愛書婦人会

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『おおかみこどもの雨と雪』におけるヒロインの怖さ

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赤ちゃん連れOKのママズ・クラブ・シアターで乳幼児にまみれながら『おおかみこどもの雨と雪』見てきました。0歳児と5歳児の世話をしながら見たので見落としているところも多々あると思いますが。

序盤、妊娠したヒロイン・花が便器を抱えて吐きまくるところで「これは好感が持てる映画だな」と素直に思ったことを記しておきましょう。だいたいフィクションの中のつわりって一回吐いて「…妊娠?」で終わりじゃないですか。実際自分の身につわりが起きて、2ヵ月以上船酔い状態でマーライオンのごとく吐き続けたときは、心底「聞いてない」と思いましたもん。そのほかにも出産直後のベッタベタの髪の表現といい、幼児に本を破られまくるところといい、夜泣きに弱ってうろうろするところといい、育児あるあるの連続。アニメーション映画でここまで乳幼児の育児を執拗に描いた作品があっただろうか。育児の苦労を描いてくれてありがとう! あとなんか映像がきれいだよね!

と、作品自体を褒めることはやぶさかではないのだが…

「作品のハイライト?菅原文太がトラックに乗ってやってくるところかな~」というぬるい感想で逃げるという手もあったのだが…

私の黒光りする母性がぬらぬらと屹立して「花が怖い!」と訴えるので、以下ネタバレ込みでこの恐怖がなんなのかということを考えます。

鑑賞中、一番ひっかかりを覚えたのは「自分だったら農業経験もないのにいきなり田舎に引っ越して自給自足で暮らすという危険ルートは選ばないな~。どんな熟練した農婦でも幼児2人を幼稚園にもいれず1人で畑仕事なんて無理だろう。中世ではあるまいし石もて追われるということはないのだから、とりあえず信頼できる周囲に打ち明けたほうが生き残れるのでは?」ということ。医療も受けやすくなるし、貴重なサンプルとして、少なくとも生活は保障されるはず。1人で子供2人抱え込んで予防接種や健診、現代医療を全部拒否するほうがよほどリスキー。

しかし、花は「父親の葬式で笑って親戚にどんびかれる子」なのだった。よくよく考えてみたらいくら父親の言いつけだからって、そんな人葬式で見たら怖いですよ。女蛭子さんかな?って思っちゃいますよ。そしておおかみおとこ以外の人間関係が皆無。いくら忙しくてもバイトをかけもちしていれば、そこで人間関係が生まれてもおかしくないのに。

もしかして花は、上記のような合理的な選択肢をそもそももちえない”変わった人”という設定なのかもしれないのだった。そういう視点から、改めて花の本棚リストをネットで確認してみると、ルドルフ・シュタイナー、東條百合子『家庭でできる自然療法』、クーヨンのムック『あかちゃんからの自然療法』 …おお、納得。なにが納得なの?というビギナー(何の?)のために、蛇足ではありますがもう少し説明しますね。

ルドルフ・シュタイナーは、シュタイナー教育という教育思想を生み出した20世紀はじめのオーストリアの神秘思想家。シュタイナー教育は人間を霊的に進化させるという名目上、7歳まで知的なことは一切教えないという方針で、日本でも学校教育に疑問を抱く人に絶大な人気があります。テレビやコンピュータはもちろん、小学校2年生までの識字教育、絵本読み、録音された音楽なども推奨されません。なんでかって? それらはアーリマンという、人間を物質的なるものに縛り付けて俗物におとしめる物質霊の地上化したものだから。ルシファーが情念を通して人間のアストラル体に働きかけるとエーテル体が欠損し、アーリマンが侵入して病むというしくみです。なんのことだかさっぱりわからない私たちはすでにアーリマンの手に落ちているのでシュタイナー的にやばい。極端な信者になると予防接種も否定したりします。

日本でシュタイナー育児を実践している人はホメオパシーや玄米菜食などもセットで好む傾向があり、そこらへんまとめて紹介しているのが、花の本棚にもあったというクレヨンハウスの『あかちゃんからの自然療法』。シュタイナー療法、ホメオパシー、自然出産、陰陽料理などのワードがならんでいます。ちなみにママさん業界で「クーヨン系」というとだいたいこのあたりの育児のことを指します。また『家庭でできる自然療法』は、玄米菜食によって結核を克服したという東條百合子が自ら編み出した自然療法(ビワの葉温灸など)を紹介している書籍。昭和53年刊行以来版を重ねていますが、今のところ一般の書店では買えず自然食品店などで流通しているそうです。「病院行けないけど葉っぱで病気治せるならラッキ~」と何も考えずに手に入れられる本ではなく、花はかなりガチの人だということが類推されます。

つまり、花はおおかみこどもを世間の目から隠すために仕方なく自宅出産して田舎に移住したというより、もともとそういうことがしたかった人なんじゃなかろうか。自然の中で自給自足子育て。そう、『北の国から』の五郎だ。もしかしたらその目的を果たすために、あえてマイノリティと交接したのかもしれない。『北の国から』の純は普通の子供だったから、都会の生活が恋しくて当初さんざん反発してましたよね。でもマイノリティとの子供なら、「お前の正体が世間にバレたらひどい目にあうのだぞ」と言い含めておくことで、アーリマンに毒された他人から隔離しつつ自分の好きなように文明を排除した子育てができる…。

それはうがちすぎなのかもしれないが。

幼児がいるのに、花の本棚にはアンパンマンもライダーも戦隊モノもプリキュアもディズニープリンセスもない。絵本といえば、出版以来ゆうに30年以上は経っているであろう古い良書ばかり。広い家にはそれらのキャラグッズも、テレビもプラレールもDSもWiiも見あたらない。お金がないからだ、と考えるにしても、図書館ですら雨は『もりのなか』みたいな名作絵本しか借りない。ここには母親の強烈な統制が感じられるのです。ええ、私もできればそんな商業主義には流されたくなかった。妊娠中は母親向けのスイーツなシュタイナー教育本を読んで、「松ぼっくりやどんぐりをおもちゃにすればいいんだー。そりゃおしゃれだし安上がりでイイネ!」と思ったものです。しかし、商業キャラクターを求める子供の強くてシンプルな欲求の前では、私のぼんやりとした嗜好などひとたまりもなかった。チョコレートなどのお菓子やキャラグッズを絶対に家に入れない親もいるけれど、それには強い自我とゆるぎない信念が必要。ちなみに私の生家はファミコン禁止だったのですが、弟が中古のファミコンを友達から譲り受けてきたときはその日のうちに父にぶちこわされました。子供に何かを禁止するということは、親にもそれくらいの強烈さが求められるのです。花がかなりのごんぶと母さんであることは異論を待たないでしょう。しかも一度も怒らずにそれをやりとげる。すごい。すごいし怖い。

もっとも監督は、花を怖い存在としては描いていないはず。たぶん「理想の母親描きたいな-。ベビーカーとかケータイ使ってる母親なんて萌えないし、おしゃれを捨てないギャルママもいやだし、ママ友ランチなんてもってのほか。育児に手を抜かず孤独に苦労する母親がいいよなー。自然の中で子育てする地味な美少女って設定はどうかなー」ぐらいの感じかと思われます。その机上の理想を、実際に5歳の子供を育てているという脚本家の女性が現実の母親像に落とし込む過程で、この人物像が生まれたのではないか。「自然…育児…ハハーン」みたいな感じで。本棚のセレクトをまとめた美術の人も女性だそうだし。ただし映画全体のトーンを決定するのは監督なので、強烈な自我を持っているはずのヒロインがあたかも無垢な美少女のように描かれる。このあたりの不協和音がさまざまな人にザワザワした気持ちをもたらし、賛否両論を呼んだ原因かもしれません。

しかしこの不協和音は私にとっては決して悪いものではなく、一本調子に無垢なヒロインを描かれるよりは、「なんなんだこの人は」といぶかしみながら鑑賞するのは率直に言って面白かったし、新しいアニメの楽しみ方を感じた…。自然出産やホメオパシーは「母親のワガママで子供を危険にさらしている」と、とかくネットで叩かれがちですが、しかし同時にそれらと親和性が高いヒロインはネットで「理想の母親」と評される、ということもいろいろ考えさせられますよね。女性には無垢・自然が求められるが、それを引き受ける女性はたいてい自我が強烈というパラドックスを生きる我々の明日はどっちだ。そんなこんなでアニメ業界における女性進出を歓迎しつつ、子供の世話に戻りたいと思います。

花の本棚については、以下のサイトを参考にさせてもらいました。
『おおかみこどもの雨と雪』の本棚 – かえる研究日誌
「おおかみこどもの雨と雪」の本棚が気になる – Togetter

 

Written by inspirace

8月 11th, 2012 at 1:36 pm

Posted in 映画