大阪市東住吉区で7月、小6女児が焼死し。母親とそのパートナーにあたる男性が後日、放火殺人、詐欺未遂容疑などで逮捕、起訴された「事件」。逮捕段階で犯人視する報道がまたも繰り返され、原則匿名報道の立場で考えた場合、明らかに問題の残る事例である。当番弁護士として母親の弁護を担当する斎藤ともよさんにインタビュー、一連の警察の捜査や報道の問題点などを探った。(田仲健一)
−新聞報道をていねいに読むと、有力な物的証拠がない。こんなに安易
に逮捕されていいのでしょうか。
斎藤 9月10日の段階で2人はいったん放火殺人の被疑事実を認めたのですが、私は翌11に初めて母親と接見し「やっていないのなら、はっきり否認すべきだ」とアドバイスしました。これを受けて、母親は同日の段階で警察の調書の署名を拒否、裁判官の勾留質問でも犯行を否認しています。途中揺れた時期もあリましたが、否認の態度は現在も変わっていません。にも関わらず10月1日、保険金詐欺容疑で再逮捕されてしまいました。この「事件」は犯罪の性質上、具体的な物的証拠に乏しい。調書を作成するための自白獲得を目的とした再逮捕であるのは明らかです。
−密室で行われる「自白偏重主義」の取リ調べこそ、一番問題です。
斎藤 この「事件」では、特別抗告の際に勾留を争う書面を提出しました。それによると、警察は母親を現場へ同行させることもなく、午前中から夜11時過ぎまでカンヅメにして絞り上げています。娘が死んでショックを受けている母親に対して、娘の写真を持たせて1時間も立たせたリ、腰縄をゆすったリ、暴行に近い行為を続けています。「自白」までの過程にはたくさんの重大な問題があリ、公判で少しずつ明らかにしていくつもりです。11日の逮捕段階ではマスコミは警察惰報のみに立脚しておリ、記事化にあたって「両者の言い分」を踏まえていません。
斎藤 警察は、まだ調書の取れていない10日の段階でマスコミに情報を流していたようです。警察情報のみに基づく報道合戦がどんどん加熱したため、本人と相談した上、11日に「母親は犯行を否認している」と記者会見しました。新聞の報道が減リ、テレビ番組で有罪を前提とするコメン卜が少なくなったのは、そのためです。
−ワイドショーでは当初から、実行犯とされる男性より、母親を「極惑非道」視するタッチが目立ちました。「内縁関係」という語感から受け取る印象だけでテレビは母親を断罪しておリ、「無罪推定の原則」はどこにいった、と言いたい思いです。
斎藤 「自供」−「有罪」と決めつける報道、逮捕段階での実名報道はやはリおかしい、と思います。有罪のイメージが定着してしまった中で、取リ調ベの経過を間題にして冤罪の可能性を主張しても、果たして名誉回復を果たせるでしょうか?
大阪・奈良・神戸の「連続殺人事件」報道について
◆五件目で再逮捕
5月の例会で取リ上げた大阪・奈良・神戸の「連続女性殺人事件(警察庁指定122号事件)だが、容疑者は4件の殺人などの罪で起訴され、9月25日には五件目の「児童誘拐殺人事件」で再逮捕された。この5件目の事件は発生当初に大きく報道された経緯もあリ、再逮捕時には各紙とも「事件発生以来8年ぶリに解決に向かった』と報じた。(時間の都合で参照にしたのは毎日、読売、神戸新聞です)また被害者の父親、祖母らにも取材し、「やっと墓に命日刻める」 (読売) 「無念さにじます両親」(神戸)という見出しで、コメン卜を紹介する一方、位牌に手を合せたり、墓参りをする写真が掲載された。例会で事務局からこの事件について報告したが、当初から5件の連続殺人事件の「犯人」と決めつけられた報道をされている事、別件逮捕ではないのかなど手続上の間題があるにもかかわらず、その事に触れた報道はない事、「取リ調べ中に暴行を受けた」と容疑者は言い、弁譲土が記者会見しているが、この事についても全く報道されていない(その後、読売テレビは弁護士のインタビューを放送、これを伝えている)などの問題点を指摘した。
◇物証が乏しくて なぜ次々と「解決」するのか。
私が一読者、視聴者として思うことは、各紙「物証が乏しい事件」と書かれているのに、どうして次々と「解決」していくのかの合理的な説明がないこと。5件目の事件については「声紋鑑定した結果」として「容疑者の声は強迫電話にほぼ一致」(神戸)「容疑者と同じ出身地の愛媛県大州市なまリがある」(読売)と書いてあリ、ようやく有力な証拠のようにも思える材料が提示されている。しかし声紋鑑定やなまりでどこまで本人と確認できるものなのかは、この段階ではよくわからない。
またその後、「児童を誘拐する際に小遣いを渡した」(読売)とか「現場周辺の地理をよく知っていた」(読売)などの記事も出ているが、どれも状況証拠ばかリ。疑わしいと思われる材斜を並べ立てているが、当初から犯人と決めつけた報道を見ていては、どこまで信用できるのかと疑ってしまう。
▽「容疑者(無罪推定を受ける立場)付き報道」の精神はどこに?
私はこの男性が犯人であるか否かを問うているのではない。また記事に書いてある内容が事実であるか否か(裁判になって事実でないという事が明らかになる可能性は大いにある)を問うているのでもない。あまリに警察情報に偏った報道になっている現状に対して問題を提起している。容疑者は法的には「被疑者」である。六法全書を持ち出すまでもなく、「被疑者」は「無罪推定を受ける立場」である。マスコミ各社が「容疑者付き報道」に踏み切る際、各社とも容疑者の人権をあげ、さらに踏み込んで、「無罪の推定を受ける立場」とまで言った社もあった。しかし今回の報道では当初は4件とも5件とも見出しを付け、数を競い含う過熱報道から始まり、「容疑を認めない」と言っては「したたかさ」を強調、「自供した」と言っては「裏付けを急ぐ」と警察の私設応援団のような役割をするなど、まさに犯人視報道のオン・バレーに終始した。これでは「容疑者付き報道」に切リ換えても、単に呼称をつけただけの事ではないのか。
◇捜査・取リ調ベ過程のチェックがない
この事件の容疑者は最初に窃盗容疑で逮捕された際、「小便をかけられた」「暴行を受けた」と言っている。しかしそれはほとんど報道されていない。また容疑者は全部で5件の殺人容疑等で逮捕されているが、1回目の逮捕から数えると実に5ヵ月以上に渡って取リ調ベを受けている事になる。世界に名高い「代用監獄」下の取リ調ベである。これだけ長期に渡っての調べなら、逆から言えばどんな容疑者も「落とせる」状態ではなかったのか。警察情報がこと細かに伝えられるが、こうした容疑者の権利に属する内容は全然伝えられていない。取リ調べ時間はどうなのか、内容はどうなのか。弁護土の接見はあるのか、長期の取リ調べに問題はないのか、などの情報は今のメディアから知ることはできない。先日の例会で事件を担当する記者も出席、「事件発生当初は警察からの情報が多く、自分で確かめられる情報に限りがある」と話していたが、容疑者の権利がどうなっているのかは弁護土等に聞けばわかる筈。市民社会では人権は一番弱い所から崩されていく。その一蓄弱いところの一つが容疑者の人権だが、今回の事件では露骨に無視されたと言えるのではないか。警察はこう言っているという主張は、事件報道で圧倒的な量で流されている。これに対して市民的権利の一つである容疑者の権利に対しては関心が払われていないの
は問題だ。
◆犯罪報道についてのいくつかの思案・提案
◎当番弁護土制度が大阪でもスター卜している。例えば、当番弁護士の声の欄を設けるなどして、容疑者側から見て取リ調べの時間はどうか、弁護士は付いているのか、接見の状況はどうか、取リ調ベに問題はないのかなどの視点を確保するようにしたらどうか。
◎秘密のうちに調ベが道む現状をチェッグするという意味で警察情報を流す際には、情報を出した捜査官の名前を実名で公表し、情報の出所を明らかにする。
◎この事件では「素顔(1)大洲弁の坊っちゃん (2)女性を商品か・・」(毎日)をはじめとした容疑者の人間、被害者の周辺の人間にスボッ卜を当てた特集記事が連載されたが、この種の「容疑者犯人視ストーリー」はやめるべき。(関屋)
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