弐式の自作小説

30歳過ぎてから趣味になった小説を、ブログ小説という形で公開しています。ちょっと立ち読みしていただければ幸いです。

雪の残り

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全16ページ

[10] [11] [12] [13] [14] [15] [16]

[ 前のページ | 次のページ ]

雪の残り【6】

「今年は優勝を狙っていきます、ってさ。誰でも言えることじゃない」
 
 純一君の言葉のトーンが少し低く、私はその言葉の中に、寂しさ……いや、悔しさが多分に含まれているように感じた。
 
 思ったままを純一君にぶつけてみると、純一君は口をとがらせ、不貞腐れたような表情で、「別に」と答えた。
 
 私には純一君が何に腹を立てたのか分からず戸惑ってしまい、おろおろとしてしまう。その様子が純一君にも伝わったらしく、彼はしぶしぶといった口調で胸中を語った。
 
「悔しくはないけれど、少しうらやましいな」
 
 
 
 
 
 泳いでいるところを見たいと言ってみると、純一君が屋内水泳場まで連れて行ってくれた。さすがにプールサイドに入ることはできなかったけれど、二階控室から見ることができるらしく、ガラス越しにプールの様子を見下ろすことができた。
 
 二階控室にも数人の生徒がいたけれど、私は特に咎≪とが≫められたりすることもなく、静かに見ていることができた。
 
「一番左端の8レーンで泳いでいる……のがそうだと思う」
 
 純一君が指差した方に目をやると、男子生徒が泳いでいるのが見えた。私の眼はあまり遠くの距離を見るのには適していないうえに、変な白い帽子と目を覆っているゴーグルとで顔はよく分からない。人間の、特に女の子は泳ぐときに妙な着衣をつけるから、それで男女の判別だけは出来る。
 
「人間ってさ……どうして、あんなに無理な泳ぎ方をするの?」
 
 声をひそめて純一君に尋ねる。
 
 純一君が孝樹君だと指差した生徒は、両腕を同時に水の上に出して、一気に水をかく。と同時に、足下から水しぶきが上がる。
 
「あれがバタフライっていうんだ。何でそんな泳ぎ方をするのかよく分からないけれど」
 
 同じく声をひそめて純一君が返答した。
 
 無理な泳ぎ方をしているように見えるけれど、速い速い。あっという間に、向こう側から手前側まで泳ぎきってしまう。純一君が、「1レーン50mあるんだ」と教えてくれた。
 
「上から見ていてもよくわからないけれど、うまい人のバタフライは、まるで水の上を飛んでいるように見えるんだ」
 
 バタフライを直訳すると“蝶”を意味する言葉だと私が知るのは、ちょっと先の話である。
 
 突然、孝樹君が泳ぐのを止め、プールサイドに上がってきた。すると上に黒いジャンパーを羽織った人のところへ行って、何事か話しているのが見えた。
 
 その人に小さく頭を下げると水泳場から出て行った。水泳場の出入り口は、ちょうど私たちのいる二階控室の真下なので、ここからでは完全な死角になる。
 
「今日は、練習は終わりかな」
 
 と言った純一君に、私は「激励して行こうよ」と声をかけた。純一君は、「何で僕が……」とあまり気乗りしないような反応をしたが、結局、私に付き合ってくれることになった。
 
 二階控室を出るときに振り返ると、控室にかけられた丸い時計が目に入ってきた。短い針が6を、長い針が12を指していた。
 
 
 
 
 
「……名城」
 
 孝樹君と顔を合わせたのは、校舎と水泳場を繋ぐ渡り廊下でだった。孝樹君は、すでに着替えを終えて、制服姿で出てきたところだった。
 
 

開く コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

開く トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

雪の残り【5】

 私に残雪という名前を付けたのも純一君である。他の人間は「ニャーちゃん」だの「タマ」だの、好き勝手に呼んでいるので、名前などあってないようなものだけれど、とりあえず自分の中では自分の名前は残雪だと考えていた。
 
 命名の由来は、私の茶色の毛に白い毛が斑になって入っている模様が、冬の山の上に積もって融けて残った雪のようで綺麗だということのようだ。しかし、今年の冬に見た校庭は、融けかけの雪でぐしゃぐしゃのびしゃびしゃになっていて、人が歩くと汚い泥が跳ねまわる、とてもではないが綺麗とは言いかねる光景だった。
 
 後から私が抗議するとこう答えたものだった。
 
「遠くに見える綺麗なものも、近くから見たら実はすごく醜くかったりするものだよ。だから、綺麗なものは遠くから眺めるだけにした方が、よっぽど幸せでいられるものなんだよ」
 
 純一君の口調には妙に実感がこもっているような気がした。さっぱり意味が分からないけれど。
 
「ただし、美味しそうなものは別。遠くから眺めるだけだったら不幸になる」
 
 冗談めかして続けた言葉の方が、私にはよっぽど真理のように思えた。
 
 
 
 
 
 放課後になると、私はいつものように校舎の中を歩いて回っていた。意外にこの学校の人間は野良猫が我が物顔で歩いているという状況に寛容に接してくれており、ある程度のことは黙認してくれていた。
 
 創成学園高等部の校舎は4階建てになっている。階段がいくつかあるが、南階段の1階から2階への踊り場で、私は足を止めた。
 
 大きな紙が張り出されている。何か書いてあるようだけれど、残念ながら私は人間の文字を理解できない。しかし、一緒に張り出してある人間の顔写真には見覚えがあった。
 
 この、写真越しでもはっきり分かる鋭い眼光に怖さを感じさせられる風貌は、昼間会った名城孝樹君だと思う。人間の顔は見分けづらいけれど、やはり間違いないはずだ。
 
「残雪。こんなところで何をやっているんだ」
 
 張り出してある紙の真正面に座り込んで眺めていた私に、誰かが声をかけてきた。残雪と私のことを呼ぶのはたった一人だ。私は立ち上がり、純一君に向けて一声鳴いた。彼は、私を抱き上げると、私が見ていた紙に目をやった。
 
「何だ……校内新聞を読んでいたのか」
 
「こうないしんぶん?」
 
 まず“しんぶん”の意味が理解できない。
 
「学校の中であった出来事とかを記事にして書いてあるんだよ……今回は、インターハイ出場選手特集だってさ」
 
 言いながら、なになに……と校内新聞を声に出して読んでくれる。
 
「インターハイ?」
 
「高校生の日本一を決める大会だよ。うちの学校はスポーツも盛んだからね。全国大会に出る選手も多いんだ。名城も水泳のバタフライ100m200mでの出場が決まっている。去年も出てるけれど、去年は入賞どまり。今年はずっと絶好調を維持しているから、表彰台も期待されているってさ」
 
「ふ〜ん。……それって、凄いの?」
 
「凄いに……決まっているさ」
 
 凄い、と口にした後に僅かな間が空いたのは何故だろう。私がそれを疑問に思うよりも早く、純一君は校内新聞に書かれた文章を指でなぞりながら私に言った。
 
「何て書いてあるか読める?」
 
 私はぶんぶんと首を左右に振った。
 
 

開く コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

開く トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

雪の残り【4】

 私は、彼女を知っている。純一君が、何度も言っていたからだ。人間には私の秘密は知られてはいけないけれど、その中でも、首からデジカメを下げた女の子――陽村愛莉≪ひむらあいり≫だけは更なる注意が必要だ……。
 
 しかし、こうして見ると、陽村愛莉がそんなに凶悪な人間であるようにも見えなかった。
 
「……ひょっとしてあんたタマ相手に独りごとを喋っていたの?」
 
「う、うるさいな!」
 
 純一君がムスッとしたように立ち上がった時、チャイムが鳴った。
 
「ほら。予鈴が鳴った。昼の休憩は終わり」
 
「やれやれ」
 
 と陽村愛莉は肩をすくめて、私の頭を撫でようとした。私は、その手をかわして少し間を取った。彼女がつけている微かな香水の匂いが鼻孔をくすぐった。
 
 別に悪気があったわけじゃなく、いきなり頭を撫でられると、いきなり視界を遮られることになるので、とても怖いのだ。けれど、愛莉さんがちょっと悲しそうな顔をしたので、頭くらい撫でさせればよかったかなとちょっと罪悪感を覚える。愛梨さんはそれ以上手を伸ばそうとせず、中庭の出口の方に歩いて行った。
 
「じゃ、僕も教室に戻るから」
 
 純一君も私に声をかけると、中庭を去って行った。「にゃーん」と私は一声鳴いて、彼を見送った。
 
 
 
 
 
 昼の陽気が心地よく、しばしの昼寝を楽しんだ後、私は再び起き上がり、毛づくろいを始めた。ちょっと小腹もすいてきたけれど、それは我慢することにする。
 
 学校は、来週から夏休みとかいうのが始まるらしく、ここにいてさえ生徒の浮かれた空気が漂ってくる。
 
 ここで、ちょっと私についても語っておいた方がよいだろうか?
 
 賢明な読者の皆様は、すでにご察しの通り、私は人間ではない。別に、幽霊や妖怪の類ではない。ごくごく普通の猫である。生まれたのは多分半年ほど前。気が付いたらこの学園の校舎の床下にいて、そのまま当たり前のように住み着いていた。ここにいれば天敵はいないし、昼は学食の残りがもらえるし、朝、夕とこの学園に通う生徒たちが何かしら食べ物をくれるので、ここはとても居心地がよいばかりではなく、生きて行くにも困らない、私にとっては楽園のような場所である。
 
 他の猫に会う機会は少ない。同種の友人がいないというのは不幸なことかもしれないが、人間たちがよく遊んでくれた。その時に、戯れに人間たちの言葉を覚えてみた。話していることが何となく理解できるようになり、同じように発声できるようにもなった。そして、初めて声をかけたのがさっきまで中庭にいた森上純一である。
 
 彼は最初は驚いていたが、やがて、普通の猫は人間の言葉など話さないことや、話すことがばれたら見世物にされてしまうかもしれないと説明してくれた。見世物というのがどういうことかわからなかったけれど、痛いことをされたり捕まったりするのは嫌だったので、他の人間の前では言葉を話さないことにした。
 
 

開く コメント(2) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

開く トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

雪の残り【3】

 中庭は、緑豊かにもかかわらず、人の出入りは多くはない。そのため、普段は私の独占状態である。
 
 取り残されてしまった格好になってしまった私と彼は、仲良く並んで、話を――私が彼の愚痴を一方的に聞いてはなだめるようなやり取りをしていた。
 
 ちなみに、若葉というのは先程、私を助けようとしてくれた女の子のことだ。藤崎若葉という。私が暮らす、創成学園高等部の2年生であり、私の横でずっと愚痴っている彼――森上純一の同級生である。
 
 そして、純一君から“あいつ”と呼ばれているのが、若葉という子を助けたあの背の高い男の子、名城孝樹。同じく2年生。
 
「まぁまぁ……」
 
 ここで、背中の一つでも叩いてやればいいのかもしれないが、私の小さい体では彼の背中まで前足は届かない。私が前足をなめるのを見ながらの彼の愚痴はまだ続いていた。
 
「俺はさ、中学ン時からずっと若葉のことが好きだったんだよ。高校になったら告白しようと思って同じ高校に入学したのに……。それなのに、小学校の時の同級生で幼馴染で、うちの学園の中等部から上ってきた奴が突然現れて……」
 
 つまるところ、孝樹君という男子生徒と、ここにいる純一君、さっきの若葉さんの関係は、いわゆる三角関係というやつらしい。いや、さっきのやりとりを見ている限り、まだどこにも“関係”は発生していないようだけれど。
 
 私の感覚から言えば、恋敵とは、どつきあって決着をつけるというのがシンプルかつ最良の手段であるように思えるが……。
 
 私は純一君に目を向けて、それから孝樹君をイメージし直した。人間の容姿の優劣は私には分からないものの、単に暴力という点では純一君が孝樹君に敵うとは思えなかった。
 
 純一君は背が低く、痩せがたで、見るからに運動神経も悪そうだ。これは、決して、純一君のかけている黒ぶち眼鏡がそのように印象付けているだけではないと思う。
 
 反面、孝樹君はと言えば、背が高いだけではなく、制服のブレザーの上からでも鍛えていることが分かる締まった体つきをしている。さらに先ほどの身のこなしは、ただ者ではない!
 
 さらに、孝樹君は、一学年1000人が在籍している創成学園高等部の中でも、超エリートコースに属している生徒だという。エリートという概念がよく分からなかったが、純一君曰く、将来が嘱望されている生徒だとのこと。いま一つよく分からないが、つまりは格上ってことなのだろう。
 
 名付け親である純一君に肩入れしたい気持ちはあるものの、考えれば考えるほど、勝ち目なさそうだなという気になってくる。純一君に言わせれば、恋愛の勝敗はそれだけで決まるものではない、らしい。
 
「ねぇ、さっきからあなた……誰と話しているの?」
 
 不意に右横から女の声が聞こえてきた。純一君の右側にいた私は、急いで純一君をまたいで左側に移動する。
 
 女生徒の顔を見た純一君は、「げっ」と困ったような声を上げた。向こうの女子生徒も「何よ」とちょっとムッとしたような声を返す。
 
 私には人間の顔の区別が上手くつけられないけれど、彼女は他の女子生徒と比べても肌の色が白い女の子だった。艶のある黒い髪が肩よりもさらに長く腰近くまである。
 
 他の女子生徒と同じ薄茶系のブレザーにスカート姿だったが、首から下げた銀色の小型の物体がゆらゆら揺れているのは他の生徒にはないものだった。あれは、デジカメとかいうものらしい。
 
 

開く コメント(2) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

開く トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

雪の残り【2】

「おーい。頑張れ。用務員さんから脚立を借りてくるから」
 
「無理ー! そんなに待ってられないよぉ!」
 
 顔を真っ赤にしながら女の子は泣き出しそうな声を上げて言い返した。確かに、この状況を見ていると、とてもではないがそんなに持ちそうにもない。
 
「と、とにかく、僕が足を抑えるから……」
 
 と男の子が言った瞬間、なぜだか女の子が一瞬言葉を失い、次の瞬間、絶叫した。
 
「やっぱり駄目ー! 近寄るなぁ!」
 
 なぜだか足をばたつかせて近寄ろうとした男の子を遠ざけさせる。そのたびに薄茶色のスカートがひらひらと揺れた。
 
 一体、彼女が何を気にしているのか分からなかったけれど、足を抑えて救出するのは難しいだろうな、と思った。彼女の足の裏の下には、人一人がすっぽり収まるくらいのスペースが空いていたから、足を掴もうと思ったら頭の上で足首を掴まなければならない。その体勢で落とさないようにしながら下ろすのは、かなりの危険を伴う。
 
 とりあえず、無理に助けようとせず自然に落ちるのを待つしかないだろう。運が良ければ尻もちだけですむだろうし……と思った時、女の子の顔が、希望を含んだものに変わった。
 
「た、孝ちゃん! 助けてー!」
 
 ちなみに、孝ちゃんというのは、私が足に身体を擦りつけている男の子のことではない。
 
「何やっているんだよ」
 
 呆れたような声が、上から降ってきた。いつの間にか近づいてきた、同じ薄茶色のブレザーにズボンの男の子がいたのだ。
 
 背丈がものすごく高い人で、私もよく見かけたことがあった。精悍な顔つきというか、いつも額に皺を寄せているような険しい表情が印象的な男の子である。
 
 彼の反応はそっけないものだった。
 
「そんな状態になったんなら、飛び降りろよ」
 
「無理! 高すぎ」
 
 彼女は抗議めいた口調で言い返した。こうして聞いているとまだ余裕がありそうな女の子だが、必死に唇をかみしめるその表情はもう限界といった感じだった。
 
 それを見た背の高い男の子は、小さく舌打ちをすると、木の幹に近寄ると、たんたんと木の幹を蹴ってよじ登る、というよりも駆け上がった。そして、彼女のお腹のあたりに手を入れて彼女の体を支えると、ひらりと飛び降りたのだった。
 
 それは、瞬きをするほどの間の出来事で、鮮やかな救出劇だった。
 
「……あ……」
 
 地面に足をつけた彼女はしばらくボーっとしていたけれど、はっと我に返って背の高い男に「ありが……」と謝辞を言おうとした。しかし、当の彼はと言えば、そんなことに興味はないというふうに背を向けて、さっさと歩いて行ってしまう。
 
 こういうのは、そっけないと言うのか、クールというのか。
 
「ちょ、ちょっと待って」
 
 と追いかけて行く女の子。私が身体を擦り寄せている男の子はと言えば、なぜか拳を握りしめて、唇をわなわなと震わせていた。
 
 
 
 
 
「何で! 若葉の奴は、あんな奴の事!」
 
 私たちだけになった中庭で、彼はコンクリートの上に座り込んで何度も愚痴る。私はその右隣に座りこんで毛づくろいをしていた。目の前には、さっきまで私と彼女が上っていた太く高い樹木がある。何の木かは知らない。
 
 ここは、創成学園高等部の校舎の中庭である。緑豊かなこの場所を私は好きだが、調子に乗ってこの中で一番高い木に登ってしまって痛い目にあったのだった。
 
 

開く コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

開く トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

全16ページ

[10] [11] [12] [13] [14] [15] [16]

[ 前のページ | 次のページ ]


.

弐式
人気度

ヘルプ

Yahoo Image

PR


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事