六神丸の歴史
六神丸という薬名については、二つの説がある。
ひとつは、中国で古くから信じられてきた四方の守護神、青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)を四神といい、それに勾陳、騰蛇を加えて六神といったことからこれら神々の名をとって六神丸の名が出来たという説。
もうひとつは、五臓六腑という言葉があり、漢方では、その臓(肝臓、心臓、脾臓、肺臓、腎臓)に心包(絡)を合わせて六臓と呼ぶ。六臓すべてにその機能を司どる神というものがあり、その六臓の神に効果があるという考え方から、六神丸という名前が生まれたという説である。
六神丸のルーツ
中国での六神丸のルーツについては、雷氏方という処方がいちばん古く、清の時代、康熙〜乾隆帝の頃(今から約300年前)にできたとされているが、はっきりしたことはわかっていない。
日本では、当社の亀田六神丸が、一番古い歴史をもっていると思われる。先々代・亀田利三郎が日清戦争(1894〜95)後、中国へ渡航したとき、六神丸の応用・薬効を知り、日本へ持ち帰った。
明治29年(1896)1月15日に博愛新報第一号付録に、発売本舗・亀田利三郎として虔脩六神丸の広告が出されている。この六神丸は清国から直接輸入していたもので、鶏冠石が含まれ、効能は、肺病や腫物、赤痢病などと書かれている。(現在でも中国の六神丸は消炎鎮痛剤として腫物の薬として使われている。)
しかし、明治33年に薬制改革があり、鶏冠石は毒薬に指定されて一般に使用できなくなった。このため、鶏冠石を除いた六神丸が製造された。
大正時代、スペイン風邪が大流行した時、問屋が店の前に並んでできたばかりの六神丸を奪うように持ち帰るほど、よく売れた。
戦争中は、出生する兵士がよく買いにきたという話も伝わっている。
昭和24年の薬事法の制定により、心臓や胃腸への効能が前面に押し出された。
昭和48年、辰砂が水銀製剤ということで使用禁止となり、辰砂のかわりに人参を加えた現在のものが作られた。