はじめに
そもそも名古屋とは、東京と大阪の間に位置し、一般社会におけると同様、6m界だけでなく無線界全体での地盤沈下の著しい場所でもありますが、今こそ全国6mマンに、“名古屋にNAGあり!”とその実力を誇示し、さらにはひんしゅくを買わんがため、この“NAG '85”を発行するに至ったわけです。
NAG-Nagoya Aids Groupという名称は、CQ誌1984年5月号“ジョイフル50MHz”の中でJR2LRR、JF2CRP、JG2BCS、CAU、JI2MILの移動をJE3QBGが紹介する際、“ポータブル機+簡単なアンテナで移動を楽しむ名古屋AIDSグループ”と銘打たれたところにさかのぼります。この5人の他にも、JE2MEW、JF2BTF、BTH、PYZ、WND、JG2BVO、HPG、LMZ、OFX、JI2JLSらのメンバーにより、移動運用をはじめとする数々の活動が行われてきました。彼らはいずれも名古屋6m界において顕著な存在であり、その彼らがひとつにまとまったという事実は、低迷を続ける名古屋にとってまさに救世主的存在であったと極言することさえできましょう。
それと時を同じくして84年7月に発足し、急速に勢力を伸ばしつつあるグループがありました。これがJF2AUM、ICB、PFOの3人からなる通称“3人組”で、移動回数こそ負けるものの、50W+9mH.9ELという設備でNAGと対応していました。
しかし、85年に入って、誠実をモットーとするさすがの3人組も、NAGの強大なパワーの前に屈し、NAGは新たなメンバーを加え85年NAG全盛時代を迎えるに至りました。この“NAG '85”では今年のNAGの成果をまとめてみました。以下、存分にお楽しみを。 NAG一同
1985年12月29日 忘年会後、名古屋駅で