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神戸連続児童殺傷事件の弁護団長が初めて明かす「少年A」の実像。少年法の厳罰化では非行はなくならない。
野口 善國 (著) 1997年神戸連続児童殺傷事件の弁護団長を務める。88‐90年神戸弁護士会少年問題対策委員長。現在、兵庫県弁護士会子どもの権利委員会委員、同人権擁護委員、神戸拘置所篤志面接委員、保護司.
いきなりですが、厳罰化に効果があった典型例もあります。
近年、酒気帯び、酒酔い運転の罰金が上がったら、とたんにお酒を飲んで運転する人が減りましたよね。お酒を飲む前は損得勘定が働きますから、お酒飲みもビビっちゃって、厳罰化が功を奏しました。
ところが、厳罰化が役に立たないと立証されているのが実は、凶悪犯罪中の凶悪犯罪、殺人です。
古来、殺人はドラマになるような計画殺人は稀で、殺人事件と言えばほとんどカッとなって起こす激情型衝動殺人なので、殺しちゃたら死刑になるからやめておこうなんて冷静に計算できないんです。
これが死刑反対論者の根拠の一つで、死刑には凶悪犯罪を抑止する効果が統計的に見られないというものです(アメリカやイギリスなどで死刑を廃止したり復活しても、凶悪犯罪の数に有意な差が表れない)。
ところで、少年の一般犯罪も凶悪犯罪も、下の表のようにもう10年近くも減少の一途をたどっているのに、以下のような報道がされています。またぞろ官僚の権益拡大のために、さらに政治家の安直な人気取りのために、青少年の成長にとって有害な法改悪がなされるかもしれません。
法務省、少年の刑罰の厳罰化 2013年通常国会に改正案提出へ
少年による凶悪犯罪が相次ぐ中、法務省は、罪を犯した少年の刑罰をより厳しくする方針を固め、2013年の通常国会で改正案を提出する方向で検討を進めている。
滝法相は24日午前、「成人に対する量刑と少年の量刑がギャップがありすぎるという議論は、昔からある」と述べた。
現行の少年法では、罪を犯した少年に対して言い渡せる有期刑を最長で懲役15年と定めている。
また、犯罪時に18歳未満だった少年については、成人の場合は無期懲役を言い渡す犯罪でも有期刑になるほか、死刑を宣告できないなど、成人より刑を軽くする規定が設けられている。
法務省では、少年に対する有期刑の年数の引き上げなどを検討し、早ければ9月にも法制審議会に諮り、2013年の通常国会に改正案を提出したい考え。
(FNN 2012/08/24 13:25)
少年による刑法犯の検挙人員の推移には,昭和26年の16万6,433人をピークとする第一の波,39年の23万8,830人をピークとする第二の 波,58年の31万7,438人をピークとする第三の波という三つの大きな波が見られる。59年以降は,平成7年まで減少傾向にあり,その後,若干の増減 を経て,16年から毎年減少し続け,22年は12万7,188人(前年比4.1%減)であった。人口比についても,16年から22年まで毎年低下している。
ところで、今回の主題ですが、厳罰化が役に立たないとしたら、子どもたちのいじめや少年の非行はどうしたらもっと減らしていけるのでしょうか。
ちなみに、飲酒運転の例で言うと、酔っ払い運転はなぜ悪いんでしょうか。それは、お酒を飲んで運転したら人をはねて死なせてしまうかもしれないから、危険だからですよね。なのに、罰金高いからやめておこうというだけの人はどうなるか。なかには他人に悪いから飲酒運転しないでおこう、というのではない、損得勘定だけの倫理観の低い人は、絶対バレないという保証があれば悪いことをするということになりかねません。
しかし、実際は飲酒検問がしきりと行われるので逃げ切れないから、悪いことをしないだけなんですね。
さて、非行少年の弁護をやっていると、驚くことに100人が100人、ばれるとか捕まると思っていないんです。
たとえば、パトカーからでも逃げ切れると思っているから無免許運転をします。店員さんに見つからないと思っているから万引きをします。被害者が追い付けないと思っているからひったくりをし、先生にチクられないと思っているからいじめや恐喝をするのです。こんな子たちに厳罰化を用意してもほとんど意味がありません。
彼らは、道徳心や倫理観、罪悪感がまだ未熟で、実際に捕まってみないと、自分の行いが捕まることだと実感できないんですね。悪いことをしたらいずれは捕まるという想像力が著しく欠如しているんです。罰を受けることになるとサラサラ思っていないのですから、厳罰化なんて役に立ちません。
いや、さらに言えば、人間が本来持っているはずの予測能力・危機意識の欠落が彼らの特徴です。また、さらに、漠然と「見つかるかもなあ」「捕まるかもなあ」とは思っていても、「なんとかなるだろう」と安きに流れる、「どうでもいいや症候群」(=浅はか)に陥っていることが多いです。
とにかく、彼らは、いじめも、ひったくりも、ばれないとおもってやっているんです。ドラマなんかでは、俺は少年だから刑が軽いんだよとうそぶいて悪いことをする奴が出てきますが、そんな悪知恵で非行少年なんてお目にかかったことがありません。
私が彼ら非行少年に対して、むしろ根本的に問題だと思うのは、子どもたちが「自分のやっていることが悪い。人間として許されない」と実感できていないことなんです。捕まるからヤバい、からではだめなんです。自分のやったことが非人道的で、相手の被害者がお気の毒だと感じられていないことこそが問題なんです。
では、彼らが極悪人かというと、いじめをする子や非行少年も、皆さんのイメージとは違うでしょうが、普通の子供なんですよ。接してみれば、生身の彼らには、東野圭吾の小説に出てくるような知的犯罪者なんていません。確かに並より幼いですが、どちらかといえば、ある意味バカ正直で、むしろ非行少年は単純なある意味「良い奴」ばかりです。
でも、人間として決定的に足りないのは、自分がしたことが被害者やその家族、そして自分の家族、ひいては自分自身を傷つけることへの想像力なんです。
だから、私は付添人弁護士についたら、彼らには、自分のやったことの動機・行動・結果を徹底的に想像させ、つきつけます。
彼らは捕まって鑑別所にいますから、外にいる人と話をできるのは私だけです。たとえば、彼ら非行少年に会いに来て面会の時には笑ってくれる親御さんが、実は自宅やうちの事務所ではどんなに号泣しているか、彼らは知りません。私は必ず彼らの自宅に行って、親はどう暮らしているか、弟や妹はどんな思いをしているか、観察し、それを本人に伝えます。
もちろん、一番大事な被害者の方に何度も謝りに行って、どんなご様子だったか、事こまかに犯行当時の恐怖やその後の思いをお聞きして、鑑別所で加害少年に話すのです。
世間では、弁護士は加害者の人権ばかり大切にするなどと揶揄されますが、実際には、加害少年の弁護をする私たちにとって一番大事なのは、被害者の方の思いを汲み取ることなのです。
被害者への真摯な反省と謝罪と慰藉なくして、非行少年の更生なんてありえないのですから。
歌を忘れたカナリヤたち-子どもは必ず立ち直る 野口 善國 (著)
子どもは社会の鏡。厳罰化は何も解決しない。神戸連続児童殺傷事件で少年Aの弁護を担当した野口弁護士が、「少年法」再改正の動きに疑問を呈し、愛とゆとりのある社会と家庭の再建を訴える。
たとえば、バイク好きの少年が、他の人のバイクを乗り捨てしたり、パーツを盗むことがよくあります。
「自分がバイトでためた金で買ったバイクが、同じことになったら、おまえ、どんな気持ちすんねん?!」
こう問いかけられて、うつむかない少年はいません。
年少者をリンチした少年に、「お前の弟がおんなじことされたら、どんな気持ちがするか考えてみい!」と言われて、引きつらない子もいません。
以前、こんな事件がありました。ある少年のひったくりの被害者が、キリスト教の老牧師さんだったのです。この被害者の方は、私が謝罪に伺うと、失った大切なものは被害金品そのものではなく、
「自分の神への信仰が足りなかったから、こういう目に遭ったのではないか」
という思いだとおっしゃいました。そのことに悩んでいるのだと、苦しい心境を吐露してくださいました。
私も思いもかけないそのお言葉にショックを受け、鑑別所に行って少年にそのことをそのまま伝えました。すると、少年は鑑別所の面会室で涙が止まらなくなったのです。
この少年の場合には、保護観察になり、幸いにも被害者の方のお許しを得て、釈放後に私と一緒に被害者の牧師さんに謝りに行き、ずいぶんお話を伺うことができました。
彼にしてみれば、お年寄りだから追いかけてこないだろう、というだけで目を付けたターゲットです。非人間的な酷い感覚しかなかったのです。しかし、逮捕され、身柄拘束期間をへて、警察・鑑別所技官・調査官・裁判官・弁護士に諭され、以外者のお話を伺う中で、自分のした行為で、被害者の方の人生をかけた命そのものともいえる信仰が傷つくことさえあることに、彼は気づくことあができました。
彼は、この事件で捕まったことで、人生で初めて自分のやった行為の罪とその結果に向かい合い。「罰」を受けたのです。
こんなこともありました。私の担当した少年は、被害者に因縁をつけて恐喝して借用書を書かせました。私がその相手の被害者の方のご自宅に伺った時のこと。実は、少年に資力が全くなく、示談金をお支払いすることさえできなかったのですが、被害者はそのことを承知で自ら申し出てくださり、担当の家庭裁判所に
「寛大な処分をお願いします」
と上申書を書いてくださったのです。自分も悪さをした時期があった、少年院まで行くことはないとおっしゃって。
審判廷まで、私はその上申書のあることをわざと少年に話しませんでした。そして、審判のその日、裁判官や調査官たちの前でいきなり、彼にその上申書を見せながら、こう諭しました。
「被害者の方はな。『今回の事件を最後に必ず立ち直ってくださいね』と行ってくださったんやで。おまえなあ。遊び金欲しさに恐喝して借用証を書かせたお前と、被害者なのに見ず知らずのお前のために立ち直ってほしいと家裁にお願いしてくれる被害者の方と。人間として、どっちが大きな人間やと思う?お前はどんな人間になりたいんや」
そう話している間に、190センチはある大きな体の少年は、みるみる体を小さくして、ぶるぶる震えて泣き続けたのでした。
親をせめるな―わが子の非行に悩む親たち、親を応援する人たちへのエール 野口 善國 (著)
野口弁護士が語る子どもの立ち直りにほんとうに必要なこと。子育ての悩みを理解し励ますことから始めよう。
人の善意は必ず伝わります。
逮捕されて留置場に入れられたり、鑑別所に入るような子は、とんでもないワルだろうと一般の方は思われるでしょうが、世間的にはワルでも、感じる心は持っています。ごく普通の、いや、むしろ付き合いやすい子たちがほとんどです。
そうでなかったら、灘中・灘高・東大・司法試験なんて言う、およそ非行の非の字とも縁がなかった私が、何十年も少年事件をやれるわけがありません。心弱き、欠点の多い、同じ人間です。
いじめをする子も、犯罪をする子も、モンスターではありません。人の子です。同じ人間なのです。
もう一度言いますが、弁護士の仕事は、加害者の弁護をすることが仕事で、加害者の人権ばかり言うといわれます(私の場合は半分近くは被害者ですが)。
でも、くどいようですが、本当に加害者の弁護するためには、被害者に寄り添うことこそが必要です。私の少年弁護は、非行少年が起こしてしまった事件を反省し、償いをする中で、少しでも加害者が成長できるサポートをするためにこそ努力しています。そして、この事件を機会に少しでも成長するために、加害者が立ち直るために一番大事なのは、自分が被害者の方に何をしてしまったのかを知ることなのです。
被害者に精いっぱいの謝罪を心からする気持ちになることなのです。
そして、自分を大切にしてくれた家族に対して何をしたかを感じることなのです。
つまり、自分のしたことは、この人間社会でいったいなんだったのかを感得することなのです。
私が尊敬する野口弁護士の上の「親をせめるな」という本にあるように、どの少年弁護士も同じような営みをしていることを信じてください。。
厳罰化に次ぐ厳罰化で、いじめや非行をすれば厳しい罰が待っているようにする。たしかに、そのことで、いじめや犯罪は悪いことだと抽象的に感じることができる子もいるでしょう。わたしのような「良い子ちゃん」なら、失うものの大きさから悪いことをしないという子も多いでしょう。
けれども、ばれなきゃいいんでしょ、という子どもだっているかもしれない。
本当の意味で、子どもたちが他人を傷つけることをなくすためには、
「人は傷つきやすい存在なのだ」と。
「人を傷つけることはいかに惨いことか、悪いことか」と。
心底、子どもたちの心に沁みさせてやることだと、私は思っています。
人を傷つけることで、傷つけた側も必ず傷ついています。それを見ないようにしているか、見つめはじめるかの違いは大きい。
自分も他人も傷つきやすい生きとし生けるものであると知ること。それは、とりもなおさず、他人も自分も、この世に一人しかいない、かけがえのない存在だと気付くことです。自己評価の乏しい子供は他人を傷つけることで満足を得ようという傾向がある。そうではなくて、
「あなたは、あなただからこそ素晴らしい」。
と感じてほしい。
勉強ができるから、可愛いから、足が速いからじゃない。なにがあるから、ないからじゃない。条件付きじゃない価値。それが、日本国憲法が最高価値としている「個人の尊厳」です。日本国憲法はまだ本当の意味で実践されたことがないのです。我々はまだその真価を知らないのだと思います。
もっと、個人の尊厳を味わいつくしたらいい。
この競争社会では難しいことだけれど、勉強ができるからとか、痩せていて綺麗だからとか、理由付き、条件付きの親の愛は時に子供を疎外します。ただただ、「お前はお前だから素晴らしい」と伝えることが教育です。子育てにそれ以外の何物もいらないと私は思います。
上の表のように、少年による殺人事件数は、とうとう50件を切っています。これは、300件を超えていた半世紀前の15%です。数年前の半分になりました。これは少子化だけではとても説明できない減少率です。 実際には、日本の家庭と地域と学校の教育力は捨てたものではありません。これだけ、悪い大人の見本(ex 政治家 笑)が目立つのに、景気が悪くて、失業率は高くて、それなのに大人も子供も良く頑張っている国ですよ、日本は。
経済状況は悪くなる一方で、希望は減っていく一方なのに、子どもたちのいじめ事件や少年の凶悪犯罪が増えているわけではありません。マスコミとネットでの報道量が莫大に増えているから、世も末な事態になってしまったと錯覚しているだけです。
これからたぶん、大津の事件の影響でいじめ事件が数年増えて見えるでしょう。実際には、表ざたになるようになっただけのことです。それは悪いことばかりではありませんが、それだけではいじめの解決にはまだ遠い。
子どもたちに、「なにが持っていようがが、いなかろうが、あなたは素晴らしい」=個人の尊厳を伝えましょう。
また、心底、そう自信を持って言えるためには、我々大人自身も自分が最高に素晴らしい、と実感しなくちゃね!少しでもそんな手ごたえのある生き方を。
そう、そして、日本に住む私たちだけでなく、どこの国の誰もが、最高に素晴らしいんだと感じられる生き方を。
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