今を生きる大阪市電の敷石。(下)
▲阪和線鳳駅近くの大鳥大社の境内でも敷石を見ることができる。折しも敷石のある参道で自動車の交通安全祈願が行われていた。P:宮武浩二
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ところで敷石の産地ですが、多くは音戸大橋で有名な広島県呉市の倉橋島を産とするピンク色のかかった花崗岩で、通称「議院石」「さくら御影」という石材としては一級品のものが使用されています。「議院石」の由来は倉橋島から切り出された「さくら御影」が東京の国会議事堂の外壁に使用されているためで、これは市電の敷石と全く同じ産のものです。この「議院石」は東京都電、大阪市電に多く使用され、美しいピンク色の軌道敷は都市景観上もっとも相応しいものといえます。
▲見事な景観の大鳥大社参道の敷石。P:宮武浩二
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▲奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳太子所縁の法隆寺に、1968(昭和43)年12月、大阪市電の敷石が5500枚引き取られ、東大門から国宝夢殿まで175メートル、幅5.8メートルに市電の敷石が敷き詰められた。写真は夢殿へと続く参道。P:宮武浩二
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▲続いて奈良県が都市計画事業として法隆寺の入口参道を整備するために1971(昭和46)年2月に敷石20000枚が引き取られ、国道25号線から南大門までの参道560mの両側に敷き詰められた。現在でも南大門との見事な景観美を見せてくれる。観光バスを降りて南大門まで歩く石畳の参道がそれにあたる。P:宮武浩二
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しかし昭和30年代後半からは軌道敷に自動車の進入を認めたため、自動車の通行による敷石の浮き上がりや割れなどが多く発生し、次第に均整の取れた軌道敷からコンクリートで補修されたり、アスファルト舗装となった軌道敷が多くなり見苦しい姿をさらけ出していました。また市電自体が衰退してゆき、路線の廃止が続くと折角の敷石もお役御免となり今度は取外した敷石の置き場に困るほどになってきました。
▲大和路線平野駅近くにある杭全(くまた)神社の境内も大阪市電の敷石が見られる。ちょうどお宮参りの一家が訪れていた。P:宮武浩二
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▲天王寺区内にある松屋町筋に面する源聖寺坂の昇り口付近にも市電の敷石が見られる。車の出入があるのか敷石の痛みが目立つものの、大阪市内で市電の敷石を見に行くのなら便利な場所だろう。P:宮武浩二
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元々高価でかつ品質のよい石、さらには寸法が規格化されていることから再利用しやすいこともあって、寺院、神社、学校、公園などの通路、参道に転用されることになりました。市電の敷石に用いられた石材は議院石の他に小豆島など瀬戸内海の島々から切り出されたもの多く、石によっては灰色や濃い灰色のものも見受けられます。
▲大阪万博開催に際して、万博協会が芸術家のイサム・ノグチに依頼して「宇宙の夢」をテーマに建設したのが夢の池。現在は美しい噴水はないが、ボートでアートオブジェまで近づくことができる。P:宮武浩二
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▲万博公園夢の池。この池底に大阪市電の敷石が敷き詰められている。水面をよく見ると長方形の敷石が敷き詰められているのがわかる。P:宮武浩二
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高野山奥の院への参道は6月の『南海だいすき』取材の際も歩きましたが、まさか足元の石畳がもと大阪市電の敷石であったとは気づきませんでした。こうして宮武さんの執念ともいえる敷石探訪を拝見するに、あらためて大阪市電の規模の大きさをも再認識させられます。大阪市電の忘れ形見として残された敷石はこれからも末永くその歴史の一端を語り続けてくれるに違いありません。