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北方領土とアメリカ

 ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土を訪問した問題で、アメリカ国務省のクローリー次官補は「日本の主権は北方領土に及ぶ」と述べて、日本を支持する姿勢を見せたが、そもそも北方領土問題の端緒を作り、問題を難しくしたのはアメリカである。

 1943年10月、日米が開戦して2年後にモスクワで開かれた米、英、ソ三国の外相会談で、アメリカは日本と不可侵条約を結んでいたソ連に対し、日露戦争後のポーツマス条約で日本が獲得した南樺太と千島列島をソ連に与える見返りに日本と戦争するよう促した。翌月のテヘラン会談ではルーズベルト大統領がスターリンに同様の提案を行う。

 それは戦後の国際秩序を話し合った45年2月のヤルタ会談でも繰り返され、ソ連はドイツ降伏後の8月8日に遂に不可侵条約を破って対日参戦するのである。同盟国のドイツが敗れ、ソ連にも不可侵条約を破られて孤立無援となった日本は8月14日にポツダム宣言受諾を決めて無条件降伏し、ソ連軍は8月25日に南樺太を占領、その後9月5日までに択捉、国後、歯舞、色丹の各島を占領した。

 この時米ソ間では、スターリンが北海道東北部の占領も要求したが、トルーマンがヤルタ協定にないとの理由で拒否し、反対にトルーマンが千島列島の1島に米軍基地の設置を求めたのをスターリンが拒否している。

 1946年1月にGHQの指令によって日本の行政権が停止されると、2月にソ連は南樺太と千島を自国領に組み入れた。その後、米ソ間に冷戦が起きて世界は東西両陣営に分割される。西側陣営の一員として単独講和の道を選んだ日本は、1952年にサンフランシスコ講和条約によって独立するが、条約には南樺太と千島列島の放棄が明記され、千島の中に国後、択捉が含まれると政府は国会で説明した。つまりこの時点で日本政府は国後、択捉を放棄していたのである。

 問題はここからだ。既に米ソが対立していたため、サンフランシスコ条約にソ連は署名しない。しかしサンフランシスコ条約は南樺太と千島の領有権をソ連に認めた。独立後の日本はサンフランシスコ条約を締結していない国々と個別に平和条約を結ぶ必要があり、55年にはソ連と平和条約交渉を始めた。

 松本俊一、重光葵らが全権となって行われた交渉で、ソ連側は歯舞、色丹の二島返還では歩み寄るが、国後、択捉を加えた四島返還には同意しない。松本、重光らは二島返還で交渉をまとめようと考えるが、アメリカがそれを許さなかった。日本をソ連の「防波堤」に使おうとするアメリカは、ダレス国務長官が「四島返還を主張しなければ、沖縄も返還しない」と重光外相に迫ったのである。結局、日本は領土問題を棚上げする形で鳩山一郎総理が日ソ共同宣言を締結した。北方領土をソ連に与えたのも、返還交渉を難しくしたのもアメリカなのである。

 歴史は繰り返すと言うが、最初に日本をロシアの「防波堤」に使おうと考えたのはアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領である。日本海海戦でロシア帝国のバルチック艦隊を日本海軍が破ったとの知らせを聞いてルーズベルトは興奮した。ペリー艦隊が訪れた時、大船を一隻も持っていなかった日本が強国の海軍を破ったからである。

 しかし戦争がこのまま続けば新興日本が大国ロシアに敗れる事は必至である。そこでルーズベルトは日本が負ける前に戦争を終わらせ、アメリカにとっても脅威であるロシアの「防波堤」に使う事を考えた。嫌がるロシアを説得してポーツマスで日露の交渉を行わせる。従って負けると思っていないロシアは日本が最も欲しがる賠償金の支払に応じず、南樺太の領有権や南満州鉄道の権利などを日本に与えただけだった。

 このため日本国内では交渉に当たった小村寿太郎が「弱腰外交」と非難され、焼き打ち事件まで起きた。いつの時代も外交音痴の国民が身の程知らずの事をやるものである。しかし日本を「防波堤」に利用しようと考えたルーズベルトは、次第に日本に脅威を感ずるようになる。太平洋を渡って日本が攻めてくるという妄想に駆り立てられ、ハワイを要塞化し、日本を仮想敵とする「オレンジ作戦計画」を作って攻撃演習を行う。カリフォルニアでは日本移民の排斥運動が起きた。今から百年ほど前の出来事である。

 「日本の主権は北方領土に及ぶ」と言ったクローリー国務次官補は「アメリカは日ロ双方が平和条約を締結するよう交渉を促している」とも言っているが、「北方四島は日本固有の領土」と日本側が主張し、四島返還が大前提になったのは、冷戦時代のアメリカの外交戦略によるものである。そして日ロが妥協できない事を知っているからアメリカは「交渉を促す」と言うのである。

 日本の反対を押し切って国後島を訪問したロシアのメドべージェフ大統領は、北方領土問題解決に積極的な人物である。2009年2月にサハリンで日本の麻生太郎総理と会談した際、「北方領土問題を次世代に委ねる事は考えていない」とし、「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」で解決する考えを示した。

 またメドベージェフ大統領はアメリカの世界一極支配を強く批判する政治家でもある。今回の国後島訪問を日本に対する強硬姿勢と捉え、日ロ関係は冷却化し、北方領土問題の解決が遠のいたと論評するメディアが多いが、私はこれが新たな展開につながる「独創的なアプローチかも知れない」と見ているのである。

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■第10回 居酒屋田中塾のお知らせ

田中良紹さんによる「居酒屋田中塾」の第10回日程が、11月24日(水)に決定しました!

田中良紹さんによる「政治の読み方・同時進行編」を、美味しいお酒と共に。

ぜひ、奮ってご参加下さい!

【日時】
2010年 11月24日(水) 19時〜 (開場18時30分)

【会場】
第1部:スター貸会議室 四谷第1(19時〜21時)
東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル 302号室
http://www.kaigishitsu.jp/room_yotsuya.shtml

※第1部終了後、田中良紹塾長も交えて近隣の居酒屋で第2部を行います。

【参加費】
第1部:1500円
※セミナー形式。19時〜21時まで。

第2部:4000円程度
※近隣の居酒屋で田中塾長を交えて行います。

【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ丸ノ内線「四ツ谷駅」徒歩1分

【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、記入欄に「年齢・ご職業・TEL」を明記してお申し込み下さい。

21時以降の第2部に参加ご希望の方は、お申し込みの際に「第2部参加希望」とお伝え下さい。

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

アメリカ人の思う事は、もうそろそろ日本がお荷物になってきたのでは・・・?

 おはようございます。

 田中さんのお説、至極ご尤もと思います。

★ 相手国国民へ、直接に訴えろ! ★

 ロシアのメディアがこの問題を多く取り上げて報じている今こそ、日本国政府は、日本国の主張を、史実に基づいた論理的文書として、ロシア国民へ向けて発表、提示すべきであると思います。

 それにより、ロシア国民の中で、歴史を顧みて検証する機運が高まり、自国歴史と論理言説に弱点があるとされるロシア国民の精神生活の中に、深い楔を打つことが出来ると思います。

 対中国、尖閣諸島領有問題でも、事件が起きて中国国民の関心が高い内に、日本国政府はそうすべきだったと思います。

 今、日本国内で進行しつつある「新しい戦前」化傾向を観るにつけ、ロシアや中国の国内情報統制に類似性を感じます。この際、国民へ向けて、検証可能な事実に基づいた情報を、直接伝えることが意味有ることであると思っています。

 とは書いてみても、現政府の無戦略なチグハグ行動を観ると、期待はできなさそうで、残念ですが。

歯舞、色丹2島返還論ですね。

確かに米国は、中国やロシアが日本に軍事的領土的脅威を与え、日本がこれまで同様、米国を頼ることを望んでいるのは間違いないところだろう。

>日本は、1952年にサンフランシスコ講和条約によって独立するが、条約には南樺太と千島列島の放棄が明記され、千島の中に国後、択捉が含まれると政府は国会で説明した。<
との田中氏の指摘は、衝撃でした。
 
 これなら私は、2島返還論を支持する。
 北方領土が解決し、平和条約が締結されれば軍事費の削減が可能となる。 

 米国への思いやりや軍事予算の負担は、極めて不合理である。
 まるで共産党のような主張になるが、軍事費を経済対策に回してほしい。


 尖閣列島は、軍艦を並べて「冷静に」対処すれば良いだけであり、米国の核の動員は不要である。

 

尖閣諸島の扱い方を北方領土に当てはめるしかない。すなわち、まず平和条約ありきで、領土問題は時間をかけて、場合によっては次世代にまかせてしまうという方法で解決を図ることだ。原理原則として日本領土であると主張することと、そのような扱いで事態を動かすことはなんら矛盾が無いと思うので、まずは日本周辺を安定化することを第一に考えるべきだ。

まず現実的な対応として領土問題に関して言えば、漁業権問題は解決出来るわけです。後は既にロシア人が住んでしまっている地域の問題についてですが、日本はそもそもその構造を抱え込めるのでしょうか?2島返還論に反対している人々はこの問題をどう考えているのでしょうか?土地の所有権問題やその他の民族問題についてどう考えているのでしょうか?全島返還して、日本の内部でロシア各地で抱えこんでいる諸問題を日本が抱え込めば、へんな人々が暗躍するだけでなく、下手をしたら問題を解決する為に日本の自衛隊出動なんて自体だって想定しなくてはなりません。シベリア問題の謝罪と賠償はしっかり話し合わなくてはなりませんが、領土問題に関しても、約束事としては日本の領土を一旦は返還してもらい金で2島は買い取ってもらうか、無理だとしても、ロシア側の法律で日本人も居住出来るような形にしてもらう解決策しかないだろうと思います。本当は2島返還論しかないんだということは、皆が知っている筈です。シベリア問題も賠償についてですが、長期的な契約の賠償となるだろうことも皆が知っている筈です。したがって、歴史的な決まり事はちゃんと謝罪してもらって、金の問題は長期的に賠償してもらう。通商上の問題も歴史的なことはきちんとしてから、後は双方の実利を話し合えば良いわけです。注意しなくてはいけないことは、日本人の中に頓珍漢なことを言い出してひたすら建前で4島返還論に固持する意見を声高に叫ぶ勢力が誰かにコントロールされていないかどうかと、今のロシアの権力者達がロシア内部をまとめる力があるなら、ロシア内部のコントロールされた反対勢力に火がつかないようにすることだと考えます。

「四島一括返還」を叫ばないと’国賊’呼ばわりされる異常さがようやく、鈴木宗男氏、佐藤優氏らの訴え(出版物、討論会など)から、理解されるようになってきた。
 田中先生のこの論考は、簡潔にして正確に、歴史認識を踏まえ「国益とは何か」を考えさせるヒントを提示している。
 この際とことん、北方領土問題を冷静にかつ「何が国益か」を議論すべきだろう。私は、鈴木氏、佐藤氏を支持する立場に立つ。

>理駅遊道さん
>日本は、1952年にサンフランシスコ講和条約によって独立するが、条約には南樺太と千島列島の放棄が明記され、千島の中に国後、択捉が含まれると政府は国会で説明した。
との田中氏の指摘は、衝撃でした。

実は私もこの答弁のことは知りませんでしたので、調べてみました。
こちらのページに答弁の全文があります。
http://kenuchka.paslog.jp/article/887404.html

この"衝撃的"な外務官僚の答弁について、2006年の政府はどう答えているのかが、鈴木宗男議員の質問書(リンク先に答弁書)で分かりますので、興味があれば読んで見てください。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164073.htm

千島列島がどこからどこまでを指すのか、多くの資料から考察しているページもあります。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou5.htm
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/Topics/Kimurahan.htm

なお、今回の記事で田中さんが
>松本、重光らは二島返還で交渉をまとめようと考えるが、アメリカがそれを許さなかった。
と書かれていますが、こちらのページでは、もう少し複雑な経緯であったことを明らかにしています。

http://www.araki-labo.jp/samayoe033.htm
日ソ国交の回復にあたって、鳩山内閣の内部には外務大臣・重光葵(対ソ強硬派)を中心にした慎重論と、農水大臣・河野一郎の積極論があり、さらに総理大臣・鳩山一郎と重光の間には、かなり見解に相違があった。そのことが、その後の日ソ交渉を不成功に導く大きな要因になった。
(中略)
日ソ平和条約の締結をめざす最初の交渉は、日本側全権である前駐英大使で開戦当時の外務次官であった松本俊一、そしてソ連側の全権の駐日ソ連大使・マリクとの間で、1955年6月3日からロンドンで始まった。
(中略)
交渉の第2回目に、日本側は「歯舞、色丹、千島列島、南樺太は歴史的に日本の領土」という原則論を展開し、これに対してソ連側は、マリク全権が8月9日の第10回会議において、歯舞、色丹の2島返還を譲歩案として示してきた。これはフルシチョフの決断であったといわれる。
松本は、このソ連側の譲歩案をただちに機密電報で東京へ送った。ところがこの電報を重光外相は鳩山首相に報告せず、外務省内部だけで処理した。
日ソ交渉に消極的だった重光は、親米派の外務省幹部らと密かに対策を協議して、歯舞、色丹だけの返還では不十分であり、国後、択捉を含めた4島返還を要求すべきである、という結論に達した。そして鳩山首相の見解も聞かず、外務省訓令として4島返還論をロンドンに打電した。8月30日、第13回会合で松本全権は、この4島返還論を提示した。予想もしない提案を第13回目に突然提示されたソ連側は、完全にフルシチョフの面子がつぶされたこの日本側の提案に非常に腹をたて、4ヶ月をかけた平和条約会議は一挙に吹き飛んだ。
(中略)
新しい状況下での日ソ国交回復交渉は、1956年7月31日、モスクワで開始された。日本側全権は対ソ強硬派の重光外相自身が務め、ロンドンで全権をつとめた松本俊一が同行した。
これに対して、ソ連側の全権はモロトフ外相に代わりプラウダの編集長から外相に就任したシュピーロフがつとめた。
7月31日、重光外相は第1回会談において、4島返還論の根拠を詳細に展開してその妥当性を主張した。この強硬論は日本の世論には受けたが、ソ連側は強硬に反発し、友好ムードは完全に吹き飛んでしまった。
この交渉を打開するために、8月11日に重光外相は、シュピーロフと私的な会議をもってソ連側の本音を探ろうとしたが、ソ連側に全く譲歩の気がないことが分かった。そこで翌8月12日、急に弱気になった重光外相は突然豹変して、2島返還で妥協しようとした。
しかしこの突然の豹変には、前回のロンドン会議で苦労した松本俊一が反対した上に、日本の世論の対ソ強硬論は益々強くなり、困り果てた重光は8月19日、ロンドンのアメリカ大使館でダレス国務長官にこの問題を相談した。
ところがダレスは調停に乗り出すどころか、日本が2島返還を提案するならば、アメリカは沖縄を返さないと恫喝したため、重光の2島返還は完全に行き詰ってしまった。
アメリカ政府は、9月7日付けで領土問題に関する覚書を日本の外務省に送り、この中で、サンフランシスコ条約において日本が放棄した南樺太と千島列島を、日ソ間の交渉によりソ連に返却する事は認められないと釘をさした。
つまり重光代表の外務官僚的な交渉方法は、完全に藪をつついて、蛇を出すことになった。その結果、7月末に重光外相の日ソ国交回復交渉はわずか2週間で中断され、鳩山首相が自らモスクワへ乗り込んで解決するより手がなくなった。
(以下略)

結局、最後にアメリカが問題をこじれさせたことは田中さんが指摘する通りだと思いますが、そこに至るまでには、重光外相や親米外務官僚によって、「2島返還による合意」がなされないように交渉が妨害されたとしか思えないような振る舞いがなされていたように見えてしまいます。(上の記述が事実ならば、ですが)

以上の資料を読んだ上での私なりの結論としては、理駅遊道さん同様、「2島返還」が妥当だと思います。
実は私もこの答弁のことは知りませんでしたので、調べてみました。
答弁そのものは見つけられませんでしたが、間違いなく外務省の条約局長が国会で述べていたことが、鈴木宗男議員の質問書で分かります。

日本の国益とは、帰ってこない国後・択捉島の返還を主張し続け、軍事的経費支出の継続や経済活動の制約を受け続けることではない。
COCOMは既に1994年3月に解散した。したがって15年も前から、対露対中の経済活動は否応なく自由競争下にあった。しかし日本とロシアの領土問題は、決して解決できない高いハードルを設けていた、日本側から。

シベリヤ問題での賠償請求も、許せない暴挙とはいえ現実的な要求とは言い難い。

未来に向かって最も国益に適う選択とは何か、を突き詰めれば、
2島返還、平和条約締結、千島樺太との自由交流による経済的結びつきの強化を実現することである。

それが、北海道及びそれと隣接するロシア地域の利益であり、対立による不毛な軍事的支出の抑制につながる。

歯舞・色丹の水産物を、かの島で味わってみたいものである。

 SQ300さん、有難うございます。

 重光外相という対米追従一辺倒の姿勢は、その右往左往ぶりも含めて、今日の自民・民主議員たちと共通している感があります。

 国益は、上記の通りだと思っていますので、それに辿り着くためには、米国に翻弄されないためには、中国やロシアとの警戒感を含んだ友好関係の構築が欠かせないでしょう。

 んー、やはり領土問題や外交問題は、多くの日本人の論客が避けて通るテーマのようですね。

 何しろこのテーマは、結局軍事力の是非が問われる。綺麗ごとでは済まされない話題だからね。
 日本は65年間、直接的な軍事力の行使が無く、またその決断を迫られた事も無いが故に、「冷静に」彼我の軍事力を比較して判断する訓練ができていない。
 加えて、軍事的検討はタブー視されてきたから、多くの人が避けてきた。
 外交の陰に軍事力がある限り、それをタブー視する人は外交を論じる資格が無いと思います。

 この北方領土の話題に投稿が少ないのは、そういった背景、日本人の性向があるのではないでしょうか。

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Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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