九月十一日は、福島原発震災から半年──。(中略)
全世界全国各地域の人々と手をつないで、九月十一日に脱原発を求める百万人全世界アクションが企画され、ここ福岡でも五月六月と延べ二千人以上のひとたちが参加した「脱!原発サウンドデモin福岡」もこの日のために福岡の路上に戻ってきます。
子どもさんやお母さんたちのマーチ、生楽器隊、サウンドカー、パペット、博多ぶらぶら隊も参加します。原発がなくても、自分たちの生きる喜びは自分たちで作り出せるはず! すべては自分自身が声をあげるところから。原発なしで生きる新しい世界へ。
九・一一に福岡の路上で会いましょう!(呼びかけ文より)
九月十一日午後三時に警固公園に集まり始めた人々は、呼びかけ文のとおり、「さよなら原発」と自己表現する衣装、バナー、旗、横断幕が立ち並んだ。集会は司会者の開始合図で始まった。
スピーカーの一人「たんぽぽとりで」の山中陽子さんは「チェルノブイリ原発事故の後ドイツに生活することになった。若いママだったので子どもの健康が心配で役所で問い合わせた、返ってきたのは『ずっと前のことだから大丈夫でしょ』というそっけないものだった。そこで、自分でしなくてはと思い立ち、放射能について勉強し始め、今日に至っています」と語った。
足立力也さんは「オーストラリアに行って来た。福島原発事故の話になると、自分たちが輸出した核物質が、日本の人々を苦しめている。もう、輸出は禁止しなくてはならないと議員が言っていた」と報告。
荒木龍昇・福岡市議会議員は「この十月に、福岡市のこども病院人工島移転の是非と福岡市に九電が安全協定を結ばせることの是非について住民条例制定賛同署名を行なう。今、市に届ける署名収集人を募集している」と挨拶した。
また、常岡さんは「原発以外の代替エネルギーを対置する運動があるが、もっとエネルギーを使わない生活と社会をつくることが大切です」と訴えました。
四時過ぎから、五つのグループに分かれてサウンド・デモを繰り広げた。荷台に音響機器を載せ、大きな音声で音楽と言葉で「原発いらなーい」と訴えた。「在特会」が天神交差点に十人ほどたむろしデモ行進隊に叫んでいたが、何を主張しているのか言葉が理解できなかった。この日の警察警備は「在特会」警備とそれを口実にした動員以外に制服姿の機動隊が大量に動員され「歩道にはあがらないでください」としつこく「警告」していたのは、野田政権による反・脱原発運動への威嚇だった。
デモ終了後に警固公園で開かれたトーク・リレーでは主催者のFight for Your Life の佐竹さんが「今日は一〇二六名の人が集まってくれた。ありがとう。今、仕事で東京に行っても、もう原発の事故はなかったかのように、都市活動が再開されている。しかし、玄海など原発問題は何ひとつ解決されていない。今日来た人はもう一人連れてきて下さい。みんなの声で原発を止めよう!」と挨拶した。
また、福岡地区合同労働組合の筒井さんが「五月のサウンドデモで、道路使用の許可条件でプレーヤーが荷台に乗れなかったこと、また、デモ出発を長時間とめたことについて、福岡県公安委員会に審査請求したが、デモの日が過ぎたので訴えの利益がないとして却下裁決したことに対して、道路使用の許可条件処分と裁決処分に不服であり、権利侵害に対する国家賠償も求めて、福岡地方裁判所に訴えた」と報告した(第一回期日は十月三一日)。