|
図書館で昨日借りてきた本の内一冊は「オオカミ ―その行動・生態・神話 エリック・
ツィーメン (著), 今泉 みね子 (翻訳)」です。
偶々?、棚で見つけたのですが、手に取ったりしたのは、知的障害者の施設にはこの人
は犬だな、この人は山羊だな、この人はナマケモノかなあ・・の他に、ああっ、この人は
オオカミじゃないかなと思う人が数週間前に・・あったからです。もしかしたら何ヶ月に
一度くらいそういうことがあるらしいですが、その人は、言葉は発しませんし、この人は
犬だなあと思う人のように、唸ったりもしないのですが、何ヶ月に一度くらいそういこと
がどうもあるようです。一週間ぐらい前に私も体験しました。明らかにオオカミの遠吠え
とような大きな声を発しました。
そういうことがありまして、図書館で、「オオカミ」を見つけまして、訳者の今泉 み
ね子さんのあとがきを読みました。ルーマニアが出てくるのですね。「ああっ」と思いま
して、これは嫁ということだなと解釈しました。まずあとがきのその辺を援用します。
>>
さて、著者のエリック・ツィーメンは現在ドキュメンタリー映画の監督でもある。彼の
テーマは動物と人間、自然と文化の関わりで、作品はドイツのフライブルク市で毎年開催
されている世界環境映画祭「エコメディア」でも上演されたことがある。一九九二年には
イヌイットをテーマにした映画が、また一九九四年には、ノルウェーのある村でオオカミ
に出会って以来オオカミに惹かれつづけた少年の実話を、この村の当事者だちと著者の飼
うクヌーレ(本書にも最後の方に登場)とで再現した映画が公開された。
映画上映に合わせて当市を訪れた著者に私はインタビューすることができた。ルーマニ
アでのロケから直行したという著者は長旅の疲れにもかかわらず、快く応じて下さった。
氏は開ロー番、子供用のテレビ映画を撮影したロケ先のルーマニアの村は物資が豊かとは
いえない環境なのに、祖父母、両親、子供三世代が小さな住居に仲良く同居し、子供は笑
い、戸外で遊び、けんかなど見られないという話をしてくれた。平和で、人間的な社会が
まだ存在しているそのような地方からいっきょにドイツに戻ったために、物は豊かでも人
間どうしが冷たいこの先進国の社会にショックを感じる、と目をしばたいた。この村は八
百年間、貧しくとも平和に暮らして、独裁政権下でも耐えることができたのに、今ドイツ
から進出してくる自動車会社によって分断され、崩壊される危機にあるという。
ところでルーマニアなどの東欧諸国、そしてスペインやポルトガルなどの南ヨーロッパ
の人々は、中部・北部ヨーロッパの国々とちがってオオカミにも寛容だそうである。中規
模の都市でも、町中をまるで野良イメのようにオオカミが歩いており、人々は怖がりもし
なければ、迫害もしない。だからオオカミの方も何百年もの迫害の歴史で身についた人間
への恐れも克服して、人間を怖がらない。オオカミと人間が仲良く共存しているのだ。た
まにオオカミが羊を一頭失敬しても、人々は目くじらをたててオオカミを殺すなどという
ことはないという。どうしてなのでしょうかという私の問いに、著者は、これらの国々の
人々は利益とか利用といったことのためにあくせくせず、他者の生活に干渉しない民族性
を持っているのではないか、とちょっとうらやましそうに語ってくれた。
<<
ほいで、それから次は、本文の「第三章 オオカミの「言葉」」p77の所を援用しま
すが、まあ「匂い」の話です。
私は生まれつき鼻は・・ああっ、鼻の格好、形のことでは一応ありません。・・・機能
の話ね。良くなかったと思いますが、憑依することが出来る体質になったと関係あるよう
に思われますが、相当鼻の機能が馬鹿になりました。これはねえ、今働いている知的障害
者の施設では好都合なんですね。施設の知的障害者のことを「施設利用者」と業界用語?
で呼ぶのですが、まあ、施設利用者の大部分が56歳の私に比して、相当若い人が多いと
いうことも私に取って好条件だともおもうのですが、失禁というか、うんこ、しいこをお
漏らしすることが多いのですが、その処置が臭わないもんで、全然苦にならないんですね。
ええっ、長姉の娘ですけど、まあ姪かあ、・・鳥取大学の農学部とか卒業しましたが、
中国に行って植林するとかいやだなあということで、・・老人介護の資格を取って、一時
そういう仕事をしていました。この子もねえ、鼻が馬鹿だつたんです。そいで、老人の下
の世話も全然苦にならなかったそうでした。ところが結婚して子どもを産んだら・・・赤
ちゃんは、nelu的には・・生んだ子・・略して生む子・・うんこなんですがね・・・そう
したら、鼻の機能が何故か回復してしまいましたそうで、もう老人介護はいやだとなりま
した。
そいでは、援用します。
>>
最後にもう一つ、匂いによると思われるコミュニケー・ションの行動がある。だが、私
たちにはその機能はほとんど何もわからない。すなわち、なぜオオカミは(そしてイヌも)
不快な匂いのする物質、たとえば腐った肉や汚物の上で転げまわるのだろうか。アンファ
が生後一か月になったとき、かなり腐敗したノウサギのひどい匂いのする残骸の中で転が
って泥浴びをした。そのあとアンファは、それ相応の匂いがした。逃げ出したくなるよう
な匂いである。人間のこのような腐敗の強い匂いに対する嫌悪感は、明らかにオオカミに
はないようである。むしろオオカミは、アンファがこのウサギを食べたように食べてしま
うことが多い。とくに好まれるのは野生動物の腐肉である。たとえば私たちがオオカミに
マガモの内臓を餌として与えたところ、すべてのオオカミがまずその中で転げまわり、そ
れから食べた。ときどき私たちが屠殺場からもらうアヒルの一部または丸々一羽をオオカ
ミに与えると、かれらはすぐに食べはじめ、その中で転がることはない。それと並んでオ
オカミは、腐った果物や糞の間でも転がることがよくある。人馴れしていなかったために
私たちが囲いから外に連れ出すことができなかったオオカミは、転げまわるよう仕向ける
のがとくに簡単だった。囲いの中に投げ入れられる未知のものは何でも、タバコの箱であ
れ、レモンの皮であれ、服の切れ端であれ、オオカミたちは運びまわり、それからそれを
地面に置いて、その上で転げまわった。アンファやその他の、私が囲い地から連れ出すこ
とができたオオカミたちは、とくに散歩の開始時に転げまわった。そして私たちが散歩か
ら囲い地へと戻ってくると、かならず囲い地に残っていたオオカミは帰ってきたオオカミ
の匂いを熱心に嗅いだ。ときには、帰ってきたオオカミの毛皮に自分の休をこすりつけよ
うとした。ひどい匂いの物質から発散する刺激は非常に大きいとみえる。
この転げまわる行動は、退化した嗅覚器官をもつ私たち人間には奇妙に思える行動様式
で、その機能については今のところまだ推測しかできない。腐肉で「自分の体に香水をつ
けるにのは群れの他のメンバーに食物源があることを知らせるためではないか、という推
測がある。別の仮説によると、この行動は獲物動物に対する嗅覚的カモフラージュに役立
つという。腐肉の匂いが自分自身の匂いをおおい隠し、これによって獲物により容易に近
づくことができるのではないか、というのである。一方また、腐肉の中で転げまわること
で、オオカミは個人的に満足感を得るだけであって、この行動はそれ以外にはなんの機能
もない、と考える人もいる。
<<
|
|