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札幌医科大学 和田教授宛警告

札幌医科大学長宛要望

 

心臓移植事件調査特別委員長報告 

一 調査の目的と方法

二 調査の経過

三 本件事実の概要

四 心臓移植の医療的意義(略)

五 本件心臓移植の問題点

六 本件心臓移植の医学的評価

七 心臓移植の法的評価

八 本件に対する処置

 和田心臓移植事件に対する 

 

日本弁護士連合会の警告

 

調査報告書(要旨)

 

(1973年3月23日)

 

 1968(昭和43)年8月8日、北海道立札幌医科大学において和田教授とその医師団により行われた日本最初の心臓移植について、日本弁護士連合会は1973(昭和48)年3月23日、和田教授に「警告」、札幌医科大学長には「要望」を発した。

 臓器提供者(ドナー)の側には死亡時期の認定その他で犯罪成立の可能性があり、また臓器受給者(レシピエント)の側にも生存確率が甚だ低い状況下で敢えて手術を行ったことで、いずれもドナー、レシピエントの人権上、重大な疑義ありとした。

 

札幌医科大学 和田教授宛警告


 当会は、昭和四三年八月八日、貴殿により行われた宮崎信夫に対する心臓移植事件を調査したところ、別紙報告書のとおり、人権上看過し得ない種々の問題点のあることが明らかとなりました。ついては、今後このような問題を引起こさないよう次の点に留意され人権の尊重を第一義とする医療の進歩を図られるよう万全を期されたい。


一、心臓移植における受給者の適応は、当該心臓移植に関係のない内科医を含む複数の医師の対診の下に決定すること。

ニ、提供者の死の判決は、当該心臓移植手術に関係のない麻酔科医を含む複数の医師の対診の下にこれを行うこと。

三、関係資料の散逸を防ぎ、爾後の検案に支障なからしめ、いやしくも、隠匿または湮滅を疑わしめるような行動をしないこと。


右のとおり警告します。

 

札幌医科大学長宛要望


 当会は、昭和四三年八月八日、貴大学和田教授により行われた心臓移植事件につき調査したところ、別紙報告書のとおり人権上看過し得ない種々の問題点が明らかとなりました。つきましては、貴大学におかれましては、今後次の諸点に留意され、かかる事件が再発することのないよう善処を求めます。


一、心臓移植手術の施行は、当該外科医の恣意に任せることなく、必ず大学当局に申告の上、委員会等適当な機関に諮りその許可ないしは認可の下に行われるよう留意すること。

ニ、心臓移植手術における受給者の適応は、当該心臓移植手術に関係のない内科医を含む複数の医師の対診の下に決定すること。


三、提供者の死の判定は、当該心臓移植手術に関係のない麻酔科医を含む複数の医師の対診の下にこれを行うこと。


以上二、三とも診断に当る医師と当該手術に当る医師との間には、師弟関係、親姻族関係のないことが望ましい。


四、関係資料の整備と保全には特に留意され、爾後の検策に支障なからしめるため、大学病院としての指導的立場を堅持すること。


以上、本件心臓移植事件の経過に鑑み、要望いたします。


 

人権擁護委員会 心臓移植事件調査特別委員長報告
(昭和四七年三月四日、同年一一月一八日理事会承認)


一 調査の目的と方法


 昭和四三年八月八日、北海道立札幌医科大学において、和田教授とその医師団により、日本最初の心臓移植手術が行なわれた。

 近畿弁護士会連合会は、同年一一月三〇日開催の人権擁護大会において、前記心臓移植手術(以下本件という)は人権上重大な疑義があるとして、日本弁護士連合会に対する善処方を要望した。

 日本弁護士連合会は、昭和四四年九月、心臓移植事件調査特別委員会(以下委員会という)を設置することとし、同年一〇月一四日、委員長以下七名の委員を選出した。

 委員会は、その目的を本件につき、人権侵犯の有無を究明するとともに、一般的な死の認定その他臓器移植に伴う法的・倫理的規制の問題をも検討することとした。

 


二 調査の経過


一 本件調査に先だち、委員各自において医学知識の吸収に努める一方、東京女子医大附属心臓血圧研究所に臓器移植に関する各国の文献目録の作成と関係資料の収集を依頼し、これに基き書斎調査に着手した。次いで、医事評論家水野望氏、榊原教室の丁栄一医師の解説を受けるなどとして本件の問題点の把握をした。


二 昭和四五年八月二一日より同月二四日までの間、委員長武田 煕、委員安倍 治天、同古高 健司、同滝井 繁男の四名が、札幌、小樽において、関係者に面接して事情を聴取した。


三 昭和四五年九月十九日、東京警察病院において、前記委員長ら四名が、U医師(本件当時病院勤務)に面接、事情聴取をした。


四 宮崎 信夫(死亡したレシピエント)の父母両名については、前記四名が事前連絡の上、昭和四五年八月二三日(日)に同人ら方を訪れたが面接できず、その後も面接のための連絡をしだが不在のだめ目的を達しえなかった。


五 和田教授に対しては事前に書面をもって昭和四五年八月二二日の現地面接を申入れたが、同教授は、札幌地検の処分決定まで誰にも会いたくない、また当日は道東方面へ診療相談のため出張するので調査に応じられないとのことで、面接調査を果せなかった。

 昭和四五年九月一日、札幌地検の処分決定がなされたので、和田教授に再度面接を中入れ、日時を同年一二月下旬とし、場所は同教授指定の場所として連絡したが、同教授から弁護団とも相談の上、調査に応じられない旨の回答をえた。委員会としては、和田教授の弁解を聴取する機会をえられなかったので、同教授ら発表の著書論文をもってこれに代えることとして本件調査を終了した。

 

六 委員会は、藤本 輝夫教授に対し、下記事項について鑑定を依頼し、昭和四五年一〇月七日付の鑑定書を受領した。

(1)切除心(摘出心)の病理学的所見にてらし、宮崎 信夫(死亡したレシピエント)の心臓移植手術を受ける前の心臓の病状ほどのようなものであったか(現存の大動脈弁の真偽についても詳細に述べられたい)。

(2) 宮崎 信夫の術前の心臓の病状は、心臓移植の適応であったか。

(3) 病理解剖の結果にてらし、宮崎 信夫が心臓移植手術を受けた結果、如何なる病状が発生したと判定されるか。

(4) 宮崎 信夫の死因と死亡時刻。

(5) 宮崎 信夫の術前の心臓の病状が心臓移植の適応でないと判断された場合、宮崎 信夫に心臓移植を施行したことは医療の裁量の範囲に属するか。

 

三 本件事実の概要

一 宮崎 信夫(死亡したレシピエント、当時一八才)は、小学校五年生のころ、リウマチ熱に罹患して心臓弁膜症となり、通院治療を受けて一時快復したが、高校一年生であった昭和四一年八月中旬に再発し、千歳市の伊勢病院に入院した。

 昭和四三年五月一〇日、同病院のすすめもあって札幌医科大学第二内科M内科で、M教授の外来診察を受けた。その時の病名は、僧帽弁狭窄兼閉鎖不全症であった。

 同月二八日、宮崎 信夫は同内科に入院した。M教授は、患者宮崎が若年であること、したがって社会復帰のために同大学のY胸部外科に転科させて僧帽弁の人工弁置換手術を受けさせるのを相当と判断した。

 同年六月一一日、和田外科への転科準備のため、同外科の外来診察を受けさせたところ、担当医であるI助手は、僧帽弁閉鎖不全症と診断した。和田外科から、ベッドが空いたとして転科要請があったところである昭和四三年六月二四日の総回診の際、宮崎の病状が当初期待した治療効果が得られなかったため転科を延期し、治療効果をみて同年七月五日に宮崎を和田外科へ転科させた。転科の目的は僧帽弁の人工弁置換手術のためであった。

 M内科の宮崎の主治医であったT医師(当時研究生)は、人工弁置換手術に立会うため、和田外科に手術の日時再三問い合わせたが、その都度、未定であるとの回答であった。


二 山口 義政(臓器を摘出されたドナー、当時二一才)は、昭和四三年八月七日午後〇時五分頃、小樽郊外の蘭鳥海岸で溺水した。山口は、人工呼吸などの応急処置に対して反応を示さず、心臓も呼吸も停止して絶望視されていた。ところが、救急車で野口病院に運ばれる途中、救急車の急停のため人工呼吸術者の力が急激に加わったため蘇生した。

 山口はN病院のU医師の診療を受けて次第に回復し、血圧一三〇〜八〇、脈搏九〇、呼吸二〇となり、意識までは回復なしなかったが午後三時頃には酸素吸入器を取りはずした。U医師は、午後六時一〇分まで山口を診療したが、明日までに急変する可能性はないと判断し、N院長に経過を報告した後、午後六時三〇分頃帰宅した。

 N病院長は、U医師から山口を引継いだ直後である同日午後六時三〇分頃、山口が突然にもがき苦しみ、容態が急変したとして札幌医科大学Y外科へ転科させて、高圧酸素療法を受けさせたいとして自宅から電話し、同外科の承諾を得て救急車を依頼し、牛後七時三六分、山口を四〇km離れた札幌医大に向けて出発させた。

 

三 救急車は、同日午後八時五分、札幌医大救急部に到着した。山口は、待機していた多勢の医師や看護婦に迎えられ、高圧酸素療法を受けることなく手術室に運ばれ、午後八時三〇分頃には人工心肺を着装された模様である。そして、和田教授の発表によると、容態は次第に悪化し、午後一〇時一〇分、脳死状態となり、同人の死は不可避となったとのことである。

 和田教授は、山口の両親に対し、死亡後の山口の心臓を心臓移植のため提供されるよう申入れ、やっとその承諾を得て、同月八日午前二時五分から二時三〇分までの間に、同人の心臓を摘出してこれを宮崎 信夫に移植した。

 和田教授は、手術直後、受給者が他の病院から直接来た患者であると発表した。

 

四 心臓移植手術を受けた宮崎 信夫は、一時経過良好であると伝えられたが、次第に病状が悪化し、手術後八三日目である昭和四三年一〇月二九日午後一時二〇分に死亡したと発表された。しかし、その一時間二〇分後になされた解剖時には、宮崎の屍体が全関節にわたって硬直していたのである。

 また、宮崎の死因についてば、痰が咽喉につまったための急性呼吸不全(窒息死)であると発表されたが、解剖結果によると、窒息死の徴候である血液の暗赤色、流動性の所見なく、血液は凝固していたとのことである。

 

四 心臓移植の医療的意義(このウェブページでは掲載を省略)

 

五 本件心臓移植の問題点

一 受給者宮崎 信夫の適応性

(1)札幌医大第二内科のM教授およびT医師らの精密検査の結果によると、受給者宮崎 信夫については、僧帽弁狭窄兼閉鎖不全(MSI)と診断された。

 M教授は、内科的治療を継続すれば三年問は生存可能であり、僧帽弁の人工置換手術に成功すれば一〇年間位は軽度の事務的作業に就けると判断し、宮崎およびその家族に手術をするようすすめた。当初は弁置換手術に恐怖を感じた宮崎も、家族のすすめにより承諾するに至った。

 

(2)和田外科のI医師は、宮崎を僧帽弁閉鎖不全と診断し、これにより、宮崎は僧帽弁置換手術適応として和田外科ヘ転科した。しかし、現実には心臓移植適応とされ、心臓移植をされたのである。

 そこで、宮崎について心臓移植適応であったかどうかについて検討する。

 

(3)宮崎の病気ば、M内科の診断のように僧帽弁の狭窄兼閉鎖不全であったかどうかを検討しなければならない。

 最近は病気診断のために心電計その他各種の器械類が使用されるので、聴診器などは時代遅れではないかと思われる向きもあるかと思うが、専門家がこれを持つと心臓病ことに弁膜症の診断には万能的な威力を発揮するのである。心臓の弁に狭窄があると狭い所を血液が流れるため、また閉鎖不全があると血液が逆流するため、そこに雑音(murmur)が生ずる。その雑音の聴える音色、時期、場所等により的確に診断がつくのである。

 和田教授らの「心臓移植手術の臨床」(第一報)中に宮崎の胸部聴診所見として「心臓部に最強点を有するLevine第四度の収縮期および拡張期性雑音が聴取され、肺動脈第二音の冗進が著明であった」と報告している。これは僧帽弁の狭窄兼閉鎖不全の徴候である。

 和田教授らは、本件に関する第六報ともいうへき論文中で宮崎の病状に関し、心離昔につき「左右頸動脈に軽度の収縮期雑音を聴取し」と所見の追加をしているが、これだけでは大動脈弁の顕著な病変は考えられないのである。

 和田教授らは、前記第一報中に宮崎の病状に関し、転科時所見として「顔面およひ下肢の浮腫著明で、腹部は著名に膨大し、腹水貯留し、肝臓は臍上窩まで肥大していた」と記しているが、M教授によると「これは何らかの間違いであり、当科の力ルテによれば、顔面、下肢の浮腫、腹水はなく、肝腫大は入院時の臍上一横指より三・五横指に改善されていたのである」と述べ、和田教授らの誤りを指摘した。これに対し和田教授は、後に非公式に第一報の転科時は転科後のミスプリントであると訂正し、第一報を訂正した抜刷を札幌医大内の一部の者に配布した。

 和田教授は前記訂正に際し、転科後宮崎の病状が悪化したのは「右心カテーテル検査のためと思う」と附加した由である。しかし、これにより仮に多少障害があったとしても、それは一過性で上にそなわったhomeostasis(恒常性)により、新陳代謝して短期間に回復するものである。心臓カテーテル検査により病状に悪影響がないことは専門家の一致するところである。

 以上の通りで和田教授らの当初の臨床所見からは、僧帽弁狭窄兼閉鎖不全症以外の何らの病名も推察されない。したがって、宮崎の心臓移植適応については、疑問を禁じ得ない。

 

(4)切除心(摘出心)の病理学的所見

 心臓手術の特色の一つは術前に診断して手術の適応をきめることが極めて重要なことである。他の病気であれば、ときに診査開腹とか、診査開胸といって、確定診断のために最終的な方法がとられる場合があり、もちろん危険はともなわないが、心臓手術では診査的に開胸することは許されない。そこで、次に宮崎の切除心そのものにつき病理学的所見を検討する。比楡的にいうと"病理学とは死者をして語らしめる学問である"という。

 このような切除心は、直ちに病理学者の検索に委ねるのが通常であるが、病理学教室の方ではいろいろな機会に提出を求めたが実現しなかった。そして病理学教室の藤本 輝夫教授と中央検査部の室谷 光三助教授が、この切除心をはじめて検索できたのは、昭和四四年二月二七日である。しかも、この時には心臓の四つの弁はすでに切り取られていたのである。そして、その弁を切り取った者は、和田外科のF講師とのことであったが、後に本件が問題化してから、宮崎の手術後、癌で死亡したK助手であると発表された。

 この切り取られた弁の内、他の三つ弁は復構(切口が合って、元通りにつながること)できるが、大動脈弁として添えてあった弁は復構できないのである。

 しかも、宮崎の血液型はAB型であるが、この復構不可能の弁はA型であるとされている。これは東京大学の石山 晃夫、板倉 良之(法医学教室)らが、その研究により特別な方法により検出した、といわれている。

 また、切除の肉眼的および顕微鏡的観察によると、この大動脈弁は切除心のものでないとの疑いが濃厚である。

 次に、僧帽弁以外の弁の状態についてみると、大動脈弁は、切り取られた弁基部が柔軟であること、および前記和田ら第一報の「図三」の観察からもさしたる病変はないと判断される。この切除心の大動脈弁に、復構できない弁のようにひどい病変があったとすれば、左心室に著明な二〜三cmの肥厚がなければならないのである。ところが切除心の左心室の壁は一、五pで肥厚がないのであるから、大動脈弁は健康的であったと見る外はない。

 肺動脈弁も健康的であった。

 三尖弁には二次的、機能的の障害があった。しかし、これは僧帽弁の改善により自然に治癒する性質のもので、機能的閉鎖不全で狭窄はなかった。

 以上、病理学的所見に照らし、宮崎の切除心は心臓移植の適応である連合弁膜症とはいえないのである。

 

(5)このような症状の受給者宮崎に対して、心臓移植手術を施行することは、医療の裁量の範囲に属するであろうか。これを肯定する向きもあるが、到底首肯できない。

 

二 提供者山口 義政の適応性

(1)提供者(Donor)選択の基準

 前述したように心臓移植の場合のDonorはdead brain , live heartでなければならないから、いかなる提供者群からこれを選ぶかが問題である。年令については四一才以上はいけないとか、五六才の提供者心でも心臓重症者である受給者の心臓の一〇倍もよいとかいわれる。

 問題はDonorの死因にある。

 

(2)Donorの死因について

 Donorの死因として最も適当と思われるのは頭部挫創のようなものであろう。頭蓋骨折し、脳組織の破壊されたような場合は、現代医学では、誰が見ても回復不可能と思われる。従って心臓を摘出することには問題はない。これに対し溺水者は漢方医家の説を俟つまでもなく、自発呼吸があれば、まず助かるというのが一般的見解であるから問題がある。

 本邦例以外にはDonorに溺死者はないようである。

 Donorの死因は、本邦例を除いては、頭蓋内出血、頭部外傷、交通外傷(頭部)等が大部分で、その他は脳腫瘍、自殺等である。

 

(3)山口 義政の病状

 山口 義政は昭和四二一年八月七日正午頃、溺水事故を起し、野口病院へ運ばれる救急車中で偶然蘇生し、自発呼吸をはじめ、午後〇時四五分頃、N病院へ到着した。そして最初N病院長Nが診察し、脈を見たところ比較的良好なのでこの分では大丈夫と思いU医師に任せ別室へ退いた。U医師が診察したところ、脈博にも緊迫感があり、血圧は一00以下であったが自発呼吸があり、手足のチアノーゼ(Cyanosis 指先などが血行不良のため紫色になること)もかすかであった。聴診器で診たところ、ラッセル音もなく(ラッセル音 Rasselgerauschとは肺の雑音の一種で、ここでは湿性ラッセルの水泡や捻髪昔のこと)、後になって、ラッセル音が少し聞こえたが、これは多少の肺の水腫ないし肺炎発生の可能性を示すもので、呼吸をさまたげる程のものでなく、気道に著しく水がたまっているために呼吸が乱れているのでもなかった。

 医師は手当として、強心剤、昇圧剤、副腎皮質ホルモン等を注射し、麻酔器を使って酸素呼入をし、午後四時半頃まで三〇分おきに診たが次第に回復してきた。肺炎の予防のためにクロロマイセリンを注射した。呼吸は最初は大きかったが次第に静まったので酸素呼入は午後三時から四時の間に中止した。

 U医師は通勤で通常は午後五時三〇分が帰宅時間であるが、この日は少しおくれ午後六時一〇今頃、N院長に引き継いだ。これはその晩、患者山口に危険があるとは考えられなかったからである。もし危険が予想されれば居残るなり、当直するつもりでいたとのことである。

 交替時の山口の症状は、血圧一三〇〜八〇、脈博は少し早かった、呼吸は二〇以上で苦しむ様子はなかった。チアノーゼもなくなり、酸素吸入装置もはずしており、瞳孔反射は牛後三時頃からかすかに出てきていた。そして顔色も普通で、熱は後から出てきたので三七度から三八度の間だった。点滴による栄養剤などの必要は認めなかった。意識はなかったが、これらの症状から見て二〇分〜三〇分後の急変などは到底考えられなかったとのことである。

 ところが、その直後に山口は症状が急変したとして、高圧酸素療法適応として札幌医大に転院したのである。これにつきU医師は「高圧酸素療法は第一の適応ではない、私が送るとしたら麻酔科に送ったと思う。けれども溺水患者を大学病院に送るということはきいたことがない。私でも十分に治療ができる筈である。私にも納得がゆかない、N先生にきいて見たい」と述べた。

 

(4)山口転院

 N院長は昭和四三年八月七日午後六時一〇分、U医師から山口の病状をきいて引継いだ。その時の状況につきN院長は次のように述べている。その時の山口の病状は、安静にしており、意識はなかった。呼吸は三〇位、脈博はわるくなく、血圧は一三〇〜八〇で普通だった。ところが午後六時半頃、突如容態が悪化し、うめき、もがき、押えつけないと、のたうちまわるようで、母親が押えていた。ほかにもう一人いた。医学的にいうと、指先がチアノーゼ、顔はどす黒く血圧は一三〇より少し下った。しかし、脈博は悪くなかった。そして家族もおろおろしていた。

 N院長は、これは酸素不足のために起った症状であると判断し、高圧酸素室療法がよいと思い、その設備のある札幌医大の和田外科へ病院と棟つづきの自宅から電話し、その治療方を依頼した。これは午後六時四五分頃である。四〜五分たっだ後「お引受いたしますしと電話で返事があっだので転院させることにし、山口の母親には「私の処ではこれ以上できないから・・・・・・と」大学病院の話をし、救急車を依頼した。

 N院長から救急車の依頼をしたのが牛後七時五分、管外搬送のため救急車出動の手続がおくれ、午後七時一六分救急車出動、同七時一九分N病院着、同七時三六分N病院発、同八時五分山口を乗せた救急車は札幌医大の救急患者入ロに到着した。この救急車には医学生のHと看護婦一人が同乗していた。山口 義政は大勢の医者や看護婦に迎えられ、搬送車に乗せられて、病院内へ運ばれて行った。

 山口 義政の転院の理由ないし必要性に関するN院長の説明には、次のとおり幾多の疑問が存在する。

 まず、山口 義政の症状の変化について、終始付添っていた母親は、これを否定しており、押えつけなければヘットから落ちるような状態だったことは知らないと述べている。また、山口 義政を札幌医大ヘ運んだ救急車の車長である今博は、患者山口が血色もよく健康色で、口唇の色も変えていないので、転院の理由をN院長に質問したとのことである。さらに、同院長の転院の理由に関する説明は、一貫性を欠いている。

 次に、N院長は、山口 義政の容態が急変したが、「気が動転していて、札幌医大ヘ電話しただけで何の手当もしなかった」と述べているが、医師として三三年の経験を有する同院長の行動としては理解に苦しむところである。

 

(5)山口 義政に対する蘇生術について

 救急車の後を追ってタクシーできた山口の両親と急をきいてかけつけたその姉妹は、高圧酸素療法が行なわれたか否かを確認していない。高圧酸素室には直径二b、長さ六〜七bのタンクがあり、このタンクに患者を入れ、徐々に酸素を注入して気圧を上げ三気圧位にする。これに二〇〜三〇分かかる。そして、このタンクの中に数時間または数日間入れておき治療するのであり、治療終了後も、徐々に酸素を抜いて気圧を下げるので、これに二〇〜三〇分かかる。したがって仮に入れてすぐ出すとしても、一時間近くかかるわけであるから、一〇分位では高圧酸素療法を行なうことは絶対不可能である。ところがこれにつき和田教授らは、本件に関ずる「心臓移植手術とその臨床」(第一報)において、 「高圧酸素療法など、われわれの救急処置を行なったにもかかかわらず……」と発表している。

 しかし、山口 義政は、午後八時一五分頃には、すでに二階九号手術室にいたというのであるから、高圧酸素療法は行なわれなかったとみるべきである。

 次に、山口 義政に対して、どのような蘇生術が施されたかを検討する。

 現在の医学教育では蘇生術は麻酔学で教えている。また、蘇生術に関することは、麻酔学の教科書に書いてある。外国の麻酔学書にも Rescusciation として蘇生法のことが書いてある。また、現実に蘇生術は総合病院では麻酔科が担当している。当然のことながら総合病院に溺水患者が運ばれれば、先ず第一に麻酔科の医師にコールがかかるのが常識である。

 蘇生ということに重点をおいて見たとき、高圧酸素療法適応として送られた患者を高圧酸素療法は効果がないと判断したなら、麻酔科に任かせるのが当然である。ところが本件の場合は、それがなされなかったのである。

 また、和田外科における次の処置は医学的にみてかなり問題がある。

 和田外科では、同日午後八時一五分頃、麻酔科に対して、イソヅール(静脈麻酔薬)とレラキシン(筋弛緩剤)を貸してくれと申入れこれを借受けたが、イソヅールやレラキシンを必要とするのは患者が生きている証拠である。死んでいる者や死にかかっている者には無用の薬である。このうちレラキシンは人工蘇生器の管を気道に挿入するときに必要なこともあり得るが、イソツールを使用するというのは理解に苦しむ。

 また、和田外科のJ医師は、麻酔科のL助手に対し、ソルコーテフ(副腎皮質ホルモン)を一〇筒貸してくれと言って、これを手術室に持って行った。

 ソルコーテフは副腎皮膚ホルモンで、手術等の場合にこのホルモンが足りなくなるとショック(Shock 出血、手術外傷などに伴って血圧が下り、循環血液量が滅少して、諸臓器の機能が低下すること、虚脱ともいう)を起すことがあるので予防的に使われるのである。その一日量が大体一筒で緊急時でも四筒である。これを一〇筒も一度に使うのは普通は無意味である。しかし、心臓移値の際に免疫反応抑制剤として使うならば意味がなくはない。

 人工心肺を使うことは、溺水者の蘇生としてはほとんど意味がない。

 高圧酸素療法も第一にやらなければならないことではない。高圧タンクの中に入れてしまうと、溺水者に対する他の手当、処置に不便であり、却って有害の場合がある。

 溺水者が後になって死亡する原因は大部分が肺の合併症である。即ち肺炎、肺浮腫、無気肺(肺拡張不全)などである。したがって、溺水者に対する根本的な治療は先ず肺に対する処置である。即ち抗生物質を投与し、温度に注意し、酸素吸入をしたり、肺を拡張させたり痰や胃液それに海水での溺水なら藻などを吸引することが必要である。高圧タンクに入れてしまうとこのような手当がやりにくくなる。これらの蘇生法から考えて見ると和田外科のとった措置はいづれも蘇生術といえるものであるかどうか疑問である。

 そして、和田外科では、八月七日午後七時頃、山口 義政を使用者とするO型血液二、〇〇〇t北海道赤十字血液センターに注文し、さらに、午後七時三〇今頃、宮崎 信夫と同型のAB型血液を大量に調達できるかを問い合わせ、午後九時三〇分と同一一時頃の二回に分けて合計三、八〇〇tの血液が、宮崎 信夫用として札幌医大に送られた。この山口用の血液を注文することは必ずしも心臓移植と関係があるとは言えないが、宮崎用の血液を注文したことについては理解しがたいところである。

 また、和田教授はL助手に対し、「この患者は高圧酸素療法適応ということで送られてきたが、高圧酸素タンクに入れても仕方がないから心臓移植手術の提供者とすることにした。家族の承諾をとるのに時間がかかるから、君、二〜三時間待ってくれないか」と待機を求めた。因に手術には麻酔医の協力が不可欠である。L助手はニ〜三時間というと何時になるのか、確認のため時計を見たところ、丁度午後八時三〇分であった。

 これらの一連の事実は、和田外科において山口 義政を九号手術室に収容した八月七日午後八時一五分、すでに心臓移植手術の決意がなされ、これが開始されたとの事実を強く推定させるものである。

 

(6)山口 義政の死因および死亡および死亡の時期

 山口 義政の死因について、和田教授は次のとおり述べている。「おぼれたために肺のなかはすっかり水びたしになってしまっている。一つ一つの細胞から水を抜かないかぎり、呼吸によって酸素を供給することはできないのだから、これは現在の医学では不可能である」

 しかし、溺水というのは一種の窒息でもある。この時は声門が痙攣状態になるので、水は気管や肺の中には入りこむことは少ないのであるから、和田教授のいうように肺が水びたしになるということはないといわなければならない。U医師やL助手も肺に水が入っている模様ははなかったと述べている。

 教授によると、山口は午後一〇時一〇分に脳死状態になったから、人工心肺をスタートさせたと言っているが、検察官の認定は午後九時二十分となっている。

 山口の両親は、八月八日午前二時五分にL医師と看護婦から臨終といわれた。これに関する和田教授の説明は次の通りである。「午前二時五分"ナイフ"と声をかけて執刀を開始する。力夕タッカタッと人工心肺のポンプが静かな鼓動を刻んでいる。まず提供者の心臓を摘出して、それを摂氏五度の生理的食塩水につける……摘出におよそ一五分」「ナイフをとったのが午前二時五分だから医学的に山口君の死が確認されてから、実に四時間後のことだった。山口君の生命というものは、とっくにこの世を去っていた」

 ところが、検察官の認定によると次のとおりである。

午後一〇・三五  洞性頻脈(一分間一三七)が見られる
午前    二・〇八  山口君の心臓に自能力あり
            二・二七  人工心肺停止
            二・二九  山口君不整脈あり
            二・三〇  山口君の心臓摘出

 新聞報道による不起訴裁定書原案に引用されているI助手の供述は次のとおりである。「山口君の胸骨正中線を切開すると心臓は貧血性の色をし、細動状態にあった。山口君が、高圧酸素室にはいった直後、肺のガス交換不能となり、数時間人為的に呼吸機能と循環機能を維持していたため体内に多量の代謝老廃物が蓄積された。当時、人工心肺の操作限度を越えており、細動状態になっていることから、非可逆的心停止と判断、心臓を摘出した」

 さて、この心室細動がおこれば、死と断定してよいのであろうか。この細動が非可逆的のものなら死は到来するだろう。しかし、死が必ず到来すると、死亡したのとは異なる。

 和田教授は、山口の脳死につき、脳波計により、脳波がフラット(flat)になったから脳死と判定したと言っているが、手術室には脳波計はなく、脳波測定は行なわれなかったものと考えられる。現に、和田教授は脳波のことにつき報道陣の質問にあい困却した。あの後、麻酔科の高橋 長雄教授の部屋ヘ立寄った際、「あの移植手術のときに脳波をとっていないか、いろいろ聞かれて困っている」と洩らしていたのである。

 以上の諸点を総合すると、委員会としては、山口 義政の死因および死亡の時期については、和田教授の説明と異なり、八月八日午前二時三〇分、心臓摘出により死亡したものではないかとの疑いを禁じえないのである。そして、もし上記細動が非可逆的のものであるとすれば、それは、和田外科の治療行為の結果であると考えざるをえない。

 

 

六 本件心臓移植の医学的評価


一 組織適合テストは行なったか

 心臓移植手術は同種移植であるから、必ず拒絶反応が起る。これを最少限に止どめ、移植を成功に導くには、Donor とrecipient との組織が近似していることが望ましい。これは、Donor とrecipient が遺伝的にも血縁的にも近い程よいということである。学者は、これを組織適合性因子が近い程よいと言っている。これを検査するのが組織適合性テストである。

 組織適合性テストには、血液型によるものでも、赤血球(凝集反応)、白血球(凝集反応その他)、リンパ球(殺細胞試験)、血小板(凝集反応)といろいろあり、その他各種のテストがある。

 この組織適合性テストは免疫学に属するものであるから、胸部外科医が直ちに出来るとは思われない。それで前述したアメリカのNational Academy of Science のBoard of Medicineのいうように、心臓移植をする医師団は常に免疫学者の協力が得られるような態勢になっていなければならないのである。

 和田外科では、そのような態勢になかったのはもちろん、ABO型血液型以外には、何らの組織適合性テストもしていない。宮崎 信夫はAB型で、山口 義政はO型で万能供給型であった。しかも和田教授は「現在のところ血液型以外に信頼のおける心臓組織の適合性の実用的判定法はない。腎臓の場合、よい組織型の組み合わせで、四、五年の遠隔成績は良好であるが、腎臓拒否反応に関与する抗原は、心臓への拒否反応を起こさせるものとは違うと考えられる。そして組織の組み合わせを考えずに心臓移植を行なってもよい組み合わせになる確率は三〇パーセントあり、少なくとも六ケ月の生存可能性が考えられる」と述べている。

 南アのバーナード教授が、世界最初の心臓移植をワシカンスキーにしたときに、免疫学者ボウタ博士の協力を求めたことと、和田教授のそれとは余りにも違いすぎる。

 

二 循環動態は改善されたか

 宮崎 信夫の術前の病状は、右心力テーテル検査の結果、著明な肺動脈圧上昇がみとめられたので肺高血症が当然予想されたのである。

 肺高血圧症の場合、心臓移植手術を禁忌とするかどうかは、議論のあるところであろう。肺高血圧症が可逆性のとぎは禁忌とするとの論もある。何れにしても重要問題である。これは心臓移植によって、患者の循環動態が果して改善されるかという問題として論議されるのである。

 心臓移植を受けるような患者の循環動態は、その心臓移植の適応となる心臓疾患と密接な関係をもち、しかも一般に長期にわたるため、患者の血管系にも非可逆的な器質的障害がおこっていることが少なくない。それは動脈硬化症その他の動脈壁の障害や末梢の毛細血管床の病変の発生進展ひいては体循環の高血圧、高コレステロール血症などである。これらのうちには、原心臓疾患の原因としては関係しているものもある。これらのどれ一つを見ても、解決が容易でないものばかりである。このような状態のところに、いままで比較的健康であった心臓を移植するのであるが、この心臓を取換えただけで、他の悪条件が改善されるかどうか甚だ疑問である。

 この場合、移植心が患者の血行動態の改善に寄与しないで、逆にこの悪条件に順応させられ、原疾患と同様もしくは更に重症な心障害を起こすこともあり得るわけである。

 本件においては、患者宮崎に肺高血症があったために、移植心が肺高血圧症という病態を克服できず、逆に移植心がこの肺高血圧症に順応させられ新しく、一種の肺性心の状態におちいることを余儀なくされたのではないかとみられる。

 

三 手術後の宮崎 信夫の症状

 宮崎には心臓移植を契機として、移植心の心筋層を中心に拒絶反応の出現が見られ、術後の経過の比較的後期には、冠状動脈枝にも拒絶反応が現われた。これにより心筋組織の障害が進行し、心臓機能の低下がも たらされたのである。

 術後に心臓腔、胸膜腔、さらに腹腔に広汎高度な緑膿菌その他の感染症が発生した。これらのうち心膜腔のものは心外腹と心膜の強度の癒着をもたらし、心臓の運動性を著しく妨げたものと察せられる。この心膜はこの癒着のため、剖検時に心臓本体と分離することができなかった。この感染症の発症には、ステロイド、イスランなどの免疫抑制剤の影響が考えられる。

 なお、和田教授の論文中には、これらのことは全く記載されていないのであるが、札幌医大の中央検査部の成績によると、すでに昭和四三年八月一九、二二、二四、二八、二九日および九月上、中旬に数回も宮崎の胸水から緑膿菌が証明されており、同一〇月七日、一二日には腹水からも緑膿菌が証明されている。また、剖検時の腹腔内の膿汁の培養により、緑膿菌を含む二種類のグラム陰性桿菌が証明され、心外膜・心膜・胸膜の組織学的検査で、グラム陽性球菌、グラム陰性桿菌が検出されたのである。

 手術時の人工心肺、輸血などにもとづいて、血清肝炎が発生した。この血清肝炎は、従前から患者の肝の慢性うっ血による障害の基礎の上に成立したものであるから、患者の衰弱にあづかって力があったと考えられる。

 前にふれたように、この移植心が患者の血行動状態を根本的に改善できず、逆にその病態に順応することを強いられ、一種の肺性心の状態におちいることを余儀なくされた。これは右心室の強い肥大により明らかである。

 宮崎の切除心(重さ四九〇g)の左心室心筋層の厚さ一、五cm、右心室のそれが〇、八cmであるのに対し、移植心(重さ一、〇八〇g 癒着した心膜を含む)の方は両側の心室心筋層の厚さがいずれも一・三(正常は〇・二〜〇・三cm)であった。よって、心臓移植の直前まで長期間にわたって障害を受け肥大した宮崎の右心室の心筋層の厚さが〇・八cmに止まっているのに、僅か八二日間で正常であった筈の移植心の右心室のそれが一・三pになったとは、 この短期間に非常な負荷が及んだものと解せられる。更に左右の心房壁に、切除心の切断端にはない心筋線維の萎縮と間質の硬化が強く、かつ広汎に生起していたことは、明らかに術後の一時的な冠血行の杜絶ないし不全によって招来された一種の心筋硬塞的な変化である。

 移植心内部の神経細胞は変性ないし壊死におちいり、神経線維も膨化を示していて、神経成分の再生像は全く見出されないから、神経系を介して心臓機能の調節にはかなり障害があったものと想像される。

 手術後、骨髄における巨核球一栓系の著明な障害が招来され、肝障害とあいまって、高度の出血傾向となってあらわれた。とくに腹腔内その他における大出血は死亡の重要な因子の一つとなったものと考察される。(巨核球は血小板《栓球》の母細胞で、血小板は血液を凝固させる作用がある。この血小板が減少すると出血傾向となる)。このことも和田教授らの論文には全然記載されていないのである。

 しかし、中央検査部の検索によると、術後ほとんど全経過にわたって末梢血中の栓球数が二〜三ないし七〜八万/㎥で中央検査部のすすめで、栓球(血小板)輸血が行なわれた時期に一時的に一五万/㎥位(正常は二三〜二五万/㎥)にまで増加した。末期における腹腔内その他への大出血以前にも出血がくりかえされていたことは、心外膜、心膜にお ける血鉄索の沈着からも推測されるのである。この骨髄における巨核球一栓球系の生成障害の成因は明らかでないが、心臓移植に伴う免疫学的造血障害、イムラン、ステロイドなどの骨髄障害作用などが想定される。

 患者宮崎の脳は著しく萎縮されていた。これは術中術後の脳への血流低下がその主な条件となったものと解せられる。宮崎は手術後一週間位意識回復せず八月一三日には和田教授をして「いつ flimmern 細動が起るかわからない」とあわせてさせたことによっても想像がつくであろう。宮崎の脳の重さは一、一五〇gで、相当する年令男子の平均値一、四八七・八gに比して三四〇gも軽減していたのである。くわしくは剖検所見によると次のとおりである。「本例では、大脳皮質のかなりの萎縮と前頭葉基底核部、脳橋、小脳などさまざまな部位における神経細胞の強い色素融解、脂褐素の沈着、Punrinje 細胞の空胞化その他の変性が見られ、そのほか小軟化巣の発生なども認められている。これらの変化のそれぞれの成り立ちの条件を推定することは困難であるが、少なくともそのかなりの部分は、手術中あるいはそれ以後の経過中に生起した酸素欠乏によりもたらされたものと考察される」

 これは明らかに脳障害であり、脳軟化症の経過を踏んでいると考えられる。それは、この少年に一種の老化現象が比較的短い期間に起こったようなものである。報道などによっても術後の宮崎は、子供っぽい動作や、たどたどしい言葉使いが目立ったとされていることもこれと符合する。

 更に末期には膵壊死の発生が認められた。その発生にあたり、ステロイド剤使用の影響が見逃がせない。

 

四 宮崎 信夫の死因および死亡の時期

 和田教授によると宮崎の死因は「かようにして臨床的に着実な回復を示し、自覚症状も著しく改善し、また、他覚的にも確実な軽快な過程を示す程に回復していた。しかしながら、術後八三日目、一〇月二九日未明、就寝後、咳嗽をともなった喀痰を喀出せぬまま、急激な呼吸困難に見舞われサイアイーシスが出現し・・・・・・一〇月二九日牛後一時二〇分死亡した」「タンがつまったといっても、ちょっとしたはずみのもので、しかもほんの短い間のものだった。不運がかさなったとしかいいようがない。死はあっというまに訪れたのである。そして臨床的にも解剖学的にも、免疫反応とは関係なく、また移植心臓も死の直前まで整脈を保ち、異常がなかったと認められた」「死因は急性呼吸不全である」となっている。

 しかし、剖検の結果は、患者が著しくやせおとろえていたことが明らかにされ、高度広汎な感染症による消耗、拒絶反応、心外膜心膜の強い癒着による心臓の運動障害、肺性心などからなる心不全、末期におこった腹腔内その他の大出血が死因となったことを物語っている。そして心臓内には凝血が存在し、窒息死の兆侯は見出されなかったのである(急性呼吸不全・・・・・・:窒息死の場合は血液が暗赤色流動性で凝血しないのである)。

 宮崎の死亡時刻も和田教授らの発表通り、昭和四三年一〇月二九日午後一時二〇分とは理解しがたいのである。宮崎の病理解剖は藤本教授の指示により布施 裕輔助教授執刀のもとに同日の牛後二時四〇分(死後一時間二〇分)に開始されたのであるが、この時すでに全関節にわたる死後硬直が確認されたのである。死後硬直は死後二〜三時間にまず全関節、頸部の筋肉に始まって、段々と身体の下方に及ぶので全身にまで及ぶのは六〜八時間または一二時間位かかるのである。そして死後二四〜四八時間の後にその起った順序にしたがってとけて行くのである。藤本教授の鑑定によると、死亡時刻の椎定は、昭和四三年一〇月二九日午前一時ないし七時、あるいはその数時間以前ということになる。

 以上の通りで、本件心臓移植手術は、術前の準備にも万全を欠き、術中にも血流低下により脳障害の原因を与え、医学上の各種問題点に対しても何らの解明が得られず、また、その克服もできず、結局、患者宮崎 信夫をその推定生存期間の満了時より早期に死に至らしめたものではないかとの推定をせざるをえない。

 

五 医の倫理と和田心臓移植

 医の目的は病者の治療であり、その本義は生への畏敬にある。「生への畏敬」は医のalphe であり、omega である。それはあらゆる医療問題の基本理念であり、反省する規範である。これに悖る一切の治療行為は、医の倫理に反するものであり、医療としての意義を為さない。医療の父といわれるヒポクラテス(Hippocrates  B.C 四六〇〜三七七)の誓の中にも次の言葉がある。「常に患者の為を思い、苟も有害な加療を施さず、人を死に到らしめる療法を行なわぬ」と。

 生体解剖事件その他不当な人体実験的医療行為が行なわれた時、医の倫理が論議されてきたが、これはわが国の医学教育にも問題があるようである。当委員会の調査した限りにおいては、わが国の医科大学中に医の哲学、医の倫理を論ずる医学概論の講座のある大学は皆無である。わずかに大阪大学において、医学概論の講義があり、岩手医科大学において年に二〇数回の医学倫理の講義があるにすぎない。このような状態であるから識者として「日本の医学を思う時、心寒きを覚えるのはまことに残念である」と言わしめるのであろう。

 医の対象は生きた人間である。また、これに対し医療を施す医師もまた人間である。そして具体的な病気に対する治療法が画一的である筈はない。それには、いくつかの治療法があり、その選択は治療する医師の裁量にゆだねられるべきであろう。しかし、それは医師の恣意を許すものではない。医師の裁量は、患者にとって最善の方法を選ばせるために認められたものであり、いやしくも己れの名利や治療に名を借りた実験的行為を許すものではない。

 和田心臓移植は医師の医療の範囲に属するか。これについては、藤本 輝夫教授の鑑定結果のとおりで、宮崎の心臓移植手術の適応の決定とその前後の医療行為は、つねに良心的、建設的な医学的態度で臨んだというわけにはいかず、また、単なる誤診や治療の過誤の域を逸脱したもので、医師にゆだねられた裁量の範囲に属するものとはみられないのである。

 

 

七 心臓移植の法的評価


一 心臓移植の法的規制(このウェブページでは掲載を省略)

 

二 本件心臓移植の法的評価

(1)医療行為の法的評価

 一般的に人間の生体にメスを加えるなどによってこれを損傷した場合、それが法令または正当な業務行為によるものでなければ違法とされ、刑事罰の対象となり、民事上は損害賠償の対象となる。

 医師等がこれらの行為を適法になし得るのは、それが医師法その他の医事法規に基づく正当な医療行為に該る場合に限られる。したがって、具体的な行為が正当な医療行為の範囲を逸脱している場合には、それは違法の評価を免れない。たとえば、医師のメスを加える際に、患者に対する殺意を有していた場合には、それが確定的故意にしろ未必的故意にしろ、殺人罪を構成する。あるいは、医師等がなすべき医療行為を故意に怠ることによって殺意を遂げることもあり得る。また、医師等がなすべぎ任意義務を怠った結果、患者の症状が悪化したような場合には業務上過失致傷罪あるいは同致死罪を構成する。

 

(2)山口 義政関係

 和田教授らのなした山口 義政に対する治療行為等は、すでに述べたとおりであるが、和田教授がL医師に心臓移植手術を行なうと意思表示をしだ事実とぞの時期、人工心肺着装の事実、その他和田医師団の一連の動向等を総合すると、同医師団が山口転院直後より同人を心臓提供者として考えていたのではないかとの疑惑を払拭しきれない。そして、仮に同教授が、山口死亡前に同人の心臓摘出手術を施したとすれば、殺人罪を構成ずるものといわなければならない。

 そうでないとしても、同教授らが、山口 義政に対する必要にして有効な最善の治療行為を故意に怠つたものとすれば、不作為による殺人罪を構成し、不注意により怠ったものとすれば、業務上過失致死罪を構成する。

 

(2) 宮崎 信夫関係

 心臓移植による生存の確率は極めて低い。それは既述のように拒絶反応等医学的に未解決な幾多の困難な原因が存するからである。そのことは本件以前、すなむち世界最初の心臓移植が行なわれた昭和二九年一二月二一日以降、本件発生の前日たる四三年八月七日の間に行なわれた、世界の二九の先例の統計的数字を一瞥することによっても首肯しうる。同日を標準にすると死亡例(最短二五時間・最長四六日間)は一九件全体の六五%を占め、生存例(術後最長二一九日・最低九日)は八件で全体の二八%に過ぎないのである。その他の二例は審らかでない。しかも、その後、現在までの間に、この生存者八人の殆んどが死亡している事実は、生存確率が如何に低いものであるかを知る上に貴重な資料といえる。

 一方、宮崎は単に内科的治療を施すのみでも向後三年は生存可能と判断されていた(M教授の見解)し、人工弁置換手術に成功(その確率は既述のように約八〇%)しておれば、そのまま一〇年位は事務等軽労働を続けることが可能であったとされている(前同教授の見解)のである。

 こうした事実(心臓移植による死亡の危険性)を認識し乍ら、死の結果の発生を容認して本件手術を敢行したものとすれば、未必的故意による殺人罪の成立を否定し得ない。

 また、死の結果の発生を否定して本件手術を施したものとすれば、業務上過失致死罪を構成するものといわなければならない。

 

八  本件に対する処置

 以上の本件に関する調査結果に基き、当金としては、本件について次のとおり処置することとした。

(1)本件に関する調査結果を将来発生することあるべきこの種事態に即し、人権擁護の目的達成のため関係各方面に対し通報する。

(2)札幌医科大学に対し、本件に関連して要望書を発する。

(3)和田教授に対し、警告書を発する。

 


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