楽天が7月19日に発売した電子書籍端末「コボタッチ」。発売直後にソフトウエアの不具合が見つかると同時に、初期設定する購入者が集中して不安定な状態が続くというトラブルが相次いで発生した。楽天の電子書籍チームはコボの本社があるカナダのチームと24時間体制で改修に当たり、数日内で問題を解消した。
7月27日、楽天の三木谷浩史会長兼社長へのインタビューの機会を得た記者は、次々と飛び出す強気な発言に正直驚いた。「100点ではない。けど95点くらい」「反省すべき点がゼロとは決して言いません。しかし、問題点にスピーディに対応できたし、これは大成功だったと思います」。これをこのまま書いたら火に油を注ぐ結果になると正直思った。事実、まとめたインタビュー記事は読者の方々に対し、楽天の印象を極めて悪いものにしてしまった。
読者の方々の反応は様々だが、多くは辛辣だった。「2000〜3000人は少数と言えるのか」「メーカーでは考えられないこと」「モノを売る会社のトップが言うことではない」「事前にテストをしていればつぶせる問題だったはず」などなど。
一つひとつの意見を読んで改めて感じたのは、日本の消費者の品質に対する要求の高さだ。もともと日本の消費者は世界でも類を見ないほど目が肥えていると言われる。海外から上陸してくるBtoCビジネスを展開する企業に取材に行くと必ず言われるのは「日本の消費者に受け入れられれば他国でも勝てる」という台詞だ。これまで高品質、安全性、耐久性といった日本製品の神話を支えてきたのは根底に“厳しい目を持つ”日本の消費者がいたからにほかならない。
しかし今、日本企業、特にこれまでグローバルで活躍してきた製造業が世界で急速に競争力を失っている。1つの会社ならまだしも、一斉に苦況に陥っているのは、単なる一企業の経営判断ミスだけでは説明がつかない。日本の消費者が急に変わったのかと言われるとそうではない。楽天の件を見ても、依然として企業に対して厳しく品質を問う姿は健在だ。消費者のニーズは相も変わらぬまま、企業だけは凋落の一途をたどる。
「スピード」と「品質」の二律背反
ここで改めて楽天のコボタッチを巡る日本の消費者の反応から、今、日本企業が置かれている立場について考えてみたい。
楽天がカナダのコボの買収を発表したのは2011年11月。買収を完了したのは2012年1月。ソフトウエアの日本語化作業、出版社との交渉、「EPUB3.0」と呼ばれる世界標準のフォーマットへの変換、販売店や書店といった販売チャネル側との交渉など、数多くの作業を約半年間という短期間で進めてきた。かねて参入を噂されてきた米アマゾン・ドット・コムの動きを見ながら、とにかく急ピッチで進めてきたのは間違いないだろう。
可能な限り販売経路を増やしたい出版社は、できるだけ多くの電子書籍ストアに対応しようとする。一方、そうなれば電子書籍端末を販売する企業は、コンテンツで差異化を図るのが難しくなる。しかも、電子書籍端末は1人で何台も持つ代物ではない。冒頭で触れたトラブル発生を加味すれば、楽天は「品質よりもスピードを優先」させたのは明らかだ。
しかし、その品質に対して日本の消費者は殊のほか厳しい目を持つ。スピードを重視すれば完璧な品質を追求できず、品質重視であればスピードを犠牲にせざるを得ない。世界でも要求度の高い日本の消費者は当然、「両方に決まっている」と言うかもしれないが、現実問題として、「スピード」と「品質」の両方を同時に実現するケースはまずない。この二律背反は常に経営者の頭を悩ませるテーマと言える。
三木谷社長へのインタビュー中、米アップルの故スティーブ・ジョブズ氏に突如触れた箇所がある。「ローンチ(立ち上げ)時に起きた細かい問題の整備やコールセンターの24時間対応、機能改善など、アップルのスティーブ・ジョブズ氏じゃないけど、直接指揮を執りました」と三木谷社長は述べた。
なぜ突然、ジョブズ氏の名が口から出たのか、その時は不明だったが、三木谷社長の言わんとするところは後から分かった。三木谷社長は何もジョブズ氏と自分を重ねることが目的で発言したわけではない。イノベーションを起こす過程について話をしただけだ。
米アップルの歴史は品質改善の歴史
ジョブズ氏が2000年代に入って次々に世に送り出してきた「iPod」や「iPhone」などの画期的な製品は次々と市場を切り開き、イノベーションを起こしてきたと同時に、アップルの存在を不動にしてきた。アップルが世に出す製品の完成度の高さに異を唱える者は今ではほとんどいない。しかし、ジョブズ氏もまた「スピード」と「品質」の二律背反に悩んだ経営者の1人だと言える。実際、アップルとして大変だったのは常に商品を世に送り出した後だったからだ。
記憶に新しい人も、そうでない人もいるかもしれないが、2001年後半に発売し始めた初代iPodは電池の消耗、劣化が激しく、交換費用が高額だったため米国では集団訴訟にまで発展した。その後、バッテリーの無償交換に応じたり、商品券を渡したりと対応を重ね、2004年には内蔵電池を改良するに至った。
2005年に投入した「iPod nano」ではバッテリーの過熱・発火問題が発生。当初はこうした事実を否定していたアップルも、経済産業省が、重大製品事故が6件、非重大製品事故が21件発生していると原因や対策を求めたことで、「第1世代iPod nano バッテリー問題について」とプレスリリースを配信した。「ごくまれなケース」「これらは1つのバッテリー・サプライヤーからの供給であることを特定している」「すべて第1世代iPod nanoであり、0.001パーセント未満」「重大な人的被害や物的損害は報告されておらず」と交換に応じると表明したものの、事故そのものに対して否定的、かつ自社の責任をかわした。
その後、アップルは今のスマートフォンブームの火付け役となるiPhoneを2007年に世に送り出す。国内では初めての「iPhone 3G」が発売されたのは2008年7月11日だが、その約3カ月後、2008年10月21日の日本経済新聞夕刊にはこんな見出しの記事が掲載されている。「iPhoneに失速説――相次ぐ不具合が原因?」。小売りデータでは堅調な販売数を維持しているiPhoneに失速説が流れている、その原因は相次ぐ品質トラブルにあるようだと指摘する記事だ。
この際のトラブルは多岐に渡った。クラウドサービス「モバイルミー」がうまく動かず、8月5日には世界中で新規申し込みの受け付けを中止。9月下旬にはiPhone用の充電器に不具合が見つかり、10月10日から無償交換を開始。そのほか、バイブレーター機能が働かなくなったり、使用中のアプリケーションが突然終了したり、全く操作を受け付けなくなったりとトラブルが頻出した。
記事ではこう触れられている。「完ぺき主義者で知られるスティーブ・ジョブズ氏が率いるアップルにしては、モバイルミーともども完成度が低いまま世に出した印象がある」「多機能端末の本当の覇権争いは、欧米に第3.5世代以降の高速携帯通信網が普及するこれからが本番。アップルがリーダーの座を確立するには品質改善を急ぐ必要がありそうだ」。
アップルの歴史は品質改善の歴史でもある。ジョブズ氏の指揮によって改善を急ぎ、今ではスマートフォン市場で不動の地位を得るに至った。忘れがちだが、改善に改善を重ねてここまで成長してきたのが今のアップルだ。こうしたスピード重視経営を“インターネット的”と切り捨てるのであればそれまで。しかし、米アップルはこうした経験を経て、結果的に品質を高め、イノベーションを起こし、世界で最も時価総額の高い企業に成長した。これを否定できる人は誰もいない。
楽天の三木谷浩史社長があのタイミングで強気発言に至った背景には、こうしたIT(情報技術)業界の歴史認識から来たものだと記者は見ている。品質に何かがあっても、その後の改善のスピードこそが重要。“ものづくりニッポン”のメーカーからすれば、世に出す製品の品質を少しでも疎かにするなどあってはならないことだろう。しかし、消費者の厳しい目に耐え得るべく、完成度の高い製品を世に出すために、商機を逸してしまう日本企業は多い。そして、消費者の細かい要望に応えていった挙げ句、グローバル市場では戦えない代物になっているケースもまた多いのが事実だ。
以前、お会いしたグーグル元会長の村上憲郎氏が語った言葉が脳裏に浮かぶ。
「今の日本の伝統的な企業経営者や取締役の世代は、戦後の日本を安全で安心な国にすることに大いに力を発揮してきました。壊れないモノを作り、注文すればすぐに届く。こんなにも素晴らしい社会インフラを作り出してきたことは、世界に誇れるでしょう。ただ、結果として日本は今、過剰品質の弊害に苦しんでいます。すべてにおいてスピードを犠牲にしています」
「例えば米国企業は、甚大な被害が及ぶ可能性がある場合を除き、平気で完成度の低い製品やサービスを世に送り出します。顧客からフィードバックをもらい、改善を重ね、完成度を高めていく。何よりもスピードを最優先します。一方、日本企業は様々な心配事を一つひとつ潰して、ようやく世に送り出す。これでは競争のスピードについていくことは難しい」
「日本企業が萎縮していることも背景にあるでしょう。日本の消費者は品質に対する要求がことのほか細かい。そして最近は、少しのミスも許さないという風潮があります。これは企業だけの話ではありません。政治家に対してもそうですね。ちょっとしたミス、ちょっとした失言がすぐに命取りになる。メディアにも責任があります。これでは日本全体が臆病になるのは当然です。ほんの少しミスがあっただけで、本当にダメですか?」
「過剰品質を捨て、臆せず未完成品を出せ」と説く村上氏の主張。そして楽天のコボタッチを巡る今回の騒動。企業が市場を創り、市場が企業を創るのであれば、スピードの速いグローバルでの競争時代を迎えている今、「品質」にのみ目がいきがちな我々メディア、そして日本の消費者は取り残されているのかもしれない。先人たちが培ってきた“隙のない”プロダクトに囲まれてきた半面、「不完全なプロダクトの成長性」を見極める力は養われていない。結果よりもプロセス、過程にその成長性を見い出せるようになれば、日本市場はもう一度、世界で戦える企業を創り出せるのではないか。