「犯人捜し」が冤罪の温床に
-無罪推定原則の徹底を−
関西マスコミ文化情報労組会議と人権と報道関西の会が共催する「人権と報道シンボジウム」が昨年十一月十八日、大阪市のホテルで開かれた.第八回を迎えた今年のテ-マは「松本サリン事件券儀証する」。元共同通信記者で同志社大文学部教授の浅野健一さんの基調講演の後、同事件で犯人視された報道被害者、河野義行さん、元読売新聞記者で推理作家の芦辺拓さん、弁護土の岡本栄市さん、同志社大新聞学研究会の神谷久美子さんに浅野さんを加えた五人でパネルディスカッション。『非公式な情報』を集めながら「犯人探し」を続ける事件報道が後を絶たず、その構造が冤罪の温床になっている現状が、改めて浮き彫リにされた。(田仲健二)
浅野さんの基調講演は以下の通り。
メディア責任制度の確立を
【基調講演】
私は1994年9月14日に初めて河野さんとお会いした。この頃は、いつ逮捕されてもおかしくないような状態だった。翌年四月になってようやく各社は紙面や番組で河野さんに謝罪し、「松本サリン事件へのオウム真理教の関与が当局の調べで明らかになってきた」ことを揃ってその理由に挙げている。そこには自社の「判断」といったものが完全に欠けている。
事件二日後の6月29日から各社は「会社員が農薬の調合に失敗?」という記事記を載せた。その後の検証記事などから判断すると、28日夜の段階で長野県警から情報が流れて、同事件の報告が上がるとみられる警察庁幹部に夜回リを駆けた。しかし明確な裏付けの取れないまま、現場の声に押される形で出稿されたらしい。事件報道の構造的欠陥は少しも改善されないまま、警察庁の幹部と東京社会部は前年に続いてオウム報道で同じ轍を踏んだ。オウム教団の問題点と「刑事事件をどう報じるか」という問題は分けて考えるベきである。マスコミ各社は、89年に被疑者の呼び捨てを廃止した時、「無罪推定の原則」(毎日新聞)や「新聞は社会的な制裁を加える機関ではない」(読売新聞)ことを、その理由に掌げた。当然、オウムの幹部にも無罪推定の原則や黙秘権は認められるべきだ。しかし麻原被告はこれまで十回以上も逮捕され、代用監獄に入れられた。人権擁護団体、アムネスティーが長年、日本の代用監獄に警鐘を鳴らしてきたにも関わらずだ。本当に「オウムだけは待別」なのか?70年代も、三菱重工爆破事件や浅間山荘事件などが起こるたびに、「今回は特別なのだ」が繰リ返され、過激派をテーマに小説を書いた作家が、何の関係もないのに家宅捜索されている。ジヤーナリズムの本来の役割は、警察が正当な手続を踏んでいるか、市民の視点でチェックすることだ。松本サリン事件でも被疑者不祥で捜索するという、これまでにない強引さが目についたるしかし実際にはジャーナリズムは警察と一緒に犯人を探していた。
このような報道被害が続けば、権力側からメディアを規制する動きが出てこないとも限らない。その口実を与えないためにも、個々の記者の倫理性を高めながら、市民の手で報道をチェックす「メディア責任制度」を確立すベきだ。河野さんは事件報道に二つの要望を述ベている。犯人探しを改めることと、非公式な情報は非公式であると明記して記事を書くことだ。この二点を守るために何をなすベきか、市民と報道被害者、マスコミ内部で真剣に受け止めている記者が連帯し、市民運動がまきおこることを期待する。
続いて、河野さんが一連の経過を報告した。
河野さんは94年6月27日午後11時前、突然妻が激しくけいれんを起こし、介抱しているうちに自分も吐き気をもよおし、幻覚症状が出た。そして翌月30日まで入院した。マスコミが「会社員(河野さん)が『農薬の調合を間違えた』と話した」という情報の裏取リに走っていた6月28日夜、松本署の幹部が三度目の聴取に訪れた。あとで考えると、ちようど自宅が家宅捜索されていたころのことだ。開口一番、「何があったのか正直に言って下さい」と言われ、容疑者扱いされていることが分リ、腹が立ったという。しかし捜査に協力するのが筋だと考え、その夜のことを時間を追って説明。農薬は前年に一度使ったことがあること、そして94年は使っていないことを話した。翌29日の新聞に「調合『間違えた』救急隊に話す」という事実無根の記事が掲載された。NHKによると、同日までに同局は該当の救急隊員三人を取材して「(河野さんは)そういう話はしていない」との言葉を全員から聞き出している。「事実誤認が判明した時点ですぐに訂正していれば、その後の流れは変わったはず。あれだけの誤報を打っておきながら、訴状を準備するまで訂正も謝罪もしない。それがマスコミの体質だ」と河野さん。
警察が「原因物質はサリンと推定される」と発表した7月3日、地元新聞から農薬を配布した事実の確認を求める質間書が送付されてきた。『記事を出した後に確認を求めてくる。おかしな態度だと感じた』。また15日には、読売新聞に「薬剤使用ほのめかす」という非難をあおるような記事が掲載された。「当時、16日に私が退院するのでは、との情報が流れていたため、その時期にひっかけて警察がリークしたのだろう」。2月には「河野さんの息子はオウム信者」との噂が東京で流れ、その確認に河野さんを訪れた記者が取材したところ、そのデマの出どころが警察だったことが分かった、という。河野さんは「警察は事実か否かは関係なく、自分に都合の良い情報を意図的に流していた。記者はそういう認識をもって、注意しながら仕事を進めて欲しかった」と話した。
初期報道では河野さんは匿名で扱われていた。しかし事件直後に被害者として住所と名前を掲載されたため、「松本市○○○(地名)の会社員(44)」の宛名で嫌がらせの手紙を受けた。(人物を特定できない)本当の匿名でないと意味をなさない」と当時の報道を批判した。
次にディスカッションに入った。
最初に、芦辺さんが自らの記者時代の体験を基にマスコミの体質の問題点を提起した。「現場の記者は個人的に疑問を持っても、デスクの方針に逆らうことはできない。デスクは上司の命令に従って方針をたてている」。こうした「階級制度」が批判を許さない体質を作リ、苛烈な労働条件が記者が事件報道を検証する余裕を奪っている、と指摘。神谷さんも「こうした現状の下で報道被害を防ぐためには、外国にある報道評議会やプレスオンブズマンなどの『メディア責任制度』を確立すべき。マスコミに頼らず、市民も、報道が真実かどうか、自分で判断する目を養う必要がある」と訴えた。
女性五人が被害にあったとされる「大阪・奈良連続女性殺人事件」で被疑者の弁護を担当する岡本さんによると、この事件の被疑者は、拘留中に警察官から暴行を受けたことを訴えているにもかかわらず、五人殺害の犯人であると断定する報道をされた。「現実に供述調書は取られたが、自供に至る経過にはさまざまな問題があリ、公判ですべての容疑について否定する可能性もある。被疑者の言い分を記者会見で訴えたが、それを掲載した新聞はなかった。マスコミは無罪推定の原則に則らず、警察の応援団になっている」と、近代法の理念に反した報道の実態を批判した。会
場との討議で、民放のニュース番組キャスターから、「現行の刑事手続では逮捕後
72時間以内は、その事実をだれかに知らせる手段がない。被疑者の権利を守るために実名報道は必要ではないか」などの質問が出された。これに対して浅野さんは「当番弁護土制度を活用すれば拘留の事実を伝えることができるはずだ。そういう疑念を持つのならば、報道機関は『逮捕段階で被疑者に弁譲士をつけるべきだ』と世論に訴えて欲しい。現状の実名報道は冤罪を防ぐ方策としては使われていない。だから被疑者の権利を守る根拠にすべきでない」と反論した。
参加者の感想です。
■現在の報道は本当の意味でのジャーナリズムではないと強く感じました。スウェーデンでなされているような制度が日本でも導入されればいいと思いました。匿名、実名と言う事では私も考えています。ゼミで先生に「結婚詐欺師の名前を出せば、編されずにすむ人がでるかもしれない」と言われるとうまく言い返せない私ですが、報道によって一人でも傷つく人が出ないような状況になってほしいと思います。(2O代女性)
■新聞もテレビの記者も全てが法律を学んでいるわけではない。特にテレビ局で
は娯楽蓄組を制作したい、タレン卜に会えるから、事業の仕事をしたいから入局
したものもいる。時にはそんな人も報道記者に辞令一つでつくこともあるのが現
実。「報道する」立場についた時にはまず「人権のこと、取材する・報告するこ
と」とはどんなことなのか、許される限リの基本ルールは何かということを学んでから現場に出るべきだと思う。見て覚えろと、まず「サツマワリ」に新人を出すのはおかしい。(5O代女性)
■報道がいかに人権感覚を欠いているかがよく分かった。また河野さんの冷静な態度に敬服しました。マスコミの横暴さに対して、弱い立場の市民がどう自己防衛するのか、考えさせられました。(4O代男性)
■オウム心理教は仏教団体と思っていたのですが、マスコミによってとんでもない団体であることを知らされたので、よリ深くこの団体の真実の姿を知ることができ、恩恵を受けたのも事件です。今回、浅野氏の講演でマスコミ報道の行き過ぎを知らされ、今後報道には厳しい目でチェックしていこうと思いました。(3O代男性)
■毎日、朝日など誤報を反省した妃事を掲載しているが、そこから内部機構、取
材方法、新人記者の教育などに改革が及んでいないのだろうか。文書化されるこ
とが望ましいが。この点で各社にアンケー卜がほしかった。(1O代男性)
■私は現在高校3年生です.高校に入り、ようやく「人権」がどういうものなのかが分かってきて、今回このシンポには啓蒙されました。私はこれまでマスコミの報道(明らかに興味本位とわかるワイドショー等を除いて)は全く真実だと考えていたので、今回いろいろな方のお話を聞いて恥ずかしくなりました。これからは報道に対してはあくまでも懐疑的な姿勢を堅持しなければならないと思いました。(1O代女性)
■河野さんのお話を記者ハンドブックにすれば良い。(刑事事件報道の基本がすべて含まれている)河野さん宛のハガキを拝見してマスコミ報道が新たな「犯罪者」を産み出していることにリつ然とした。(5O代男性)
■河野さんを被疑者にした根拠の脆弱さを改めて知った。捜査の実体、警察の情報操作を垣間見ることができた。岡本さんの弁護士の立場からの発言に特に感動した。全体に密度の高い、充実したよい集会でした。ありがとうございました。(6O代女性)
■河野さんが指摘されていた報道する側の問題点として、先にイメ-ジ・ス卜ーリ-を作リつじつま合わせの記事・番組を作る、取材する側の知識不足、誤報を認めた後も訂正を行わないという体質。まさに今のマスコミのボイン卜をついていると思う。社会的正義とはまず真実を追求することから始まる。この努力をなくして安易に警察情報に頼ったリする事の危険性は書く側が、番組を作る側がもっと自覚すべきであろう。(3O代男性)
■ジャーナリス卜の人権感覚のなさはよく知っておリます。(専門誌の記者をしていますので) 一方で、一般の人々のメディア絶対主義もかなリ問題であると強く思います。(2O代女性)
不思議な記者会見に出くわした。12月14日、参天製薬の取締役と幹部社員が、熊本大学医学都で行われた新薬の臨床試験に絡んで医師に便宜を図ってもらい、謝礼を支払ったとして贈賄で起訴された。それを受けての森田隆和・同社社長の「おわび会見」だ。「世間をお騒がせして申し訳あリません」と頭を下げたものの「文書や症例記録の作成などをお願いしておリ、お手数をかけた相応の謝礼。当時はそれが晋通で、その後業界で謝礼などのガイドラインができた」と説明した。また、社員らは弁譲士を通じて犯意を否認している、と告げた。
不当起訴であリ、冤罪と言っているのと同じなのだが「起訴状を見ていないので詳
細は分からない」と言うばかリで、社員を守る気概は感じられない。では、なぜ謝ったのか。「世聞を騒がせた」からだ。法に照らした無罪の主張でもなく、経営者としての責任を認めている訳でもない。極めてあいまいな「陳謝」にすぎない。業界では「公務員個人への謝礼はもともとしないのが常識」という指摘もあリ、事実関係は今後法廷で明らかになろう。
しかし、こうした「まず、陳謝あリき」の風潮が容疑者の無罪推定の徹底を妨げ、報道による「社会的制裁」の先行を許す素地になることを恐れる。結局、会見内容は記事にならなかったが「世間」を代表した顔をして会見に臨む危険を改めて実感した。(彦)
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