イ・ヨングン館長(59)は1996年から私財を投げ売って本人が直接陣地洞窟を掘り出し修復、博物館を建設した。日帝に強制連行され、カマオルムのトンネルで働かされた父のためだった。イ館長は、強制労働させられた老人約200人を一人一人インタビューし、トンネル発掘のために地域一帯の土地を丸ごと買い上げた。昼食も洞窟内で弁当で済ませ、洞窟内の土を掘り出してはつっかえ棒を立てていった。ゴミ置き場から日本軍の軍服や水筒など当時の遺物2800点を集めた。陣地洞窟の復元費用を含め、博物館の建設にかかった46億ウォン(約3億2000万円)は、中卒のイ館長がトラックの運転手から始めて稼いだ元手と銀行からの借金で充当した。
2004年にオープンした博物館は、修学旅行の定番コースとなり、日本人の来館もあったが、次第に訪問客が減っていったことで、赤字運営を免れることができない今の事態にまでつながった。借入金の利息だけでも現在月に5000万ウォン(約350万円)を超えるという。済州道庁の関係者は「博物館を建てた当時の設立者の過剰投資もあったと思うだけに、国家が100%補填するには無理がある」と話した。
文化財庁の関係者は「文化財を経済的価値に換算して評価した前例がないため、一般の不動産と見て買い入れるほかない。博物館の建設に多くの費用がかかったとしても、現実的にこれをすべて補填することはできない」と説明した。複数の政府関係者からは「博物館側が受け入れなかったら、解決できる方法は何もない」という言葉まで聞かれた。イ・ヨングン館長は本紙との電話インタビューで「政府がすべきことを個人が代わりに行ったまでのことで、これも過剰投資と言われなければならないのか。周辺にも膨大な被害を与えているし、率直に言って本当に大変だ。どこでもいいから早く買い取ってほしい」と辛い心境を語った。
■済州カマオルム洞窟陣地
太平洋戦争当時、済州市翰京面清水里カマオルム一帯に日帝が作った地下トンネル。3階構造からなっており、長さは2キロで出入口は33個ある。司令官室、物資保管所、作戦会議室などの部屋は数十に上っている。日帝が太平洋戦争当時に済州道に作ったトンネルの中でも最大規模として知られている。