(本)中島義道「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」

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2012/08/26


哲学者の中島氏の本が面白くてハマっています。「なぜ自殺してはいけないのか?」という巨大な問いに触れた一冊。読書メモをご共有。


なぜ自殺してはいけないのか

・私は少し前までこうした”観念的な甘ったれた悩み”に反感を抱いていた。人は”抽象的な”理由で自殺することはありえないと信じていた。「生きるに値しない」が自殺の原因なのではなくて「今日も会社に行って仕事をするのが辛い」が自殺の原因であると信じていた。だが、そうでもないと思い直した。あらゆる具体的な悩みは、ぴったりと観念的な悩みが貼り付いているのであるから。そもそもわれわれは不幸なのであり、その通奏低音の響きに時折具体的な不幸が火花を散らすのだ。

・「なぜ、私はこの世に自分の意志ではなく生まれさせられ、苦しみあえいで生きねばならず、そしてじきに死んでしまわねばならないのか、しかもほとんど何もわからないままに。」当時の私は、これのみが人生において真剣に問うべき問いであると確信していたし、いまでもそう確信している。当然のことながら、いくら生きてもこの問いに対する納得のいく答えを見いだすことはできない。

・ある人が哲学者であるか否かを決定するのは、人生に対する態度である。「いま生きているこの私は、なぜまもなく死ななければならないのか」という問いに射抜かれて生きる者は、アリストテレスを知らなくてもカントを知らなくても、いかなる存在論も時間論も知らなくても、哲学者という資格をもっているであろう。こうした意味での哲学者は、けっして自殺してはならない。なぜなら、それはみずからの存在理由を否定することになるから。彼(女)は「いま生きているこの私は、なぜまもなく死ななければならないのか」と問いつづけることを唯一の生きる意味に定めたのだから、この問いを追求するチャンスとしてのたった一度与えられた短い人生を、みずから放棄してはならないのである。


カントの哲学について

・カントはそういう場合ではなく、あえて友人を救おうとして嘘をつく場合を挙げました。カントのもくろみがここに鮮やかに示されています。つまり、われわれは頻繁に自他の幸福を求めて嘘をつくことがあり、しかもともすれば「しかたなかったんだ」という言い訳を自他に対して準備する。われわれは、道徳に属する真実性の原則を幸福に属する友の生命より優先すべきなのに、後者を前者より優先するという転倒を犯してしまい、しかもこの転倒を「しかたなかった」という呟きによって正当化しようとさえする。それは、はなはだしく悪であるというわけです。

・では、われわれはどうすべきなのか。たとえ永遠に実現できなくとも、たとえ社会が崩壊しても、たとえ人類が絶滅しても、真実性の原則を第一原理として維持す「べき」だ、というのがカントの叫び声なのです。


本書は小論集となっており、タイトルに関するドンピシャな論考はむしろ最初に掲載されているのみです。タイトルの問いに通底するような、「哲学者」としての苦悩、求道心、ユーモラスなまでの生き抜くさが、全体を通して軽妙なタッチで描かれています。

中村うさぎ氏が書いたあとがきに「中島氏の文章を読んでいると、『おまえは根本的な真実から目を逸らし、意味のある人生を生きているつもりになってるだけの嘘つきだ』と告発されているような気分になる」という言葉がありますが、まさに、という感じ。この本は結構危険で、深く、暗い、どうやっても先が見えない世界に視点を半強制的に向けさせる力があります。入り込んでしまうと、さぞかし社会が生きにくくなってしまいそう。

「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」という問いについて、一度でも考えたことがある方はぜひ手に取ってみると良いと思います。