サッカー:「独島パフォーマンス」朴鍾佑の父に聞く

「息子が授賞式出られず近くの山で号泣」

「観客に渡された紙持っただけなのに政治的行動だなんて…」

 そう言うとソッキョさんは再び涙をぬぐい、「私は学がなく財産もないので息子がサッカーに打ち込んでいる間も支えてやれなかった。このように今も父親として何もしてあげられなくて胸が痛む」と語った。

 ソッキョさんは30年近く建設現場で日雇い労働者として働いてきた。小さいころに両親を亡くし、小学校も卒業せずに上京して工場での仕事や肉体労働で生計を立ててきた。ソッキョさんは「月に100万ウォン(約7万円)も稼げなかったが、家に帰ってきて壁にかかっている息子の写真を見ると力が自然にわいてきた」と言う。

 ソッキョさん夫婦は結婚してすぐに長女に恵まれたが、朴鍾佑はそれから8年後に生まれた。最近、療養のため江原道に行くことが多い母親カン・ドクヨンさんは朴鍾佑について、体が弱く風邪やぜんそくでしょっちゅう病院に入院していた、と話す。ソッキョさんは「息子が京畿道竜仁市の蒲谷小学校に通っていた時、ボールをけるのを見たサッカー部チョン・ボクシク監督に『素晴らしい選手に育てたいから任せてほしい』と言われた」と語った。

 「息子は中学校の時からサッカー部の寮で暮らしました。素晴らしい監督さんに出会わなかったらサッカー選手・朴鍾佑はいなかったでしょう。息子が全国大会で優勝した時もサムギョプサル(豚肉の焼肉)を食べさせてやるのがやっと。息子に牛肉を食べさせてやったことがないのが本当に心残り」

 ソッキョさん夫婦は娘夫婦と一緒に2部屋しかない集合住宅に住んでいる。これといった家電製品はテレビくらいしかない家の壁には朴鍾佑の写真やメダル、韓国国旗の太極旗が掛かっていた。朴鍾佑は休暇で家に戻るたび、父親と2人で同じ部屋で寝るという。

 「この2週間、胃が痛んで食事もろくにできず苦労しました。それでも23日に文化体育観光部(省に相当)の崔光植(チェ・グァンシク)長官が電話をくださり『政府がうまく処理しているから心配いらない』と言われたので少しホッとしました。大韓サッカー協会や大韓体育会の方が息子の行動だけを問題視しているようでとても残念だし傷付きました。一日も早く息子が銅メダルを首にかけ、明るく笑う姿が見たいです」

平沢= チョン・ビョンソン記者
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