中川真氏のセクシャルハラスメントについての経過報告ブログ

このブログの目的

このブログの目的は、
中川氏を陥れるためでも、侮辱するためでもなく、
大学、アート、社会包摂の現場で起こりうる、こういった事件を未然に防ぎたいと思ったからです。

楽しめるはずの場所で、こんなひどいことが起きてしまわないよう、
大切な人が、同じような事件に苦しまないよう、
この問題を公表しています。

中川氏は大阪市立大学の教授という公的な、教育者という立場であるので、
実名を公表し、これが今後公共の利益につながればと願っています。

過度の被害者目線で、書き進めてしまわないよう自戒の念も込めながら、
このブログを綴っていきたいと思います。


MISH



文書を受け取った中川氏の対応

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3月20日に配達証明によって本人である中川氏に届けられた被害者三名の文書に対し、
期日である、4月20日に届いた中川氏からのはがきです。

そしてこの記事を書いている現在、4月28日午前1時22分です。


中川氏のセクハラ行為に対し被害者三名が文書で求めたこと

2012年1月~3月にクジャク、小鹿、御中虫によって作成された中川氏のセクハラについての文書の結びは以下。

これらが、中川氏が10年間に渡り犯してきたセクハラの実態である。実際は私たち文書作成者3人以外にも被害に苦しむ人はいるであろう。私たちは、加害者である中川氏の想像も及ばないほどの苦痛を伴いながら過去を掘り起こし、周囲の「スキンシップが過ぎてしまったのだろう」「彼に悪気はなかったのだ」「泊まりにいった女性にも責任がある」といった声にも耳を傾けてきた。これら理解の低い周囲の声はセクハラを簡単に闇に葬ってしまう。
私たちはそれらを踏まえた上で、これは文書にまとめるべきだと考え、中川氏の行ってきたことの悪質性、常習性を明らかにしようとするものである。

■中川氏に求めること■
・この文書を作成者の許可なく破棄することを禁じる
・クジャク 小鹿 御中虫への、各個人宛ての手書きの謝罪文の作成、署名捺印日付明記のこと 
・御中虫が事実無根の誹謗中傷をいいふらしている、という中川氏の発言の撤回、及び、発言撤回を明記した手書きの書面の作成、署名捺印日付明記のこと
・以上計4通の文書を一カ月以内に作成の上、謝罪文をクジャク(クジャクの住所)、小鹿(小鹿の住所)宛てに、謝罪文及び発言の撤回を明記した書面を御中虫(御中虫の住所)宛てに送付すること

※中川氏から上記4通の文書が届いた後、私たちは、御中虫に対する発言の撤回を明記した文書については、その発言を見聞きした関係者に公開します。
中川氏の誠意ある対応を望んでいます。



2ヶ月を費やした文書が完成し、あとは中川氏に送るだけという3月中旬、
被害者三名は、中川氏がこれで謝罪をしてくれるかもしれない、
そしてなにより、自分たちの過去を見つめ、このような文書が作成できたことで、
自分たちは達成感を感じ、もしかしたら自分たちは気持ちが晴れ、
この問題にこれ以上とらわれずに前に進めるかもしれない。
そんな淡い期待をもっていました。
中川氏の対応を信じて待つ一ヶ月はどれほど長かったでしょうか。




中川氏のセクハラ行為についての文書作成

被害者三名は、12月2日のツイッター投稿を発端に水面下でいろいろな動きがあったことを、
12月末~1月8日の間に知りました。
セクハラ被害以上に、中川氏の揉み消し行為や周囲の理解のない声に、三名は大きく傷つくことになりました。
しかし、そのことによって、もはや沈黙したり、泣き寝入りしている場合ではなく、
自分たちは封印していた過去を掘り起こし、この事実を声に出していかなければならないと感じました。
そして三名はセクハラ告発のための文書を作り始めました。
三名は、自分以外の二人が実際どのような状況でどのようなセクハラを中川氏に受けていたかを、
このときはじめて知りました。悔しくて哀しく涙しました。

出来上がった文書は、関係者に読んでもらうことになりました。
セクハラの事実を知ってもらい、それに対してどのように思うのか
率直な意見を聞きたかったからです。
もちろん、人それぞれの反応がありました。

文書を読んでくれた人、中川氏あかんやろ!と言ってくれた人、
コメントを寄せてくれた人、
読むことを拒否した人、読んだけれどノーコメントの人、
こんな文書を作って他者に(中川氏以外の人に)読ませて三人のやり方は卑怯だ、という人などなど・・・。
一緒にガムラン活動をやっていた仲間であり友人でありましたが、
いろいろな反応があったのには驚きでありました。

セクハラ告発文書の中には第三者のコメントとして、それらを掲載しています。
その方々のプライバシーのため、コメントはブログには掲載しません。


2011年12月2日のツイッターでのセクハラ告発と、それに対する中川氏の諸々の行動について被害者はどう感じたのか

12月2日以降の被害者の感情 <クジャクの場合>
私は自らに我慢を強い、感情を押し殺し、中川氏とともに10年にわたりガムラン活動を続けてきた。だが2011年12月2日の御中のツイッター発言を読み、自分の被害の後にも中川氏のセクハラは依然として続いており、友人が被害に遭い苦しんでいたことを知り、怒りを感じた。もはや黙っているべきではないと感じた。
12月31日以降、中川氏は数回のメールで「あなたとの間には齟齬がある、今後GNJWを君に託すことも考えている、Fについてはどうするのか、Hの講師はどうなるのか、それらについても話したいし会おう」と連絡してきた。GNJWや講師などというものは、およそ今回の問題であるセクハラとは全く違う次元の話であるのに、中川氏は今の仕事を失うだのまた与えるだのと言ってはとにかく会おうというメールを送りつづけた。これは氏のメールにある「会って話し合おう」という言葉とは裏腹に、セクハラの事実をうやむやにするための画策であると感じた。

12月2日以降の被害者の感情 <小鹿の場合>
わざわざ呼び出して、努力をしてなかったことにしていた過去の出来事をひきずり出し、「この忙しい僕がわざわざ君の為に時間を作って、直接会って、謝ってやったし、鴨南蛮うどんも奢ってやったのだから、一件落着他言無用」のような態度をとられたことが、許しがたい。こいつには飯でもおごっとけば、余計なことを喋らんやろう、という人を馬鹿にした態度に感じられた。
会合の後、私は体調も精神状態も崩し、翌日は動くこともできず、家族とも口が聞けなかった。人をこのような状態にしておいて、自分は「プロジェクトが」だの「社会包括が」だの言いつつ飛び回っているのかと思うと、やりきれなかった。

12月2日以降の被害者の感情 <御中虫の場合>
周囲の人やセクハラ被害者である小鹿やクジャクに対し、中川氏は「御中虫へのセクハラは完全に事実無根である、あったとしても冗談のセクハラ発言ぐらいだ、突然の虚言に驚いている、彼女はメンタルに病んでいる部分がある、彼女のことはスルーする、彼女はもっと僕に関わってほしいのかもしれない。」などと複数の人間に対し発言している。私は精神障害者(主にPTSDの治療中)だが、事実無根のことを言いふらす病気ではない。これは明らかな差別発言、名誉毀損であり、障害者とコラボすることの多い団体の主宰者としてもあるまじき暴言である。上記のような中川氏の言動を知ったことにより、私は非常にショックを受け、食事をうけつけず、夜も眠れず、高熱を出し、ぜんそくの発作が悪化し、胃腸炎を患い、半年ほど続けてこれた一人暮らしも一時中止するほどまでに大幅に体調を崩した。さらに中川氏に襲われたり関係者に責められる夢や、氏に暴力をうけるような幻覚を度々見ており、心身ともに疲れきっている。


上記のまとめ
御中の発言を周囲に事実無根とふれまわり、小鹿を呼び出し楽しい会合を装って口止めし、クジャクには仕事の話にすりかえ会おうというメールを送り続けた。これら三人に対する行為はいずれも、相手によって手をかえ品をかえ、セクハラの事実を闇に葬り、無理やり更地にしようとしているとしか思えない。一連の氏の行動は、セクハラを受けた者の傷を更に精神的にえぐる行為である。特に、今現在も御中のケースだけを完全否定し、わけもなく誹謗中傷を言いふらす人間であるというイメージを周囲に与えているこの構造自体が、第二のセクハラ行為である。と同時に、三者への対処の仕方に差をつけることで、被害者同士が結託しないようにという計算高さも見逃すことができない。


セクハラを受けたこと自体、
被害者にとっては忘れられない忌まわしい過去ですが、
今回被害者がより苦しんでいるのは、
その過去の事実ではなく、
それが表沙汰になろうという時に加害者中川氏が行った諸々の揉み消し行為です。
現在までにブログに投稿されている揉み消し行為は以下。
・中川氏が主宰する音楽団体マルガサリのメンバーに、御中虫の名前をMLに流すことをやめるよう指示(理由は事実無根の誹謗中傷をしているから)
・御中虫は事実無根の虚言をしていると、被害者である小鹿とクジャクに伝える。大阪市立大学の中川氏の研究所内でもそのような発言があったと、MISHは聞いております。
・小鹿を呼び出し、ご飯をおごり、このことをなるべくクジャクに伝えないよう示唆。
・クジャクに何度もメールを送り、本来セクハラとは別次元であるガムランの仕事に関して、クジャクやクジャクの夫がその仕事を失うだの、また自分の監修するグループを与えてもよいだの言って会うこと迫る。(謝罪のために会おうという文脈ではすでになくなっている)
などです。
中川氏の揉み消し行為はさらに続きます。その行為が、どれだけ被害者女性を舐めきっているのか、ということを今後も伝えていきたいと思っています。
こうした揉み消し発言は、被害者だけでなく、それを伝える相手に対しても、非常に失礼なことではないかとMISHは考えます。
事実無根だ、虚言だ、ネット上でこんなことをするなんて自分に対してのリンチも同然、と周囲に中川氏は発言しています。(詳細はこのブログ以降でも述べます)
そのようなことを中川氏に言われた覚えのある方は、
こう言っておけばこいつらは黙るだろう、これ以上騒がないだろうと、中川氏に思われているとは、考えられないでしょうか。


被害者の名前について

中川氏のセクハラ被害者である女性一人の名前を、
このブログで公表することにいたします。
彼女の名前は、みの虫あらため御中虫です。

MISHは中川氏以外の人物の名前を伏せてこのブログを進めていきたいと考えていますが、
御中虫さんの場合は彼女から直接、本名の公表を求められましたので、
今後は御中虫としてブログに掲載してまいります。
これまでの記事に関しても、すでに御中虫と修正しています。




まとめてたくさんの投稿をしました。

大阪市立大学教授中川真氏のセクハラの2001年の事例から、
今日はたくさんの投稿をしてしまいました。

今はたと気付いたのですが・・・
読者さんの大変さを考えていませんでした。
ごめんなさい!
読者のみなさん、どうぞゆっくりと読み進めてくださいますように。今日はこれ以上投稿しません。


カテゴリーがいくつかあります。
はじめにお読みください
セクハラ事例(被害者別にまとめています)
10年に及ぶ中川氏のセクハラ行為がはじめて公表された経緯
2011年12月2日御中虫のツイッター投稿後約一ヶ月間の中川氏の行動及び周囲の反応
セクハラ被害を受けてすぐに訴えることの難しさ
中川氏にセクハラをされて被害者はどう感じたのか
という順に読み進めていただけると、分かりやすいかもしれません。

読者さんの読み進める順番をMISHがどうこう述べられることではないのですけれども、
それがMISHの思う、少しはわかりやすいこのブログの読み進め方です。

中川氏にセクハラを受けた当時の感情<クジャク、小鹿、御中虫、匿名の場合>

中川氏にセクハラを受けた当時の感情<クジャクの場合>
中川氏は自分のセクハラ行為について何も述べず、まるで何事もなかったかのように振舞うくせに、その後何年も経ってから再び、私と私の夫にしかわからない方法で、その行為を思い出させるようなセクハラ発言をしたことが許しがたかった。←2008年6月8日の公演前の控え室でのことをさしています。詳しくは「事例」カテゴリーをご参照ください。

年齢、経験、知性、などすべて中川氏にはかなわないという暗示にかかり、本来それとは別次元で犯罪であるセクハラや、人を傷つける暴言などに対して怒りを表すことができなかった自分を責めてしまい苦しかった。

私はセクハラを告発することができぬまま、ガムランは続けることを決めたが、セクハラの事実を知った上で中川氏とやっていくという苦悩を、夫に与えているということが、哀しくて悔しかった。


中川氏にセクハラを受けた当時の感情<小鹿の場合>
1回目のセクハラについては、看病してもらって助かったことの方が自分にとってずっと大きかったので、「あ、真さんどさくさにまぎれて触っていきはった」程度の、取るに足らない出来事だった。

しかし、それが為にその後のセクハラの時に、多少のひっかかりを感じつつ、「ま、1回見られて触られてるし、2回も3回もおんなじかあ。ま、別に無理やり犯そうとかいうんじゃないし、ま、いっか」と自分をごまかしてしまった。

最後のセクハラの時が一番詳細が記憶にない。ただ、一晩泊って翌朝、駅でものすごくみじめな気分になり、「やはり自分は真さんに触られるのが嫌なのだ。泊まりにいく時もうすうすこういうことになるかもしれないことを分かっていたのに、うかうか泊まりに行ってしまったとは何たる愚かな行為。というかこういうことに今更気付くなんて何たる馬鹿者。もう今後は真さんの家には二度と泊めてもらうまい。」と思い、それ以来自分の中でこのことはなかったことにしようと決めた。

忘れようとするけどそれにはそれなりのストレスがかかっていた。

そういった状況に陥った時に、断固として断れる女性もいるだろう一方で、された時に、「ま、いっかあ」などと自分をごまかし、「絶対に嫌です。ありえない。」と云わなかった自分を思うと、自己嫌悪に陥った。


中川氏にセクハラを受けた当時の感情<御中虫の場合>
自分のガードが甘かった、自分が誘うようなことをした、悪いのは彼ではなく自分、と自分で自分を責めてしまうのがつらかった。

知性もユーモアもあり自分のよき理解者とも思われた中川氏との出会いは当時ほとんど人間不信であった私にとっては非常にありがたく、世の中にはこのようなきちんとしたモラルのある、懐の深い方もいるのだな、自分は男性恐怖症だけれども中川氏なら安心してなんでも相談できるだろう、いろいろ学ばせていただけるだろう、という素直な尊敬や信頼の念をもっていたのだが、それを逆手にとられて何度もつけこまれ、しかし一方では彼を信じたいという気持も強く、その葛藤に非常に苦しんだ。

中川氏にセクハラを受けた当時の感情<匿名の場合>
車の中や、練習場、中川氏の顔見知りの多い公的な場などで、若い女性の手を馴れ馴れしく触る氏の行為は、触られている本人ばかりでなく見ている周囲も全く気持ちのよいものではない。しかし、中川氏はその程度のセクハラは日常的に行う人物であったので、わざわざ文句をいう気も起こらなかった。時には「ここはどういう人たちの集まりなのか」と、外部の人に眉をひそめられる場面も少なくなく、音楽を一緒にする仲間として常々恥ずかしいと感じていた。


クジャク、小鹿、御中虫など、数度にわたり中川氏にセクハラを受けてきた人に共通するのが、
自分を責めてしまう
ということです。
前回の投稿でもMISHは書きましたが、
セクハラ被害者は、体だけではなく、心を支配されてしまう状況にある、ということが
いえるのではないでしょうか。
DVなどでも、それは言えるかもしれません。
セクハラ問題を相談する際、こんなことを言う相談相手がいたとします。
嫌なら、自分で嫌だって言えよ。
自分と相手の問題だろ、他人に助けを求めるんじゃないよ、大人だろ。
お前が相手を嫌っているから、何をされてもセクハラに感じるんだよ、大学じゃまばたきしたって、ウィンクだって訴えられる時代だぜ。
などです。
この人に悪気はありません、ただ、セクハラを理解していないのです。人の心の痛みにもあまり興味がないのかもしれません。そして実際このような人はいます。
勇気をだして、相談をした被害者がこのような人に出会ってしまい、このような声を聞くと、非常に辛いものです。

中川氏のセクハラに話を戻しましょう。
論文や留学でお世話になっている。という被害者の感情ですが、これは自分が感謝しているだけではなく、
中川氏が、被害者に対し、お世話になっているという感情を心に植えつけている可能性があります。
これだけのことをしてやったのだから、と御中虫が携帯を十津川村でなくしたときに、中川氏は胸を触る理由として発言していますが、
こういったことが、日常的に、デブ、胸ないくせにブラジャーするな気持ち悪いなどの発言とあわせて、
被害者の心に浸透していくのです。
そうすることで、被害者は、お世話になっている人を訴えるなんて自分は人として間違っているのではないか、
という自責の念に駆られるのです。

これがMISHの考えたことですが、
読者のみなさんはどのようにお感じでしょうか。

セクハラ被害を受けた時すぐに訴えられなかった理由<クジャク・小鹿・御中虫の場合>

<セクハラ被害を受けた時すぐに訴えられなかった理由・クジャクの場合>
私さえ我慢すれば丸く収まる、私が騒ぐことで周囲に迷惑がかかる。中川氏に楯突くことがあってはならないとずっと自分に言い聞かせてきた。

ガムランを関西で続けていくには、中川氏とともにやっていくしかなく、そのためには自分の身に起きたことは、一生胸の内にしまっておくしかないと思った。

論文、留学など中川氏にお世話になっていることは事実であり、そのご恩をあだで返すようなことがあってはならないと自分に言い聞かせてきた。

マルガサリをやめようと思いリーダーである中川氏に伝えたところ、やめるのであればガムランの講師を続けられないこと、今後ガムラン奏者として歩む道がより険しくなるであろうということを言われ恐ろしくなり、やめられなかった。(出産を理由に休団許可をもらい2年後の2008年退団)セクハラのことを話題に出し、縁を切るようなやめ方はできなかった。


<セクハラ被害を受けた時すぐに訴えられなかった理由・小鹿の場合>
当時中川氏の行為が自分に対するセクハラであるということに気づいてなかった。中川氏の言動から他の人も同様の行為を受けているのだろうと思ってはいたが、嫌なのは自分だけだと思っていた。

中川氏は冗談にまかせてこういう行為をするので、悪気はないのだと思っていたし、せっかく中川氏が楽しそうに行為に及んでいるのに、「これは気持ち悪いから嫌です」と言ったら傷つくかと思っていた。

そもそも、一番はじめのセクハラが、看病とセットだったので、怒るきっかけを失った。

自分にとっては嫌な出来事だったが、はっきり嫌だと言っていなかった自分にも責任はあるし、当時論文を見てもらったりお世話になっていたから嫌だと言えなかったと考えること自体がストレスだった。

当時の自分は今より若く、今より繊細だったので、このようなことは口が裂けても誰にも言えない類の出来事だった。

ずっと一緒にガムランをやっていく相手だと思っていたので、気まずくなりたくなかった。


<セクハラ被害を受けた時すぐに訴えられなかった理由・御中虫の場合>
自分は過去が過去なので(近親相姦、他人からのレイプ、痴漢セクハラ多数)中川氏にセクハラを受けても「こいつもか」「他のやつにくらべたら(暴力を振るったり脅迫してこないだけ)ましか」「この程度のことで目くじら立ててたら、生きていけないよなあ」という諦めが先に立ち、怒ることができなかった。

当時は性被害の過去を誰にも言っていなかったし、それを絶対に誰にも悟られまいと懸命に自分の女性性を封印し、男性経験や性的なことにはものすごく鈍感なふりをしつづけてきた。だから、中川氏の自分に対する行為はセクハラであるということは内心ではわかりすぎるほどわかっていたのだが、それを訴えると、うっかり言動のどこかでほころびが生じ、自分の過去までもが周囲に知られてしまうのではないかという懸念が先立ち、言えなかった。

散々外見をけなされ「誰がお前なんかに手を出すか」「ほんまに女か?」などと人前でも二人きりのときでも頻繁に言われていたので、そのような自分が中川氏からセクハラにあっていると周囲に訴えても、自意識過剰とか勘違い女のような目で見られ、よけいに傷つくだけだろうな、と思い、言えなかった。

小鹿も書いているとおり、中川氏は冗談の流れでセクハラ行為をすることが多いため、周囲の和を優先してその場で怒りを表明できなかったり、二人でいるときも決して暴力的脅迫的ではなく、「あくまでも場所がないための単なる添い寝」「あくまでも好意による単なるマッサージ」という文脈で肌を触ってくるので、これはもしかして、セクハラじゃないのか?ここで怒る方が変なのか?むしろ彼の好意に感謝すべきなのか?男性恐怖症の自分の感覚がおかしいだけ?と混乱してしまい、言いなりになってしまっていた。

中川氏は他の人と談笑などするときに何度か「御中虫は僕の娘みたいなもの」「僕は御中虫の社会的父親なんだ」等発言しており、また実際その言葉に違わぬ程の面倒を見てくれた。たとえばガムランを離れたところでも仕事をもちかけてくれたり、職を斡旋してくれたり、職場に来て上司に「御中虫を頼みます」とあいさつしてくれたり、私が精神病院入院時は、多忙であろう合間を縫ってしばしばお見舞いに来て私の気晴らしをしてくれたり、主治医にも「あの子は才能のある子だから病気で潰れないようにお願いします」といったことを頼んでくれたり、他にもあったかもしれないが、とにかく様々な場面でお世話になってきた。そういった非常に優しくありがたい氏の一面を考えると、「あの人は実は裏ではセクハラしまくってるえげつない人間なんだ」と告発することは、心情的にとても難しく、それをしたら自分は鬼か悪魔じゃないのか、あんなに世話になったくせに彼を地獄へ蹴り落とすのか、と思うと周囲に相談することはどうしてもできなかった。


以上が、
中川氏からセクハラをうけてきた、クジャク、小鹿、御中虫が、
その事実を公表できず、心の中に閉じ込めてきた理由です。
太っている、胸がない、女らしくないなどと外見の悪口を言われ続けると、
自分でも気付かないほど、自尊心が大きく傷つきます。
自信を失っていきます。
それはまるで、悪口を行っている男性に、心を支配されているような状態です。
そのような状態になると、
怒っていいはずの状況であるセクハラを受けているその瞬間に、
怒りが沸き起こってこないということが
人間としてあるのではないでしょうか。
小鹿は、中川氏に外見に対しては悪口を言われたりはしていないようです。
しかし、インドネシアという外国に留学して間もない小鹿が、
高熱にうなされている状況を狙い、中川氏は小鹿の体を拭き、そのついでに胸を触りました。
このタイミングでは、小鹿は弱りきっています。
この時小鹿は、
中川氏に会うたびにデブ、胸ないのにブラジャーするな気持ち悪い、と言われ続け
精神的に弱りきっている御中虫やクジャクのような状態にあったのではないでしょうか。
そして、そこを中川氏につけこまれ、その後何度もセクハラを受けていても、怒りを表すことができなかったのではないでしょうか。
他にもいろいろな理由があります。
大好きな音楽をしたい、という気持ちです。
その音楽を日本で根付かせたパイオニアである中川氏と、
中川氏のグループでその音楽を学んでいたクジャク、小鹿、御中虫には、
中川氏には頭があがらない、という上下関係もあったのです。
セクハラをすぐに告発できない複雑な人間関係が浮かび上がってきます。
そしてこれはセクハラに限らず、人間関係で発生するさまざまな問題にも共通するものではないでしょうか。

2011年12月2日御中虫のツイッター投稿後一ヶ月ほどの間に起こったこと

12月2日 マルガサリ(中川氏が主宰する任意音楽団体)のS氏の行動
御中虫とクジャクのツイッター発言について中川氏やマルガサリのメンバーに連絡およびツイッター閲覧を指示。

12月4日 I氏に対する中川氏の行動
ツイッター投稿について何も知らない(S氏から連絡を受けなかった)マルガサリI氏が、御中虫の書いている(本件には何の関係もない)小説の宣伝をマルガサリのメーリングリスト上でしたところ、中川氏からI氏に個人的にメールあり。「こんにちは。御中虫は最近、極めて悪質な誹謗中傷をツィッターにて、僕とマルガサリについて行っており、縁を切りたいと思っています。もちろん個人として付き合うのは自由ですが、マルガサリのMLに流すのはやめてください。」

12月27日 小鹿に対する中川氏の行動
御中虫のツイッター投稿について何も知らなかった小鹿と連絡をとり、梅田で食事をした。
「いやー、僕今日は梅田でちょっとミーティングがあって、でも時間に都合のつくミーティングだったから、小鹿に会おうと思って、小鹿の仕事が6時頃終わるんやったら一緒にごはんでも食べようと思ったんやけど、9時までというからミーティングを先に済ませて、待ってたんやわ」「最近調子はどうなの」「仕事はどうなの。お給料いくらぐらいもらってるの。手取り15万ぐらいはあるやろ?ないの?そうかあ・・・」「僕すごく忙しくて、今度はSくんと福島行かなあかんし、こんなプロジェクトとこんなプロジェクトとを抱えていて(以下長々自分の仕事についての話)・・・」というような世間話&近況報告の後、最近別れたカップルと、自分が奥さんと別れる時の話をし、「でも、ま、僕が90%ぐらいは悪かったけど、男女の間に100%どっちが悪いということはないからなあ」というような話をし、その後「実は今日は小鹿にちょっと謝らなあかんと思って」といい、「過去のことでもう忘れているかもしれないが、僕はそんなつもりは全然なかったんだけど、もしすごいトラウマになってるとか傷ついてるとかやったら謝っとかなあかんと思って。」と云った。小鹿が、「真さんどうしたんですか?何かあったんですか?」と訊くと、御中虫とクジャクがツイッター上で過去の出来事とマルガサリについて書いていることを言い、「でも僕御中虫を触ったりは絶対してないんやけどなあ。クジャクについては、僕がジャワでクジャクの音楽グループの悪口を言いふらしたとか、色々誤解があるようやから、会って話さなと思ってるねんけど。」と云った。小鹿が、「真さん、でもそんな、過去にちょっと触った子に謝ってまわってたら、一体何人に謝りにいかなあかんのですか」というと、「いや、それはそんなにない。まあクジャクには色々誤解があるようやから、会いにいかなと思ってるけど、御中虫のとこにはいかずにおく。あいつは精神病やからなあ。」等の話のあと、「でもこのことはクジャクにはあんまし言わんとってほしいねんけど」「え、何でですか?」「なんでって別に・・・」と言った。また少し世間話があり、最後の方で「僕は全然そんな気はなくて、仲良かったら普通にすることやねんけどなあ」
「ま、これからはもう、ないし。」と言った。最後に「今日はちょっと時間がなかったから、ごはんといってもこんなとこであれやけど、また今度ケーキでも食べにいこうや」
と言って、中川氏が食事代を払って別れた。

12月31日 クジャクに対する中川氏のメール
ツイッターのことについて話し合いをもちましょう。
12月は大きなシンポジウムがあったり、インドネシアや上海に行って忙しかった、
また同月に、GNJW(中川氏が監修する音楽団体)の新年会を行うための日程調整が行われていたが、それに関して今ストップをかけています、
圧迫的ミーティングにするつもりはありません、
クジャクの主人にH(中川氏が監修する音楽団体)の交通費約4万円をYさん経由で渡したので、年越し資金になるのでは。という内容。

12月31日 中川氏に対するクジャクのメール
私個人のツイッターの内容に関しては、10年以上も前のことなので、投稿してすっきりしたが、過去は変わらないので、これまで通りよろしくお願いします。ということと、ミーティング日として提案された日時はすべて予定が入っており、会えません。ということと、交通費のお金のことに感謝を述べる。

12月31日 クジャクに対する中川氏のメール
やっぱり2人で会った方がいいと思う。
これだけは断言する、御中虫さんへのセクハラは完全に事実無根である、
あったとしても冗談のセクハラ発言ぐらいだ。
だから突然の虚言に驚いているが、彼女はメンタルに病んでいる部分もあるので、
彼女のことはスルーする、彼女はもっと僕に関わってほしいのかもしれない。
それよりも今回のことで僕が最もショックを受けたのは、
僕が、HJ(クジャクとクジャクの主人の音楽グループ)についてジャワで悪口をいっていたということ、
人の悪口を言うということは最低の品性であり、
それだけは日常生活においても一切ない。
ということで、お互いいろいろな誤解があるようなので、
やはり会ってきちんと話しましょう。
この前は自分の予定に合わせるような書き方で失礼した、あなたの予定にできるだけ合わせるので、都合のいい日を言ってください。という内容。

2012年1月2日 中川氏に対するクジャクのメール
この件について2人で会うのは無理、ワヤンプロジェクト(中川氏が監修する音楽団体GNJWの中のプロジェクト)など今までどおり、各プロジェクトを盛り上げていくこと、ジャワでの悪口云々については、誤った情報で伝わっており、事実ではないこと、理由はひとつではないが、セクハラもマルガサリをやめた原因であること、それについて、当時の私が何を言っても誰にも聞いてもらえないだろうと思ったこと、そして真さんへのご恩をこういう形で返すわけにいかないと思ったこと、結婚する際に、夫にもこの事実を告げていること、多くのみなさんには関係がないことなのだからGNJWの宴会は開催しましょう。という内容。

1月4日 クジャクに対する中川氏のメール
しばらくメール環境から離れていた、明日から東北へ行くので、
また帰ってきたらメールします。
やはり何か齟齬があるように思う。という内容。

1月某日 中川氏が、GNJWのメンバーKに以下の送ったメール
GNJWは前に進めなくなっている。喉に引っ掛かる小骨のような事件=ツイッターでの自分への攻撃があり、謝罪したくても会ってもらえず暗雲が立ち込めている。という内容。

1月7日 小鹿の行動
12月27日の会合が、中川氏の自分に対する口止め行為であったと感じ、その憤りを友人であるY、N氏に打ち明ける。

1月8日 クジャクの友人であるY氏の行動
中川氏が過去のセクハラ被害者に連絡をとっているようだ、とクジャクに話す。

1月8日 クジャクが御中虫に連絡する
12月2日の御中虫・クジャクのツイートに対して、その後何が起きているかをクジャクの知る範囲で御中虫へメール。①ツイート直後のマルガサリS氏の行動 ②S氏から知らせを受けた中川氏が過去の被害者にアポをとっているらしいという情報 ③中川氏がクジャクに会おうとメールしてきていることなど。12月2日ツイッター投稿以来、クジャクが御中虫に連絡をとるのはこれが初めて。メール送信後、御中虫よりクジャクに電話があり、上記3点について話し合った。

1月8,9日 御中虫の行動
クジャクから中川氏と周囲の動きを知った御中虫がその内容に憤りを感じ、再度同じツイートを連投し、同日「(波紋を広げた張本人である)自分にアポがないまま水面下でなにをしているのか」という内容の抗議の追加文を足して、ブログにも同様の書き込みをし、翌1月9日フェイスブックにも同じ文章をコピペして投稿。

1月10日 マルガサリ(中川氏が主宰する音楽団体)のメンバーN氏の行動
ネット上でのマルガサリについて誤解を招く表現の削除を数回のメールに渡り要求。御中虫は要求に応じ当該表現の削除に応じる。その後N氏からは連絡なし。

1月11日 マルガサリのメンバーS氏の行動
御中虫はマルガサリメンバーS氏から電話連絡を受けたが御中虫は電話に出なかった。その直後に、御中虫からS氏へ、連絡はすべてメールにしてくださいと頼んだところ、連絡は途絶えた。

1月11日 中川氏の行動
中川氏がクジャクに電話。クジャク「友人が泊まりに来ているので話せない。」中川氏「ではメールします」というやりとり。

1月12日 中川氏がクジャクにメール
まずすごく忙しかったという話を色々と。
会うのは難しいといわれて諦めかかったが、あなたを大きく傷つけていたのなら、会って謝りたい。そんなことは全く思い浮かべず過ごしてきたので、指摘してもらってよかった。自己点検をし、他にもそういう嫌な思いを抱かせた人がいなかったかを考え、もしや、と思う人にコンタクトをとり、思いを聞き始めた。それが誰かはもう分かっていると思います、丸めこむ意図は全くない。
以上のこと以外にも話したいことがあり、
GNJWについても腹を割って話したい、GNJWをすべてあなたに託すことも十分あり得る。またF(中川氏が監修を務める音楽団体)についてはどうするのか、マルガサリが楽器を貸し、HJ(クジャクとクジャクの主人の音楽グループ)に委託してやっている、三者関係である。それを続けていくためにも話し合いが必要ですね。H(中川氏が監修を務める音楽団体)の講師に関してもクジャクの主人に行ってもらってますが、彼が不信感を持ち、協同作業が難しいというならば、講師の見直しも考えなければなりません。そのあたりも、です。ということであらためてミーティング希望です。1対1が難しければ、クジャクの主人に同行してもらってもいいですよ。
空いている日を挙げて下さい。という内容。

1月12日 クジャクが中川氏にメール
この件については会えないので、あらためて考えをまとめて伝えます、
今後も今まで通りお仕事はさせていただきます、
私がマルガサリをやめるときのように、人参をぶらぶらするのは、とめません。
私と主人は今後も変わりません。
という内容。

1月12日 中川氏がクジャクにメール
「私がマルガサリをやめるときのように、人参をぶらぶらするのは、とめません。」
この意味が分からない、というメール。


1月12日 中川氏がクジャクにメール
人参云々は、「駆け引き」の材料として使おうとしたことをいっているのかそうであれば全く誤解、公私はわけて考えている、
H、G(どちらも中川氏が監修する音楽団体)など、自分の委託していることをやってくれて感謝している。
GNJWもそうなるかもしれないということを言いたかった。という内容。

1月12日 中川氏がクジャクにメール
GNJWは僕の「モノ」じゃないから、
それをあなたに託すという考え方じたいがおかしいと、いま気づいた。
あなたが言わんとすることが分かったような気がします。
ありがとう。という内容

1月14日 中川氏が小鹿にメール
小鹿へ。この度はあなたへの行動のことでいっそう不快な思いをさせて申し訳ありません。あらためて深くお詫びしたいと思っています。もちろん、直接お詫びした方がいと思っています。できれば近い日々に会ってもらえたらと思います。弁解はしません。ありのままのお詫びの真情を伝えたいと思っています。2人きりでは気が重ければどなたかが立会人として同席してもらってもいいです・・・。また、今すぐでは気が乗らないようであれば、その気が少しでも芽生えてくるまで待ちますので、どうかよろしくお願いします。という内容。

1月15日 小鹿が中川氏にメール
私は今回の件で真さんにどうしても言っておかないといけないことがあるので、その内容がまとまるまでは真さんに会いません。まとまればこちらから連絡します。それでは。という内容。

1月17日 御中虫がマルガサリメンバーS氏に連絡
御中虫:昨夜マルガサリ内で話し合いが持たれたと聞いた。それを受けてSさんの今の心情が知りたくて電話した。S氏:ショックだった。中川氏とは19歳からの付き合いで父親のような存在だったかもしれない。自責の念にもかられている。実は昨夜の会合で、このことについて二人きりで話すのはやめようというルールができた。言った言わないの水掛け論を避けるためである。もっと突っ込んだ話をする場合は第三者の立会いのもとに話しましょう。という内容。

以上がおよそ一ヶ月の間の
中川氏
クジャク
御中虫
小鹿
中川氏が主宰するマルガサリのメンバー
中川氏が監修する音楽楽団体メンバー
の行動をまとめたものです。
長文を読んでくださりありがとうございます。


MISHが読者のみなさんに投げかけたいことの一つは、
この一ヶ月の間、中川氏は、中川氏自身が「あいつは精神病」と周囲に述べた御中虫に対して、
一度も、なんのコンタクトもとってはいないということです。
この状況と、御中虫の気持ちを、読者のみなさんはどのように感じられるでしょうか。

また、中川氏の対応を簡単にまとめると、
・御中虫への完全な無視
・クジャクへは、御中虫の発言を虚言だといい、クジャクの仕事に関して、自分は影響力を持つということを暗にほのめかす。
・小鹿に対しては御中虫の発言を精神病の事実無根だといい、クジャクは誤解しているといい、楽しい会合に装った食事会。
このように3人に対し、対処の仕方を変えています。
このような行動をとられた、クジャク、御中虫、小鹿は、
これは、セクハラの事実を闇に葬ろうとする中川氏の揉み消し行為であると感じたのですが、
読者のみなさんはどのようにお考えでしょうか。

クジャク、御中虫、小鹿へのセクハラの内容も、同じような手口でありながら、
違いもあります。まだお読みでない方は、以下中川氏のセクハラ事例をご参照ください。
http://nakagawashinsekuhara.blog.fc2.com/blog-category-2.html
















2011年12月2日御中虫が中川氏のセクハラを公表したツイートのまとめ

あたしはレイプ加害者の兄を許したわけだが セクハラしてきた某教授はたぶん一生許さない それは兄が肉親だからではなくて兄が心から反省して謝罪したのが感じられたからだとおもう 客観的にはセクハラの方が罪は軽いが反省の色がないあいつは一生許さない
寝る前に某教授の実名を出したいのですがいかがでしょう
その人にはいろいろお世話にもなっているので実名は伏せるべきでせうか
でも お世話になったことと セクハラされたことは 別だとおもうんだよな
中川真 おまえだ馬鹿野郎 どんなにエライ教授か知らんがやっていいことと悪いことぐらいわかれエロジジイ
あたしは中川真氏の主宰している音楽団体に所属していてとても有意義な経験をたくさんさせてもらったので 感謝もしているけどセクハラは反則だよなー。しかも彼はあたしの過去を知ってからもそれをやめなかった。そこんとこに激しく怒りをかんじる。直接抗議しても開き直るだけだろうだからやめた
音楽団体に入ってよかったのは 演奏技術ではなくて
コミュニケーションの大事さを教わったこと。ダンスできたこと。舞台美術できたこと。いまでもその団体のイベントには行きたいと思っているけど奴が主宰である限り行かないと決めている。どんなに面白いイベントでも行かないよ。
うちの父もそうだけど 肩書きがそこそこある人ってなんとなくそれだけで スゴイって思いがちなんだけど
実際の人間性は肩書きクソ食らえだよなってこと最近ようやく身にしみてわかってきた。なにもしてなくてもスゴイ人はスゴイ
あと 最近 「いやです」と「あなたはわたしの人生に不要です」という二つの主張をかなりはっきりしやすくなった。これはとてもよろこばしい。一見心が狭くなったように見えるだろうけどそうじゃない自分の心身を守るために、生きていくために必要なこと。
朝セクハラツイートをしたせいで夢見が悪かった。中川真め…(たぶん氏は、あたしだったら笑って済ませてくれると踏んでセクハラをし続けたのだ。あたしだったら名前を公表するようなえぐいこともしないだろうと思ったのだ。甘い。今まで舐め切ってくれた分の仕返しせめてツイッターでさせていただく)
いきなり中川氏の名前を公表して個人攻撃しているが、あたしはいまとても理性的です。関係者各位、ご心配なく。父のこともそうだけど、いろんな過去を清算して次のステップに行くために必要なことをやっているだけです。
というわけで中川真を知らないそこのあなたは、今すぐググってみよう☆ じゃああたしはもうちょっと寝るね☆チャオ☆
中川真氏にはいろいろと世話にもなってきたので個人的に金を請求するつもりはないが、氏にセクハラされた泣き寝入り女子の数は相当数居ると思われる
みんなで一致団結してやるんだったら #1千万円もらいたい
何かあったとき実名を晒される覚悟のないやつはあたしと付き合わない方が身のためだな
【ここからクジャクが話に参加したが、後に御中虫が、なんらかのトラブルで彼女のプライバシーが漏れることを懸念して、後日、クジャクの発言についてはほぼすべて削除した。以下、クジャクの発言部分は趣旨のみ】
イェイ!(クジャク)
おお、中川真のセクハラの餌食になったひとが快哉を叫んでいますね→
イェイ!(何も公表せず離れていった女メンバーの分)(クジャク)
やっぱりみんなやられてたんだよなー あの人発想はおもろいし機嫌のいいときはやさしいけど基本的に年下女子メンバーを舐め切っていた
今もそうなのかな たぶんそうだろうな 人間そんなに簡単に変わらんしな
すごくない人がすごぶって、それですごっぽくなっていくのもある。一度すごっぽくなると、あとやりやすくなるんだろうね。 (クジャク)
調子に乗るということよね
中川真のセクハラ(例;虫のケース)①体を触る②胸や尻を触る③キスする④自宅に泊まらせて同じベッドに沿い寝させる(あたしは途中で拒否して床に寝たら次の回からは別に布団を用意するようになったが)⑤外見をけなす(そのくせ触る)⑥セクハラだと非難したら「勘違い女」みたいな烙印押される
①②④⑤私も一緒! という趣旨の発言(クジャク)
あたしはたぶん「やりやすい子」だったと思う。基本的に怒らなかったし。というか怒れなかったし。
この人は信じたい、と言う気もあったし。でも最終的に駄目だと思ったのは彼氏の前で両足引きずりまわされてスカートめくれてパンスト破れた時。さすがに泣きそうで会場から出た。夜中わあわあ泣いた
今日は中川真バッシングの日であるらしい。いいことだ。すがすがしい。あはは。
「あの人あれでも市大のセクハラ倫理委員会の長なんだよ。」という趣旨の発言(クジャク)
それともセクハラを知り尽くしているからこそセクハラ倫理委員会の長なのか?中川真
ね。でもそしたら大阪市立大学腐ってるww
まあ真さんのセクハラを遠巻きに見守るしかしないマルガサリ男性陣も腐ってるけどな。
よし決めた 今日のスゴつぶには「中川真」を詠み込んだ句を最低一句は投句する!NHK にも顔の広いあやつをNHK 企画で叩いてみせよう。俳人としての仕返しをしてやる。
2句できた>中川真俳句
ある意味長谷川櫂の震災短歌なみにひどいクオリティ 中川真俳句 しかしおまえにはその程度のクオリティがお似合いだ
げ。。御中虫とすごいトークを繰り広げてしまった。。ジャワの芸能を発信するツイートを心がけていたのに。。面白かったけど。。。涙(クジャク)
やっちまったな お互いw まああたしはこういう芸風だから失うものはないが、クジャク大丈夫かなーリカバーがんばれ
さて いいかげん黙りますね。だいぶすっきり

2011年12月2日御中虫が中川氏のセクハラ行為についてツイッターに投稿するに至ったのはなぜなのか

<御中虫がセクハラ行為についてツイッターを投稿するに至る経緯>

2011年11月下旬、ツイッターのダイレクトメッセージ(二人の間でしか読めないメッセージ通信)により、御中虫が信頼を寄せるS氏(中川氏が主宰する任意音楽団体マルガサリのメンバー・男性)に相談をもちかける。
御中虫の相談の内容は、
 ①いつも公演などに誘っていただいてありがたいが、今後声をかけてもらっても、マルガサリの公演を見に行くことは残念ながらできそうにない。
 ②今更と思うかもしれないが、自分はマルガサリ代表中川氏にセクハラを受けていたことがストレスの大きな一因となりグループを離れることとなった。
 ③天神橋アートセントーへ彼氏とともにお客として行ったとき、中川氏に足を持たれスカートがめくれ上がる状態で引きずられたことは、耐えられないほどのショックであった。
 ④マルガサリには他にも若い女性メンバーがいる、彼女たちに気をつけるよう伝えて欲しい。
 ⑤自分が今後マルガサリの公演に行かない理由を、中川氏に伝えるのか伝えないのかは、S氏の意思に委ねる。
というもの。御中虫は中川氏と最も近しいS氏であれば、今後自分が公演に行かないことやその理由を、中川氏に伝えてくれるのではないかと考えていた。また、「真さんを叱ってほしい」といった直接的な言葉は、年下の自分からは気が引けて言いづらく、そしてこういった内容は被害者当事者からではなく、第三者でかつ男性から伝えてもらうほうが冷静に伝わるだろうと考え、「わたしはSさんの良心を信じている(あなたの良心に従って真さんを諫めてほしい)」という意を婉曲に伝えたつもりであった。
しかし、御中虫に対するS氏の返答は「言いづらいことを言ってくれてありがとう。この件は僕の胸にしまっておきます。」というものであった。御中虫は内心、S氏ならば自分の声を中川氏に届けてくれるのではないかと思っていたので、「胸にしまう」と言われたことに大きく落胆するとともに、S氏がこの件に関して黙るのであれば、自らセクハラの事実を訴えるしかないと考え、12月2日のツイッター投稿に至る。

追記:御中虫は、12月2日ツイッター投稿から1月8日までの間、自分のツイッターの発言後周囲で何が起きているのかを全く知らなかった。水面下で色々な動きが起こっていると知ってから、御中虫が再確認のためにツイッターのダイレクトメッセージを開いてみると、御中虫とS氏のやり取りがなくなっていた。すぐに友人に相談したところ、ツイッターのダイレクトメッセージは、二者のうち一方が削除することで、もう一方のツイッター上からもメッセージが消えることが確認された。ダイレクトメッセージは二者間のみでしか操作できない機能であるため、御中虫が削除していない以上、S氏が削除したとしか考えられない。

中川氏が行ったセクハラ<被害者”匿名”の事例>

・中川氏はみんなの前で「若いパワーが欲しい」と言いながら女性の手を握る行為を頻繁に行う。
・中川氏は車内や二人きりになった時に、自分のセックス談や、聞き手の体験などを聞き出し、性的な話ばかりをする。

中川氏が行ったセクハラ<被害者”御中虫”の事例>

2005年4月
エイブルアート・オンステージ大阪公演リハーサル時、即興パフォーマンス中に顔の真上に中川氏の性器がくるような態勢をとられ腰を執拗に振り続けられた。その後私は離人症のような状態になり、床に倒れたまま硬直し、まばたきもできず涙がとまらず、まともなパフォーマンスができなくなった。私が倒れてしまったことは周囲は「倒れる、というパフォーマンス」だと受け取ったか、混沌とした練習のなかで私の異状じたいに気付かなかったかのどちらかだと思われ、誰もケアにはこなかったが、中川氏だけは私の様子を窺いにきて、手をひっぱって何度か私を立たせようと試みたり、なにごとか話しかけたりしていたと記憶するが、私はそれにも応じることができなかったため、氏も諦めて以後は無視して練習は続行された。練習後我を取り戻した私に対し、S氏(ダンサー・マルガサリメンバー・男性)が反省会のような席で、「虫さんは、途中から死んでましたね」と発言したので、まさか離人状態であったとも言えず、「わたし死体役が得意なんですよー」と笑って返答した。

2005年8月
エイブルアート・オンステージ東京公演前夜、「僕の家から一緒に行く方が何かと便利だからそうしなさい」と言われて中川氏の家に宿泊。
その際、部屋が散らかっていて布団が敷けないということで同じベッドに寝るようにと言われ、多少ためらいもあったが中川氏の人格を信頼していたので同意の上、同じベッドに寝るが、体を執拗に触られたり「男と寝るのは初めてやろ、こわいか」等と言われ、暴力的行為こそなかったが身の危険を感じたので途中から床に寝ることにした。その後数回中川氏の家に宿泊したが、以後は同じベッドにと言われることはなく、部屋を片付けて布団を敷いてもらい、別々に寝ていたが、マッサージと称してローションを使い肌を触ること、肩などを揉んでほしいと言って馬乗りにさせられること、またそのお礼といって逆の態勢をとられることは何度かあった。

2005年
マルガサリ練習時、メンバーも数名いた中で、額にキスをされた。いやだったが、ほかのメンバーが笑っていたので、場の空気を壊したくなくて自分も笑って済ませた。

2005年~2009年
「とても女には見えない」「胸ないくせにブラジャーするな、気持ち悪い」等の容姿に関する発言や、「その歳で処女なんてありえない」「セックスの快楽を知らないなんてかわいそうに」「いつか僕が虫の処女を奪ってやる」等セクハラ発言多数。

2007年4月21日前後
ガムラン練習場への送迎をしてもらっていたところ、カーラジオからレイプに関するニュースが流れてきたので、二人で「ひどい話やな」「こんなことする奴も、それを見ていてとめなかった奴らも地獄行きや」等と話し合っていたが、「でも御中虫は(処女を失えるから)レイプされたほうがいいんちゃうか?」と中川氏がおもむろに言うので「そんなんうれしいわけないやろ」と言い返したら「そうかなあ、案外喜んだりして、でも誰も襲ってくれへんわな、ハハハ」と笑われた。

2009年8月7日
中川氏他と十津川村に合宿した際、夜中に寝ていたら話しかけてきて、雑談なので応じていたら、「ちょっとマッサージしてついでに胸揉んでやるわ、でかくなるかもしれへん」と胸を触ってきた。他の宿泊者は寝ていたのでおおごとにするのも気が引けてそのままされるがままになっていた。「御中虫の胸揉んでもチンポ全然立たへんな、触ってみる?」といってわたしの手を氏の性器に服の上から握らせた。

2009年8月
中川氏・私・もうひとりの女子の三人で、深夜に十津川村の吊橋を見学に中川氏の車で行った。宿舎に帰ると私が携帯電話をなくしていることに気づき、氏にお願いしてもういちど車にのって二人で携帯電話をさがした。氏のおかげで携帯は発見することができ、私は氏にお礼を述べ、二人でよかったよかったと喜んでいるとき「これだけのこと(深夜にわざわざ車を走らせ携帯を見付けてあげたこと)をしてやったんだから、胸ぐらい触ってもええよな」と氏が言ってきた。私は携帯を見つけてもらってテンションが上がっていたこともあり、どうせ冗談だろうとも思ったので、「うん、そのぐらい全然かまへんよ」と笑いながら言ったら、服の中に手を入れるかたちで胸をぐいぐい触ってきた。びっくりして抵抗したがとても女性の力では無理で、「ちょっとちょっと、それはやりすぎやろー!」と言ったら「ごめんごめん、やりすぎたわ、御中虫の胸こんなに必死で触るなんて、僕もどうかしてる、あほくさい」と笑って、氏は行為をやめた。

2011年5月21日
既にこの時期わたしは中川氏に、実は自分は過去に何度もレイプや痴漢にあってきたこと、それがもとで精神病になった、ということを告げていた。しかしそのうえでも氏の態度は変わることがなく、この日彼氏と公演に観客として参加したとき、椅子から両足を引っ張られてひきずり下ろされ、スカートがめくれる状態で床をひきずりまわされた。必死でスカートをおさえたがパンストが破れた。その後開演となったが、あまりにもいたたまれず中座した。夜中に錯乱状態になった。

中川氏が行ったセクハラ<被害者”小鹿”の事例>

2003年11月
インドネシアに留学したての頃、ワヤン(影絵芝居)を見に家から10時間以上離れた高山に行って、寒い地域で雨にあったので高熱を出してしまった。ふらふらになって家に帰ると、中川氏が丁度隣の部屋に滞在中で、飲み物や果物を買って来てくれて看病してくれた。その時私は39度後半の熱があり、歩くことも困難な状態だった。
タオルを絞って体も拭いてくれたが、(私はその時寒い地域で冷え切って熱を出していたので、ジャワの水風呂に入るのが嫌で、その状態で10時間以上の道のりを帰ってきたので、確かに客観的に見て拭いた方が良いような状態だった) そのついでに胸も触っていった。後日、「僕、小鹿が風邪で寝てる時に胸触ったけど、全然感じてなかったなー。無反応やったで。」と言われた。

2003年~2005年
インドネシア滞在時、その後数回中川氏に「タイに行ってきたからマッサージしてあげよう」と言われマッサージされた。マッサージの最中、中川氏はタイでの話などを楽しくしつつ、その流れで胸や尻などを揉んでいた。また、「僕の肌はやわらかいから、上に乗ると気持ちいい」と言って、 全身が密着するような状態で上に乗るように言われた。タイマッサージにはこんなのがある、こんなのもある、とやっていた最中だったので、なんとなく言われた通りにしたが、体がこわばっていた状態の私に対し、中川氏は、「違う違う、もっと脱力せな。」「どや、気持ちいいやろ」などと言っていた。

2005年~2006年
中川氏の家に泊まらせてもらうことになって、その時に「どれどれ」とか云いつつ胸を触りながら、「誰々は触らせてくれるけど、誰々は触らせてくれない」などと言っていた。

中川氏が行ったセクハラ<被害者”クジャク”の事例>

2001年12月
大学4回生の冬、ガムランについての論文を書いていた私が中川氏に論文のチェックをお願いしたところ氏に「僕は忙しいので論文を見てほしいなら泊まりに来なさい。」と言われ家に行く。夜布団を用意してもらったが、私が布団に入ると、氏も入ってきて私の胸を揉み始めた。その間「感じる?」などの問いかけがあった。
私は恐怖と失望で固まってしまい何もできずじっとしていた。
しばらくして、「あかん、このままやと変な気持ちになる」と言って中川氏は行為をやめ自分のベッドに行った。

2002年~2004年
容姿に関するセクハラ発言。「太いなぁ」「デブ」「君顔パンパンやな」
「クジャクは胸はでかい」「太っているやつは自分で自分のコントロールのできない人間」「いびきをかくのは太っているから」など多数。

2002年~2006年
諸々のストレスから過食症になり、症状は第一子出産まで続いた。

2005年秋
第一子が宿ったことを、当時私が所属していたマルガサリ(音楽団体)の代表である中川氏に告げたところ、中川氏は「時期として早いのではないか、H君(マルガサリメンバー・男性)は君の妊娠に、計画性がなさすぎると失望しているよ」と言った。

2008年6月4日
音楽公演当日控室にて。男女共有の控え室には、クジャク、クジャクの夫、中川氏、I氏(マルガサリメンバー・男性)。室内にはパーテーションがあった。私は夫にパーテーションを使うよう言われ着替え中であった。その際中川氏は「僕の方がクジャクの夫より先にクジャクの体を知ってる。」等とインドネシア語で発言。I氏はインドネシア語が話せるが、セクハラの事実を知らず、また公演準備等でI氏が中川氏の発言をどの程度聞いていたかもわからなかったため、とにかく公演直前の空気を優先し、何事も起こさず、この場は終えた。

04/25のツイートまとめ

4月25日のツイッターより

大阪市立大学教授中川真氏の主宰する音楽団体マルガサリ内で起きたセクシャルハラスメントの実態と、その経過報告。簡単に闇に葬られてしまいそうなセクハラとパワハラについて、事実や気持ちを綴っていきます。http://t.co/L17EtUp7


中川真氏の10年に及ぶセクハラについて2011,12月からさまざまな声があがっています。被害者女性のその声を受け止めてくれる人がいる一方で、中川氏はしらをきることをやめようとしません。その理由は、
中川氏にとって、このセクハラ疑惑を認めてしまうことは、彼の人生に大きな変化をもたらします。
中川氏は事実無根だと、主宰する任意団体や大学関係者に述べています。それを一貫して主張することで、いずれこの疑惑は闇に葬られるかもしれません。その声を支持する部下も疑惑の払拭につとめるでしょう。穏便に、一歩一歩、を合言葉にして。
このセクハラの特徴は、セクハラの現場が大学(教授と学生)でなく、職場(上司と部下)でなく、セクハラ加害者本人が主宰する任意団体で起こっていることです。ここにはセクハラをするボスやそれを知りながら胸におさめる上司はいますが、セクハラの疑惑を明らかにしようとする人はいません。
セクハラが嫌ならばやめればいい、給料をもらってるわけでも、学位をとろうというわけでもないのだから。嫌ならば文句をいう前にやめればいい、これが、職場や大学外で起きてしまったセクハラを訴えようというときの壁です。中川氏にとっては法の裁きや社会的制裁を受けないセクハラのパラダイスです。
この加害者はしらをきりとおすでしょう。謝罪の意志があるのならすで何らかの行動をとってしかるべき。このケースで加害者が反省し謝罪するといことは稀です。しらをきるのが、この場合加害者にとって最善の策であり、加害者はちゃんとそれをわかっています。これは法律専門家の意見です。
この加害者は社会的地位もあり、このような状況になったときに相談しアドバイスをくれる専門家がまわりにちゃんといるでしょう。その上で、今自分がとるべき行動、とってはまずい行動を理解しているはずです。裁判で訴えても証拠不十分で不起訴になる可能性が高いです。これも専門家の意見です。
実際中川氏が行ってきたセクハラ、パワハラがどういうものであったのか、その具体的な内容については、ブログに掲載していきます。またその内容を中川氏の職場である大阪市立大学にも送ります。学内で起きていないセクハラ、しかし中川氏の研究費で任意団体が大学で公演をしてもいる、 このあたりで、大きく学内の問題として捉えるのか、関係ないという判断をするのか、大阪市立大学の対応にも注目です。
また、被害者の女性が望んでいることはなにか、こういったこともブログやTwitterで考えていきたいと思っています。
望んでいることは、感情、気持ちなので常に変化をしてきたでしょうし、今後も状況の変化、加害者中川氏や、その取り巻きの行動などからも変化していくでしょう。しかしはじめに被害者が心から望んだことは、恐らく中川氏の誠意あるスピーディーな謝罪の言葉であったでしょう。
しかしそれは、1「精神病の事実無根の発言である」という発言、2呼び出して食事をおごる、3自分の主宰する音楽団体をあげてもいいとほのめかす、などの中川氏の行為により、あっという間に崩れさった望みであったのです。
加害者、被害者、周囲の人にとって、中川氏のセクハラが表面化し問題になったことは、最初は驚きと戸惑いであったと思いますが、これはやっと表層に上がってきた根深いセクハラです。これに対し自分自身がどう向き合うべきかを考える時期が来ました。過ちは隠すのではなく正せばいいと思っています。
ブログで最初にまとめることは、1中川氏のセクハラの事例・10年間の複数被害者に対する事例 2 2011,12月にTwitter上で告発があったその経緯 3Twitter上の告発を中川氏およびその取り巻きの揉み消し 4もみ消し行為が行われていることを知った被害者の感情 
5そもそも10年以上行われてきた中川氏の主宰する任意団体でのセクハラに対し、どうして今まで声が上がらなかったのか。背景にあるパワハラの事実。6セクハラに理解のある周囲の声、また理解のない周囲の声 など。事実や、力関係、被害者の感情などからブログにまとめていきます。
中川氏のセクハラが起きていた10年前から告発やもみ消しで慌ただしかった2011,12月-2012現在までの記録をまとめるところまでできたら、そこからがブログのスタートとなります。

続きを読む

今日から中川氏のセクハラ行為について考えていきます。

このブログの内容は大阪市立大学中川真氏に対する全体否定ではない。
私たちは中川氏を憎んでいるとか嫌っているとかではなく、あかんことはあかんと云いたいだけです。
セクハラ問題を主張するには、厭だから封印していた過去のことを無理やり掘り起こさないといけないのであって、
その為に連鎖的に他の嫌なことを思い出したり、嫌な気分になって折角の休日を陰々鬱々滅々と何もできずに過ごしたり、悪夢を見たり、イライラして家族に八つ当たりしたり、食欲が減衰したり、ストレスで生理痛がいつもよりひどくなったり、いいことなしなのです。
それでも私たちがここで訴えていく理由は、
中川氏が主宰する音楽団体マルガサリの中で10数年にわたり行われてきたセクハラは、
私たち三人だけの問題ではなく、このマルガサリという団体の中に積もり積もってきた問題の表出であり、
それを明らかにすることは、今後同じような被害に苦しむ人を二度と生まないことにつながると思うからです。
中川氏のやってきたことは大事にもりたてていくべき立場・年齢の仲間を損う行為であり、到底許されるべき行為ではないのです。


このブログは、
2001年から2011年の間に中川氏が、氏が主宰する音楽団体マルガサリのメンバーに対して行ってきた
セクハラの事例の投稿にはじまり、
被害者の感情、今まで公表できなかった理由、公表後の中川氏のもみけし行為等、
2012年4月現在に追いつくまでに、実にたくさんの投稿数が予想されます。
読者のみなさんになるべくわかりやすく、このブログを読んでいただけるよう工夫(主にカテゴリー)をしながら
進めてまいります。
ご不明な点があればお詫びいたします。