「16歳の学生のときに、親戚の家から実家に帰る途中、連行される」
16歳の少女が連行されたのに家族は何をしていたのか?
2007/9/3(月) 午後 9:20
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「強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、
韓国にも日本にも客観的証拠は一つも無い」
「韓国には私娼窟があり、慰安婦がたくさんいる。
そのような現象が何故起きるのか研究すべきだ。
強制によっておきるわけではない」
「私も最初は強制動員があったと考えて、
韓国挺身隊問題対策協議会と共同で調査を行ったが3年でやめた。
協議会の目的が慰安婦問題の本質を把握して
今日の慰安婦現象の防止につなげることでなく、
単に日本とケンカすることに目的があると知ったからだ。」
引用:ソウル大名誉教授 安秉直(アン・ビョンジク)
2007/9/4(火) 午前 9:12
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私は、上記の記事を手にとる様に理解できます。
遺憾乍ら、現政府は、当時と変わりません。
なぜなら、当時の犯罪者がそのまま復活した「体制だから」です。
現政府と防衛省は【現在の、もう1つの北朝鮮】と呼べます。
2008/7/14(月) 午前 1:53
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現在私は、
・あの戦争はどうして起こったのか、
・誰が何のためにやったことなのか、
・そこでどんなことが行われたのか、等について、ほぼお答えできることでしょう。
なぜなら、それは、
【生命危険の実被害を実体験する私】の、真実探求の回答でもあるからです。
また、私は、
【2001年、小泉純一郎首相就任直後】から【自由と生命の安全を侵害】
されつづける者として、
【その異常なる暴力!】【無知性を帯びた恣意的権力行使!】
を、
【伝播することが私の生命義務】であると、心得るからです。
2008/7/14(月) 午前 1:57
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ネット9条高知さんは、高知の住民でしょうか?
それならば、愛媛と関連して「事件の概略」を記させていただきます。
さて、私の高校時代の恩師(担任ではありません。倫理と心理学指導)は、
愛媛大学の教授であり、特殊学校を建設し、学校長でもありました。
しかし、もと首相の小泉純一郎が四国訪問の時期に、急逝いたしました。
私は、私の身に何が起ろうとも、既に忘却の彼方へおいた、
もと首相の小泉純一郎を、憶い出せはしませんでした。
ところが、平時の自宅内で、静かにパソコンを打つ私の左手親指の爪が、
何ら支障のない環境の中で、突如として、生え際に近い部分で、水平に割れました。
酷い痛みでした。ここで私は、もと首相の小泉純一郎について記憶を、
甦らせ始めます。
2008/7/14(月) 午前 2:12
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爪が割れた!(爪が剥がれた、という方が適切かも知れません)
これは、もと首相の小泉純一郎が、1965年12月14日に、私ヘ言った
ファースト「サプライズ」であり、
2度目の出会い「大菩薩峠下山途上」でも、ジェスチャーを交えて
繰り返し
語ったセカンド「サプライズ」です。
私ヘはしった、裂けた【爪の激痛】と、小泉純一郎が語った【爪が割れた】の
【サディスティックな話題の痛み】とが、私ヘ、小泉の記憶を、
否応なく憶い起こさせたものと思われます。
2008/7/14(月) 午前 2:20
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1965年前後、もと首相の小泉純一郎(22-3歳)は、
▼「浦賀行き」の【京浜急行線】、始発品川駅へ、
▼毎朝8時5分に【学生帽、学生服姿で鞄をもって】立っていました。
(これでは、毎日、朝帰りですね!)
もと首相の小泉純一郎が決めた【1965年12月14日】に、
私(17歳)と、もと首相の小泉純一郎は、ともに初デートをしました。
その場で、私は小泉純一郎へ尋ねました。
【毎日かぶる学帽の記章は、都立高専の記章に似ているけど、どこの?】と。
しかし、小泉純一郎は下を向いたまま、長い沈黙の末、答えられませんでした。
どうも小泉純一郎は、自分自身のことについても、彼の視点についても、
答えられぬ人物のようでした。
そこで私は【普通は厭!】と思わず口から衝いて出てしまいました。
(注:普通とは慣例や慣習に則った、付和雷同型や本人不在型を指します)
2008/7/14(月) 午前 2:35
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すると、もと首相の小泉純一郎は、突然、宙を見詰め【爪が割れた!】と、
あの【感動した!】と同じ音声で発しました。
これに対して、私の背に悪寒が走りました。
今度は、私の方が寡黙にならざるを得ませんでした。
後日、私ともと首相の小泉純一郎は、相互に、郵便書簡を往還しています。
▼私の住所を知っている小泉純一郎が、
担任でもない、学歴(鎌倉高校・早稲田大学院卒)も、職業も違う、
▼私の恩師を探し出し、授業の一環であった登山【大菩薩峠】へ同行していました。
そして、下山途上で前述の通り、初デートで彼が発したことを、
ジェスチャーを交えて、繰り返しました。
この時の小泉純一郎は、パンチパーマをかけ、色は浅黒くなり、顔の骨格も
幾分骨張って見えました。
選挙の応援でもした後だったのでしょうか?(初パーマ体験記録)
なぜ小泉純一郎は、「久しぶり、元気?」くらいの社交辞令が出なかったのでしょう?
ここに、私をスパイまでして、果たすべき彼の目的があったのでしょう。
上野駅が近づいた帰りの列車の中で、私の恩師は私ヘ向って
【彼の名は、小泉純一郎。慶応出!】
2008/7/14(月) 午前 2:49
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と言いました。
▼小泉純一郎自身が説明できぬことを、なぜ「私の恩師」へ強調させたのでしょうか?
ここで、私の不快感は怒り心頭へ!。完全に、小泉純一郎についての記憶を私は封印し、2002年ころまで、憶い出せはしませんでした。
▼当時、小泉純一郎がかぶっていた学帽は、
【慶応の記章ではなかった】と私は記憶します。
強度の電流を投下され一時期伏した時期が、私にあります。
この時期のはじめ、私は、深夜にぽつりと夫へ「小泉純一郎って高専卒じゃなかったのかしらん」と言いました。
すると、翌日の日経夕刊のコラムへ、
【歴代の首相で、京浜急行線にある専門学校を卒業した者はいない】と、
掲載されたのです。回りくどい、おかしな表現ですね。
深夜に蚊の鳴くような声で語った私へ、まるで、答えるかのような
投稿文ですね。
斯様に、私の一挙手一投足は、現在も監視されています。
2008/7/14(月) 午前 3:04
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現在は、ウォーターゲート事件のように、盗聴器をしかけずとも、
遠隔で以て、
▼【行動も音声もキャッチ可能】な時代です。
テロ犯追跡のために、新しい技術が、とうに開発されています。
上記記事の内容は、遠隔操作でも、いとも簡単に可能な時代です。
1928年生まれ現在80歳近い、姜日出(カン・イルチュル)さんの話も
理解できぬ人々が多いことでしょうから、
2001年から受難する私の体験は、さらに理解できぬ人々が多いことでしょう。
しかし、これらの過酷な体験により、現在の私は、
【日本の現政府がよく見えます】
そして【日本とアメリカの関係】が、誰よりもよく見えます。
おそらく、日本の政治家よりも、過去と現状と近未来が見えていると、
受け止めています。
本気とは、真実へ向けて、
体内の多くの器官と、危機意識とが開かれ冴えること、等を、実感します。
ただ今、私に臆する対象は、ひとつもありません。
2008/7/14(月) 午前 3:17
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