植物を自分で育てると、とても愛着がわきます。
プランターに植えてできたプチトマト1 個でも大切に扱いたくなるものです。
花でも野菜でも日々の成長が愛おしく、ひと味違ったものとなります。
これは自分の手がかかっているからです。
自分の努力や忍耐、自分の発想はいとおしい。お百姓さんが丹精込めて
育てた食べ物を粗末にすると怒ると聞くと、「もう自分の手をはなれたもの
だから、買った人がどうしようと勝手じゃないか」 と思うかもしれませんが、
やっぱり自分でつくってみると、口では言いつくせない愛着が出てくるものです。
お金も同じです。
自分が稼いだお金は道端で拾ったお金とは違います。そこには大袈裟に言えば
汗や涙の物語があります。自腹を切らなければというのは、そういう貴重なお金
を使って人をもてなす習慣をつけておかないと、人間として何か大切なものを
失っていくと思うからです。
ニュースなどで話題に上がる政治家や地方自治体の汚職、権力を持つ立場の
人間が公共事業の発注で賄賂をもらっていたという事件等々、テレビ報道などを
観ていて、逮捕された人たちが少し気の毒に思えることがあります。というのは、
彼らはみんな 「なんで俺だけが摘発されるのか。みんなやっていることなのに」
といった顔をしているからです。
みんながやっているとは思いませんが、おそらく彼らはそう信じているのでしょう。
なぜ、そんな気持ちになるのか。自腹を切らない習慣、おごってもらうばかりの
生活を長く続けてきたからです。政治家や地方行政の長をやるような人が無教養
の人間である筈がありません。だけどそういう人でも、狎れによって正常な神経が
摩滅してしまうのです。
自腹を切るのは痛いものです。だけどそれを我慢して自腹を切っていると、今度は
相手の痛みがわかるようになります。また談合で物事を決めたり、賄賂に動かされ
ることが、いかに人間として堕落した所業であるかがわかります。さらに飲んだり
食ったりゴルフをしたりという接待がいかにむなしいものであるかもわかってきます。
今はもう昔ほどではありませんが、接待ビジネス等が平気でまかり通るのは、誰も
自腹を切らないからです。汚職だってそうです。出所不明のいい加減なお金だから
人にポンとやれる。貰うほうもポンともらえる。接待などを全否定する気はありませ
んが、たまには自腹を切ってみてはどうでしょう。
見えないものが見え、感じられないことが感じられてくるのではないでしょうか。
本日は以上です。
熊本で遊ぶ。熊本でお仕事。どちらもお泊りなら
→ http://www.kamenoi.com/kashima/ (o^-')b
小さいから楽しいホテルの経営