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つか、

 投稿者:野間易通  投稿日:2012年 8月26日(日)04時20分16秒
  自分の言いたいことを言ってブロックするなんて恥ずかしいこと、まっぺんさんはまだやってるんですねえ。
普通ブロックするなら、相手に言わせた状態でするものでしょうに。

よっぽど自信がないんでしょうね。

どっちにしろこの界隈、投稿者もほとんど変化がないし議論の質も極端に低いしで、まったく進歩がないことがよくわかりました。そりゃ新しい動きについてこれないのもしょうがないです。

https://twitter.com/kdxn

 

誘導しても

 投稿者:半蔵  投稿日:2012年 8月26日(日)04時03分17秒
  野間さんは多分来ないんでしょうが
もし来たらあさんも呼びませんか?

 

言い換えると

 投稿者:半蔵  投稿日:2012年 8月25日(土)21時48分10秒
  旗を登場させるには労働組合が必要だ
ってコトですかね?

それなら旗→労働組合
ってコトで旗が十分条件になりえます(納得)

ご指摘のとおり「一労組だけの場合」で考えて
旗を必要条件と見なしてました
「労組活動するなら旗が必要だ」(労働組合→旗)
といった類の命題を思い浮かべてましたね

その迷路の例えもふくめて論理の話は目を白黒させる毎日です^^;
 

十分条件ですよ。

 投稿者:まっぺん  投稿日:2012年 8月25日(土)21時17分10秒
  「必要条件」に見えるのは「一労組だけの場合」で考えているからですよ。
広く「労働運動」全般に関してかんがえれば、「旗は絶対必要」と思っている労組もあり
「旗などなくてもいい」と考えている労組もあるでしょう。
つまり旗を必要条件とするかしないかは、各々の労組の自由意思にまかされているということです。

しかし逆に「旗が登場したら」そこにはかならず労組がいる、と見てまちがいありません。
もちろん、「労組を僭称する団体」とかいうのはナシですよ。

旗=A 労組=Bと考えると、AがなくてもBは存在しますが(つまり十分条件)
BがなければAは存在できない。だから労組は旗にとっての「必要条件」となります。
このように「十分条件」を反対側から見れば「必要条件」になるのですよ。

例えば迷路の入口はひとつだけど出口がいくつもあるようなものです。
入口から見ると出口はいろいろある。これは「選択肢がいろいろある」ので十分条件。
しかし逆にどの出口からたどってもかならずひとつしかない入口に出るので、必要条件。
 

う~ん・・・

 投稿者:半蔵  投稿日:2012年 8月25日(土)21時15分42秒
  >多くの個人参加者は、一部の労組や左翼のそうした子供じみた態度に辟易しているのです。
↑野間さんも含めて個人参加者のなかからも
「労組・左翼うぜぇ~」って思う方々が
「少なからず」いるんでしょうが
現時点て多数派のごとく語るのは勇み足感が強いですね

旗のコトを気にしない個人参加者も「少なからず」
なのでは???
 

旗が十分条件とは

 投稿者:半蔵  投稿日:2012年 8月25日(土)19時56分8秒
  言い難いですね
活動する際、旗を必要条件とみなす方がいる
というのなら納得

野間さんの援護になりうるから(誘導に応じない方にそんな義理ねーしw)
二次会では伏せとこ・・・



 

二次会より転載

 投稿者:半蔵  投稿日:2012年 8月25日(土)19時31分10秒
  >必要条件・十分条件は「子どもでも知っている論理」
↑それほど普及してはいないと思いますが・・・

高校は文系クラスってのもあって
習ったことないです
理系クラスの数学教科書をチラ見した程度w
習熟するのは厳しい代物デス

まぁ利口ぶって論理をうそぶく方をおちょくるときには
重宝しますがね
 

久々に二次会覗いたら

 投稿者:半蔵  投稿日:2012年 8月25日(土)06時40分30秒
  ココでのあさんとまっぺんさんの長い長いやり取りを思い出しました
(内容は覚えてないケド)

最初から読んでないんですが
野間さんがこだわっているコトは
反原発運動の際に労働組合の旗を持ち込むのは控えてくれってことですかね?
 

オラはサボってるし

 投稿者:セクトNo.7@酔っ払い書記  投稿日:2012年 8月24日(金)21時03分41秒
  >二次会も寛大になったもんですね

皆さん投稿規定違反を繰り返しているけれど、一応時の人だけれど「ルール」を言うならば、お前が守れよって。
たぶん規定を呼んでいないし、読んでも守る気がしてないんじゃないかな。
頭かくしてなんてのがお似合い。
シベリア向きの人ではあるな。

でも、賞味期限が意外と早く切れそうな人だ。
最近は支離滅裂だよな。

さあてと、明日の鮎の掛け針をまこう。
一日10本以上使うから毎日一h時間は黙々と針を巻いている。
 

ラブコールは届かないようで・・・

 投稿者:半蔵  投稿日:2012年 8月24日(金)15時00分14秒
  二次会も寛大になったもんですね  

二次会の野間なにがし

 投稿者:外野席  投稿日:2012年 8月24日(金)13時32分21秒
  激しくココ向きの人材ですねw  

オオカミ

 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年 8月24日(金)09時23分13秒
   図書館で昨日借りてきた本の内一冊は「オオカミ ―その行動・生態・神話 エリック・
ツィーメン (著), 今泉 みね子 (翻訳)」です。

 偶々?、棚で見つけたのですが、手に取ったりしたのは、知的障害者の施設にはこの人
は犬だな、この人は山羊だな、この人はナマケモノかなあ・・の他に、ああっ、この人は
オオカミじゃないかなと思う人が数週間前に・・あったからです。もしかしたら何ヶ月に
一度くらいそういうことがあるらしいですが、その人は、言葉は発しませんし、この人は
犬だなあと思う人のように、唸ったりもしないのですが、何ヶ月に一度くらいそういこと
がどうもあるようです。一週間ぐらい前に私も体験しました。明らかにオオカミの遠吠え
とような大きな声を発しました。

 そういうことがありまして、図書館で、「オオカミ」を見つけまして、訳者の今泉 み
ね子さんのあとがきを読みました。ルーマニアが出てくるのですね。「ああっ」と思いま
して、これは嫁ということだなと解釈しました。まずあとがきのその辺を援用します。

>>
 さて、著者のエリック・ツィーメンは現在ドキュメンタリー映画の監督でもある。彼の
テーマは動物と人間、自然と文化の関わりで、作品はドイツのフライブルク市で毎年開催
されている世界環境映画祭「エコメディア」でも上演されたことがある。一九九二年には
イヌイットをテーマにした映画が、また一九九四年には、ノルウェーのある村でオオカミ
に出会って以来オオカミに惹かれつづけた少年の実話を、この村の当事者だちと著者の飼
うクヌーレ(本書にも最後の方に登場)とで再現した映画が公開された。
 映画上映に合わせて当市を訪れた著者に私はインタビューすることができた。ルーマニ
アでのロケから直行したという著者は長旅の疲れにもかかわらず、快く応じて下さった。
氏は開ロー番、子供用のテレビ映画を撮影したロケ先のルーマニアの村は物資が豊かとは
いえない環境なのに、祖父母、両親、子供三世代が小さな住居に仲良く同居し、子供は笑
い、戸外で遊び、けんかなど見られないという話をしてくれた。平和で、人間的な社会が
まだ存在しているそのような地方からいっきょにドイツに戻ったために、物は豊かでも人
間どうしが冷たいこの先進国の社会にショックを感じる、と目をしばたいた。この村は八
百年間、貧しくとも平和に暮らして、独裁政権下でも耐えることができたのに、今ドイツ
から進出してくる自動車会社によって分断され、崩壊される危機にあるという。
 ところでルーマニアなどの東欧諸国、そしてスペインやポルトガルなどの南ヨーロッパ
の人々は、中部・北部ヨーロッパの国々とちがってオオカミにも寛容だそうである。中規
模の都市でも、町中をまるで野良イメのようにオオカミが歩いており、人々は怖がりもし
なければ、迫害もしない。だからオオカミの方も何百年もの迫害の歴史で身についた人間
への恐れも克服して、人間を怖がらない。オオカミと人間が仲良く共存しているのだ。た
まにオオカミが羊を一頭失敬しても、人々は目くじらをたててオオカミを殺すなどという
ことはないという。どうしてなのでしょうかという私の問いに、著者は、これらの国々の
人々は利益とか利用といったことのためにあくせくせず、他者の生活に干渉しない民族性
を持っているのではないか、とちょっとうらやましそうに語ってくれた。
<<

 ほいで、それから次は、本文の「第三章 オオカミの「言葉」」p77の所を援用しま
すが、まあ「匂い」の話です。

 私は生まれつき鼻は・・ああっ、鼻の格好、形のことでは一応ありません。・・・機能
の話ね。良くなかったと思いますが、憑依することが出来る体質になったと関係あるよう
に思われますが、相当鼻の機能が馬鹿になりました。これはねえ、今働いている知的障害
者の施設では好都合なんですね。施設の知的障害者のことを「施設利用者」と業界用語?
で呼ぶのですが、まあ、施設利用者の大部分が56歳の私に比して、相当若い人が多いと
いうことも私に取って好条件だともおもうのですが、失禁というか、うんこ、しいこをお
漏らしすることが多いのですが、その処置が臭わないもんで、全然苦にならないんですね。
 ええっ、長姉の娘ですけど、まあ姪かあ、・・鳥取大学の農学部とか卒業しましたが、
中国に行って植林するとかいやだなあということで、・・老人介護の資格を取って、一時
そういう仕事をしていました。この子もねえ、鼻が馬鹿だつたんです。そいで、老人の下
の世話も全然苦にならなかったそうでした。ところが結婚して子どもを産んだら・・・赤
ちゃんは、nelu的には・・生んだ子・・略して生む子・・うんこなんですがね・・・そう
したら、鼻の機能が何故か回復してしまいましたそうで、もう老人介護はいやだとなりま
した。

そいでは、援用します。
>>
 最後にもう一つ、匂いによると思われるコミュニケー・ションの行動がある。だが、私
たちにはその機能はほとんど何もわからない。すなわち、なぜオオカミは(そしてイヌも)
不快な匂いのする物質、たとえば腐った肉や汚物の上で転げまわるのだろうか。アンファ
が生後一か月になったとき、かなり腐敗したノウサギのひどい匂いのする残骸の中で転が
って泥浴びをした。そのあとアンファは、それ相応の匂いがした。逃げ出したくなるよう
な匂いである。人間のこのような腐敗の強い匂いに対する嫌悪感は、明らかにオオカミに
はないようである。むしろオオカミは、アンファがこのウサギを食べたように食べてしま
うことが多い。とくに好まれるのは野生動物の腐肉である。たとえば私たちがオオカミに
マガモの内臓を餌として与えたところ、すべてのオオカミがまずその中で転げまわり、そ
れから食べた。ときどき私たちが屠殺場からもらうアヒルの一部または丸々一羽をオオカ
ミに与えると、かれらはすぐに食べはじめ、その中で転がることはない。それと並んでオ
オカミは、腐った果物や糞の間でも転がることがよくある。人馴れしていなかったために
私たちが囲いから外に連れ出すことができなかったオオカミは、転げまわるよう仕向ける
のがとくに簡単だった。囲いの中に投げ入れられる未知のものは何でも、タバコの箱であ
れ、レモンの皮であれ、服の切れ端であれ、オオカミたちは運びまわり、それからそれを
地面に置いて、その上で転げまわった。アンファやその他の、私が囲い地から連れ出すこ
とができたオオカミたちは、とくに散歩の開始時に転げまわった。そして私たちが散歩か
ら囲い地へと戻ってくると、かならず囲い地に残っていたオオカミは帰ってきたオオカミ
の匂いを熱心に嗅いだ。ときには、帰ってきたオオカミの毛皮に自分の休をこすりつけよ
うとした。ひどい匂いの物質から発散する刺激は非常に大きいとみえる。
 この転げまわる行動は、退化した嗅覚器官をもつ私たち人間には奇妙に思える行動様式
で、その機能については今のところまだ推測しかできない。腐肉で「自分の体に香水をつ
けるにのは群れの他のメンバーに食物源があることを知らせるためではないか、という推
測がある。別の仮説によると、この行動は獲物動物に対する嗅覚的カモフラージュに役立
つという。腐肉の匂いが自分自身の匂いをおおい隠し、これによって獲物により容易に近
づくことができるのではないか、というのである。一方また、腐肉の中で転げまわること
で、オオカミは個人的に満足感を得るだけであって、この行動はそれ以外にはなんの機能
もない、と考える人もいる。

<<



 

http://critic5.exblog.jp/18796218/

 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年 8月24日(金)08時11分28秒
  デモと選挙 - シングルイシューの政治の錯覚と陥穽
ウェーバーの『職業としての政治』の結語にさしかかるところで、シェークスピアの『詩篇』の一説が引用されている。「そも二人の愛の成りしは、恰も春のことなりしが、其のころ、われは、春を迎ふるには、常に物語の歌もてせり。かの妙音鳥(フィロメル)でふ鳥は、夏の初めには歌ひ奏づれども、漸く月日経て真夏となれば、其笛の音を止むるを例とす」(岩波文庫 P.104)。この詩の紹介のあと、次の文章が続く。ウェーバーのペシミズムと言われる有名な箇所だ。「いまわれわれの前にあるのは、花咲き乱れる夏の初めではなく、さしあたっては凍てついた暗く厳しい極北の夜である。(略)やがてこの夜が次第に明けそめていく時、いまわが世の春を謳歌しているかに見える人々のうち、誰が生きながらえているだろうか。また、諸君の一人一人はその時どうなっているだろうか」(同 P.104)。このウェーバーの警句と予言を自然と思い出していた。「夏の初めには歌ひ奏づれども、漸く月日経て真夏となれば、其笛の音を止むるを例とす」なのだそうだ。そして、雪も凍てつく極北の夜へ向かうのだ。ミュンヘンのある学生団体のために、ウェーバーが講演を行ったのは1919年1月のことだった。第1次大戦が終わった直後、したがってロシア革命の熱気と興奮に欧州とドイツが包まれていたときである。同じ1月、同じミュンヘンで武装蜂起が起きている。
 

社会学におけるエートス論

 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年 8月24日(金)08時02分5秒
  エートスを、社会認識の基軸として捉え返したのがドイツの社会学者マックス・ヴェーバーである。ヴェーバーによれば、エートスは、以下の三つの性向を併せ持つ。
生活態度 - 古代ギリシア語のエートスが、「習慣」を意味しているように、エートスは、それにふさわしい行為を営む中で体得される「習慣によって形作られた」行為性向である。社会化によって人々に共有されるようになった行為パターンないし生活形式ともいえよう。
心的態度 - しかし、ある行為がいくら機械的に反復されてもエートスは作り出されない。その行為性向は意識的に選択される必要があるからだ。この「主体的選択に基づく」行為性向がエートスである。
倫理的態度 - そして、この行為を選択する基準が「正しさ」である。「正しい」行為とは、内在性の基準(行為に固有の価値)が選択され、(目的達成の手段ではなく)行為それ自体が目的として行なわれるような行為のことである。外的な賞罰なしには存続しえない行為性向はエートスではない。したがって、エートスの究極的な支えは個人の内面にある。
こうした行為性向の中で、習慣の契機が強調されると、エートスは、文化人類学における「文化パターン」概念に生まれ変わり、選択性あるいは主観性の契機が強調されると、エートスは倫理学における倫理・道徳概念へと転化することになる。これに対し、ヴェーバー社会学は、倫理的態度を生活態度の特定の方法的・合理的な在り方と捉えることで、以上の性向を総合的に認識しようとするものである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/エートス

 

「<民主>と<愛国>」

 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年 8月23日(木)22時30分17秒
  読了しました。ううむ。まあ、良い本ですね。黒田寛一さんの名前はでてくるけど、廣松渉さんはでてきません、……… 結論で、柄谷行人さんの名前は出てきて、結論の股締めで、、上野千鶴子さんと、旅人君のいう在日のナショナリズムという新し言葉を掛けて振った?。。。。。。。。?。。  

http://www.uranus.dti.ne.jp/~yuugeki/bisyo01.htmは、ニャンコのフクちゃんの掲示板で、

 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年 8月22日(水)09時39分34秒
  南三歩さんと言う人がコピペ、リー君していたので、わたしは、リー君を開いたりしていたから、徹子の部屋のつもりが、間違って、はりつけてしまったようです。

知らなかったけど、北のりゆというひとは「遊撃インターネット」のサイト開いているひとですね。

革マル派講演会に行く (葉寺 覚明)

終戦記念日には靖国神社に行こう! (葉寺 覚明 98.10.14)

とか、葉寺 覚明 さんの面白い、情報価値の高い文章も沢山ありますねえ。
 

> ? 大島や徹子とどう関係があるのか??? ?

 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年 8月22日(水)09時25分1秒
  あれ!?  本当だ!?

http://www.tv-asahi.co.jp/pr/contents/20120814_50139.html

これをリー君した積りでした。大島渚16年間寝たきりは「徹子の部屋」です。
 

そのソース

 投稿者:半蔵  投稿日:2012年 8月22日(水)06時26分51秒
  大島や徹子とどう関係があるのか???  

母から聞いた。「大島渚が17年間寝たきり」

 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年 8月21日(火)20時51分5秒
  で、「大島渚  17年間」で愚愚った。

http://www.uranus.dti.ne.jp/~yuugeki/bisyo01.htm これ徹子の部屋ですけど、16年間でした。

しかし、母は17年間と言いました。17に意味あるんだね。
 

コピペ

 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年 8月21日(火)08時52分26秒
  ? こんばんは、皆さん、植田です。

 もう寝ようと思うのですが、そしたら、このつぶやきが目に留まりました。
 無視できません。

 * 「FRCSRJP・みんなのカルテ?@FRCSRJP

 @YuriHiranuma FRCSR 甲状腺癌、白血病の報告が次々に届いています。半年前、つまり事故から一年目にして発症の萌芽があったと思われます。チェルノブイリで癌の発症は5年から10年かかりましたが、癌化のスピードはチェルノブイリの5倍です。」

 「FRCSRJP・みんなのカルテ?@FRCSRJP

 秋にははじまると思っていたことが、お盆明け早々にはじまりました。死亡は子供も含み、甲状腺癌、白血球に問題ありの報告、増加の一方です。避難予定者で症状のある人は急ぎ避難を呼びかけてください。」

 「FRCSRJP・みんなのカルテ?@FRCSRJP

 <拡散> 症状の進行が尋常ではないスピードです。症状のある方で避難を予定している方に急ぎみなさんから避難を呼びかけてください。ご協力お願い致します。」
 https://twitter.com/FRCSRJP


 チェルノブイリの5倍のスピード!!
 ということは、単純に考えて、フクシマの放射能はチェルブイリの5倍の量。
 4つが爆発したのですから、不思議ではないでしょう。

 不思議なのは、ここにきての日本社会の無反応です。
 律令政府と、それを盲信する律令理性人たちのことですから、別に驚きもありませんが、可哀想なのは、まだ自然理性を保っている子供たちです。それを開花させる前に、沈没してしまうかもしれません。

 律令理性を克服できなかった日本人のツケです。
 3年後といわず、年末といわず、お盆明けの今、どうやらスタートしたようです。

 皆さん、これから日本社会にやつてくる阿鼻叫喚を覚悟しましょう。
 「官邸デモ」などという無害なデモは、近いうちに、変貌するでしょう。

 ホッブスがイギリス人たちが内乱(市民戦争)で流した血を見て、「権利」思想を立ち上げたことの意味を、日本人が知る(追体験する)時が来ました。
 やはり、そうしてしか「権利」思想は、自分のものにならないようです。

 「西洋かぶれ」からではなく、日本人は放射能から「近代思想」を知ることになりました。

http://8706.teacup.com/uedam/bbs/11351

 

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