2012年08月18日

ドーピング検査が行われずに「追放」された最後のパレード


最後のパレード.JPG



オリンピックの卓球ダブルスを考えていただきたい。金メダルを取った選手に調査もしないで「薬物疑惑」と報道したらどうだろう。

読売新聞は取材もせずに最後のパレードを「盗作」と全国報道したのである。

サンクチュアリ出版は、「薬物に手を染めたのは中村だけ」と私に全責任をなすりつけた。

こんなに恐ろしい国が日本である。

韓国との問題を論ずる資格など読売新聞社にはない。

posted by S・C・ NAKAMURA at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本人と朝鮮人、助け合ってきた歴史を直視しよう

まず、脳内に蓄えられた歴史認識フォルダへ接続する「スイッチ」をオフしてください。言い方を変えれば、「コンピュータのファーストフォーマットを実行する」ということです。こうしないと、新しい書き込みが古い「作り話」により邪魔され、正しい情報がインストールできないからです。

次に、「日本人」の定義を整理しなくてはなりません。そのためには「アメリカ合衆国」という国に暮らす人々を正しく定義する必要があります。

ご存知のようにアメリカは移民の国です。清教徒が「エデンの園」を本気でつくろうとするイギリスからの「渡来人」たちが新天地を求めやってきたことが、アメリカの原点です。
日本という国も同じです。蒙古判を有するオリジナルの日本人が暮らす土地に、紀元前400〜300年前に、中国から稲作と高床式住居を携えてやってきたのが弥生人です。ここから壮大な日本の歴史のストーリーはスタートします。

簡単に言えば、アメリカン・インディアンがアメリカ人のオリジナルでないのと同様に、オリジナルの日本人だけが日本人ではないということです。手塚アニメの「火の鳥」などにも示されているように、原始の時代から日本へは、たくさんの渡来人がやってきて住み着いています。朝鮮半島から渡来した人々、南の国から黒潮に乗り日本にたどりついた人々など、日本はアメリカ同様にさまざまな人種が平和に暮らせる、迫害からの避難民国家であったのです。

このように考えないと歴史の謎は解明できません。

「倭」の国から「和」の国へ、そして「大和」の国へ

日朝間に横たわる問題のすべてが誤った歴史解釈から生じています。
鳥越憲三郎著「古代朝鮮と倭族(中公新書)」によれば、倭族とは揚子江流域の高床式住居に住む一族です。水稲栽培にいち早く成功し、紀元前300〜400年前に朝鮮半島を経て日本に入り、それまでの縄文方式の日本を弥生方式に塗り替えた一族です。
彼らの価値観は「征服」ではありましたが、日本で米などの「価値あるもの」を作らせ、本国に持って帰るということは、しなかったようです。なぜならば、中国の国土は広いうえに、現在のタイやカンボジアなどの「沃土の国」の存在を知っており、実益のない植民地化は国益にそぐわないと判断したのでしょう。
それでも、征服した地(西日本や日朝間の島々)を「倭国」と名付け、時々見聞に訪れては「倭人伝」なるレポートを時の皇帝に提出していました。

日本の歴史を知るうえでの大切なポイントは、古代朝鮮を苦しめた「倭の国」は日本人ではなく、中国の倭の国の出先機関である日本や対馬列島などの島々、朝鮮半島の南部海岸線地帯を「縄張り」とした「海賊集団」たちであったことです。つまり、この時代に日本が朝鮮民族を苦しめた、という韓国側の歴史認識は間違っているのです。

朝鮮民族は常に「隋」や「唐」などの中国の強敵に対抗してきた民族です。日本は島国ですので、民族としての種の防衛にあまりに無関心ですが、朝鮮民族の遺伝子には「侵略からの防衛」が色濃く書き込まれていることを忘れてはなりません。

朝鮮の歴史的書物や記録は14世紀初頭にすべて焼き尽くされています。このことも、現在の日韓の関係を複雑にしている理由の一つであると考えられるのです。

歴史は場所です。場所、つまり現場から東西南北の方向を見ないと何も見えてきません。
東洋史を単純化して見た場合、2つの重要な地点があります。一つは古代にエジプト文明やメソポタミア文明が栄えたアラブの「豊かなる三日月地帯(ナイル川上流からメソポタミア文明が栄えた現在のイラク南部まで)」の中心地点であるイスラエル辺りです。もう一つはシルクロードの長安(西安)です。

歴史を正しく認識することは先を読むことにもつながりますが、現代社会は新約聖書によるキリスト教(ユダヤ人と呼ばれている人によれば、キリスト教は「ユダヤ・キリスト教」でしかなく、旧約聖書教、つまりユダヤ教という分母の上に、キリスト教が成り立っているのだそうです。このことから類推すると、ユダヤの謀略がはっきりとみえてきます。)が基本のソフトウエア(OS)になっています。アラブの世界で発生したキリスト教は、北へ流れイギリスという島国で進化していきました。

キリスト教は、「洗脳思想」「侵略の根拠思想」と考えるべきです。本来「思想」とは「宗教観」と「哲学」の組み合わせにより生み出される発想のことですが、一神教であるキリスト教が「人間」という残酷な生物に利用されると、「神の下に戦う」「聖戦と決めつけ爆弾を落としまくって良い」というような、まさに哲学なき人間を大量に生み出してしまうのです。(そこを分からないように利用しているのがユダヤです)

このキリスト教は、東に流れ中央アジアの国々や中国の長安に伝道されました。

ここで、日本の奈良時代以前に話を戻します。

時は流れた紀元後500年頃、日本に移り住んだ朝鮮民族も日本民族も相変わらずの中国からの干渉に困り果て、日朝共同プロジェクトで「和」の国、つまり「日本民族」+「朝鮮民族」の「和の国」をつくることになり、中国から「和の国」を守るための「府」を設営することになりました。それが九州の大宰府です。大宰府づくりには、中東や中国を経て朝鮮に渡ってきた大陸の文明力が大いに活用されました。

「府」とは主を守る最前線の本陣の意味です。
「府」の中心が「府中」であり、現在も東京と広島の交通の拠点に地名が残っています。ちなみに小田原の中村原の近くに鎌倉幕府の「国府」が設けられ、今でも「国府本郷」という地名が見受けられます。

そして、聖徳太子の登場です。聖徳太子が実在したという見方と実在しなかったという見方がありますが、どちらでも良いことです。歴史を知る上で必要なのは、その時に「国家」という民族が生き延びるためのシステムがはじめて構築されたという事実を知ることです。集団を構成する人々がしてはいけないことやしなくてはいけないことが決められ、天皇を中心とした政治体制が築き上げられたことです。「和をもって尊しとなす」とは「波風を立てずに妥協し調和すること」ではなく、「異見を尊重し調和すること」であり、算数の「和」と同じ、足し算をすることなのです。これを今のことばで表すと、「WIN―WIN」するということになります。

さらに年月は流れ、「オリジナルの日本人(蒙古斑を有する人々)」「中国からの渡来人」「朝鮮からの渡来人」の交配が進み、言葉や文化も一体化してきたところで、時のリーダーたちは「和の国」から、さらに一体化を進める「大きな和」つまり「大和」の国づくりを国策として実行に移すことになったのです。

そして、大化の改新という大改革が行われます。ここで理解しておかなくてはならないのは改新と改革の違いです。改善と改新は、過去の延長線上で新しくしたり、良くしたりすることです。一方の改革は、過去を否定して(スクラップして)全く新しいことを始めるということです。

歴史を知るには、改革したり倒幕したりした人たちの思想を知ることが極めて重要です。なぜならば、全ての改革は変える決定権のある人々の思想からなされるのですから。分かりやすく言えばディズニーランドづくりと同じです。ウォルト・ディズニーの思想が旧来のアミューズメントパークを否定したテーマパークをつくった、ということです。

歴史上では大化の改新とは、「戦い」の一つのように書かれていますが、重要な視点が抜け落ちています。それは、大化の改新により主要道路の整備と16キロごとの駅馬の設置です。その理由は当然京都へ「租庸調」を届け易くするためです。(この政策は鎌倉時代に徹底されました。鎌倉街道を鎌倉を拠点に北に16キロづつ進むと必ず「宿」があり、それが現在の主要都市となっています。例えば「府中」から16キロ先に「所沢の宿」があり、さらに16キロ先に「川越宿」があります。当然ですが、東海道を初め日本の主要街道も同じ法則が成り立っています。)

最初に「頭脳をリセット」してくださいと記しましたが、ここで一つの大切な法則をインプットしてください。それは、すべてを京都中心に考えないといけないという法則です。法則から「公式」が生まれます。16キロごとに駅馬を設置という公式が分かれば、人・物・カネ・情報を日本中にいかに流通させるかという国づくりの要諦が見えてきます。

どこに誰(駅馬管理集団)を配置して、どのような役目を担当させるかを決め、京都を中心に東西南北に政権の拠点をつくっていく、この方式は大陸の方式に従ったものであることは容易に推察されます。

さて、さらに時は流れ、日本の歴史で一番重要なまさに佳境の時代の話に進みます。

666年、高句麗(現在の朝鮮半島北部と中国北西部を支配していた朝鮮民族国家)から、ある集団が渡来してきました。その集団は668年に唐と新羅に亡ぼされた王族一行です。繰り返しますが、日本という国はオリジナルの日本人と朝鮮等の渡来人の「和」でなりたっている国です。この点が理解できないと日本の歴史は決して理解できないばかりか、感情的な「日本人優位論」に発展してしまいます。

当時の日本には、663年に滅ぼされた百済からの渡来人が相当数存在していました。もともと、日本という国は渡来人の文化力を吸収して発展してきた国ですから、当然朝廷も快く受け入れました。高句麗人は666年に時の高句麗王の王子「若光」一行を日本に避難させ、以降もぞくぞくと日本へ帰化したものと考えられます。

さて、この高句麗からの王族集団の知恵がその後の日本をつくる「源」になりました。それは、実にシンプルな法則です。

不運にも高句麗は滅亡しましたが、長く強敵の唐を退けてきた実績がある国です。その「勝利の公式」が清野作戦です。野を清くする、つまり敵が来ても米一粒も野に残さずに山にこもり、敵の消耗を待ち続けるという極めてリーズナブルな作戦です。

10年かけて704年に完成したいわゆる「藤原京」がなぜ、710年に平城京に移されたのでしょうか。理由は簡単です。666年以降の高句麗からの渡来人は東の国に移り住んでいましたが、完成した「藤原京」を見て、「この都は危ない、平野にあり囲まれたら逃げ場がない、容易に火をつけられる、後ろに高い山を頂く狭い地域に再遷都すべき」と進言したのでしょう。この提案に賛同した当時の指導者は、すぐにこれを実行に移しました。

渡来人の集団は、「日本に住ませていただいています。私たちの有する技術を提供するとともに再遷都の役務につかせてください」と語ったに違いありません。

筆者の木工の師に西野和弘氏という高名な木工家(現在は二胡作者)がいます。西野氏が教えてくれたのは、西野氏の祖先は、この時に朝鮮から渡ってきた建築や製鉄などの技術者集団であるということです。そして、平城京の西側の野に居を構えた集団が、以降、西野姓を名乗り、北の野に居を構えた集団が北野姓を名乗ったというのです。

地図で平城京を確認すると、青野作戦を可能とする場所に位置しています。その後、長岡京を経て794年には、さらに攻められにくい京都に遷都されました。この法則は鎌倉幕府でも取り入れられています。

平城京づくりに大きく貢献した高句麗からの渡来人集団には、朝廷から奥武蔵の高麗郷が与えられました。王族のどなたかが亡くなったのでしょう。その方の墓が高松塚古墳であることは疑う余地はありません。
そして716年、平城京遷都から6年後に、王族一行は奥武蔵に移り住んできたのです。平城京遷都1300年のイベントが2010年に奈良で行われましたが、2016年には高麗遷都1300年記念イベントが催されます。それまでに、日韓両国は、このように「お互いが協力し合って国を発展させてきた事実を共有する必要があると筆者は考えます。

もう少し高句麗からの渡来人の話をします。結論から記しますと、高麗郷に移住し、その地を開拓してきた渡来人一行はその後に母国に帰っていった、ということです。
高麗神社に隣接する聖天院にはなぜか「弘法大師」の像があります。羊(キリスト教)のスフィンクスもあります。なぜか、その答えは「渤海」という国が誕生したことから導き出せます。

「世界の国々の歴史・8 朝鮮・韓国」著者 岡百合子 岩崎書店より
<引用開始>
さてここで滅亡した高句麗のその後を見ておきたい。
 七二七年のことである。日本の出羽の国(秋田)の港に「渤海」といういままできいたことがない国のつかいがやってきた。三ヶ月後、平城京に入ったつかいは、王からの国書をさしだした。
 「渤海国は、高句麗の旧領土を回復しました。私たちは昔の夫余(ぶよ民族)の風俗をまもっているものです」国書にはそう述べてあった。
 このときから、渤海と日本の交渉が始まる。七二七年から九二七年の滅亡まで、渤海は日本に三五回も使節を送っている。それにこたえて日本からも、遣渤海使が一三回、海を渡った。遣唐使として無事にその役目を果たしたものは一五回だったというから、日本の海外交流史のなかで、これは決して少ない数ではない。
<引用終了>

実際に空海が渤海経由で長安に入ったかどうかは分かりませんが、高麗郷から帰国した王族は自分たちが日本で受けた厚遇に感謝し、日本からの来客を厚くもてなしたことは想像に難しくありません。

666年に子どもだった若光王子は、727年には「白髭」が生える年齢になっていました。たった十数年の高麗の地の生活でしたが、感謝の品々が高麗地方にはいくつも残っています。一つが「白髭神社」という神と出会える場所づくりです。もう一つは、巾着田の曼珠沙華です。彼らは現在2万本の曼珠沙華うちの1万本を植えていったそうです。反対に、現在の高麗郷地域には、高句麗文化はまったく残っていません。あるのは、近年創作された「高麗なべ(キムチなべ)」くらいでしょうか。

彼らにとっても、日本側にとっても、十数年で帰って行った事実は秘密にしなくてはいけないと考えたのでしょう。現在の高麗神社は変わらずに存続していきましたが、高句麗からの渡来人の墓はないといっても良いほどです。(裏山にカモフラージュ用の墓は用意されています)

ここまで記してきたように、朝鮮民族には偉大なる文化があったのです。しかしながら、その後激しい侵略を受け、歴史と文化を失ってしまったのです。

まだ勉強中ですが、日韓併合前の朝鮮は現在の北朝鮮より貧しく、道路も産業もなく、文盲率も高かったそうです。写真も残っています。私たち日本人は「悪いことをしてきた」と教えられてきましたが、どうやらそうではなさそうです。子どもたちの未来のためにも、世界の人々が共有できる本当の歴史を探求していきたいと考えます。
posted by S・C・ NAKAMURA at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月17日

必見!「独島」論を完全論破してみた ユーチューブ

昨年の9月号だったと記憶していますが、野田首相は文芸春秋に「論破でなく、説得するという姿勢で臨む」というような発言をされています。

私は、「甘いなあ」と直感しました。ロジカル思考ではなく感情論の入り交じった説得手法は、基本的な思考(宗教観+哲学)と価値観が共有する「仲間」の間では通用しますが、竹島問題のように思考と価値観の異なる国との交渉には、何の役にもたちません。

儒教思想と朱子学の影響が強すぎる韓国民には辛いかもしれませんが、史実に基づき論破しなくてはなりません。論破はけんかではありません。強制的に相手に気付かせる行為であり、日本が敗戦で受けたような精神的ショックを韓国民は一時的に受けることになりますが、時がくれば韓国民は日本に感謝するはずです。

私は、以前にこのブログに「北朝鮮も含めた朝鮮民族との友好を深めるためには、正しい歴史認識とお互いが助け合ってきた史実を尊重し、互いに敬意を持ってこれからの歴史をつくっていくという前向きな姿勢が必要なのである。」と記しました。

このようにも記しました
<開始>
今、ドリーム党が一番打ち出したい政策は、以前にも示したように、日本の熱帯、沖の鳥島付近に「ツイン・メガフロートタウン」を生み出すことです。日本と韓国で沖の鳥島を共有し(もちろん日本の国土であることには変わりありません)、両国、あるいは民主主義化された北朝鮮の人々が熱帯のバカンスを楽しめる特別な場所、いわば「南の国テーマパーク」構想です。

アジア各国からのジェット機が飛来し、巨大観光客船が来航する世界でも有数の観光地に発展していくことでしょう。

私は、石原都知事の最大功績が日本の熱帯、沖の鳥島の保護であったと思います。それだけに子どもたちの未来への希望につながる「ツイン・メガフロートタウン」構想を現実向かわせたい、そう切望します。
<終了>

韓国民も困っているようです。韓国民が論破されても感謝される、ある意味での「交換条件」を提示していく必要もあると痛感しています。

韓国民を思いやる大きな気持ちと製作者に感謝する気持ちでこちらをご覧くだだき、知人、友人に示された史実を広めてほしいと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=6wHPdEuqLVE&feature=related


2012年06月23日
高句麗からの渡来人は人知れずに母国に帰っていった
http://dream333.seesaa.net/article/276868717.html


2012年07月20日
希望が浮かぶメガフロートの将来像
http://dream333.seesaa.net/article/282058401.html

posted by S・C・ NAKAMURA at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アメリカ兵に強姦され自殺した母の同僚教師 A

7月10日に書いた同名の記事へのアクセス数が伸びている。

筆者は狭山茶の歴史を調べていく中で、鎌倉時代以降、旧元狭山村があった現在の瑞穂町が重要な拠点である天領であったことを再認識した。

その元天領に現在の米軍横田基地があると言っても良いのである。今の感覚から言えば、国立公園の中に米軍基地が存在する感覚である。永久に米軍基地が存在していい訳はない。もちろん、脱原発の達成のように十分な時間はかけなければいけないが、高尚な理念と強い意思を持って世界平和を成し遂げ、日本中の米軍基地を取り戻していかなくてはならないのである。

そのためには、日本人の国防へのパラダイムを転換することが必要不可欠である。

タカ派は「バカ派」 田岡俊次著『北朝鮮・中国はどれほど恐いか』 朝日新書
<引用開始>
 米国は、日本に対しては中国への警戒を訴えて自国に引き付けつつ、中国に対しては日本を材料として親密になろうとする魂胆すら見える。中国の巨大市場を巡っては日米は競争関係にあるから、日中の対立は米国に有利だが、同時に米国は中国、日本双方と良好な経済関係を保つ必要がある。安全保障面でも日中が親密化することは防ぎたいが、日中が完全に対立してどちらかを選ばざるをえなくなっても困る――と考えるのは当然だ。米国では日中離間策を公然と論じる人もいれば、それはかえって損との反論も出る。秘かにささやき合うのではなく、日本人も読める雑誌などにそれが載るのがアメリカのおかしなところだ。
 日本の外務省が毎年行っているアメリカ人の対日意識の世論調査では、06年には「アメリカにとりアジア地域で最も重要なパートナーは」との問いに「日本」と答えたのは、一般市民で45%、有識者で47%、「中国」と答えた人は一般市民で33%、有識者で43%だったが、政財官、メディア、学界など有識者の間では「中国」と言う人が急増しつつある。02年には「日本」が72%、「中国」が20%と大差があったが、年々「日本」と答える人が減る一方で「中国」が増加しており、まもなく逆転されそうな気配だ。中国と同様に米国でも、指導層はすでにイデオロギー的世界観から脱却していることを示す一つの例で、日本人だけが冷戦時代の既成観念にとらわれているのはまったく愚かと考えざるをえない
<引用終了>
http://zarathustra.blog55.fc2.com/blog-date-200704.html

この本の題名のように北朝鮮・中国はどれほど恐いかを再検証し、アメリカの思惑に取り込まれないための「理論武装」をしていかなくてはならないのである。

筆者は鳥越俊太郎氏と電話で30分ほど話したことがある。鳥越氏は繰り返し「日本はアメリカの言いなりになっている」と述べておられた。

週刊ポストの記事から
<引用開始>
鳥越:これは直感的なものでしかないが、霞が関や法務・検察に加え、「小沢問題」にはどうもアメリカが関わってるんじゃないかという気がしてならない。

戦後の日米関係は、歴代の自民党政権がそうであったように、アメリカの言いなりでした。毎年、アメリカから日本に「改革要望書」が突き付けられ、アメリカに都合の良いように日本の制度や法律がどんどん変えられていきました。例えば、アメリカの大手小売店が日本進出したいと思えば「大規模小売店舗法を廃止せよ」と”要望”し、日本はそれを”お説ごもっとも”と聞き入れる。その結果、日本中にシャッター通りができた。
<引用終了>
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11292056542.html

アメリカとは友好関係を維持し続けなくてはいけないが、「軒を貸して母屋を取られる」状態が永久に続くことが、正しい友好関係であるとは到底思えない。

バックキャスティングの手法に基づき、アメリカ軍が日本からいなくなるシーケンス(順序だった立ち上げ)を考案していくことが今求められていると筆者は考えるのである。

脳力的には、日本人の方が優っている。バックキャスティングやシーケンスといった彼らの「思考の道具」を日本人が手にすれば必ずや目的は達せられる。後は「決意する」だけなのである。


アメリカ兵に強姦され自殺した母の同僚教師
http://dream333.seesaa.net/article/280074410.html
posted by S・C・ NAKAMURA at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トルーマン氏「原爆投下は早期終戦のためと教わった」


原爆投下の決定権者であるトルーマン元大統領の孫が15日の平和式典に参列した。そしてこのように発言している。

「私は米国の教育を受け、原爆投下は早期終戦のためと教わった」

アメリカという国は、史実をねじ曲げ、日本人を悪魔であるかの如く子どもたちに教え込んでいる恐るべき国家と断じざるを得ない。

なぜアメリカは「原爆投下は正しい」と言い張るのか
<引用開始>
ロサンゼルスの教科書の副読本を訳してみると、こんな内容が書かれていた。
 「南京大虐殺として知られる事件は、戦争の恐ろしさを証明しました。2カ月間に、日本兵は7000人の女性をレイプし、数十万人の非武装兵士や民間人や殺害し、南京市内の3分の1を焼き払いました。その後、日本兵の銃剣の練習台にされたり、機関銃で撃たれて穴に放り込まれるなどして、40万人の中国人が命を奪われました」
<引用終了>
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1208/07/news019.html

昨日の東京新聞には、東京大空襲の保障を求める団体の活動が紹介されていた。

また受忍論ですか 東京大空襲も原発事故も
<引用開始>
終戦の日の八月十五日も、「戦争の後始末は終わっていない」と訴える人たちが、東京都の台東区民会館に集まっていた。国に空襲被害者への援護を義務づける法の制定を求めている全国空襲被害者連絡協議会の二周年の集会。受け付けをしていた河合節子さん(73)=千葉市中央区=は、東京大空襲で母親と弟二人を亡くした。昨年その体験を紙芝居にして、小学校などを回っている。
<中略>
 三十年ほど医療系の仕事をした後、退職。介護のボランティアで、元軍人の家庭に派遣された。軍人やその遺族には恩給制度がある。自分には国からの何の補償もない。生活のゆとりの差がそのせいなのかと思えてくる。二〇〇七年に東京大空襲訴訟の原告になった。
<引用終了>
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081602000131.html

体験談を紙芝居にして戦争を語り継ぐという行為には敬意を表するが、補償を求めることに対して筆者はシーケンス(順序)が違うと考える。

獲物(獲得物、成果物)を得るためには、詰将棋のように、駒を進めていかなくてはならないのであるが、そのためにはたった一つの法則に従わなくてはならない。

それは「人間は、まず感情で意思決定する。そして後付けでその決定を正当化する理屈をつける」というものである。

原爆も東京大空襲も加害者はアメリカである。

ウィキペディア「アメリカの戦争犯罪」
無差別戦略爆撃
•東京大空襲等に代表される日本諸都市への無差別絨毯爆撃(日本本土空襲)
•ドレスデン爆撃等に代表されるドイツ諸都市への無差別絨毯爆撃
•漢口大空襲に代表される同盟国市民もろとも敵軍を焼き払う無差別絨毯爆撃
•広島市への原子爆弾投下
•長崎市への原子爆弾投下
•民間人に対する不必要な攻撃行為(列車や家屋、民間人に対して銃撃を加える、など)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA

ここには、日本人の頭部を煮るアメリカ兵(1944年アメリカ軍撮影)の写真も公開されている。

アメリカ政府が「一番して欲しくないこと」をすることが、日本人が「自虐」から脱却する唯一の方策である。それは、アメリカ人の感情に訴えることである。戦争時のアメリカはナチスドイツと変わらぬ戦争犯罪を行っていたことを、アメリカ人に知らせるのである。

戦後67年が経ち、情報の世界は国境がなくなった。高齢の方々はユーチューブなどを用いて、動画を全世界に発信するという発想はないが、上記紙芝居を映像化することは簡単である。

アメリカは自国の非道さを自国民に教えていないどころか、ロスアンゼルスの事例にように日本を貶めるための不正確な教育を施しているのである。そして、「星条旗よ永遠なり」を歌わさせられるのだ。

戦争による破壊と混乱を
自慢げに断言した奴等は何処へ
家も国もこれ以上我々を見捨てはしない
彼等の邪悪な足跡は
彼等自らの血であがなわれたのだ

肝に銘せよ 我々の大義とモットーは
「我等の信頼は神の中に有る」ということを
勝利の歓喜の中、星条旗は翻る
自由の地 勇者の故郷の上に
http://stimaro.blog35.fc2.com/blog-entry-1.html

補償を求めることは自由である。しかしながら、筆者も含めて真の意味の戦後を終わらせるためには、行わなくてはいけないシーケンスがある。その第一が、アメリカの教育者に真実を訴えていくことである。政府間の交渉では絶対に一歩も前に進まないものも、民間外交の力で国家を動かすことができると筆者は確信する。

このブログで何回も書いているが、行いは思想から生み出されるのである。

筆者は、鎌倉時代からの狭山茶の歴史と筆者の祖父や曽祖父の足跡を知るにつれ、皇軍の兵として天皇陛下の下に戦った日本軍は、決して虐殺などの戦争犯罪は行わなかったと確信した。

韓国の李大統領により、「賽は投げられた」のである。日本人は「愛国心」とは異なる「愛和心」的なナショナリズムを盛り上げ、国民運動的にアメリカの戦争犯罪と不正確な教育を追求していかなくてはならない。

日本人が受けた無形の負の記憶を、「絵」や「映像」というアメリカ人にも認知できる形にして、彼らのハートに届けなくてはならない。

そして、神を汚したアメリカに対して悔い改めるよう祈っていかなくてはならない。

2012年07月25日
世界平和を成し遂げる「絵手紙爆弾」デモにご参加ください
こちらのPDFファイルをご覧ください。
「絵手紙爆弾」
http://imagineer.up.seesaa.net/image/etegami.pdf

聖書より
ダビデとその部下が、この町に着いたとき、町は火で焼かれており、彼らの妻も、息子も、娘たちも連れ去られていた。
ダビデも、彼と一緒にいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。
サムエル記 第一30章3節、4節

そのとき、イエスは彼に言われた。剣をもとに納めなさい。剣を取るものはみな剣で滅びます。
マタイの福音書26章52節
http://dream333.seesaa.net/article/283006175.html
posted by S・C・ NAKAMURA at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月16日

三井不動産は逃げ切れないA

<浦安液状化>87人三井不動産など提訴 19億円賠償請求

<引用開始>
訴状によると、原告は三井不動産が主に86年から埋め立て地で販売を始めた住宅を購入。大震災の震度5強の揺れで敷地が液状化、被害が出た。別事業者が販売した市内の住宅地は、地盤改良工事などが行われたため液状化せず、原告側は「地盤改良工事をせず分譲地を販売したのは不法行為に当たる」などと主張。
<引用終了>
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20120816ddm041040060000c.html

1976年から、オリエンタルランドと三井不動産が行ってきたディズニーランド液状化対策についてお教えします。

訴訟で住民側が勝利することを願います。

<一部転載開始>
第四章 開業前の運営準備の段階
1、 注目を浴びた地盤改良工事
 施設の建設に当たっては、社会性・企業性の検討のほか、物理的な配慮がそれ以上に重要であり、特に最大の悩みは地盤の問題、建設費の難問題であった。
 開発用地は、東京湾奥にいくつもの河川が注ぎ込む江戸川河口のデルタ地帯に位置した埋め立て地である。この地帯は、古くは、東京江東地方と同じく土層構成が軟弱な粘土層で、埋立て地では支持杭に支えられた建築物に周辺地盤の沈下ギャップが発生し易く、軟弱地盤の上に定着している建物や配管類などに不当沈下による深刻な影響が出やすい。また、新潟地震にみられたように地震発生時の液状化現象が起こり得る。年間一千万人のゲストが出入りする施設としては、不当沈下による舗装面の凹凸や段差などは論外で、如何なる安全上の障害もここでは許されない。
 一九七六年(昭和五十一年)七月にディズニー社との間で第二フェーズ作業として、マスタープラン策定に関する契約を締結して以来、ディズニー社の施設計画作業の進展に対応する形で、オリエンタルランドは建設担当役員であった常務の高田博照さんに加え、三井不動産技術担当常務の石田繫之介さんがオリエンタルランドに非常勤取締役として出向し、建設推進体制の強化を図ることとした。石田さんは、かつて三井不動産の超高層ビル第一号の三井霞が関ビルの計画・建設にかかわった実績をもち地盤問題等にも造詣が深い。そして埋め立て軟弱基盤の大規模開発に不可欠な地盤改良計画に対して、その分野における国際的な権威である東京工業大学工学部建設学科の吉見吉昭教授を本プロジェクトに紹介してくれた。
 吉見教授はさらに新進気鋭の土質コンサルタント橋場友則さんを推薦し、同教授の現地に関する傾向分析とその対策に関する指導的役割のもとに、橋場さんが地盤改良対策法とその地盤に対する建築についての提言を続け、地盤改良の成功と工事費の抑制に大きな貢献をされた。地盤改良は、開発用地二十五万坪にわたるもので、工法は、サンドドレーン工法、グラベルドレーン工法、サンドコンパクションパイル、タフネルドレーン法といった複合工法が採用され、サンドドレーンは囲碁盤の網目状に二メートルピッチ、打ち込んだ数は実に十万本に及んだ。このような複合工法で、これだけの大規模な地盤改良をやったことは、かつて日本において前例を見ないことだった。液状化についても、未だ日本ではさほど認識されていなかったし、土木建築業界でも余り実績がなく、従ってデータなどほとんどない時代だった。
 一九八〇年(昭和五十五年)の真冬の夜中に、吉見教授、橋場さんたちが現地の埋め立て地で液状化実験を行ってデータ収集をされたことがあったが、地中に振動を与えている実験中に浸透管を通して水が噴出したこともあった。複合工法による地盤改良工事の結果、建築の杭打ちも困難になるくらい堅固な地盤に改良され、土質も極めて施行性の高いものになったことが評価されて、吉見教授の発表が学会でも注目を浴びた、と伺っている。事実、東京ディズニーランドのオープンの翌年、千葉県東海岸沖を震源とした震度五に近い「茂原地震」が発生した時にも、全ての施設はクラック一つ入らず微動だにしなかった。全体の重量バランスによって建物の平衡が保たれ、施行後の傾向が、当初の工法で計画・予測されていた通りの結果が出て、施設毎に個別にとった対策がピタリと当たり、何の障害もでなかった。
<一部転載終了>
http://campus.jissen.ac.jp/seibun/archives/contents/etext/publication/disney/Kamisawa/fileDLD.htm

上澤昇著 ディズニー・テーマパークの魅力−「魔法の王国」設立・運営の30年−
(著作権者により無料ダウンロードが許可されていることを確認しています)

これでも、三井不動産は「想定できなかった」と開き直れるのでしょうか

posted by S・C・ NAKAMURA at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

李大統領よ 「天皇謝罪」は悪質記号工作と理解していいのか

李大統領に問う。あなたは「従軍慰安婦」や「天皇の戦争責任」という日本人が日本人であることに嫌悪感を抱かせる言葉を「記号」化し、日本に向けて放ち、自身の政治活動に利用するとともに、在日朝鮮人へ「日本人を思考停止にする工作活動を開始せよ」というメッセージを送った、このように理解していいのか。

従軍慰安婦について調べていたところ、「右翼の正体」というサイトにたどりついた。

<引用開始>
右翼団体が騒音を撒き散らす本当の理由

右翼団体の目的は、騒音をまき散らすなどの迷惑行為によって、愛国者をイメージダウンさせ、日本人の愛国心(国家意識)を低下させることにあります

右翼団体の構成員は「在日コリアン」が占めている

右翼団体の構成員の多くは「在日韓国・朝鮮人」ですが、日本名(通名)を使っているため事件を起こすと、必ず日本人のように報道されます
<引用終了>
http://www.geocities.jp/uyoku33/

別のサイトにはこのような記載もある。

1.工作員 本国からの指令を受けて日本人の頭を叩き抑える為に日本国内の世論誘導・印象操作等の情報工作活動を仕事としてやっている工作員・プロ。

2.在日 やる事は工作員とほぼ同じだが祖国への忠誠心と日本が在日有利になるようにとの思惑からやっている。
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/240.html

まさにシミュラークル(記号の乱反射)の世界である。

元検事の郷原信郎氏は以下のように朝日新聞に記している。
<引用開始>
食の偽装、建築の強度偽装、ライブドア事件、厚生年金記録の「改ざん」問題。取り上げられる事例に共通するのは、コトが表面化した途端に企業、組織がメディアや世の中からバッシングされ、事実や背景、原因は無視される構図だ。「法令遵守」「偽装」「隠蔽」「改ざん」「捏造」バッシングに使われる言葉の数々を、時代劇になぞらえ「印籠」と呼ぶ。
 日本人は「印籠」を出されるとひれ伏してしまう。メディアも世の中もバッシングに加担。思考停止です。
<引用終了>
郷原信郎思考停止社会 お上にゲタを預けてひれ伏すな
2009年4月19日 朝日新聞

「印籠」とは薬などを携帯する小さな容器でるが、人々がひれ伏すのは徳川の紋章という「記号」そのものである。つまり、権力者の放つ「記号」にひれ伏すのである。
「記号」とは、徳川の印籠や、パソコンや携帯電話などのアイコンのように誰が見ても、それが何であるか瞬時に理解させるものである。そして、その理解により「行」を起こさせるのである。まさに、強制的に「知行合一(ちこうごういつ「知ること」と「行うこと、心の働き」は分けられない)させる道具である

藤原正彦著「国家の品格」にはこのように書かれている。
「人間は利益のためなら、いとも簡単に美しい言葉や見事な論理を作り出すのです。」

反対に、「人間は個人の欲望のためなら、いとも簡単に他人を貶める言葉や見事な屁理屈を作り出す」のである。

李大統領は「従軍慰安婦」「天皇謝罪」という強烈な「記号」を用い、日本人の誇りを奪い去る「品格攻撃」に打って出たのである。涙が出るほど悲しい。

日韓関係の悪化は数年間に渡るとの報道もなされている。外交に関する政治家の仕事は、両国のWIN―WINの関係を築き、国民の人格を尊重し合い、国家の品格を高めていくことであると考えるが、李大統領は、自らのWINだけを目指し、両国間を分断させようと企てているのである。

しかし、である。日本は決してピンチではない。反対に大きなチャンスの到来と考えるべきである

ベストセラーになった「国家の品格」のポイントを記す。日本人の品格が試されていると思いながら読んで欲しい。

◇私は愛国心という言葉は、意識的に使いません。手垢にまみれているからです。そのかわりに「祖国愛」と言う言葉を使い、それを広めようと思っています。言葉なくして情緒はないのです。

◇最も中心にあるのは、日本に昔からあった土着の考え方です。卑怯なことはやってはいけない、大きな者は小さな者をやっつけてはいけないといった皮膚感覚の道徳観、行動基準を持っていたのではないかと思います。

◇「卑怯だ」といわれることは「お前は生きている価値がない」というのと同じです。

◇日本の生み出した普遍的価値とは
「もののあわれ」とか、自然への畏怖心、ひざまずく心、なつかしさ、自然への繊細で審美的な感受性といった美しい情緒です。それに加えて武士道精神という日本独特の形です

◇美しい情緒や形は人間としてのスケールを大きくするということです。

◇論理的に筋だけは通っている「論理的に正しい」ものの中から、どれを選ぶか。その能力がその人の総合判断力です。それは、いかに出発点を選択できるか、が勝負です。別な言い方をすれば「情緒力」なのです。

◇美しい情緒は、ささくれ立った心を癒し、暗く沈んだ心に力を与えてくれます。心の安定装置のような役割もするのです。

◇精神に対立が宿る限り、戦争をはじめとする争いは絶え間なく続きます。日本人の美しい情緒の源にある「自然との調和」も戦争廃絶という人類の悲願への鍵となるものです。

◇文化性が高いこと、あるいは国家に品格があるということは防衛力にもなるということです。

◇日本人一人ひとりが美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つということは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務であると思うのです。ここ四世紀間ほど世界を支配してきた欧米の教義は、ようやく破綻を見せ始めました。世界は途方に暮れています。時間はかかりますが、この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと私はおもうのです。

日本人は、これを機に一層個人の人格と、国家の品格を磨きあげようではないか。

最後にさらに李大統領に問う。李明博という人間には他人や他国を思いやる気持ちはない、国家元首としての品格もない、このように理解していいのか。

posted by S・C・ NAKAMURA at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月15日

最後のパレード冤罪報道事件とは何だったのかA




読売中学校での出来事です。

数年前の学校新聞に掲載された「修学旅行の思い出」に書かれたエピソードが、今月発行された別学年生徒が書いた「修学旅行の思い出」エピソードにそっくりであると読売中学校関係者は読者から通報を受けました。それは、旅行先のディズニーランドでドナルドダックからとても親切にしてもらったというエピソードでした。

学校新聞の発行者は、そのエピソードを書いた生徒の家を訪ね「盗作したのか」と聞きました。

疑われた生徒は「盗作はしていません。一緒に行動した仲間に聞いてもらえば盗作ではないことが証明できます。」と答えました。

それでも、読売中学校の学校新聞発行者は、一緒に行動した仲間に聞くことなく、翌日「小沢二郎君が数年前のエピソードを盗んだ疑惑が浮上」と大々的に学校新聞に書きました。読売中学校ネットニュースにも流しました。読売中学校定時校内放送でも盗作疑惑を報じました。

疑われた小沢二郎君は「でっちあげだ。盗んでいない」と盗作を完全否定しましたが、後の祭りでした。小沢君は「悪者」のレッテルを張られ、友人を失い、やる気も失い、「人間てなんてひどい、今度生まれかわるとしたら・・・そうだ貝になりたい。貝ならば人間にひどい目にあわされなくて済む。」と考えるようになりました。




小沢二郎君の「盗用疑惑」が大々的に報じられてから一ヶ月が経ちました。冷静さを取り戻してきた読売中学校の生徒は、読売中学校の報道の仕方が正しかったのか疑問を持ち始めました。

生徒会でも問題になり、定例の委員会で小沢二郎君の疑惑報道問題が取り上げられました。

委員A:もう少し、小沢君や小沢君の家族のことを考えたほうがよかったと思う。

委員B:文章や商品を盗んだと他人を疑うには、確実な証拠が必要なんだと思う。学校関係者は、十分な証拠を示すことなく小沢君を疑い、小沢君は「悪者のイメージ」となってしまったね。

委員C:どうして学校関係者は、日曜日の夜に小沢君の家にいったのかな?

委員B:そうだよね。月曜日に学校で小沢君と一緒だった仲間から話を聞けば、小沢君の「盗用疑惑」は晴れたのかもしれない。

委員C:「疑わしきは罰せず」「泥棒にも三分の道理」ということも習ったね。

委員A:そう、決めつけず相手を思いやること気持ちが大切だって、校長先生は何回も朝礼で話してくれた。

委員B:明日、学校新聞関係者に対し、なぜ小沢君と行動を共にした仲間の話を聞かないで疑惑を記事にしたのか、聞いてみる。

委員C:私は、泥棒を捕まえる「証拠」について調べてみるわ。

(そこに、学校関係者が現れる。)

関係者:止めろ、大人の世界と子供の世界は違うんだ!




それから3年、小沢二郎君はそのときに受けた心の傷が癒されず、家族とも会えずに「独りぼっち」で暮らしているそうです。


「読売KODOMO新聞」
よみうり購読サポート事務局
0120-941-441

最後のパレード事件とは何だったのか@
http://dream333.seesaa.net/article/280528353.html



posted by S・C・ NAKAMURA at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

象徴天皇を敬愛する

<引用開始>
敗戦後、連合国最高司令官としてダグラス・マッカーサーが日本にやってきます。実質的な新たな日本の支配者です。天皇よりも立場は上です。敗戦後の日本をどうするのかは、ただこのマッカーサーの思いひとつにかかっていたと言っても過言ではありませんでした。昭和20年9月27日の朝、天皇はこのマッカーサーのもとに非公式で赴きました。当初、マッカーサーはこの訪問に対して冷淡でした。天皇の車がGHQに到着したときも、出迎えたのは二人の副官だけでした。そして実際、この訪問を機会に捕えられ、裁判にかけられて、処刑されるということも十分考えられる状況だったようです。

 この日の会談の内容は公式には明らかになっていません。しかし、後の回顧録の中でマッカーサーが、会談はおおよそ次のようなものであったことを書いています。

 二人が向かい合って座ったとき、天皇の指は震えていました。最初、マッカーサーは天皇が命乞いに来たのだと思っていました。しかし、その口から出た言葉はマッカーサーの予想を越えたものでした。

 天皇は言いました。「私は、国民が戦争を遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」。そして持っていた風呂敷包みを開けてマッカーサーに差し出したのです。それは皇室の財産目録一式でした。天皇は、自分はどうなってもよいから、この財産を使って国民が飢えることのないようにしてほしいと言ったのです。

 この天皇の言葉と態度はマッカーサーの心を根底からゆさぶりました。そして天皇が帰るときには、自ら天皇を抱きかかえるようにして玄関先まで見送ったということです。

 この会談によって、マッカーサーがどのように日本を統治するか、その政策の方向性が確定します。日本はアメリカの占領地になることを免れ、アメリカの援助のもとで国を復興する道を歩むことになります。

 このマッカーサーと天皇の会談の模様は有名で、天皇を賛美する人たちはこぞって天皇がいかに人格者であるか、天皇のおかげでいかに国民が救われたのかを強調します。

 私も、天皇制の是非は別として、昭和天皇がいかに善良な人格者であったかということには同意します。ただ、私が言いたいのは、その人格が形成される背後に何があったのか、ということに注目したいのです。一般には知られていませんし、もしかすると知っていても公にされないのかも知れませんが、昭和天皇の人格形成の背後には、聖書を土台とし、キリスト教の博愛精神、自己犠牲の精神を幼少のときから教え込んだ足立タカさんの働きがあったということ、私はそのことに神さまの計画を強く感じるのであります。
<引用終了>
礼拝説教(2003.11.30)「神の計画」ローマ8章28節 平岡広志
http://www.geocities.jp/hirapyan/kaminokeikaku.html

韓国の李大統領に聞かせたい。
以上!
posted by S・C・ NAKAMURA at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月14日

「原発ゼロになると誰が困るのか」に答えよう

討論型世論調査:「原発ゼロで誰困る?」…民間主催で開催
<引用開始>
 会社員の女性(39)は「原発ゼロになると誰が困るのか」と質問。鈴木達治郎・原子力委員会委員長代理は「電力会社と立地自治体、原発メーカー」と答え、辰巳菊子・日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会理事は「原発を推進してきた側」と述べた。
<引用終了>
http://mainichi.jp/select/news/20120813k0000m040111000c.html

私は脱原発論者ですが、近視眼的にこの問題を考えることこそ国益に反することはないと考えます。以前に30年かけて公務員を限りなくゼロにするシナリオを提示したいと記しましたが、原発問題も公務員問題と同じです。

鉄則を示したいと思います。それは「自分たちの仕事がなくなるとなると、人間は死にものぐるいで抵抗するのであり、働く人間を脅かさない方法を考案しないで身を切らせることなどあり得ない」というものです。

電力会社も官僚も知っているのです。「悪いのは官僚組織」であることを。そのことを念頭に「原発がゼロになると誰が困るのか」という質問に答えなくてはなりません。

私は、福島第二原子力発電所と四国電力伊方原子力発電所を訪れていますが、若い人を含めたくさんの人が真面目に働いていることを知っています。
私たちは、原子力発電事業という産業と原子力発電所という装置をつくってきてしまったのです。それ自体は決して間違っていたとは考えません。「ポンコツのアメ車を無免許運転していたようなもの」であり、福島第一原子力発電所の運転や安全管理に関わってきた人間に問題があるのです。もちろん、今でもです。

「原発ゼロになると誰が困るのか」とは反対に、「原発ゼロになると誰が喜ぶのか」も考えなくてはなりません。

選択より
「主犯GE」フクシマの罪 米政府を後ろ盾に傍若無人
<引用開始>
全面協力とは表向きの説明に過ぎず、実態はただの商談だった。「イメルト会長が言ったのは、言い換えれば収束ビジネスをほかの国の企業に渡すなということ。廃炉、放射性廃棄物処分まで含めれば事業規模は数兆円になると知った上での訪問だった」(経産省関係者)。この訪問には、GE側に責任が生じないことを確認する目的もあったとされる。

 イメルト会長はこの訪日で東電経営陣とも会談したが、これもまた重要な商談の要素をはらんでいた。東電は福島第一、福島第二の両原発を失ったため、夏に向けた応急処置として火力発電用タービンを掻き集めざるを得なかった。このタービンの中に、GE製のものが多く含まれているのだ。「GE側はタービンを有償で、こともあろうにいつもの五割増の値段をふっかけてきた。協力なんて名ばかりで、ただの火事場泥棒だ」と東電幹部は憤る。
<引用終了>
http://www.sentaku.co.jp/category/economies/post-1724.php

原子力発電所内外で働く人には家族や将来があります。スリーマイル島事故後、新規建設と福島第一原子力発電所の安全管理を放棄したアメリカと同じ間違いを犯してはなりません。

私は、最大限の安全管理を徹底した上で原発は当面フル稼働させ、その電力で自然エネルギーを生み出していくことこそがベストの選択であると考えています。オリンピックではありませんが、日本は再利用可能エネルギー開発技術の分野では世界一です。確かに責任を取らない官僚や東電経営陣を許せない気持ちは理解できますが、この国に暮らすすべての人びとやビジネスマンにとって、将来的に電気代を限りなく無料に近づけていく方向に舵を切るほうが、はるかに実益は高まります。

10年以上かかるでしょうが、原子力発電所で働く人が、再生可能エネルギーを生み出す技術者に生まれ変わっていく姿が目に浮かびます。伊方原子力発電所は愛媛県ですが、四国はそのほとんどが森林です。この膨大なエネルギー資源を開発すれば、四国地域は一番先に脱原発が可能になることでしょう。

そのための知恵を結集することこそが、政治家に求められるものと私は考えます。

結論です。「原発ゼロで困る人」は「将来の私たち」なのです。
posted by S・C・ NAKAMURA at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読売記者が取材メモを誤送信 諭旨退職に

<引用開始>
 読売新聞西部本社(福岡市)は14日付朝刊で、暴力団関係者との癒着疑惑があった福岡県警警部補に対する捜査状況の取材メモを、誤って他社の複数の記者にメール送信して取材情報を社外に流出させたとして、社会部の後藤将洋記者(33)を諭旨退職処分とすることを発表した。井川隆明取締役編集局長(58)を役員報酬の2カ月30%返上した上で更迭、井川聡社会部長(53)を降格などの処分にするとしている。
<引用終了>
http://mainichi.jp/select/news/20120814k0000e040163000c.html

「おやまー、お珍しい」ですね。過失で諭旨退職ですか。
読売新聞の記者について資生堂の課長を務めた知人からこんな話を聞いたことがあります。

大学を出て3〜4年位の読売新聞の記者が資生堂の担当となり、いきなり知人(知人の方が年上)にこう言ったそうです。

「おい野田、今度銀座のクラブへ連れてけよ」と。

知人は切れる人間です。「この男を銀座で飲ませれば資生堂に有利な記事を書いてくれるに違いない」と考え、すぐに実行に移しました。

案の定、読売新聞の記者は資生堂の商品をバカ褒めする記事を書いてくれたそうです。知人は、費用対効果の高い接待だったと笑いながら話していました。

知人は「自分たちは何でもできる人間」と勘違いしていると読売新聞の記者を評しています。

資生堂は何ら間違った事をしていませんが、読売新聞の記者は接待のお礼で記事を仕上げたことになります。お金をもらったから褒める記事を書くということと同じですから、最低の倫理観と断じざるを得ません。
厚化粧されたその記事を信じて資生堂の商品を購入した消費者はどう考えるでしょうか。私なら、「だまされた」と思います。

読売新聞、図体はでかいですが、中身はこんなものなのです。

私に傷害を負わせ、人権、名誉、家族、仕事、健康を奪った読売新聞の門間順平記者は、過失による行いではありません。周到に用意された確信犯的行いです。最高裁で心への傷害も罰せられることが「確定」しています。

過失で上長が降格ですから、最後のパレード冤罪報道事件の責任を取って、渡辺恒雄主筆も辞任せざるを得なくなることでしょう。

2012年07月26日
警告! 読売新聞記者 門間順平は直ちに自首せよ
  <引用開始>PTSDも「傷害」、女性4人監禁で最高裁判断 東京都内のマンションなどに女性4人を監禁、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症させたとして、監禁致傷罪などに問われた無職石島(旧姓・小林)泰剛(やすよし)被告(31)について、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は24日の決定で被告の上告を棄却した。  懲役14年とした1、2審判決が確定する。最高裁が、PTSDも刑法の「傷害」に当たると判断したのは初めて。<引用終了>
http://dream333.seesaa.net/article/283140434.html
posted by S・C・ NAKAMURA at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝日記事「だまされることも罪」は甘い


「敗戦後の国民への警句再び」
「原発安全神話 重ね」

伊丹万作 「戦争責任者の問題」
<引用開始>
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。(略)だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばっていいこととは、されていないのである。(略)「だまされていた」といって平気でいる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でも別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。
<引用終了>

朝日新聞は、この言葉を紹介するとともに、自分の意思で「原発ノー」の声を上げる人々の姿を変化と捉え、希望であるとしている。

甘い、と言わざるを得ない。今の流れを見ていると伊丹万作が言うように「別のうそによってだまされ始めている」のであり、その流れを誰も止めることができないでいる。

筆者は伊丹万作という人物(伊丹十三の父)を良く知らないが、「罪」という概念をどのように捉えていたのか疑問が残る。

クリスチャンにしか理解できない「罪」もある。今日の新聞には、竹島問題に関する韓国民の態度を「反日無罪」と中国の「愛国無罪」同様に紹介している。反日行動であれば「罪」にはならないということである。

神の律法(原則)を破ることはできない。それを破ろうとすれば自分自身が破れるだけだ
セシル・B・デミル

「罪」とは神の原則を破ることである。つまりコンプライアンス違反ということであり、人間の決めたローカルルールを破ることではない。
ビル・クリントン元大統領の不倫が問題になった事があったが、彼は悔い改め「罪」から救われた。「罰」も与えられなかった。

このような基本的知識がないと、「だまされるのも罪」の本当の意味は理解できない。

聖書より
人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。
ヤコブの手紙1章14節〜16節

アダムとイブを惑わしたヘビの行為である誘惑も「罪」である。この世にはビジネス上の思惑からの誘惑が充満しているのであるから、「罪」である誘惑なのか、「罪」には当たらない宣伝なのかを見分けるにはそれ相応の仕分け能力が不可欠である。

このブログに何十回と書いているが、筆者もサンクチュアリ出版にコロッとだまされた人間である。泣き、苦しみ、倒れ、そして再び立ち上がって初めて「もうだまされない」と言える人間になったと考えるが、それでもまだまだ不安な部分もある。それは、極めてスマート(利口な)なトラップ(わな)である。

筆者がスマートトラップと呼ぶわなは、明らかに合法的なものである。将棋やチェスのように理詰めで勝利を得るようなものであり、ユダヤの世界征服のシーケンス(順序)にも似ている。

筆者は、日本人は極めてだまされ易い民族であると考える。最大の「だまし」は、戦後の官僚による国民「だまし」である。

「だまし」が基本の国家運営であるから、そこから出てくる成果物も「だまされたもの」なのである。

以下の文を噛みしめて読んで欲しい。朝日新聞を「甘い」と評した理由が理解いただけるはずである。

菅直人 法政大学講座「国民主権論」より
<引用開始>
私はよく『三権分立』という言葉を取り上げます。私も、ここは大学院の皆さんですから、学部の学生さんとは若干違いますけれども、時折単発で大学の講演とか、若い人たちの前で話をする機会があります。そこでよく「皆さんは、国会は何をするところだと思いますか」と聴くと、答える人の十中八九どころではなく、大体100のうち98ぐらいまでは、「国会は法律をつくる立法府です」と答えるのです。私が採点すると、甘く採点して50点。正確に採点すると、これは×ですね。国会は、立法府である。では、立法府しかやっていないのかというと、私の本なり、いろいろなものを見られた方々はもうご存じかもしれませんが、普通の人は大体立法府だと答えるのです。多分、普通だったら○なのですね。しかし、国会の第一の仕事は立法ではありません。実際に衆議院選挙が終わって、最初に何をするか。議長を決めた後、総理大臣を決めるのです。つまり国民に代わって総理大臣を決めるのが、国会の第一の仕事なのです。ここがきれいに忘れられている。これが、大統領制との違いです。
 国民主権というものが、行政をコントロールするということが当然含まれるとすれば、国会が立法府だけだったら行政と国民の間が切れてしまう。今日は、私の仲間の平岡さんというわが党の代議士でもありますけれども、もともと法制局にもいた方で、私の不足部分があれば時々知恵をお借りしたいと思い、来ていただいているのですが、平岡さんももちろん役所におられた経験を持っていらっしゃいます。霞が関の皆さんは「三権分立ですよ」、依然として議員の私に言うわけです。「国会の皆さんは、法律をつくる、審議をする、予算を議論する、それは大いにやってください。しかし、行政府の仕事は、大臣をはじめ私たち官僚の仕事ですから、それは国会議員の皆さんは立法府で、私たちは行政府なのです。三権分立は、中学で習ったでしょう」と言うわけです。大体よく勉強している人は、そこでコロッとだまされるわけです。「そうだな、確か三権分立は習ったな。あまり行政府のやることに口を出したら、ちょっとやり過ぎになるのかな」。

<中略>

皆さん、憲法をよく見てください。三権分立なんてことは、一言も書いてありません。書いてあることは、「国会が内閣をつくるその総理大臣を指名する」と書いてある。そして「総理大臣になった人が、大臣を任命して構成される内閣は、連帯して国会に責任に負う」と書いてある。
「なぜ、言ってはいけないのだ。予算を決めるのも国会ではないか。予算の使い方がおかしいときに、おかしいと言ってなぜ悪いのだ」と言って、大げんかをしまして、全部撤回をさせました。しかし残念ながら、ちょっと議席がまだ300ほど足りませんでしたから、その法案は通らなかったのですが、もうすぐ足りますから。
 そういう意味で、実はこの『三権分立』という言葉ほど、私が経験した中で言えば、日本の国民主権の1つの一番大きなルートを遮断している。そしてその代わりに何があるか。今度は行政というのは、霞が関の皆さんが主にやる仕事だということになっている。誰かおかしいと思う人はいますか。憲法上ですよ。実は憲法六十五条(【行政権と内閣】)には、『行政権は、内閣に属する』と書いてあるのです。内閣に属すると書いてあるのです。内閣というのは、定義があるのです。内閣というのは、総理大臣と大臣です。霞が関のお役人がやるとは書いていない。行政権は、内閣にあるのです。いつの間にか、霞が関にあるように思い込まされている。特にマスコミが、ちょっと減ってしまったけれども、マスコミの皆さんは、「内閣」という言葉がよほど嫌いなのですね。ほとんどの場合、「政府」という言葉を使います。政府という言葉は、一般的にいえば決して悪い言葉ではありませんよ。ローカルガバメント(Local Government:地方自治体)、ナショナルガバメント(National Government:中央政府)。今の憲法でいうと、全文に1個所だけあります。しかし政府という言葉には、憲法上の定義はありません。政府の一員、「じゃあ、大蔵省(現、財務省)事務次官は政府の一員なのか」、「大蔵大臣(現、財務大臣)は一員なのか」。つまり政府という言葉には定義がないから、それは当然一員だろうな。政府は行政をする。しかし、憲法六十五条には、行政権は内閣に属すると書いてあるのであって、内閣を構成するのは官僚ではありません。1人も入っていません。一般職は、大臣にはなれませんからね。つまり、行政権を握っているのは、官僚ではなく政治なのです。政と官という言葉もありますけれども、官僚ではありません。政治なのです。その政治を決めるのが、国民なのです。「政治家は当然悪いことをするから、そりゃ官僚のほうがいいや」と、いいか悪いかの話は国民が持っている力の問題であって、少なくとも今の憲法は官僚が行政権を握るとは書いていない。内閣が行政権を持つと書いてある。
<引用終了>
posted by S・C・ NAKAMURA at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月13日

中山恭子 戦後シンドロームから目覚めよ

タイトル 終戦67年 参議院議員・中山恭子 戦後シンドロームから目覚めよ

産経新聞の「正論」に掲載された記事です。

<引用開始>
 「敗戦」。日本は二度と立ち向かえない国となることを強いられた。しかし我々は、終戦という言葉で「敗戦」という現実から目をそらしてきたのではないか。
 東京裁判で、戦争の責任は全て敗戦国日本にあると判断された。さらに根深い問題は、日本人自身がそれをそのまま受け入れ、疑いを持つことすら悪という風潮に支配されてきたことだ。日本人は戦後骨抜きになってしまい、愛国心という言葉すら使えない状況になった。誠に情けないことだ。
 戦後日本は、自由主義陣営側に置かれたものの、7年間の占領下で採られた政策は日本人を変質させた。それは徹底した日本弱体化政策であり、憲法制定から、皇室改革、財閥解体、農地解放、教育制度改変、伝統文化の否定、家族解体など、日本の強さの根源であったあらゆる分野に及んだ。

<中略>

占領が終わった52年の段階で、その7年間の政策について憲法も含め、日本自らが検証し正すべきは正しておかねばならなかった。だが、戦後の日本は、敗戦ショックの大きさゆえに自失して、そのことを考える余裕はなく、自立から目をそらし、経済復興に力を注ぎ、文化や社会の根本に向き合ってこなかった。経済発展で生活も豊かになり、国際的地位も向上したが、戦後シンドロームから抜け出せないまま、今や傾注してきた経済までも輝きを失いつつある
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120813/plc12081303090002-n1.htm

今朝の朝日新聞に政治学者の姜 尚中(カン サンジュン)氏は、このように述べています。

<引用開始>
戦後日本の中で、宗教と政治は、限定された学びの領域でした。しかし現在は、世界を動かす大きな力こそ、宗教と政治だということが分かってきました。
 だから高校生以上の学生には、宗教と政治について考え、多事争論的に学ぶことをお勧めします。この二つを避けてきたことが、今の日本の苦境や展望が開けない状態につながっているのではないでしょうか。
<引用終了>

中山恭子氏の見方も、姜 尚中氏の意見もまさに「正論」であると考えます
中山恭子氏は文中で「日本が長い歴史の中で培ってきた文化は素晴らしい。湿潤な風土の中で、相手を思いやり、和を尊び、自然と共生する文化。そこには、相手の人格、尊厳を認め尊重する概念が既に内包され、優しさと同時に強さも併せ持つ日本文化の底力がある。」と記していますが、まさにその通りであると思います。

正直に白状しますが、私は1年くらい前まで、アメリカ人に対する漠然とした劣等感のようなものを抱いていました。学生の頃、あの「パン・アメリカン航空」で海を渡り、ディズニーランドなどのアメリカ文明を見せつけられたときから抱いていた気持ちでした。アメリカ人牧師から洗礼を受け、当初はアメリカ人牧師を信頼していました。

その私を変えたのは、いくつか要因があります。一つ目はアメリカ人牧師が信じられなくなったことです。教養のなさを見抜いてしまったことです。
6月27日の記事、日本人が元気になる本「モラトリアム国家日本の危機」に以下のように記しました。

さて、ますます凶暴化するアメリカ人について一言。

アメリカ人牧師の愚行2.JPG



この写真は、アメリカ人牧師によって「柿の実」がならなくなってしまった柿の木の写真です。野蛮な彼らにチェーンソーという武器をあたえると、それまで子どもたちが秋の収穫を楽しみにしていた柿の木を「めった切り」にしてしまうのです。

そして、彼らは言うのです。「イスラエルのために祈りましょう」と。

「イスラエルのために祈りましょう」で検索
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86&gbv=2&oq=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86&gs_l=hp.12...4296.18326.0.32362.29.7.0.20.0.0.471.1629.0j4j1j1j1.7.0...0.0.sCLTwwZvbfQ

私は決してイスラエルのために祈りません。その理由は、こちらをご覧ください。
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E3%80%80%E7%A9%BA%E7%88%86&hl=ja&gbv=2&gs_l=hp.12...4296.18326.0.32362.29.7.0.20.0.0.471.1629.0j4j1j1j1.7.0...0.0.sCLTwwZvbfQ&oq=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E3%80%80%E7%A9%BA%E7%88%86
<終了>

中山恭子氏が言う「湿潤な風土の中で、相手を思いやり、和を尊び、自然と共生する文化」などアメリカ人にはありません。

この「気づき」が第一の要因です。

二つ目の要因は、原発事故原因を探求している段階で気づいたことです。
昨日で日航123便の墜落事故から27年が経ちました。あの事故の原因はアメリカボーイング社の業務上の過失が原因です。よろしければこちらの記事をご覧ください。

2012年06月18日
原発事故の真相を教えます。
真因は、1985年の日航123便墜落事故から類推できます。あの事故の調査結果によると、墜落原因は、伊丹空港で尻もち事故を起こし、羽田空港でボーイング社の専門修理チームが、圧力隔壁付近の部品交換を行った際、ビス止めが甘く、数年後にその部分が破壊され墜落に至ったというものです。 したがって、製造責任、メンテナンス責任のあるアメリカ側に決定的な瑕疵があったのですが、アメリカ側は「寝てしまい」「逃げ切り」に成功しました。
http://dream333.seesaa.net/article/275838278.html

週刊朝日5月4・11合併号には1983年に完成したフィリピンのアメリカウエスチングハウス社製の原子力発電所に関する記事が掲載されています。

<引用開始>
フィリピンの原発を見ると、日本の原発運営の杜撰さを再認識する。水素爆発を防ぐために水素を酸素と結合させて水に戻す“再結合装置”や、放射性物質の放出を防ぐ“ベントフィルター”等、福島第一原発にないものがBNPP(バターン原子力発電所)にはある
<引用終了>

福島第一原子力発電所は1971年運転開始です。アメリカとしての原子力発電行政に対する整合性のなさ、つまり企業任せの無責任さが露呈しているのです。

このように、アメリカ人は限りない自由活動を求めますが、基本的にキリスト教国家でありながら神の原則には従おうとしません。アメリカ人にとって都合のいい価値観のもと、アメリカ人がつくったルールやシステムを他国民に対しても押し付けてくる、このような国家とは絶対に一線を画すべきなのです。

私がアメリカ人劣等感から抜け出した第一の理由は、アメリカ人牧師の教養のなさを知ったことです。第二の理由は、アメリカ人の無責任さと傲慢さに気付いたことです。3番目は、アメリカ人は右脳が未発達であるということです。

8月09日に想像力、美意識、倫理観無きアメリカ人の愚 というタイトルの記事を書きました。

戦後67年、右脳型日本人は、アメリカと日本のメディアや学者といった左脳型人間により右脳の「強制委縮化」が進まされ、日本人としての美意識と倫理観を失ってきました。テスト、テスト、またテストの教育は今日のいじめ社会を生み出しました。

これまでの日本は「右翼」「左翼」の右左でしたが、これからの日本は右脳と左脳の右左論争を行っていくべきです。

最後にもう一度言います。美意識と倫理観に欠けたアメリカ人に服従する社会から脱するべきであると。
<終了>
このように記しました。
http://dream333.seesaa.net/article/285609715.html

さて、中山恭子氏が言う「相手の人格、尊厳を認め尊重する概念が既に内包され、優しさと同時に強さも併せ持つ日本文化の底力」を発揮するにはどうしたら良いのでしょうか。
その一つは姜尚中氏のいう政治と宗教について語り合うことです。国家の枠組みの基礎をなす政治と宗教について、住民運動的に侃々諤々(かんかんがくがく)の言論活動を繰り広げていくことです。

もう一つは、「敵」を知ることです。徹底的にアメリカ人を分析して単純化してしまうのです。今年は本土が独立後60周年だそうですが。その後も何にでも口出ししてくるアメリカから真の独立を図るためには、そうせざるを得ません。

「3000人のユダヤ人にYESと言わせた技術」マーク富岡著 サンマーク出版
<引用開始>
「交渉とは、自分を売ることだけではない。相手を知ることだ」ということを教えてくれた。
変化する状況の中で、自分のゴールはもちろん、相手も納得する「落としどころ」を見つけなければならない、それが交渉だ。自分スタイルを通せばいいというような、単純なものではないのだ。
<引用終了>
http://www.bbook.jp/backnumber/2008/07/3000yes.html

アメリカ人は戦争前から日本人を研究し尽くしていたと考えられますが、日本人は今でもアメリカ人の正体を理解していません。

私は、このブログに記しているように、アメリカ人を知っています。整理して読売読者以外の日本人に教えていきたいと考えます。

さらに、です。表題の「戦後シンドロームから目覚めよ」を成し遂げるためには、アメリカ人を知るよりもさらに重要なことがあります。

それは、歴史の連続性の中から、ユダヤの成し遂げたいことを解き明かすことです。
以前に、このように記しました

ユダヤの商人と呼ばれたイスラエル家の人々(数100人という説もあります)は、ペリーを日本に送り混乱させ、アメリカに南北戦争を起こして混乱させました。北軍勝利の後、南北戦争で用いられた「中古武器」は、日本の戊辰戦争や西南の役で活用されました。彼らの目的は金銭経済に日本をどっぷりとつからせることです。今日の日本人のような「キリスト教の地獄へ堕ちる七つの大罪―大食・強欲・怠惰・肉欲・高慢・嫉妬・憤怒」人間づくり、つまり、読売人間づくりをすることなのです。
<終了>
2012年07月04日イスラエル・リンカーンに告ぐ
http://dream333.seesaa.net/article/278849012.html

日露戦争の勝利、韓国併合、第二次世界大戦への参戦(真珠湾攻撃)、占領、沖縄の実質支配がすべてユダヤによって仕組まれたものだとしたら、背筋がぞっとしてきます。

ユダヤは中国が絶対にユダヤの手に落ちないことを知っています。だから、アジア地域の軍事拠点として沖縄を手に入れたかったのです。

もし、そうだとすれば、本土を焼き尽くしたことが「カモフラージュ」であったと容易に推察されます。つまりこういう論理が用意されていたのです。

「本土は独立させてやるが、沖縄は永久に実効支配する」

本土の人間に沖縄に目を向けさせないために、「本土の自分たちも戦争被害者だ」と思わせるために無差別虐殺を行ったのです。

アメリカ人は東京大空襲などの無差別大虐殺(ホロコーストといいます)の事実を教えられていません。

時間はかかるかも知れませんが、「戦後シンドロームから目覚めよ」を成し遂げるためには、日本人は勇気を持ってアメリカ人やユダヤ人と「正しい歴史の検証と侃々諤々の議論」にチャレンジしていくしかない、私はそう確信します。
posted by S・C・ NAKAMURA at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毎日新聞社説 「木質バイオマス 森林再生にも生かそう」に反応します

<引用開始>
再生可能エネルギーは不安定な電源だと言われるが、安定した出力が期待できるものもある。木材や家畜排せつ物など動植物由来のバイオマスだ。中でも潜在量が多いのが森林由来の木質バイオマスで、山に放置されたままの間伐材など林地残材だけで年間約2000万立方メートルも発生する。日本は国土の約7割を森林が占める森林大国だ。天候によって出力が変動する太陽光や風力発電と木質バイオマスの活用を上手に組み合わせ、荒廃した森林の再生や地域経済の活性化につなげたい。
 福島県会津若松市で先月、木質バイオマスを燃料に使う発電所が稼働を始めた。グリーン発電会津(本社・同市)の河東発電所だ。出力約5000キロワットで、一般家庭約1万世帯分の使用電力に相当する。燃料用に年間約6万トンの木質チップが必要だが、発電所周辺50キロ圏内から、未利用だった間伐材などを集めて賄う。
<引用終了>
http://mainichi.jp/opinion/news/20120813k0000m070166000c.html

以下にドリーム党ブログを「バイオマス」で検索した過去記事を掲載します。特に、6月21日の東京新聞の社説は、毎日新聞とほぼ同内容です。ぜひご覧ください。

2012年06月21日
「自然エネルギー 大きく育てたい純国産」東京新聞社説に反応します。
 自然エネルギーの固定価格買い取り制度が七月から動きだす。小出力の電源ではあるが純国産だ。火力発電の燃料高で生じる所得の海外流出を抑え、日本経済に元気を取り戻す役割も担わせたい。<引用終了> 実に的を射ています。これからの日本は所得の海外流失を防ぐ政策を何よりも優先させなくてはなりません。 2010年のチリ地震により、木材チップがチリから22%輸入されていることが分かりました。
http://dream333.seesaa.net/article/276373731.html


2012年07月21日
脱原発 再生可能エネルギー国家像が見えてきた
筆者は「日本は大丈夫、技術力で中国に追いつかれることは絶対にない」という信念を持って発言しているが、それを裏付ける朗報である。 本日の報道から<引用開始>製紙各社、エネルギー事業で売電本格化 「買い取り制度」参入後押し洋紙や板紙の需要低迷に苦しむ製紙各社が、自家発電設備などを活用して発電事業の強化に乗り出している。業界2位の日本製紙グループ本社は傘下の日本製紙が5月、大口需要家に売電できる特定規模電気事業者(PPS)に登録し、供給先の多様化に乗り出した。
http://dream333.seesaa.net/article/282309013.html

2012年07月20日
希望が浮かぶメガフロートの将来像
福島第一原子力発電所の事故に伴う汚染水の処理の問題で、久しぶりにメガフロートが話題になりました。 汚染水保管メガフロート、5億円で東電に譲渡へ 静岡市 鳩山政権の頃ですが、私はメガフロートに大きな可能性を見出していました。当時まとめたレポートを公開します。
http://dream333.seesaa.net/article/282058401.html

2012年07月18日
植繊機と木質ペレットと竹ペレットの可能性 これを読めば明るくなる
植繊機とはその名の通り植物を繊維にすることができる極めてすぐれた加工機械だ。神戸製鋼の子会社の神鋼造機が特許を有しているが、うわさによると「絶対に中国に輸出しない」そうである。理由は簡単、コピーをつくられる可能性が極めて高いからだ。
http://dream333.seesaa.net/article/281702445.html

2012年06月30日
バックキャスティング手法による脱原発ロードマップづくり
今朝の朝刊には「脱原発」官邸埋める、と写真入りで大きく報道されています。311以前は、小さな政治デモでも、警察により制御されてきましたが、やっと日本もここまで来たかと感慨深いものがあります。 それだけに、今後、私たち日本人はどこへ行くのか、という根源的なテーマを論じ合わなければ、単なる「ブーム」で終わってしまい、安保闘争のようになにも実利の無い、民益のない感情的な闘いでしかなくなります。
http://dream333.seesaa.net/article/278116074.html



posted by S・C・ NAKAMURA at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月12日

尊敬される国家NO1「日本」への国際救援組織づくりの必要性

イランで再び大地震が発生しました。イランは国際社会から核疑惑により孤立していますが、人道的立場から各国は救援の手を差し伸べるべきであると考えます。

私は、30万人以上が亡くなったハイチ地震後に、日本が中心となった国際的な防災、救済組織を常設する「策」を提示し、その1年後のニュージーランド地震後の、都知事選出馬会見でも、ここに紹介する「八ッ場国際リスク管理センター構想」を示しています。

東日本大震災での圧死者、損壊死者は全体の4.4%(溺死92.4%)という統計がありますが、イランの場合は石造りの家のため、死者のほとんどが圧死であったと勘案されます。

紀元前3000年頃栄えたメソポタミア文明は、森林を破壊し都市を砂漠化してしまいました。その禍根が現在まで続いているのです。

ロンドンオリンピックが行われているイギリスは、コンクリートによる「砂漠化」を反省し、護岸などを自然に戻す公共工事が広く行われていると報道で知りました。私はオックスフォードやケンブリッジを訪れましたが、車窓から眺める田園の美しさは、この目に今もしっかりと焼き付いています。

これからの何十年、いや、何百年かかるのかもしれませんが、私たちは地球市民として人間がつくった砂漠を「緑」に戻す事業に勇気を持って取り組まなくてはならないと考えます。

そのリーダーになれるのは日本だけです。マイケル・ムーア監督は「争いを暴力で解決しない方法を日本人は知っている」と発言していますが、それは「緑の植樹による砂漠化防止」と「防災、救済の国際的常設組織の運営」であると私は確信します。

以下に示す具体策は、あくまでも311東日本大震災の1年以上前に作成したものです。311により私たち地球市民のパラダイムは変わったと言っていいと思います。

紀元後365年7月11日には、高さ9メートルの大津波が、エジプトのナイル川のデルタ地帯を襲い、繁栄を誇っていたアレキサンドリアのまちを壊滅させました。
1755年のポルトガル、リスボン地震では、リスボンに高さ、6〜15メートルの高さの大津波が襲い、市民6万人〜9万人が犠牲になり、ポルトガルを弱体化させたそうです。

地震災害だけでなく、世界の原子力災害発生時の指針となるものにグレードアップさせなくてはなりません。がんばります。


2010年1月22日

「八ッ場国際リスク管理センター構想」提案の件

表題の件、下記の通り提案致します。

1、提案の端緒
この国の阪神淡路大震災発生時及びハイチ大震災発生時の初動体制を含む救援活動体制には、決定的な不備が見受けられ、必要な救援活動に支障を来していることが判明したため。

2、現状の問題と今後の方針
@リスク管理体制の問題
見えづらいリスク管理体制からオープンな「非常事態コントロールセンター」を首相官邸内に設置する。台風の襲来など災害の発生が予測される事態や、大震災や大規模山火事など、突然の災害時に俊敏に対応できる体制を構築する。

A思想的問題
「災害が起きてから救援隊が動き出す」という思想から、「常に日本の救援隊はスタンバイ状態にある」という思想に切り替える。

Bマンパワーの問題
救援チーム = 「自衛隊 + 医療チーム」から「自衛隊 + 医療チーム + 民間人ボランティア」に切り替える。

C長期的展望
ハイチ大震災のように、「大規模災害が起きてから国際的救援隊が活動する」のではなく、「あらゆる大規模災害を国際社会が想定し、事前に国際的救援活動の効果的活動内容を取りまとめると共に、支援物資などを世界の数百カ所にあらかじめ備蓄しておく。」に切り替える。

D大規模災害に備えた救援訓練の実施
大規模災害発生を想定した救援訓練は、「未熟」と断じざるを得ない。日本における救援訓練は毎年1月17日に、世界規模の救援訓練は国連発足日の10月24に取り行う。

3、八ッ場ダム構想を「八ッ場国際リスク管理センター構想」へ
@水からバイオマスへ
水をためるのではなく、バイオマスを使用した「仮設住宅キット」「水や非常食」など膨大な救援物資や防災・救援の「知恵」をダム建設予定地にためる。

A全国から八ッ場地区へ
関東以北になると勘案されるが、高速道路網や鉄道網を使い国家備蓄木材でつくられた「仮設住宅キット」や「水や非常食」などを八ッ場地区へ陸送する。

B八ッ場国際リスク管理センターの役割
常設の国家機関である「八ッ場国際リスク管理センター(組織には国連からの出向者を含む)」は、常時世界の災害情報を収集するとともに、世界中の備蓄基地の救援物資備蓄状況などを把握する。官邸に設けられた「非常事態コントロールセンター」の指揮命令により、「八ッ場国際リスク管理センター」は、必要時に必要なだけの支援物資とマンパワーを国内外に移動させる責務を負う。(つまり、日本の首相を長とする「非常事態コントロールセンター」の指揮命令により「八ッ場国際リスク管理センター」は世界規模の救援活動の司令塔的機能を有するようになる。)

C国内のファサードマップを把握
「八ッ場国際リスク管理センター」は、「この地域で大震災が起きるとこの建物が崩壊する可能性がある」「この地域にこれだけの雨が降るとこの家が土砂災害の被害が出る可能性がある」という「個」「点」レベルからの被害想定を取りまとめ、官邸の指揮命令により、当該自治体に改善命令を出すと共に、災害発生時や予測時に自治体の取り組みが十分に取り行われるよう、ナビゲーションする義務を負う。(バックキャスティング方式により、プロレベルの防災ナビゲーションを提供する。)

D国内救援体制の確立
首相官邸の指揮命令により、全国1,700余りの自治体の「最悪の状態」に備え、「○○市が壊滅的状態に陥った時には、こことここからこれだけの救援物資と人的支援を集める」という国内救援体制を確立する。

E災害救助犬情報の集約地に
長野原町を災害救助犬の育成重点地域に指定するとともに、「八ッ場国際リスク管理センター」を世界の災害救助犬情報の集約地として機能させ、生存限界の72時間の36時間前には、必要数を超える災害救助犬が現地で活動できる体制を構築する

F災害救助の「ショーケース」に
最新レスキューロボットなど、日本のハイテク救命技術の「ショーケース」とする。八ッ場地区は海外からの視察団が訪れる「世界の八ッ場」に大きく様変わりする。

4、航空自衛隊入間基地とのコラボレーション
@入間基地の2,000m滑走路利用
入間基地の滑走路と航空自衛隊所有の2機の空中給油機を活用し、支援物資を自衛隊輸送機で全世界に運ぶ。(空中給油機自体にも輸送スペースがある)

A入間基地から初動活動がスタート
入間基地に可能な限りの災害救援物資を備蓄し、被害発生1時間後には最初の便が出発する体制を構築しておく。八ッ場地区に備蓄された救援物資を関越自動車道と圏央道を使い、入間基地に大量輸送する体制を構築する。阪神淡路大震災時は水と食料が行き届くまで1週間を要したが、関西地区で再び同様な大災害が発生した場合、関西地区の空港を利用し、2日以内には、全被災者に十分な救援物資を届けることができる救援体制を構築する。(来年の1月17日には、神戸空港を使用した実際の総合救援訓練を取り行う)

B入間基地の国際化
西武池袋線の稲荷山公園役から近い入間基地から「自衛隊 + 医療チーム + 民間人ボランティア」を国内外に搬送する。もちろん軍用機だけでなく、民間チャーター機も最大限活用する。

5、民間人ボランティアの活躍
@団塊の世代の人々を活用
700万人とも言われる団塊の世代(戦争加害者の子供たち)が、日本の国際的民間ボランティア活動を担う。
10人に1人の70万人が国際ボランティアに登録できるよう、政府は国費でパスポートやビザ必要国のビザ取得費用をまかなったり、救助犬訓練士の資格取得費用をまかなったりするインセンティブを与える必要がある。

A産業界や大学とのコラボレーション
政府は、産学協同で開発された災害救助ハイテク機械を、民間人ボランティアが動かす技術を習得する支援を行う。

B入間基地へ大集合
災害発生3時間後に、救援隊第一陣が現地へ赴くことが可能となる体制を構築する。台風などの襲来型災害の場合、バックキャスティングの手法を用い、被害を最小限に抑えるための国際的啓蒙活動を行う。例えば、110人が亡くなったフィリピンの台風災害は、襲来12時間前までに、すべての人が安全な場所へ避難していれば大量な死者はでなかった。防災ヘリコプターなどを駆使して早めの避難を呼びかけることこそが、防災の基本中の基本であることを日本の防災ボランティア、災害救援ボランティアを通じて世界中に啓蒙すべきである。

災害発生後は、入間基地内に新設された「国際ボランティア・ディパーチャー・センター」を通じて、大量かつ有能な日本の国際救援ボランティアが世界に向け、飛び立っていくことになる。

6、将来的構想
@パラシュートの活用
ハイチの大震災の救援活動がうまくいっていないのは、「コンクリート文化」国の震災には、人間の力では処理できない大量の「がれき」の発生が伴っているからである。車での物資の輸送や人の移動という手段が機能しなくなり、被災地は完全に孤立してしまう。唯一アクセスを可能にさせるのは空からの手段であるが、ヘリコプターの活用にはヘリポートの関係から量的制限がある。輸送機から直接、安全な場所へ降下させることができる動力付きパラシュートや遠隔操作型の無人気球など、空からのアクセスの手段を講じる必要がある。

A東アジア共同体への貢献
アセアン加盟国や地震対策の後進国と言われる韓国への災害時の救援意志を明確に表明するため、使われていない硫黄島の2,650mの滑走路(遺骨収集問題も発展的に解消できると考える)や、3,000mの滑走路を有する沖縄県下地島の飛行場周辺に支援物資を「山積み」しておく。両飛行場を「独立地域」と位置づけ、災害発生時には世界各国からの往来をフリーにすることにより、アジア地域の救援物資が集まる「ハブ空港」としての機能を有するようになる。友愛ボートも含め日本はアジア諸国から尊敬され、信頼される国になることができる。

B長期的復興計画の立案と実行
日本は焼け野原から、「木の文化」を捨てなかったこともあり完全なる経済復興を果たした。ハイチも同じである。再び「コンクリート文化」に戻り同じ過ちを繰り返さないよう、地震に強いアメリカ型の住宅の建設によって復興がなされるべきである。その、復興プランを日本人の手で立案し、国際協力のもと、日本人が中心的役割を担い復興を成就させるべきである。

C画期的救援エリアの整備
例えばメキシコの北部の活用されていない砂漠地帯に日本の沙漠緑化技術を用い、100万人規模の人が一時的に避難したり、仮設住宅として暮らしたりできる「国連管轄エリア」を用意しておく。(1,000人規模の刑務所も用意)カトリーナクラスのハリケーン襲来時には、航空機や列車で大量の人や物資を運ぶ。このような場所を世界十数カ所に事前に用意しておけば、この地球に暮らす人々は災害に苦しめられることはなくなる。この壮大な計画を立案し、国際機関と共に実行に移すのが日本人であれば、日本は世界一尊敬される国になる、私はそう信じて疑わない。
以上
posted by S・C・ NAKAMURA at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アメリカ文明はいずれ滅び去るであろう

共和党のロムニー候補が以下のように発言している。

ロムニー氏「我々は今後没落する日本とは違う
<引用開始>
 ロムニー氏は、「我々が最も恐れているのは『弱い米国』だ」と強調。日本の将来は悲観的だとし、「我々はまもなく、米国民が過去3年間に見てきたものとは全く異なる経済の将来像を示す」と述べ、自らが政権を担えば、オバマ大統領とは異なる経済政策を断行するとアピールした。
<引用終了>
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120811-OYT1T00017.htm

モルモン教徒のロムニー氏は、弱い者の味方ではないのか。その傲慢さにあきれる。

以下に筆者が「卓見」と大事にしている匿名の投稿記事を紹介する。

論談目安箱より

この教授の言葉には 深く心にしみている
( 平成20年07月24日 )投稿者:  亀太郎

京都大学の名前は忘れたが ある教授がこんなことを言っていた。

日本オオカミは絶滅したが、ロシアオオカミは絶滅していない。
その研究をしたところ 日本オオカミは強いオオカミが一族の中で一番偉く、えさも最初にありつく。そして群れ同士戦い強い者が生き残り、ついには滅びた。

しかしロシアオオカミは 群れの中で一番偉いのは弱いオオカミなのだ。
弱いオオカミは 強いオオカミのとってきたえさに 最初にありつく。
群れの一番弱い者を大事にしているというのだ。

しかし群れで一番弱いオオカミは とても、感覚的に鋭いところがあり、敵が近づくとすぐに察知し、群れを守るために移動するというのだ。

私は 生きると言うことは 強くなることではなく、どれだけ互いの賜物を群れの中で徴用するかである。
弱い者を大事にしない社会はどんなに権勢をふるっても滅びる運命にある。

私はロシアは大嫌いだが、この教授の言葉には 深く心にしみている。
<終了>
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0807/080724-05.html

これ以上書く必要はないだろうが、一言だけ伝えたいことがある。

「クリスチャンになるということは、弱い自分を誇れるようになること」なのである。
posted by S・C・ NAKAMURA at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「神の律法(原則)を破ることはできない」〜お盆を迎えるにあたって〜

私に死に至る可能性のある傷害を負わせた読売新聞の門間順平記者や、私や新聞社、書店などをだましたサンクチュアリ出版の鶴巻謙介社長もこの間、家族や親類縁者とのヒューマン・リレーション(良好な人間関係)を持つのであろう。

最後のパレード事件以降の私には、盆も正月も、春秋の彼岸もない。家族にも会えない。老いた母親にも会えない。父の仏壇の前に立つことも許されない。

門間順平記者や、鶴巻謙介社長は家族や「ご先祖様」に心に曇りが無く向かい合えるのであろうか。

世間をだませたとしても、家族や友人や「ご先祖様」を裏切り、うそをつき続けるという重荷に門間順平記者や鶴巻謙介社長は耐えられるだろうか。悔い改めない限り一生続くのだ。

神の律法(原則)を破ることはできない。それを破ろうとすれば自分自身が破れるだけだ
セシル・B・デミル

人に傷害を与える、世間をだます、これらは神の律法(原則という)に反する重大な違反行為である。あざ笑うかのように、いとも簡単に神の原則を破った門間順平記者や鶴巻謙介社長には心の平安が訪れることはない。生ある限り「自分を滅ぼす自分との闘い」が続くのである。

必ず破れ去る門間順平記者や鶴巻謙介社長に子どもがいるなら、子供たちの未来をも奪うことになるのである。

犯罪に手を染めてしまった門間順平記者や鶴巻謙介社長は、家族のためにも悔い改めて欲しい。どうか自分自身を大切にして欲しい。

天にまします我らの父よ
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ
我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ
国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり

門間順平記者や鶴巻謙介社長が、悪魔から解放され、御父の御前に立つ日が来ますことを、主、イエス・キリストの御名によりお祈りいたします。

アーメン
posted by S・C・ NAKAMURA at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月11日

小沢一郎新党とドリーム党の決定的な違い

6月3日の共同通信のインタビューでは小沢一郎はこのように発言している。
<引用開始>
 ―野田佳彦首相との再会談は平行線に終わった。なぜ消費税増税に反対なのか。

 「首相とは2009年衆院選で掲げた政治理念の理解が違っている。首相は無駄を省いて財源を捻出する努力もしていると言うが、民主党が総選挙で主張したのは国の仕組みの抜本改革であり、それが緒に就いているとは言えない」
 
 ―首相は増税に関する立場の違いは「時間軸の問題」としている。

 「時間軸だけではない。行政の仕組みを根本から変えれば、一時的な財源ではなく継続的な財源が出てくるし、地域経済の活性化もできる」
<引用終了>
http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2012/ar20120604182738.html

一昨年の代表選で小沢一郎は無駄をなくせば財源は出てくると論じた。

以前にこのような発言をしている。

2007/12/25発売 扶桑社『週刊SPA!』
<引用開始>
小沢 今、国と地方の行政経費はトータルで150兆円もかかっていて、そのうち補助金に関係するものが3、4割もある。地方分権で無駄を省けば、財源は容易に捻出できるんです。地方分権のもう一つのいい面は、霞ヶ関だと一般国民の監視が行き届かないけれど、地方だと市役所の話だから住民のチェック機能が働く。
<引用終了>
http://ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2008/ar20080111151849.html

小沢一郎の政治思想の中核をなすのは、この考え方であり、高く評価できる。

しかし、である。筆者が常に言っている「どのようにして」が無いのである。言いたいことは分かっている。それは、自民党が築き上げてきた「政」「官」「民」一体となった陳情政治を一変させたいということだ。

小沢一郎は、自らが幹事長になり、陳情対応を幹事長室に一本化したが、渡部恒三議員などが異を唱え、結局陳情の受け皿としての政策調査会が復活した。小沢一郎は最大の行政改革の手段が「先祖帰り」したことで、民主党は変わったと失望したのであろう。

それでも、筆者は、非は小沢一郎にあると考える。代表選で菅直人に敗れたからである。破れた理由は、小沢一郎の行政改革構想を説明できなかったからであると筆者は思う。150兆円の行政経費の3割は45兆円である。今後の消費増税分12.5兆円をはるかに上回る巨額である。

さて、表題の件である。このブログには示していないが、ドリーム党には「具体策」がある。筆者は東京ディズニーランド運営の予算を編成してきた経験がある。以前に記した公務員ゼロ(限りなくゼロに近づく、の意)政策の一環として、小沢一郎には書くことができない筋書きと、具体策を提言していきたい。

ドリーム党と選挙のイメージであるが、「政党」として孵化した後は、民主党の補完政党を目指す。女性中心の政党として、持てる国家運営ノウハウを惜しみなく提供し、正しく修正された民主主義国家、資本主義国家づくりに貢献したい。

政治理念もビジョンも目指す国家像も不明確な、橋下維新の会と論争しても決して負けない自信がある。

小沢一郎は今何を考えているのだろうか。不信任案は否決され、消費税増税案は可決した。解散を待つだけになった小沢一郎は、「どのようにして」行政改革の重要性を説き、国会で多数を得ようとしているのか。

筆者は、時期総選挙や、参議院選挙、都議会議員選挙では、民主党は負けないと考えている。ただし、条件がある。それは、政権を奪い取ったものの過去の自民党政権がつくり上げた運営組織の劣悪さを赤裸々に暴露することである。

もちろん、「頭でっかち」の民主党の至らなさは多いに反省し、成功と失敗を分かりやすくビジュアル化して説明し「もう少し時間をください」と訴えることである。「頭で考えたことを、身体(官僚や現行の行政システム)に伝えたが、身体が正しく動かなかった」と真摯に訴えることである。

日本国民は、今日の荒廃した格差社会をつくったのは民主党ではなく自民党であることを知っている。
ドリーム党は第三者的立場でそのことを訴えていきたい。
posted by S・C・ NAKAMURA at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

竹島問題と「大河の一滴」

五木寛之「大河の一滴」より
<引用開始>
分断とスポーツについて
 今、この平和な時代に、われわれはばらばらである。孤立して生きている。人間と人間同士がお互いになんの関係もなく、物のように存在している。こういう不幸を、われわれはいま感じているわけです。
たとえばサッカーだとか、あるいは野球だとか、オリンピックだとか、あるいは競馬だとか、こういうものに熱中する人びとを見ていて感じるのは、人間というのは、たったひとりで生きているのではなくて、多数の人間との一体感を求めて生きているのだなということです。
 みんなが、ひとつの試合とか、スポーツの行方に対して一喜一憂しながら、つまり他人が、二人とか三人ではなく、百人、千人、万人という人たちが全部、なにか同じ心にとけあって、いまここに存在している ― 熱い興奮がそこにあって、それを求めて人びとはスポーツに熱中するのではないか。ぼくはそんなふうに思います。
 どんなに経済的に恵まれ、どんなに健康に恵まれ、あるいは幸せに生きていたとしても、孤立している人間というのは、生きているときに本当につらいものなのです。生きていることが喜びと感じられない。そこへ忍びよってくるのが、そのような時代全体が高揚しているとき、その時代に自分も一緒に巻き込まれていく快感、あるいは興奮ではないでしょうか。そんな気がして仕方ありません。
 ファシズムとかナショナリズムとかいうもののきわどさは、そのへんにあるような気がします。いくらそういうものが間違っているといったところで、人間は頭だけで動くものではありません。そして、物でもなく、頭でもなく、利益でもなく、自分と他人とが一体になって、燃えるような興奮なのかにいる、という状況を一度あじわった人間は、その病から免疫を得ることはできないのです。
<引用終了>

韓国の李明博大統領が竹島に上陸した問題は、五木氏指摘の「自分も一緒に巻き込まれていく快感、あるいは興奮」が背景にあると私は見ています。オリンピックの最終章の時期であり、8月15日の日韓併合からの解放記念日をねらって、李大統領は国民のナショナリズムの高揚を政治に利用したのです。新聞各紙は「窮地にある自身の支持率回復をねらった」と論じています。そうであれば、韓国の国益にかなうものにはならないでしょう。

ヤフーの掲示板を見ると、恐ろしい勢いで投稿がなされています。ヤフーの掲示板や2ちゃんねるには、デイトレーダーと呼ばれる人たちが「暇つぶし」のために、常に攻撃相手を求めて群がっています。李大統領は日本人の閉塞感が、このような人たちを生み出したり、原発デモに参加させたりしていることを知りません。

経済評論家の内橋克人氏は、政治を選ぶ投票行動そのものが「うっぷんばらし」と評しています。

広島では、韓国領事館に投石されたそうです。何か怖い雰囲気です。

私も攻撃され、ブログ投稿ができなるかもしれません。

日本人は、冷静になって欲しい、そう願ってやみません。
posted by S・C・ NAKAMURA at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月10日

「狭山茶の歴史」間違いのもとを発見

入間市博物館のホームページより
<引用開始>
狭山茶の主産地である埼玉県西部では、いつから茶の栽培・製茶が始まったのでしょうか。これについては諸説あり、いずれも確かな史料は見つかっていません。しかし、南北朝時代の書物『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』に、「天下に指して言う所」の茶産地の一つとして「武蔵河越(むさしのかわごえ)」が登場します。
<中略>
その後の戦乱によって有力寺院が衰退すると、これらの茶産地も荒廃したと考えられ、詳しいことは伝えられていません。
<中略>
江戸時代後期(1800年代初め)、現在の入間市近在の吉川温恭(よしかわよしずみ)、村野盛政(むらのもりまさ)、指田半右衛門(さしだはんえもん)の三人は、試行錯誤を重ねた末、この地域での茶の生産を復興しました。彼らはそれぞれに当時最新の製茶法であった宇治の蒸し製煎茶の製法を習得し、文政2年(1819)には、この茶を商品として大消費地江戸へと出荷するようになったのです。
<引用終了>
http://www.alit.city.iruma.saitama.jp/07tea-museum/13history.html

今から40年前の昭和47(1972)年に「狭山茶場史実録」という本が発刊されています。著者は吉川忠八氏という、上記吉川温恭氏の子孫の方です。
この本は、上記ホームページに紹介されている「重闢茶場碑」という石碑を出発点としていますので、その意味では決して間違っていません。我田引水もありません。

しかし、です。歴史の連続性と茶場としての必然性が見受けられないのです。

入間市博物館ホームページが示す狭山茶の歴史はこういうことです。

◇茶祖栄西禅師が鎌倉時代初期に茶を仕入れた。
(それから約150年後)
◇南北朝時代の書物に河越茶が登場する
(それから約450年後)
◇戦乱によって荒廃した茶産地を吉川氏などが努力して復興した。

これだけです。さらにいけないのは、茶が何の目的で栽培されてきたのかが、全く記されていません。
その理由は、すべてこの本を「丸飲み」しており、歴史を研究していないからです

この本には、私が知らない事実が記されていました。それは、茶場碑は瑞穂町の狭山神社にもあるという事実です。さっそく行って写真に収めてきました。

狭山神社茶場碑.JPG


明治10年に建てられています。どのような思惑からなのか分かりませんが、一つだけ奇妙な点が見受けらました。
それは、裏面の関係者名に二本木や宮寺の中村姓の記載が一切見受けられないのです。出雲祝神社の茶場碑の裏面には東京本町の中村氏から、二本木村の中村氏などが名を連ねていますが、それが見受けられません。
まるで、狭山茶の本場は東京側(当時は現神奈川県の韮山県)だと言わんばかりです。

茶場碑をいくら解読しても狭山茶の歴史は見えてきません。必然性と連続性を解き明かすのが新しい歴史の発見方法です。

1800年代の再興を出発点にするのではなく、鎌倉幕府の誕生と物の考え方を出発点にすべきなのです。

中世の歴史と「禅」と「茶」栄西 多賀宗隼著 吉川弘文館
<引用開始>
禅と茶
禅と茶と。それは今日の日本にとって、いかにも日本的な名であるが、これを歴史的にみると、それはすぐれて中世的なものであり、中世日本の象徴であるというも過言でなく、中世の歴史は、禅と茶を外にしては語りえないのである。
 中世を通じて、京都と鎌倉と二つの政権と文化の中心には、臨済宗が、世・出世を通じて、支配的な力をふるった。両都にそれぞれ五山をはじめ禅宗の大伽藍が甍をならべ軒を競うて、時の権力者、文化の指導者であった公家・武家の上層部の信仰をあつめた。一方、曹洞宗はおもに地方に発展して、これまた地方豪族・武士・民衆の帰依を得たのであり、かくして禅は中央・地方にわたり、わが国の仏教を代表する一大勢力となった。勢いの及ぶ所、日本の文化の禅宗化の風を馴致し、思想・芸術ないしは政治・外交・経済より、日常の行儀・風俗から飲食・言語に至るまで、禅を離れてほとんど存じ得ず、考えざるに至った。
<引用終了>

必然性とは
◇禅の修行には茶が欠かせない。
◇鶴見の総持寺など禅寺用の茶を京都でつくり運ぶ理由が無い。
◇鎌倉を中心とした東の国で茶や梅干しなど、禅寺必需品を生産する必要がある。
◇禅寺が存在する以上「茶禅一味」は必然である。

中世の歴史と「禅」と「茶」栄西 多賀宗隼著 吉川弘文館
<引用開始>
禅と日常生活
武人においてとくに死と結びついた禅は、また日常生活におけるよき指導者ともなった。豆腐と納豆と饅頭と梅干しと茶と。禅宗の食事・点心(てんじん)・飲料はやがて禅寺から溢れ出て民衆のものともなった。同時に禅宗の生活の規則 ―清規(しんぎ)― も世間の作法のもととなり、なかんずく。喫茶の作法となる。茶は心身を養い爽かにする飲料であるとともに、人間交流の仕方を規制するよりどころともなった。禅宗の生活の、かかる世間への拡大は、特に茶を通じて実現されたものであり、禅道を中心とした禅宗の茶禅一味はここに茶を中心とし、禅を背景とする世間の茶禅一味となる。
<引用終了>

連続性とは
◇鎌倉幕府は、茶祖栄西禅師などが育てた茶を狭山の地で生産させた。
◇禅寺が衰退する理由がないし、戦禍に巻き込まれる理由もない。衰退したという史実を記したものを見受けることはできない。
◇禅寺必需品の「狭山茶」の生産は続けられた。
◇茶場碑がある出雲祝神社には、北条家や徳川家が神社に対し社領や朱印十石を与えた由緒がある。時の政権の天領地の禅寺用の茶の生産が「復興」を必要とするほど衰退していたとは到底考えられない。
◇よって1800年代の「復興」とは、禅寺用以外の茶の復興の可能性を否定できない。
◇元狭山村は天領地(幕府領)であり、同じ天領地である青梅の梅干しや秩父の桑(火薬も作っていたと地元の方から教えていただいた)同様に、茶を作り続ける使命があった。それは、鎌倉時代から連続する使命であった。

茶場碑がある入間市宮寺の出雲祝神社の由緒
由緒
延喜式内社で人皇第十二代景行天皇の御代創建 大宝二年(筆者註703年)九月二十九日再建す その後幾度かの乱世にあいながらも御神のゆるくことなく一般から寄木様と親しまれてきた 弘治三年(筆者註1557年)小田原城主北条家より社領を賜り 尚徳川家康将軍はじめ代々の将軍より朱印十石をいただく 明治になり有栖川宮一品鐡仁親王により御染筆を賜る

中村家13代(江戸初期より)である元狭山村初代村長時代の中村為一郎は、明治23年7月から8月にかけて上野で開催された第3回内国勧業博覧会で狭山茶を出品し、総裁である貞愛(さだなる)親王からから褒状を授かっています。

このように茶場維持の必要性と連続性を考えると、いかにこの茶場碑に記された内容を丸飲みすることが、危険であることが分かります。

埼玉県や入間市が丸飲みしたこの本が書かれたのは40年前の昭和47年です。情報量が少なかったに違いありません。今ではインターネットで大阪の狭山池のことや、古事記や万葉集に狭山の地名が記載されていることなどが容易に調べられます。

同時期に、入間市根岸の豊泉寺に佐藤栄作元首相の名が刻まれた狭山茶場碑が建てられていますが、その内容も残念ながら吉川氏が書いた本の内容と重なります。

韓国の大統領が竹島を訪問したニュースが流れていますが、正しい歴史認識を共有することは難しいことです。
入間市の茶場碑、瑞穂町の茶場碑、誰かが歴史を「作る、作文する」ために建てたとするのなら、将来に禍根を残すだけです。

そろそろ、狭山茶の歴史については入間市、埼玉県、瑞穂町、東京都などへ情報を「謹呈」する段階に来ていると考えます。
posted by S・C・ NAKAMURA at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする