スタジオジブリ出版部の『熱風』で2011年11号から『忘れられた物語-講談速記本の発見-』を連載して9ヶ月たちました。
スタジオジブリ出版部『熱風』で2011年11号から『忘れられた物語』を連載します - kotorikoの本館
スタジオジブリ出版部の『熱風』で2011年11号から『忘れられた物語-講談速記本の発見-』っていうのを連載することになりました。 - コトリコ
豪華執筆陣中、僕が一番収入と社会的地位が低い上に、内容も文化的に下等とされている講談速記本ですけど、落合さんに負けないように頑張りたいと思っています。
それはさておき、派遣社員しながら連載するというのは、いろいろと面白かったので、今の時点での感想のようなものを書いておきたいと思います。
これは三つの要因があります。
少し詳しく解説してみようと思います。
僕の講談速記本の知識というのは、日本ではかなり上位に入りますが、研究している人が少ないので、そこそこくらいだと思います。
それに加えて、ずっと漱石を起点にして明治大正の純文学を研究していました。こちらは研究している人が多いので、知識的には普通より上くらいです。
その上で、講談速記本というのは、講談という芸能や、速記という技術に興味のある人から好まれる存在です。
ところが僕は純文学の流れで講談速記本に興味を持ったため、わりとこれまで人が考えなかったことを、考えることが出来ます。
そういう人は他にいるかもしれませんけど、事実というのは残酷で、講談速記本が正確に評価されていないわけですから、そういう人は少ないのでしょう。
ところでこれは、僕がそう思っているだけで、実際はどうか知りません。とにかく僕は、こういう風に自分のことを、わりとすごいと認識していました。
数年前から講談速記本を調べていて、そこそこ分かってきたなって思ったくらいから、チビチビとネットに書くようになりました。反応はあったり、なかったりですけど、とにかくチビチビと書いていました。
ネットには講談速記本以外のことも書いたりしていて、そこそこ読んでくれる人もいました。
だから普通に講談速記本のことだけを書いている人よりも、人目に付く可能性が高かったと思います。
その他、講談速記本を復刻し、遊んだりもしていました。
要するに飽きずに、講談速記本について調べて、遊んで、書いてたということです。
こういう要因よりも、運が一番に重要だったように思います。
講談速記本の連載とか、普通ではありえませんからね。
飽きずに講談速記本で遊んでいるうちに、インターネット経由で、連載してみませんかというお話がやってきました。
正確にはなんの用事かも知らずに、東京に呼んでいただけたので遊びに行って、講談速記本についてあることないことペラペラしゃべったら、連載することになったという感じです。
インターネットがなければ、恐らく会話することすらなかったような偉い人たちがいましたし、俺はとても謙虚ですから、自分のことをわりとすごいって思ってなかったらペラペラしゃべれずに、この話も立ち消えになってしまったように思います。
今や講談速記本という名前すら聞いたことがないという人もいるかもしれませんが、全盛期には小説分野の出版物の4割を占めるという人気でした。それでも文化的には、価値がないということになっている。もちろんそれは間違いなんですけど、そういう風に思う人が多いのですから、仕方がありません。
講談速記本というのは基本的に、100年以上の間、打ち捨てられていた存在なのです。
そんな講談速記本について、毎月掲載しようという酔狂な雑誌があったというのは、完全に運だと思います。
実はどういう経緯でなにがどうなっていたのか、僕は未だに知らないんで、誰にお礼を言えば良いのか分からないんですけど、とにかくありえない感じだと思います。そんなわけで毎日太陽が出るとお礼をしているわけですけど、実は講談速記本のビジュアル面はとても面白いです。
だからそのことについて書けば、もう少し一般受けすると思うんですけど、僕はあんまりそういう部分に興味ないですし、やっぱり完全に運です。
ところで僕は派遣社員をしています。これは別に熱烈な思いで、派遣社員を選んだとかではありません。
登録してたことすら忘れてた派遣会社から仕事しないかって電話があったので、内容すら知らないまま、それじゃ仕事しますって答えて、今の仕事につきました。
それから惰性で、6年くらい働いています。6年くらい働いているので、かなり効率化されていて、週に16時間くらいしか働いてないと思います。あとは座ってたらいい暇な時間です。
長期休暇も多い職場で、年間で60日くらいあります。
その反面、年収はかなり低いです。手取りで100万いくかいかないくらいです。
年収が低いと生活は困るんですけど、時間があったほうが良いので、派遣の仕事をしているという感じです。
連載を開始する前は暇な時間に、講談速記本関連の資料を読んだり、適当な文章を書いたりして遊んでいました。
今は職場で暇な時間には、講談速記本関連の資料を読んだりまとめたり、文章の校正をしたりして遊んでいます。
連載前ですと土日には、講談速記本関連の資料を読んだり、遊びで文章を書いたり寝たりしていました。
今は土日に講談速記本関連の資料を読んだり、連載用の文章を書いたり寝たり酒を飲んだりしています。
長期休暇も変りない感じで、いろいろ調べたり、作ったりして遊んだり寝たり酒を飲んだりしています。
改めて書いて分かったんですけど、やってることはずっと変わってないですね。
書いてて思い出したんですけど、小学生くらいの頃から学校やらの嫌な数時間があるのを前提に生活してきたような気がします。嫌な時間はなるべく快適かつ短時間でやり過して、あとは自分の好き勝手する、つまり小学生の頃から生活の方針はずっと変わってないということです。
これはマズかったなと思うことなんですけど、僕は好き勝手していたので、人生の負債が異常にたまっています。
そんなわけで、連載で収入は上りましたけど、借金やらなんやら大量に返す必要があります。よって生活水準はあまり上がりませんでした。
減った負債もあるんですけど、バイクに乗りたくて我慢が出来なかったのでローンで買いました。
あとなるべく楽に書くためにパソコンも新調しましたし、どこにどんなすごい奴がいるのか分かりませんから、負けないように講談速記本も買いまくっています。
そんなわけで一般的な生活水準は上がってないんですけど、生活の面白さみたいなのが異常に向上しましたから、良かったと思っています。
連載できたのも運ですけど、それ以前の生活を続けられたのも運です。
たまたま僕が住んでるアパートの大家さんがとても良い人で、僕は別にお金になりそうなことをしてるわけでもないのに、なんとなく見所がありそうということで、かなり家賃を貯めてもニコニコと笑って許してくれました。
そんなわけで生活が厳しい月やら大量に本を買った月には、家賃をためてたんですけど、トータルで二年分くらいためたと思います。今になってチビチビと払っている感じです。
こういう人が大家さんだったっていうのはやっぱり運で、普通はありえない話だと思います。
家賃を払っていたら、僕は十分にいろいろなことを勉強することが出来なかったと思いますし、僕は運が良いです。
ところで運の良い人と悪い人がいますけど、誰しも一生に何度かは運が良い時があります。
つまり自分が好きだと思ってることをしている時に運が良い時が来れば、自分が好きだと思ってることに関連する良いことが起きるということです。
これは確率の問題です。
極端な話をすると、3秒の間に運が良い時が来るのか、3000年の間に運が良い時が来るのかを考えると、当然ながら後者のほうが確率が高い。
そんなわけですから、飽きなければ運は来るということです。
飽きないってのは簡単なことで、好きなことに対する嫌な思い出を増やさなければ、ずっと続けることが出来ます。そのためには嫌なことから逃げるのが重要です。
嫌なことから逃げるために、一番重要なのは、自分が嫌なことを認識しておくことでしょう。
僕が嫌なのは、他人との利益関係の上で生じる摩擦です。
例えばものを買うというのは利益関係ですから、なるべく避けます。物を買うとパッケージが邪魔くさい。これもやっぱり、売ろうというのと、買おうというのの利益関係です。
だからなんでもかんでも、壊れなきゃずっと使っています。この間、10年くらい使い続けたベットシーツと靴が壊れたので、靴だけ買い換えましたけど、ベットシーツは今の季節でしたら朝に洗えば夜には乾くので買い換えしていません。
楽な仕事を選ぶというのも、そういうのが無意識のうちに働いているのかもしれません。
こういうのは好みの問題で、買物が好きな人もいますし、社会的に地位が低い仕事に従事するのが嫌な人もいますから、そういう人はそういうことを避けるようにすればよいと思います。
嫌なことから逃げるということと、自分の好きなこととは、全く関係ないように思いますけど、やっぱりあります。
最悪な気分の時に、好きなことに触り続けていると、心に澱のようなものがどんどん溜っていきます。当り前ですけど、気分の良い時に自分が好きなものに触るほうが楽しいです。
そんなわけですから、生活から嫌なことをなるべく排除し逃げ続けることによって、好きなことに対する嫌な思い出が増えるという悲劇もなくすことができるのです。
昔から生活の方法やら人の属性なんかに、名前を付けたがる人がいます。今だとフリーランスやノマド、ニートなどいろいろありますね。
別に名前を付けるのは悪くないんですけど、自分の生活を既製のジャンルに当てはめようとするのは、あまりメリットがないように思えます。状況は変わりますし、人の好みもそれぞれなのに、他人の行動を真似するみたいなのが、ちょっと意味が分からない感じです。
ここでは建前でマシに書きましたけど、実際の僕はなんとも名付けがたい酷い生活をしています。
だけど別に死ぬほどは困ってません。毎日かなり面白いです。あんまり不満とかはない。
ただ連載が終ると、この面白い生活も終ってしまいます。
ところで話はかわりますが、これとか今読むと間違いがわりとが多いんです。
しかしきちんと書き直したりしたら、かなり面白くなる気がします。
この他にもわりと書きためてあったり、書いてみたいものが大量にあるんですけど、どうでしょうか?
textpresso@gmail.com
そんなわけで本日は、僕の面白い生活を維持するために、営業みたいなことをしてみました。