:00

伊藤みどりと山田満知子

テーマ:伊藤みどり
日本のメダリストのコーチたち~山田満知子〈1〉

 この対談の大トリを務めるのは、スケート王国・名古屋が誇る名コーチだ。日本人初の五輪メダリストの伊藤みどりに始まり、恩田美栄、中野友加里、浅田真央…、そして現在の村上佳菜子へ。名古屋・大須のリンクから飛び出したスターたちを、肝っ玉コーチはどう育てていったのだろうか?

 城田「山田先生は意外にも、選手として滑っていた時間が短かったのよね。高校生でもう、アマチュアを辞めちゃったんでしょう? そして大学生時代に、コーチを始めたんだったかしら?」

 山田氏「そう、本当は東京の大学に行く話もあったんだけれど、『娘一人、東京に出してもろくな人間にならない』って、母親が(笑)。やっぱりあの時代、女の子は手元に置いておきたかったのね。でもその頃の名古屋のスケートの人たちは、みんな東京に出てっちゃったのよ。古橋ひとみちゃんに、朽木君、藤森美恵子さん、それからちょっと後に、坊や(小塚嗣彦氏)」

 城田「そうやって挙げてみると、ずいぶん名古屋の人が多い。すでにその時代から、名古屋はスケートが盛んな土地だったのね」

 山田氏「でも若い子たちはみんな東京に行っちゃった。私だけが名古屋に残ってて。それで結局、選手を辞めてからも愛知県連盟の手伝いをしてくれないか? ってことになったんです。バッジテストや合宿で、曲かけをしたりのお手伝いね。でも私は、スケートがあまり好きじゃなかった。城田さんはどうだったか知らないけれど(笑)」

 城田「私も好きじゃなかった(笑)。でも山田先生は、お父様がスケートに熱心だったでしょ?」

 山田氏「そう。でも私は本当にスケートが好きじゃなかったの。ただ、今まで選手としてお世話になってきたんだから、ってお手伝いを始めたんです。そうしてるうちに、やっぱり熱心なお母さんたちがいてね。私はまだ若かったから、おばちゃんの先生よりいいだろうって、『ちょっとだけうちの娘を見てくれませんか?』なんてことになってしまうの。コーチなんてやるつもりはなかったけれど、それでもバイト感覚で、全日本なんかにも付いていくようになっちゃった。もう、結婚したら辞めようと思ってたのよ。だけどやっぱり名古屋にコーチが足りなくて、さらに教えていた子たちが…」

 城田「伸びてきちゃったのね!」

 山田氏「そう、だからお母さんたちが辞めさせてくれないの。子どもを産んだ時に一度は辞めたのに、『先生、ちょっとだけ、ちょっとだけ』って言われて、結局また始めて。そのうちに出てきたのが、みどり(笑)」

 城田「みどりちゃん! そうなるともう、辞められなくなっちゃう(笑)」

 山田氏「本当にそうなの。今の佳菜ちゃんたち若い子にとっては、先生としてプロになるって夢だったりするでしょう? でも、私は違った。私なんて、コーチになるつもりでなったわけでも、夢だったわけでもない。今思えば、みどりが出てきたりして、運が良かったのね」

 城田氏「そのみどりちゃんを見つけたのは、どういういきさつ?」

 山田氏「あの人は普通に、大須のリンクの近くに住んでたんじゃないかな? それで日曜日になると、家族と一緒に滑りに来てた。子どもなんて、みんな上手に滑るものよね。それでほとんどの親が、錯覚するの。『うちの子、素質あるんじゃないか?』って。みどりも同じで、子どもがせがむからって、日曜だけじゃなく平日も毎日毎日来るようになった。リンクに置いておけば、1日勝手に遊んでるしね(笑)」

 城田「そのうちに、スケート教室に入るようになったの?」

 山田氏「最初のうちは、大須のリンクの中日スケート教室。今では考えられないけれど、最初はホッケーの人たちに習ってたの。フィギュアの教室というより、ただ滑ることを習う教室。私も自分の生徒を教えながらみどりが滑ってるのを見てたんだけれど、うちの生徒よりみどりの方が上手なんですよ。そうしてるうちに、タダレッスン(笑)。みどりも貪欲な子だったから、どんどん習いたがってね、結局はタダで教えちゃってた」

 城田「確かにみどりちゃん、小さいころからみんなとは違ってた」

 山田氏「そう、賢かったのね。勉強はだめだったけれど、やっぱり勘がいい。学校の勉強はできても、ボーっとしてる子はだめなんですよ。『今、先生は私に何を求めてるのか』『今の自分には、何が必要なのか』キャッチする力がすごく必要なんです。スケートじゃなくても、何をするにもそうじゃないかな? みどりも頭の良い、勘の良い子だった。綺麗でセンスがいいとか、上品というのではなかったけれどね。でも、判断能力があって、先生の言うことをばっちり理解できる」

 城田「みどりちゃん、その頃から目立っていたらしい。東京の私の所に才能がありそうな、ちっちゃな子がいるから名古屋へ来てくれって…。とにかくスピンは早いし軸がありジャンプが高く、本能で跳んでる感じがするらしいから『見て!見て!』と催促が再三。私は、その頃ただの強化委員。自分の子供も小さいから、名古屋まで行けないわよ。じゃぁ、品川のリンクのエキシビションに呼ぼうか? が始まりだった」

 山田氏「でも、あの頃、東京に憧れて出ていった人たちにしてみれば、名古屋でくすぶってるはずの私が、みどりで目立ち始めて、あんまりおもしろくなかったみたい『あの子に何が出来るの?』って言われてたものね」

 城田「そこにさらに城田が張り付いてたから、余計に『山田先生って何なの?』って言われたのよね(笑)」

 山田氏「でも仕方ないのよ。例えば(佐藤)信夫先生なんかは、日本のチャンピオンでエリート中のエリート。コーチになってからも西武に入られて、出世コースじゃないですか。それに比べれば、私なんかもう、本当に田舎者(笑)。だから『まっちゃんなんかに、何が教えられるんだ!』みたいに、本当によく叩かれたたものよ(笑)。だけどそんなことがあったから、たぶん私は頑張れた。あの時に甘やかされてたら、ちょっと今のようにはいかなかったかもしれないわね」

 城田「みどりちゃんが出てきて凄い選手がいるって、みんなに騒がれて。そこから本格的にコーチの人生が始まった」

 山田氏「そう、だからみどりが出てきて楽しくなったんじゃなくて、とっても苦しくなりました(笑)」

 城田「その頃東京でもね、毎日品川のリンクに集まっては、『みどりをどうしようか?』『どうしたら世界に出せるか?』って、話し合いをしてたのよ。連盟では藤森美恵子さんの実家が名古屋、お父様が名古屋の名物市長さんだったという事もあり、ちょくちょく名古屋に里帰り。でも名古屋まで行けない人もいたから、東京のエキシビションに呼んでみよう、と。そこでまず、毎年品川でやってるエキシビションで滑らせたのね。それを見て驚きだった。こんな子がいるんだ。こんな天才が名古屋にいたんだと、氷上のみどりちゃんからを目が離せなかったことを覚えている。それで『これいける!』と、『みどりプロジェクト』が始まったんだけれど…。私も山田先生に、おうちにみどりちゃんを引き取るように勧めたりして」

 山田氏「私がみどりを預かったのは、小学校の5年生くらいかな? でもうちはその前から、選手たちがしょっちゅう泊りに来てたから、みどりが来ても違和感がなかったのね。今は佳菜ちゃんだって、しょっちゅう泊まってる。実は今日も、みどりとその頃のことを話したんだけれど、『あなたはうちの娘よりわがままだったわね』って(笑)。その頃の選手でかわいがってたのが、みどりと大島(現・淳コーチ)と美穂子(現・樋口コーチ)。あの3人が仲が良くて、うちでもよく遊んでた。まあ、一番手のかかったのが、みどりだったけどね(笑)。今は3人それぞれが、それぞれの道を進んでくれてる。3人とも、今でも時々、うちに寄ってくれるんですよ」

 城田「いいわね。先生の所は、ずっと慕ってくれる選手が多いわね。私がその頃、山田先生と初めて一緒に行った遠征は、サンジェルベのアルプス杯(30年前ほど)だと思うんだけれど」

 山田氏「ああ、あの汽車に乗って、ドイツからフランスに移動する大会。各国のスケート選手みんなが同じ列車に乗って、食堂車も付いてて…。あれは良かったわねえ」

 城田「ドイツとフランスの2つの試合を合わせてアルプス杯。その移動の列車の中で、ずっとパーティーやりっぱなし! あの頃が私にとって一番の思い出なのよね。まだみんな、色々な事に無心で取り組んでいて。アルプス杯は、朝ご飯もみんなで用意したのよ。大島君が厨房に行ってゆで卵を人数分もらってきて、みんなでテーブルまで運んで。朝からコンパルソリーの練習をしてる選手たちには、お盆に食事を乗せてリンクまで持って行ってあげて…」

 山田氏「楽しかったわねえ」

 城田「今では考えられない雰囲気でしょう?」

 山田氏「後はオーベルストドルフ大会後のチューリヒ。乗継便の関係で1泊することになった時の話。チームみんなが一つのスイートルームで大家族みたいに泊まったのよね。大島と加納(誠さん)が一緒に寝て、城田さんと私はこっちの部屋で、久永さん(勝一郎氏=元会長)には屋根裏部屋に行ってもらって(笑)」

 城田「あの頃の無心さが、今は懐かしい」

 山田氏「あの時代は、渡部絵美さんや佐野稔君が出てきて『メイド・イン・ジャパン』。日本の選手たちが少しずつ世界に出ていく下準備が出来た頃。会長に、大橋和夫さん、杉田秀男さん、土ケ端武志さん、のこちゃん(城田)という体制が出来上がって…。そこに私たちみたいなのも、ちょこちょこ後ろから付いて行ってた。これから次の時代を作り上げて行こう、そんな時だったから、難しいと事も多かったのよね。でも、楽しかった。色々揉めもしたし喧嘩もしたけれど、今みたいな揉め方ではなくて、もっと意気揚々とした喧嘩だったな。何かやられても、何クソーみたいな(笑)」

 城田「あの頃はみんな『日本を強くしたい!』っていう同じ目標があったのよ。そこに向かってみんなで登って行こう、っていう雰囲気。みんなで一つになって登り詰めるんだ、そんな気持ちを持っていた時代だったのよね」(つづく)

 ◆山田 満知子(やまだ・まちこ)1943年6月26日、名古屋市生まれ。68歳。7歳からスケートを始め高校総体や全日本選手権に出場。金城学院大卒業後、愛知県スケート連盟の手伝いを始め、伊藤みどりと出会う。普及、底辺拡大の信念を貫き、数多くの教え子を国際舞台へ輩出。

(2012年6月15日16時47分 スポーツ報知)

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山田コーチ(右)と仲良くツーショットに収まる城田

日本のメダリストのコーチたち~山田満知子〈2〉

 多くの指導者がいる東京ばかりでなく、米国に送り込む計画も明るみになるなか、天才少女・伊藤みどりと山田コーチとの関係はより深くなっていく。しかし、それは一筋縄ではいかなかった。

 山田氏「実はみどりには色々な人から、色々な声がかかったのよ。東京に来る気はないか、とか、外国にいらっしゃい、とか…。色々誘われたけど、まだみどりも小さかったし、一人ではなかなか外に出せなかった。でも私たちが知らない間に、JOC(日本オリンピック委員会)からお金が出て、アメリカのフランク・キャロルとクリスタ・ファッシの所に送るって話が進んでたこともあったんです。彼女が、中学生くらいの時かな?」

 城田「もう、有無を言わせず『行け』って感じだったのね」

 山田氏「そう。私みたいに何の実績もない先生に、『日本の宝を預けられるか』ってことになったんでしょうね。私が(日本スケート)連盟の人でも、そうすると思うもの(笑)」

 城田「いや、そんなわけではなかったと思うよ。ファッシは当時、コンパルソリーを教えるのがうまくて、いい選手をたくさん育てて、『ファッシ王国』を築いてた。ファッシの所に習いに行けば、きっと(表彰)台に上がれる。そんな時代だったからね」

 山田氏「私も、みどり自身が行きたいのならそれもいい方法かな、と思ったんです。でもみどりって、『上手いね!』って人に思われたがるところがあるじゃない? みどりに限らず、今の佳菜(村上佳菜子)たちも同じですけれど、自分が跳べない所を人に見られたくはない。他の先生に『こんな事もできないの?』って言われたくない。だから名古屋で、私の所でしか練習はしたくない、って言う。アメリカ行きの話も『自分で考えて決めなさい』って言ったら、『私、行きたくないです』ってことになったんです。その時、みどりがワンワン泣いてたのを良く覚えてますよ。どうも連盟の人に、『もうお前なんか、試合に出さない』なんて言われたみたい…」

 城田「連盟が、そんなことを言ったんだ?」

 山田氏「みどりも子供だったから、はっきりしたことは分からないけれど…。でも『もう試合に出られない。私はスケート出来なくなる』って言いながら泣いたのよ」

 城田「その話は知らなかった。ただ、『みどりの奴め、断ってきた』ってことは聞いてたけれど…。私もまだ、強化部の見習いだったからね」

 山田氏「それで結局、アメリカには小沢樹里ちゃんと結城幸枝ちゃんが行くことになったんです」

 城田「うん、それは覚えてる」

 山田氏「その頃のみどりは、私によく反抗してた。でも結城さんと樹理ちゃんが絶対うまくなって帰ってくる、と思ったんでしょうね。そこからはもう、真剣になって練習したのよ。思えば私とみどりが一番うまくいってたのが、その頃(笑)。バレエの先生にも付いたりして、私たちなりにものすごく頑張った。それで結局、その年の全日本フリーという大会で、1位を取れたのね。結城さんと樹里ちゃんに勝てて1位を取れた時は、2人でものすごく泣きました。そんなこともあったのよ(笑)」

 城田「みどりちゃんをアメリカに行かせたいと思ったけど、本人に『名古屋から離れたくない』と言われ、当時の土ヶ端武志強化部長は、何かを始めて行く過程での突破口を開きたかったんだと思う。彼は、強面だけれど、実際は心が優しい人だから…。『天才ジャンパーみどり、ここにあり』って世界に打って出したかったという、純粋な気持ちだったと思うな」

 山田氏「やっぱりそうやって、みんながみどりを欲しがる中、彼女が私を選んでくれた。だからこそ、『みどりのために、ここまではしなくちゃいけない!』って。がむしゃらに努力して、エリートの先生たちが出来ないことをやってきたつもりなんです。私の教えてる名古屋の大須リンクなんて、そんなにたくさん選手がいるわけじゃない。その当時は、15人くらいしかいなかったと思うのよ。その中から一生懸命、大島も、みどりも、小岩井(久美子さん、93年世界ジュニア優勝)も、ちょっとずつ作り上げていった。そんな強みはあると思うし、そうやって一から育てていくことが、今でも私は好きなんです。先生によっては、出来上がった選手たちを仕上げることが得意な方もいらっしゃる。でも私は、小さい子から作り上げる方が好き。粘土をこねる所から始めるのが好きで、それが私の仕事だと思ってるんです。子供たちが一流になって、あるレベルまで達したら、『どうぞ。外で頑張っておいで』って感じね(笑)。もう世に出した、世界に出した時点で、自分の仕事としては終わりなのよ。選手だってそこからは、生意気になっちゃうし(笑)」

 城田「そうそう(笑)」

 山田氏「やっぱり先生には、色々なタイプがいる。私の場合は、それなのかな。またあの当時は、私は名古屋だけど、選手は東京じゃなければ上手くならないって、みんなが思っていたのね。連盟が強くて、みんな連盟にいじめられたりして(笑)。名古屋がそうなんだから、ほかの地方もみんな、そうだったと思うのよ。でも私が名古屋でこの仕事を続けることで、若い先生方や地方の先生方も『名古屋でも、山田先生でも出来るんだ』って思ってくれた。「東京じゃなくても、選手は育つんだね」って、たくさんの皆さんが言って下さったし、私はいじめられてる先生たちに、勇気を与えられたと思ってる。だから今、選手として優秀だった人達だけじゃなく、色々な先生たちが頑張って、のしあがって、みんながいいコーチにもなれたんじゃないのかな」

 城田「連盟が地方に意地悪だったって話は、私も知らなかったわね…。そう思われていたんだ…」

 山田氏「私なんて、有名な選手でもなんでもなかった。でもコーチになってからの運は、すごく良かったのね。いい選手にも巡り合えたし、いいママ達にも巡り合えた。あ、ママたちは、私がいい人だから集まってきたんだわ(笑)。苦労というほどでもないけれど、選手と私、ママたちと私で、本当に二人三脚でやってきたのよ。凄いスターじゃなくてもいいから、私はこの子どもたちを導いて行ければいい、と」

 城田「そう言いながら心は…。手作りで、世界一を目指していたのよ。そんな先生の気持ちを私が知らないわけないでしょ!」

 山田氏「その事について、都築先生(章一郎氏)にも言われたことがあるの。都築先生や(佐藤)信夫先生たちは、ロシアと組んだり、外務省と交渉したり、偉い人たちと一緒に飲んだり、すごく大きな仕事をしてらっしゃったでしょう? それに比べれば私なんて、本当に手内職みたいな仕事(笑)。でもね、『まっちゃんは手内職だけど、手内職らしいものすごく良い仕事してる』って、都築先生が「僕達は、ちょっと規模が大きくなり過ぎたかもしれない』って。『手内職は手内職なりの、大きな仕事があるんだね』って。いい話でしょう?」

 城田「いい話。でも、みどりが世界へ羽ばたける選手になるってことは分かっていたと思うよ。山田先生、話し上手だから…。上手いねェ~控えめで。毎回毎回の試合が真剣勝負だったことは確かだったけれど」

 山田氏「だからみどりだってね、どんな選手に育てたかったかといえば、ただ、みんなから愛される子にしたかっただけなのよ。世界一にするんだ、とか、そんな考えは全くなく」

 城田「それは山田流の教科書なのね。確かにみどりちゃんは、愛される子でした。でもまた同時に、みんなの期待を裏切る子でもあってねえ(笑)」

 山田氏「ハハハ。まず最初は、あの時ね。みどりのために世界ジュニアを日本に持ってくる、そんな計画があった時。で、その先にオリンピックに出そうという計画。あれは、いつのオリンピックだったかしら? カルガリー(88年)の前のサラエボ(84年)?」

 城田「サラエボ! まずサラエボのオリンピックにみどりちゃんを出しちゃおう、と」

 山田氏「まだ14歳で年齢が足りなかったけれど、特例があったのよね」

 城田「そう、世界ジュニアで3位までに入れば、規定年齢以下でもオリンピックにも出られるという。その過程を全部、連盟は計算したんですよ。最初のサラエボ五輪では、まあ10位以内くらいでいい。でもその次のオリンピックでは、このくらい、さらに次は…って計算して、アルベールビルの時は、みどりちゃんを台の一番上に上げよう、と。そのために、サラエボオリンピック直前の世界ジュニア(83年)を、札幌に持ってくる。その前の年の世界ジュニア(82年)でも、みどりちゃんに頑張ってもらって、次の年の枠を増やさなきゃならない。私も82年の世界ジュニアには、『チームリーダーで行きなさい。で、みどりの面倒みなさい』って言われてスタンバイしてた。そんな時、連盟の打ち合わせで品川のリンクにあるミーテイングルームにいた時かな、山田先生から電話がかかってきたのね。『ごめんね』って言われて、『ごめんねって、何? どうしたの?』と聞いたら『みどりが、足折っちゃったの』って!」

 山田氏「ハハハハ」

 城田「その年の世界ジュニア、たった一人しか出られないのに! みどりちゃん一人で、何とか頑張らなくちゃいけなかったのに!」

 山田氏「あの頃はね、ちょっと前に上野さん(衣子氏)に言われてたのよ。上野さんは平松さん(純子氏)のお母さんね。『まっちゃん、みどりちゃんは上手なんだから。無理させないで。ケガだけはやめてね』って。それで『分かりました』って言った矢先に、ボーンって、骨折…。ルッツで自分が開けた(氷の)穴にはまったの。空いた穴の上にトゥを突いた瞬間に、グニャンっ! といってしまったんだって。あんなに広いリンクなのに、ジャンプのコースって決まってるんだよね…」

 城田「あの時の、みんなのガッカリ具合ってなかったわよ…」

 山田氏「82年の世界ジュニアもそうだったけど、それからも色々と」

 城田「そうそう、なんといっても東京の世界選手権(85年)! あの時もみどりちゃん、足折っちゃったのよね」(つづく)

(2012年6月24日16時51分 スポーツ報知)

$フィギュアスケート研究本

1988年カルガリー五輪に出場した山田コーチ(右)と伊藤みどり

伊藤みどりさんの事について、当時のお話が分かる内容ですよね。

山田コーチも、コーチになるつもりはなかったのに、周りの要望でなってしまった。

という事は、やはり運命だったのでしょうね。

そして伊藤みどりさんとの出会い、きっと彼女を育てる事ができたのは、山田コーチだけだったのかもしれません。

海外のコーチにつけた方が良いという話があって、みどりさんが嫌がったという話は聞いた事がありましたが、連盟が強制的に行かせようとしていたとは……。

しかも、行かなかったら、今後、試合には出さないと脅したようですね。

それでも、行かなかったのは、海外では絶対にダメだったからなのでしょう。

連盟は伊藤さんの才能を凄く買っていていたからこそ、最大限の援助をしてくれようとしたのは分かりますが、選手を脅すなんて……。まして、まだ若い学生にですよ。

もし脅されるまま、海外に行って、つぶれたらどうしたのでしょうか。

結局、脅しは、選手を自分たちの思い通りにしたいが為の手段だった訳ですが、その後、海外に行かなかった伊藤さんを試合に出さなくなかった訳です。

才能のある、まして、五輪の年齢制限の枠を越してでも、伊藤さんを五輪に出そうと画策していた事から、彼女を試合に出さなくする訳はなかったのですが、いたいけな少女を傷つけていますよね。

高橋選手がトリノ五輪前に、彼が気圧に弱いも係わらず、行かないと五輪には出さないと脅し、高地に訓練に行けと命令し、調子を崩された例もありました。

↓こちら参照してください。

http://ameblo.jp/shuppansport/entry-10591201436.html
高橋選手トリノ五輪FS

連盟の選手への援助が、彼らの一方的な押し付け、または望む結果が欲しいという理由から来ているのは、今も昔も同じなのかもしれませんね。

フィギュアスケートの選手は若い選手が多いのですから、厳しさも必要ですが、それ以上に精神的なケアはもっと大切だと思います。

大変な苦労はあったとは思いますが、伊藤みどりさんを、五輪メダリスト、また3Aを成功させられる素晴らしい選手へと育てられたのは、山田コーチだったからこそだと思います。



↓山田コーチ、グッジョップです。o(^▽^)o


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2012-05-29 06:00:00

伊藤みどり 優勝 国際アダルト競技会 結果

テーマ:伊藤みどり
優勝した伊藤みどりさんの演技



4位のKeil_Bettina選手と伊藤みどりさんのウォームアップ動画



4位のKeil_Bettina選手の演技




↓国際アダルト競技会リザルトページ

http://www.deu-event.de/results/adult2012/index.htm

Masters Ladies II Artisticで、伊藤みどりさん優勝

http://www.deu-event.de/results/adult2012/CAT056RS.HTM

ISU Adult Figure Skating Competition 2012

Masters Ladies II Artistic


Result

FPl. Name Nation Points FS

1 Midori ITO JPN 31.19 1
2 Jan CALNAN USA 26.63 2
3 Elizabeth MC GLAUFLIN USA 26.58 3
4 Bettina KEIL GER 25.76 4
5 Luda KALENUK CAN 24.37 5
6 Brenda WITTMAN USA 21.39 6

http://www.deu-event.de/results/adult2012/SEG059.HTM

Masters Ladies II Artistic - Free Skating

Result Details


Pl. Name Nation TSS

1 Midori ITO JPN 31.19 0.00 31.19 6.38 6.00 6.25 6.06 6.50 0.00 #2
2 Jan CALNAN USA 26.63 0.00 26.63 5.00 5.00 5.50 5.50 5.63 0.00 #5
3 Elizabeth MC GLAUFLIN USA 26.58 0.00 26.58 5.25 5.19 5.38 5.38 5.38 0.00 #3
4 Bettina KEIL GER 25.76 0.00 25.76 4.69 4.94 5.38 5.25 5.50 0.00 #1
5 Luda KALENUK CAN 24.37 0.00 24.37 5.06 4.94 4.81 4.81 4.75 0.00 #6
6 Brenda WITTMAN USA 21.39 0.00 21.39 4.38 4.13 4.44 4.19 4.25 0.00 #4

野口美恵さんは、19位

http://www.deu-event.de/results/adult2012/CAT023RS.HTM

ISU Adult Figure Skating Competition 2012

Silver Ladies I Free Skating

Result


1 Lulu ALEXANDRA GBR 41.17 1
2 Stephanie LAURENCON FRA 37.73 2
3 Lenka HLAVACOVA SVK 36.33 3
4 Alma Gabriele GALVEZ YANEZ MEX 34.99 4
5 Lynda LEGER SUI 34.70 5
6 Jaroslava KLUCINOVA CZE 34.66 6
7 Anne SCHMITTNER GER 34.48 7
8 Olga KOROLEVA RUS 34.46 8
9 Katherine NOBLE GBR 34.10 9
10 Celeste KOHAYA USA 33.17 10
11 Brandy LOKKEN USA 32.43 11
12 Ester HUIS IN'T VELD NED 31.76 12
13 Renee BADCOCK AUS 31.00 13
14 Marion NOEL SUI 30.91 14
15 Olga DUBKO RUS 29.84 15
16 Myriam JONES FRA 29.56 16
17 Isabelle Jiayi TAN SIN 29.32 17
18 Nathalie ALEXANDRE FRA 29.29 18
19 Yoshie NOGUCHI JPN 29.06 19
20 Nicole BATESON AUS 28.83 20
21 Coral ESPINOZA GER 27.88 21
22 Heidi FEARNSIDE AUS 26.37 22
23 Daniela VALLONI ITA 21.44 23
24 Alexandra GUNSETT CAN 20.08 24
WD Diana FARO ITA

↓フリー詳細

http://www.deu-event.de/results/adult2012/SEG022.HTM

その他の結果

http://www.deu-event.de/results/adult2012/CAT028RS.HTM

Bronze Ladies II Free Skating

http://www.deu-event.de/results/adult2012/SEG027.HTM

5 Yachiyo NIIZUMA JPN 29.54 7.72 21.82 2.75 2.38 2.63 2.94 2.94 0.00 #2

13 Mika KOIDE JPN 23.33 6.33 17.00 2.06 2.00 1.94 2.31 2.31 0.00

http://www.deu-event.de/results/adult2012/SEG029.HTM

Bronze Ladies IV Free Skating - Free Skating

5 Tomoko SUGIMOTO JPN 17.72 3.50 14.22 1.69 1.63 1.88 1.75 1.94 0.00 #7

http://www.deu-event.de/results/adult2012/SEG070.HTM

Bronze Ladies II Artistic - Free Skating

5 Yachiyo NIIZUMA JPN 12.75 0.00 12.75 2.56 2.31 2.81 2.44 2.63 0.00 #2

Masters Ladies I Artistic Free Skatingに出場予定だったNATORI Ryoko さんは、参加しなかったようです。

アイスダンス出場Katsura OGUSHI / Hideshi OGUSHI組は優勝と準優勝

Ice Dance Bronze PD  結果

http://www.deu-event.de/results/adult2012/CAT036RS.HTM

1 Katsura OGUSHI / Hideshi OGUSHI JPN 13.38 1 2
2 Philippa COOPER-LEWIS / Simon HIBBLE GBR 12.76 3 1
3 Fiona BROWN / Michael JONES GBR 11.76 2 3
4 Alison PARKER / James WILKINS CAN 10.43 4 5
5 Roosje LAMPE-CORDANG / Jan ADRIAANSEN NED 9.72 6 4
6 Alicja GALA / S.K. LEONG USA 9.38 5 7
7 Katja KERSTEN / Detlef KERSTEN GER 8.60 7 6

Ice Dance Bronze PD - Pattern Dance 1
http://www.deu-event.de/results/adult2012/SEG038.HTM

1 Katsura OGUSHI / Hideshi OGUSHI
JPN 7.94 9.65 6.22 2.56 2.31 2.44 2.69 0.00 #5

Ice Dance Bronze PD - Pattern Dance 2
http://www.deu-event.de/results/adult2012/SEG039.HTM

2 Katsura OGUSHI / Hideshi OGUSHI JPN 5.44 5.19 5.69 2.44 2.25 2.19 2.13 0.00 #2

Ice Dance Bronze FD 結果

1 Fiona BROWN / Michael JONES GBR 19.11 1
2 Katsura OGUSHI / Hideshi OGUSHI JPN 18.14 2
3 Katja KERSTEN / Detlef KERSTEN GER 15.72 3
4 Elisabeth POCK / Pavel LAURENCIK AUT 15.07 4
5 Karen TAYLOR / John DARNTON GBR 11.73 5
6 Helen MURCH / Alfred RUESCH GBR 11.06 6

Ice Dance Bronze FD - Free Dance

http://www.deu-event.de/results/adult2012/SEG044.HTM

2 Katsura OGUSHI / Hideshi OGUSHI
JPN 18.14 3.42 14.72 2.56 2.19 2.50 2.56 2.63 0.00 #1

Eissportzentrumオーベルストドルフ フェイスブックより表彰式写真

http://www.facebook.com/Eissportzentrum

http://www.facebook.com/photo.php?fbid=10150989530020820&set=a.447553045819.235300.335084350819&type=1&theater

Eissportzentrumオーベルストドルフ
5月24日 (携帯帯より)

2日目は終わりに来ている!今日、我々は偉大な競技にすべての参加者を祝福。

$フィギュアスケート研究本


http://www.facebook.com/photo.php?fbid=10150986978740820&set=a.447553045819.235300.335084350819&type=1&theater

Eissportzentrumオーベルストドルフ
5月23日 (携帯帯より)

第一トロフィーは:-)の授与される
受賞者と参加者全員におめでとうございます。

$フィギュアスケート研究本



伊藤みどりさん、優勝おめでとうございます。クラッカー

アイスダンスおぐし組も、優勝と準優勝おめでとうございます。ヾ(@°▽°@)ノ

参加した選手の皆様、大会お疲れ様でした。m(_ _ )m

ゆっくりと休んでください。


↓ご苦労様です。(^O^)


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2012-05-09 06:00:00

伊藤みどり 国際アダルト競技会2012に出場

テーマ:伊藤みどり
http://dearbooks.cafe.coocan.jp/compe/2012/05/adult2012.html

ISU公認「国際アダルト競技会」大会概要(ドイツ/2012年5月22日~26日)愛好者のフィギュアスケート大会

詞己 (2012年5月22日 10:00)

「国際アダルト競技会(International Adult Competition)」は、ISU(国際スケート連盟)承認のフィギュアスケート競技会。ニュース記事では「国際アダルト選手権」とも表記。
国を代表する限られた人数の選手が競技する「選手権」とは異なり、スケート愛好者が誰でも個人で参加できるオープン大会です(参加年齢は28歳から72歳まで)。

大会名称:『国際アダルトフィギュアスケート競技会』
(International Adult Figure Skating Competition)
主催:ドイツスケート連盟(Deutsche Eislauf-Union e.V.)
期日:2012年5月22日(火)~26日(土)
開催地:オーバーストドルフ(ドイツ)Oberstdorf, Germany
種目:男子シングル、女子シングル、ペア、アイスダンス、シンクロナイズドスケーティング

◆ISU(国際スケート連盟)
公式サイト(英語)

▼Announcement Adult Figure Skating Competition 2011/12
告知(英語)pdfファイル

◆ISU Adult Competition
ISUアダルト・コンペティション(公式サイト/ドイツ語)

▽Entrylist ISU ADULT COMPETITION 2012
(出場登録選手エントリー)

「ISUアダルト・フィギュアスケーティング・コンペティション(International Adult Figure Skating Competition/国際アダルト競技会・国際アダルト選手権)」はISU(国際スケート連盟)公認の国際大会(競技会)。
スケート競技を引退した元選手や、大人になってからフィギュアスケートを習い始めたスケート愛好者が参加する大会です。(要参加費)
参加年齢は28歳から72歳まで。
競技は、女子シングル、男子シングル、ペア、アイスダンス、シンクロナイズドスケーティング。

能力のレベルで5段階に分け、さらに年齢で4段階に分けます。
元選手の「エリート・マスターズ」「マスターズ」。
大人から始めた人のうち2回転ジャンプができる「ゴールド」、1回転半ジャンプができる「シルバー」、1回転ジャンプのみの「ブロンズ」。
他に、ジャンプの点数はつけずに曲の表現だけで競う「アーティスティック」部門があります。

日本人スケーターが何人か参加します。日本(JPN)だけでなく他国在住の日本人も多いようです。
元選手で、アルベールビルオリンピック銀メダリストの伊藤みどりさんも「Masters Ladies II Artistic Free Skating」エントリーしています。今年はジャンプなしの「アーティスティック」部門に参加のようです。
みどりさんの友人でスポーツライターの野口美恵さんは今年はシルバー部門に参加のようです(去年はブロンズ部門で優勝)。
昨年(2011年)の国際アダルト競技会の様子は、野口さんが書かれた伊藤みどりさんのドキュメントに登場します。

$フィギュアスケート研究本


↓ISU Adult Competition HP

http://www.eissportzentrum-oberstdorf.de/veranstaltungen/isu-adult-competition.html

http://www.eissportzentrum-oberstdorf.de/kalender/2012-05-25672.html

ISUアダルトフィギュアスケート競技大会2012

 ドイツでは最南端のコミュニティへようこそ。我々は、ドイツの南部のほとんどのスポーツ村にあなたを歓迎したいと思います。
2012年5月23日まで26/05/2012 Eissportzentrumオーベルストドルフで

 今年はオーベルストドルフで28~71歳29カ国から360の参加者については歓迎します。我々は競争の別の週に非常に壮大である。

 より詳細な情報をそこに続いて、訪問する私たちのイベントページを

 我々は360の参加者については歓迎を誇りに思っている年齢オーベルストドルフの国際アダルトフィギュアスケート競技会のためにここから29カ国の28から72。私たちは、大会の別の偉大な一週間を楽しみにしています。


場所: アイスセンターオーベルストドルフ

$フィギュアスケート研究本


↓エントリー

http://tramino.s3.amazonaws.com/s/eissportzentrum/120875/adult-2012-entrylist-2012-05-03.pdf

International Adult Figure Skating Competition 2012

Oberstdorf, Germany
May 22 - 26, 2012

Masters Ladies II Artistic Free Skating

01 KALENUK Luda CAN
02 KEIL Bettina GER
03 ITO Midori JPN
04 CALNAN Jan USA
05 MCGLAUFLIN Elizabeth USA
06 WITTMAN Brenda USA

その他、日本人エントリー

Masters Elite Ladies I Free Skating

01 NATORI Ryoko JPN

Silver Ladies I Free Skating

01 BADCOCK Renee AUS
02 BATESON Nicole AUS
03 FEARNSIDE Heidi AUS
04 GUNSETT Alexandra CAN
05 KLUCINOVA Jaroslava CZE
06 ALEXANDRE Nathalie FRA
07 LAURENCON Stephanie FRA
08 JONES Myriam FRA
09 ESPINOZA Coral GER
10 SCHMITTNER Anne GER
11 STEENBLOCK Maike GER
12 ALEXANDRA Lulu GBR
13 NOBLE Katherine GBR
14 FARO Diana ITA
15 VALLONI Daniela ITA
16 NOGUCHI Yoshie JPN
17 GALVEZ YANEZ Alma Gabriela MEX
18 HUIS IN 'T VELD Ester NED
19 DUBKO Olga RUS
20 KOROLEVA Olga RUS
21 SEMINA Yuliya RUS
22 TAN Isabelle Jiayi SIN
23 HLAVACOVA Lenka SVK
24 LÉGER Lynda SUI
25 NOEL Marion SUI
26 KOHAYA Celeste USA
27 LOKKEN Brandy USA

Bronze Ladies II Free Skating

01 HUMPHREYS Jasmine AUS
02 MARYANOV Elisabeth AUS
03 PARKER Alison CAN
04 TAYLOR Catherine CAN
05 NYGREN Elina FIN
06 HUMBERT Christelle FRA
07 KAIKATI Odile FRA
08 LESCURE Sandrine FRA
09 DRECHSLER Martina GER
10 EHLERS Anke GER
11 HACHENBERG Regina GER
12 MÜLLBAUER Marietta GER
13 STORCK Jacqueline GER
14 VON GEISAU Juliane GER
15 WALTER Ulrike GER
16 HAUGHTON Barbara GBR
17 LANGE Stefanie GBR
18 LINES Sarah GBR
19 TODD Hazel GBR
20 TORRINGTON Nicki GBR
21 KOURLOVITCH Natalia ITA
22 KOIDE Mika JPN
23 NIIZUMA Yachiyo JPN
24 CAHUICH CAMPOS Martha Beatriz MEX
25 DOST Margreet NED
26 KONOPACKA Katarzyna POL
27 OREKHOVA Alla RUS
28 GRILC Eva SLO
29 KASHIMURA Norie USA

Bronze Ladies IV Free Skating

01 GRAY Maxine AUS
02 TRIGGS Marilyn CAN
03 HOVI Tuula FIN
04 MANNI-LOUKKOLA Sirkka FIN
05 VÄÄNÄNEN Helena FIN
06 DIEFENBACH Christine GER
07 PASCOE Christine GBR
08 GOATIN Antonella ITA
09 SUGIMOTO Tomoko JPN
10 GUBAREVA Tatyana RUS

Masters Ladies I Artistic Free Skating

01 LAU Cherry AUS
02 HYKKYRÄ Hanna FIN
03 VOBORIL Ilona GER
04 BUSHELL Eileen GBR
05 NATORI Ryoko JPN
06 CAFLISCH Anna-Barbara SUI

Bronze Ladies II Artistic Free Skating

01 MARYANOV Elisabeth AUS
02 PARKER Alison CAN
03 TAYLOR Catherine CAN
04 ZURITA Angie CAN
05 EHLERS Anke GER
06 MÜLLBAUER Marietta GER
07 VON GEISAU Juliane GER
08 TORRINGTON Nicki GBR
09 KOURLOVITCH Natalia ITA
10 NIIZUMA Yachiyo JPN
11 CAHUICH CAMPOS Martha Beatriz MEX
12 KONOPACKA Katarzyna POL

Ice Dance Bronze Pattern Dance

01 DIRINGER Margareta AUT
SOMMER Karel AUT
02 PARKER Alison CAN
WILKINS James CAN
03 KERSTEN Katja GER
KERSTEN Detlef GER
04 BROWN Fiona GBR
JONES Michael GBR
05 COOPER-LEWIS Philippa GBR
HIBBLE Simon GBR
06 OGUSHI Katsura JPN
OGUSHI Hideshi JPN

07 LAMPE-CORDANG Roosje NED
ADRIAANSEN Jan NED
08 GALA Alicja USA
LEONG S.K. USA

Ice Dance Bronze Free Dance

01 DIRINGER Margareta AUT
SOMMER Karel AUT
02 POCK Elisabeth AUT
LAURENCIK Pavel AUT
03 KERSTEN Katja GER
KERSTEN Detlef GER
04 BROWN Fiona GBR
JONES Michael GBR
05 COOPER-LEWIS Philippa GBR
HIBBLE Simon GBR
06 MURCH Helen GBR
RUESCH Alfred GBR
07 TAYLOR Karen GBR
DARNTON John GBR
08 OGUSHI Katsura JPN
OGUSHI Hideshi JPN


昨年の演技を紹介したいと思います。



Midori Ito, 2nd Masters Elite II Free skating



Yoshie Noguchi - 1st Bronze I Free skating

みどりさんがキスクラで、野口さんの応援していますね。



Ryoko Natori, 3rd Masters Elite I Free skating



Ryoko Natori, 2nd Masters & Gold I Artistic skating.vob


Ryoko Natoriさんは、今年もエントリーしていますね。

Yoshie Noguchi さんは、コラムも書いていらっしゃる野口美恵さんなのですね。

今年も、みどりさんの素敵な滑りが見られそうです。

またアイスショーに参加するかもしれません。

今年はみどりさんは、Masters Ladies II Artistic Free SkatingのArtistic部門なので、ジャンプの点数はつけずに曲の表現だけで競う「アーティスティック」部門ですね。

去年、演技構成点が良かったですからね~。ジャンプと要素の数を入れられなかったので、トップにはなれませんでした。なので、今年は、こちらにしたのかもしれません。

新しい振付けが見られますでしょうか。

期待大です。

$フィギュアスケート研究本



試合後の素敵な笑顔を、また拝見したいですよね。(^∇^)


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2012-02-22 21:00:00

今日は何の日 伊藤みどりが銀メダル獲得した日

テーマ:伊藤みどり
[2012年02月21日(火)]

【今日は何の日?】アルベールビル五輪で伊藤みどりが銀メダル

スポルティーバ●文 text by Sportiv

【1992年2月21日】

起死回生のトリプルアクセルで銀メダル獲得


 1988年のカルガリー五輪で5位入賞を果たした伊藤みどりは、翌89年パリで開催されたフィギュアスケート世界選手権でトリプルアクセルを含む6種類の3回転ジャンプを成功させ、日本人選手としてはじめて金メダルを獲得。一躍世界のトップ選手として注目を集めるようになった。

 そして迎えた92年、アルベールビル五輪。金メダルの最有力候補と言われていた伊藤だったが、オリジナルプログラムで転倒し、4位と出遅れてしまう。フリーでも一度はトリプルアクセルで転倒するが、演技終盤に再びトリプルアクセルに挑み成功。金メダルには届かなかったが、日本人フィギュア選手として五輪初メダルとなる銀メダルを獲得した。
 
 快挙達成の一方で、「伊藤でさえ金メダルが獲れないのか」と思ったスケート連盟は、この年の夏に「全国有望新人発掘合宿」を実施。全国各地から有望な小中学生を集め、「金の卵」の発掘と育成に力を注ぐようになる。その1期生として合宿に参加していたのが、06年トリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香だった。

$フィギュアスケート研究本

五輪で日本人フィギュア選手初のメダルを獲得した伊藤みどり

昨日2月21日は、伊藤みどりさんが、アルベールビル五輪で銀メダル獲得した日でした。

ちょうど20年前ですね。

2006年2月24日に、荒川さんが金メダルを獲得しましたね。

2010年2月26日に、浅田選手が、銀メダルを獲得しました。

今度は、2014年2月に、浅田選手が金メダルを獲得できると良いですね。



2月22日の今日は、猫の日だそうです。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0222&f=column_0222_009.shtml

にゃんにゃんにゃん! 今日2月22日は「猫の日」なのら!!

2012/02/22(水) サーチナ

 かわいいのら! かわいいのら! ニャンコはとってもカワイイのらーっ! ……と、本誌ではたびたびニャンコことネコ、漢字で書けば「猫」であり、英語で言うなら「キャット(cat)」についてお伝えしてきたが、なんと本日2月22日は「猫の日(ねこのひ)」なのでありますのら!

 制定されたのは1987年。日本の社団法人ペットフード協会が定めた記念日、それが2月22日の猫の日である。それにあわせ、様々なところで「ニャンコ祭り」的なイベントが開催されているぞ!

  たとえば東京・新宿にある小田急百貨店では、ニャンコ関連のグッズを幅広く揃えた「ねこの日zakkaフェア」が開催中。家で猫の日を楽しみたいなら、衛星放送やケーブルテレビで放送されている動物チャンネル『アニマルプラネット』は要チェック。なんと24時間ブッ続けで猫関連の番組を放送する「にゃん・にゃん・にゃん☆24時間ねこ祭り」が開催されているぞ!

  ちなみにこの記事の画像は、海外の画像サイトにアップされた「3匹のニャンコがスヤスヤと雑魚寝」という写真。あまりにもカワイイためか、約2万5000人のFacebookユーザーたちが「いいね!」を押している状態である。かわいいのら! かわいいのら! ニャンコはとってもカワイイのらーっ!

  参照元:THEMETAPICTURE(英語)(情報提供:ロケットニュース24)

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↑余談でしたが、可愛いですね。(*^▽^*)


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