盤若の丘から




7連覇L 金字塔(下)


夏の総体は、暑さとの戦いでもある。猛暑の体育館で、連日試合をこなすのだ。決勝ともなれば、詰めかけた観客の熱気で、さながら砂漠のようだ。

これに備えて、総体が近くなると能代工は例年、体育館の戸を閉め切って練習する。一歩踏み入れれば、たちまち眼鏡が曇ってしまうほどの熱気。こうして暑さに負けない体力を作る。歴代OBの何人もが「あれがつらかった」と挙げる練習だ。

しかし85年、コンディションの調整がうまくいかず、総体で苦戦を招いた。春の選抜で圧勝していて、「ケガさえなければ7連覇は間違いないと思っていた。危機感が薄れていたことは否めない」と主将の金子寛治は言う。

準決勝、洛南(京都)戦。前半は47―37で折り返したが、後半は一時同点に追いつかれた。再び突き放し、92―83でどうにか勝利した。

最後まで衰えない運動量が持ち味の能代工にとって、後半に巻き返されるのは、本来の動きができていないことの証しだ。

この流れは決勝、市立船橋(千葉)戦でも続く。190センチセンターの金子、中山義則、安達康がリバウンドを制し、前半43―27。

だがスタメン5人は、熱気にやられ疲れ切っていた。前半終わってベンチにどっかと腰を下ろしたまま、後半開始までの10分間、ぴくりともできなかった。「会場のざわめきが、遠い海鳴りのようにぼんやりと響いた」とメンバーは思い出す。

後半、思い切りのいいシュートを連発する市立船橋に猛追される。残り3分36秒、ついに57―58で逆転を許した。だが土壇場での勝負強さも、能代工の持ち味だ。

センター陣が不調と見るや、窮地を救ったのは、普段は温厚で仲間からからかわれることも多い宮野英法。スタメン5人のうち唯一の秋田出身者だ。

逆転されてわずか12秒後、ミドルシュートを落ち着いて決めすぐさま再逆転。そのままリードを守り、64―60で逃げ切った。「宮野に勝たせてもらった試合だった」と、ガードの渡部浩一。

7連覇の金字塔を打ち立てた能代工。秋の鳥取国体は、監督の加藤廣志の指示通り、すべて100点ゲームで優勝した。5度目の3冠達成だ。

この代、もう一つ特筆すべきことがある。不動のスタメンとマネジャー押切環の6人全員が、そろって中高の教員になったことだ。金子は愛知、安達は宮城、中山は群馬、渡部は福島、宮野と押切は秋田で後進の育成にあたっている。「大将(加藤)なら、どうするだろうか――」。指導に行き詰まった時、今でもそう考えるという。

金子と渡部は、07年の秋田わか杉国体で、それぞれの県の少年男子の監督として能代で対戦した。そしてまったくの偶然だが、金子と押切の教え子が、卒業後にバスケが縁で出会い、今春結婚する。=敬称略

2009年01月22日