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2012年8月25日 (土)

今原発を止めなければならない理由(4)

原子力発電とうものからきっぱりと足を洗うべきだという私の主張は元原子力技術者の杉山弘一氏から激しい反論がなされた。私が今すぐ原発を廃炉にすべきだとした議論の論拠とした菊地洋一氏や小出裕章氏の著書が「デタラメ本」だとまで酷評された。元より私は原子力発電という技術の門外漢である。一素人である。しかし、原発問題を玄人だけに任せておくのは大変危険なことだと自覚したので、私なりに考えたことを述べた。今全国で澎湃として起きている反原発の大きなうねりは、3・11の事故で被害を被ったり、これから被る危険に気づいた人々の悲鳴に近い叫びの表れだと思う。杉山氏はこうした大衆を蔑視され、無知な連中が騒ぎたてて風評被害を煽っている、と批判する。しかし、16万人の福島の住民が故郷を追われ、帰る当てもない難民暮らしをしているのである。こんな事故は二度と繰り返してはならない、と思うのが当然だろう。杉山氏はかつて氏もその一員だった原子力ムラに復帰されたかのように見える。すくなくとも、私が知っていた3・11以前の杉山氏は原子力発電に対しアムビバレントな価値観を持っているようにみえた。私が勝手にそう思いこんでいただけだったのかもしれない。

ともかく、私は杉山氏が推奨する本の』一冊安斉育郎『福島原発事故』を読んで、私の考えが変わるかどうかよく見てみようと思った。

結果を申しあげると、原発を止める方向を選択すべきだ、という確信はいよいよ強まっただけです。杉山氏の言うように取敢えず現存する原発を運転し続ける、という選択はますます選んではいけない、という思いが強まった。杉山氏は安斉育郎氏を高く評価していることに異論を唱えるつもりはない。異論どころか、安斉氏が分析し叙述している通りだから原発は廃止しなければならないのである。安斉氏は本の冒頭にこう書いている。

「今からおよそ半世紀前、私は東京大学原子力工学科の第一期生でした。学生実験の課題の一つに、多量の放射線を浴びせたネズミが手足を痙攣させながら死んでいく過程を観察する衝撃的なレポート課題がありました。動物愛護の観点からは、教育目的の実験とはいえ、残酷です。学生たちは、放射線は目には見えないが、確かに存在し、生体を傷つける魔性を秘めていることをイヤという実感させられました。
 深刻な事故が起こっても、現場の様子を直接観察することさえままならない、それが原子力事故の特徴の一つです。事故の本態が見えてこないので対策も手探りにならざるを得ず、対症療法的になります。福島原発事故への対処も、まさに、試行錯誤の連続でした。対策を実行しようとすると、高い放射線が作業員の前に立ちはだかりました。福島原発事故のもう一つの特徴は、全部で六基ある原子炉施設のうち、一号機から4号機で次々と爆発などの深刻な異変が起こり、事故への対応を一点集中できなかったことです。
 さらに、原発は、たとえ運転を停止しても、運転中に核燃料に溜まった大量の放射性物質が放射線を出し、その熱で核燃料が破損・溶融する危険があります。ひたすら冷やし続ける必要があるのに、非常用の冷却系がほとんど全滅し、強制的に水を注入せざるを得なくなりました。ところが、注入するととてつもなく高い放射能で汚染された水が施設内に漏れだすという事態が起こりました。注入しないと核燃料が危ない、注入すれば放射能が漏れだすどちらに転んでも大変です。・・・」

安斉氏は原発の事故が避けがたいものであることを説明されながら、決してすぐ廃棄に向かえとは言いません。これは私には不思議でなりません。大事故が起きたらどんなことになるか、福島を経験で十分知っていながら、原発は止めなければいけない、とは言わない理由は何なのでしょうか?そこに私は技術者の限界を感じます。技術者は自分の技術の延長でしか考えることができないのです。安斉氏のように良心的で原子力のなんたるかを裏表を知り尽くした方であっても、きっぱり原子力発電を捨てるという発想はできないのです。私が原発問題を技術者に任せておくのは間違いだと確信するのは、このためです。原子力ムラの住人でなくても、原子力を続けるか否かという本質に関わる意思決定には、技術者の意見はせいぜい参考程度にとどめるべきです。では誰が意思決定するか?民衆がするのです。衆智を集め、討議を重ね、多数決で決めるべきです。杉山氏は「日本には原子力を本当に理解している者は自分を含めて4人しかいない」と言われたことがあります。こういう人物は非常に危険です。杉山氏に私は激しく攻撃されました。学んだこともありましたが、4人しかいない、と聞いて、その自信のほどに感心するより、危うさを感じました。

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コメント

私にも守るべき名誉があるので一言。

 私が、「日本には原子力を本当に理解している者は自分を含めて4人しかいない」と言ったというのは、峯崎さんの妄想です。
 そんなこと思ったこともありません。そもそも原発の設計は高度の分業化が進んでいてチームワークで行うものです。誰かがすべてを掌握するなどあり得ません。

<技術者の意見はせいぜい参考程度にとどめるべきです。では誰が意思決定するか?民衆がするのです。衆智を集め、討議を重ね、多数決で決めるべきです。>

 多数決で即時廃炉を決めればいいと思います。決めても出来ないものは出来ませんが、決めるのは勝手ですから。

沼田の歴史家はかつてこう言われてました。

「お城に詳しい専門家の意見を叩いたことのないんだろうね。たとえば、せめて、都市交通の大家であり、城の研究者としても一流である新谷洋二博士などのご意見を伺うだけの準備をしてからアイデアを語ってもらいたい。」

http://numata-city.kazelog.jp/numata/2008/12/post-e9e3.html


これも峯崎さんの発言。
「高柳さん、杉山さんのような専門家の話を理解できるだけの勉強をし、次にはよく聞きなさい。」

http://numata-city.kazelog.jp/numata/2012/06/post-8951.html


これも。

「グリーンベル21の権利者たちは、バブル時期の価値観に乗って、採算が取れないだろうという専門家の忠告を無視してこのビルをつくった。」

http://numata-city.kazelog.jp/numata/2008/12/post-8bf5.html


これも。

「グリーンスパンは火事は、限定的でサブプライム市場さえ鎮静化すれば収まると言っていた。外国にまで広がることはない、と言っていた。今現在そんな楽観的な見通しを持つ専門家はほとんどいない。」

http://numata-city.kazelog.jp/numata/2008/03/post-7ad2.html

 峯崎さんは、都合によって専門家という言葉を使い分けているとしか言えません。こういうのを二枚舌というのでしょう。
http://numata-city.kazelog.jp/numata/2009/08/post-0cb6.html

<技術者の意見はせいぜい参考程度にとどめるべきです。では誰が意思決定するか?民衆がするのです。衆智を集め、討議を重ね、多数決で決めるべきです。>
 多数決で即時廃炉を決めればいいと思います。決めても出来ないものは出来ませんが、決めるのは勝手ですから。

これも、二枚舌っていうんじゃねえのか?


民衆の多数決をバカにすんじゃねえよ。責任の所在がはっきりする、国民投票を施行しようとしない政府に言えよ。

タイムラグや既得権益排除の必要があるなら、そこをサル知恵議論でカバーしろよ。端から民衆をバカにした、反脱原発運動破りはウサン臭せえぞ!杉山さんよ!

民衆組さん
あなたのコメントは当ブログ運用上好ましくない言葉の表現がありますので警告します。この行為が度重なる場合はあなたのコメントを削除します。【新ブログ運営委員会】

民衆組さん

1 <これも、二枚舌っていうんじゃねえのか?>との批判を頂きましたが、「二枚舌」とは前と食い違うことを平気で言うことを言います(大辞林より)。
 私は峯崎さんのように前と食い違ったことを平気で言っているつもりはありませんが、自分で気づかないだけかもしれませんので、食い違っている前の発言を具体的に示して頂ければありがたいです。

 なお、前の発言とは名義が同じである必要はないと思っています。別名義でも実質的に同一人であるような場合は、異なった名義での発言であっても二枚舌と批判されるでしょう。
 例えば、民衆組さんと新ブログ運営委員会さんのコメントは同じIPアドレスから投稿されていますので、事情によっては実質的に同一人によるコメントと判断されるでしょう。事情を詮索するつもりはありませんが、これも二枚舌の一種と疑われても仕方ないでしょう。もっとも、こういうのはマッチポンプという批判の方が適切かもしれません。

2 <民衆の多数決をバカにすんじゃねえよ。>とのことですが、バカにしたつもりはありません、勝手にそう思われているだけです。

 そもそも、選挙のように多数決にふさわしいものとそうでないものがあります。技術的な判断は多数決にはなじみません。また、社会的なことも多数決になじまないものが沢山あります。
 即時廃炉にするためには使用済み燃料をどこかで貯蔵する必要がありますが、その貯蔵場所を多数決で決められますか。国民投票でどこの県に設置するのが良いかを多数決で青森や福島に決めてしまうのですか。多数決が民主主義だと思っているのなら大間違いです。

3 <責任の所在がはっきりする>とのことですが、どうしてはっきりするのでしょうか。国民投票で決めれば、みんなで決めたということになって、責任の所在は不明確になるだけでしょう。こんなことも解らないとは呆れ果てます。もっと、きちんと考えないとダメです。
 ついでに言っておきますが、新ブログ運営委員会という名義であなたのコメントに警告を与える行為も責任の所在がはっきりしてませんよね。
 また、問題点を具体的に指摘せず、基準も示さず「運営上好ましくない」というのも、いただけないですよね。これでは恣意的な運用がいくらでも可能です。だからこそ、運営委員会などというさも公平性を装った名義を使う必要があったのでしょう。恣意的な行政運営を批判して来たはずの人達がこれですから、落ちるところまで落ちたかと。

4 <国民投票を施行しようとしない政府に言えよ。>とのことですが、そういった他人任せの態度が、民主主義を機能不全に陥らせているのだと思います。パブリックコメント制度もあるのですから、ご自分で言わなければダメです。

5 <タイムラグや既得権益排除>というのは唐突すぎて何を言われているのか意味不明です。

6 <そこをサル知恵議論でカバーしろよ。>とのことですが、こういう専門家に丸投げする態度を峯崎さんは批判されているのです。あなたはそれも解っていない。自分の頭で考えなければダメです。あなたのような方は、およそ民主主義の担い手ではありません。最低のコメンテーターです。

同じIPで投稿ってことは自作自演コメントですね。
ブログ運営側が自演コメントし放題だと、いくらでも恣意的な運用が可能になってしまいますよ。

ところで、前のブログで木暮氏が自演コメントをしたとカミングアウトしていますが、そのときは(自演コメントを書き込んだ当時は)管理者の杉山氏は自演を指摘せずに放置していました。
自演に気づかなかったのですか?

 いちいちIPアドレスをチェックしているわけではありませんし、メールで届いたコメントは、私が代行入力していますから、皆同じIPアドレスです。そういう事情があるので、IPアドレスが同じでも必ずしも自作自演とは限りません。
 
 どこのブログでも運営者は自演コメントはし放題です。ブログとはそういう恣意的なものです。問題の本質は、管理者が自分の責任において警告するのではなく、運営委員会という公平性を装った名義を使ったことにあると思っています。

>いちいちIPアドレスをチェックしているわけではありませんし

今回、IPアドレスをチェックしたのはなぜですか?

>メールで届いたコメントは、私が代行入力していますから、皆同じIPアドレスです。そういう事情があるので、IPアドレスが同じでも必ずしも自作自演とは限りません。

メールのヘッダをみれば送信元のIPはわかります。

>どこのブログでも運営者は自演コメントはし放題です。ブログとはそういう恣意的なものです。

ブログとは、そういった恣意的な二枚舌やマッチポンプコメントがあってもいいという考え方なのですか?

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