「人生に遅すぎるということはない」。初めてのインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明した日清食品創業者の安藤百福(ももふく)(1910〜2007)の言葉だ。
理事長を務めていた信用組合が倒産して全財産を失い、チキンラーメンの発明はどん底から始まった。47歳の時だった。「車は米国車から自転車になりました」。安藤の次男で日清食品ホールディングス社長の安藤宏基(こうき)さんは当時を振り返る。
その自転車に安藤は中古の製めん機などを積み、大阪府池田市の借家の庭に建てた10平方メートルほどの小屋に持ち帰った。朝から晩までこもりきり試作品を作っては捨てるを繰り返す。「めんの切れ端を集めてお湯をかけてネギをのせて食べました。これが本当においしかった」と宏基さん。
裸電球の下で一日も休まず睡眠は平均4時間。お湯をかけるだけで出来上がるラーメンを1年かけて完成させた。
1958(昭和33)年8月25日、大阪市で販売が始まった。1袋35円だった。60年、岸信介内閣から「所得倍増」を掲げる池田勇人内閣に代わり、「安保の時代」から「経済の時代」へ。チキンラーメンは爆発的に売れ、小屋で誕生してわずか2年後の60年に月産10万食に達した。
発売から10年が過ぎ、安藤は新商品の開発に着手する。後発メーカーの参入で市場は競争が激化していた。62年に明星食品と東洋水産がスープ別添えタイプの商品を発売。66年にはサンヨー食品が「サッポロ一番」を発売しヒット商品に。そこで安藤は、日本だけでなく世界で食べられる新商品を目指した。そんな狙いを凝縮したのが71年9月発売のカップヌードルだった。
チキンラーメンが発売された1958年は東京タワーが完成した年でもある。本格化したテレビコマーシャルや高度経済成長の時代の波に乗ってインスタントラーメンは、めん類好きの日本人の支持を得て大量生産されるようになった。カップヌードルが発売された71年前後からは各メーカーの海外進出も本格化。インスタントラーメンは海を渡った。
日本即席食品工業協会によると2010年の国内の1人当たりインスタントラーメン消費量は41.9食。年間生産量は53億1千万食(袋めん16億8844万食、カップめん34億7032万食、生タイプめん1億4989万食)。この年の世界の消費量は953億9千万食に達した。
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