社団法人日本ポルトガル協会


***リスボン在住鰐部氏の ポルトガルフットボール最新事情***

【プロフィール】
鰐部 哲也(わにべてつや)

サッカージャーナリスト。1972年10月30日生、三重県出身、日本で10年間のサラリーマン生活の後、2004年10月に長年の夢だったポルトガルのリスボンに移住。愛してやまない「ポルトガルサッカー」にハマったのは初めてポルトガル旅行をした翌年にTVで見た“EURO1996”でのあまりにも美しすぎるポルトガルサッカー。現在は、「ポルトガルスポーツジャーナリスト協会【CNID】」の唯一の日本人会員として、ポルトガル代表、三大クラブ(ベンフィカ、スポルティング、ポルト)を中心に取材している。一番仲が良いポルトガル代表選手はジョルジュ・アンドラーデ。一番好きなクラブはベンフィカ。
現在、日本のサッカー雑誌、海外サッカー週刊誌「footballista(フットボリスタ)」や「ワールドサッカーダイジェスト・エクストラ」誌(月刊)を中心に寄稿している。
さらに自身のBLOG「ポルトガル “F”の魂」(http://blog.livedoor.jp/wanibenfica/)でポルトガルサッカー情報を発信中である。


All Star 07 LISBOA
〜ルイス・フィーゴ主催チャリティーマッチ 取材観戦記〜



禁無断転載
 6月7日、この日はポルトガルの移動祝日「聖体節」。いつもより遅く起きていつものようにポルトガル最大のスポーツ紙「A BOLA(ア・ボーラ)」に目を通していると気になる記事が目に飛び込んできた。6月9日に行われる、ポルトガルを代表するサッカープレイヤー、ルイス・フィーゴ主催のチャリティーマッチ「All Star ’07」の招待選手一覧の中に「NAKATA」という文字を見つけたのだ。
 これは果たしてあの「中田英寿」のことなのだろうか?昨年のドイツW杯を最後に29歳の若さで現役引退後、世界中を旅して回っており、すっかりメディアでその姿を見ることがなくなったあの元日本代表選手のことなのだろうか?
私は早速、この記事が掲載されていた「A BOLA」の知り合いの記者に電話してみた。すると彼は親切にもこのゲームの主催者である「フィーゴ財団」に問い合わせてくれ、折り返し電話をくれた。「TETSUYA、やっぱり“あの”ナカタが来るようだよ。そう。コージじゃなくてイデトシ(ポルトガル語ではHの発音をしないのでこうなる)の方だ。」
俄かには信じられなかったが、その翌日の日本のインターネットの情報サイトでもこのニュースが大々的に報じられることになって、「中田英寿がリスボンで“実戦復帰”」という事実にリスボン在住の日本人サッカージャーナリストとしてはやはり特別な感慨を持たざるを得なかった。

 試合当日の朝、私のもうひとつの仕事、教師を務める「リスボン日本語補習授業校」での授業のために学校に行ってみると、一部の生徒の親御さんの間では「中田がリスボンに来る」という話題で持ちきりであった。すでに試合のチケットを購入されて「日の丸を持って応援に行きますよ。」とおっしゃっており、私の生徒も「先生!中田選手のサインはもらえますか?記者席の先生に向って手を振ります!」ととてもこの試合を楽しみにしている様子だった。改めて「中田英寿」というブランドの影響力を再認識してしまった。

 このフィーゴ主催のチャリティーマッチについて少し触れておこう。2002年の日本と韓国で開催されたW杯のあと、「世界の恵まれない子供たちの支援」を目的としてポルトガルの英雄的サッカー選手、ルイス・フィーゴによって設立された「フィーゴ財団」が毎年、ポルトガル国内のスタジアムでフィーゴの友達を中心とした世界的名プレイヤーを多数招待して開催している“サッカーの慈善試合”のことである。
第1回は2003年にポルトのベッサ・スタジアムで開催され、第2回(2004年)、第3回(2005年)はポルトガル南端のリゾート地であるファロのアルガルヴェスタジアムで開催されている。昨年はフィーゴ自身がドイツW杯に参加したため中止され、今年で4回目になる。今年のは、昔、フィーゴがプレーしていたスポルティング・リスボンの本拠地、ジョゼ・アルヴァラーデスタジアムで開催された。
フィーゴはこのゲームの一週間前からリスボン入りし、エステファニア病院などで病気の子供たちを慰問してたくさんのプレゼントを自ら配って回るなど積極的に慈善活動に身を投じていたようである。

 さて、試合当日の様子であるが、試合開始の約1時間前に“通い慣れた”ジョゼ・アルヴァラーデスタジアムのいつもの28列8番の記者席に腰を下ろすと、意外にも「中田英寿」目当ての記者は一人しか来ていなかった。そのイタリアのペルージャ在住で中田がイタリアのチームに移籍した時からずっと中田英寿を追ってきたという女性記者は「居ても立ってもいられなくなって」イタリアから飛んできたそうである。
 「チャリティーマッチ」なので、いちいち試合経過をレポートしても専門的になってしまうと思われるので、この日参加していた選手を少しだけ紹介したい。有名な選手では、元フランス代表主将だった、ジネディーヌ・ジダンが最も名が知れているだろう。昨年のW杯決勝でイタリアの選手に頭突きをして退場になってしまったのを覚えている方も多いのではないだろうか?
あとは、やはり注目してしまうのはポルトガル人選手である。いわゆる「黄金世代」(1991年、地元ポルトガルで開催されたワールドユース大会の優勝メンバーを中心とする、その後のポルトガル代表を世界的実力を持ったチームとして押し上げたポルトガルサッカー界のスター選手たち)に魅了されてポルトガルサッカーに傾倒し、こよなく愛するようになった私のような者にとっては、フィーゴを始め、ルイ・コスタ、フェルナンド・コウト、セルジオ・コンセイソン、アベル・シャビエル、サ・ピントらこの日集結した往年のポルトガル代表メンバーたちがピッチで久しぶりに共に奏でるハーモニーはカタルシスを感じるに十分だった。
さらに現ポルトガル代表メンバーだと、日本で大人気のクリスティアーノ・ロナウドは参加しなかった(2年前の同大会には参加していた)が、そのロナウドの元同僚で今シーズン、ポルトガル国内で大活躍したクアレスマが、「チャリティーマッチ」なのにも関わらず思わず“本気”を出して2ゴールを叩き込んだのも彼の性格を良く知る私からすると“期待通り”で大いに楽しめたものである。
ちなみにポルトガルの著名な歌手であるルイ・ヴェローソ氏もユニフォームを来て、キラ星のごときサッカー選手たちとプレーして場内を湧かしていた。
 一方、注目の中田英寿のこの日のプレーであるが、後半から「フィーゴチーム」の背番号20番としてピッチに登場。45分間プレー。現役の頃に比べると髪の毛が伸びて、だいぶ「とんがった」イメージは薄まったように見えたが、逆にそれがプレーでも同じく存在感のないプレーに終始した。一度、味方の選手に中央からスルーパスを通して、シュートチャンスをお膳立てしたぐらいが見せ場であろうか。日本で報道されていたような「現役の頃と変わらぬキラーパスで大歓声を背に観衆を魅了」といったことはまったくなかったのでご注意を。どちらかと言えば、ポルトガル人からしたら「あの中国人は誰?」という感想だったのではないだろうか。この日スタジアムに足を運んだ日本人の知人も「正直、最初は中田が出てきたことすら気づかなかった。」と言っているような有様だったから、やはり全く目立たなかったことは確かである。

 その中田英寿、試合終了後の取材エリアでは“現役の頃と変わらない”メディア嫌い“ぶりを見せ、この日スタジアムに来ていた私も含めたたった二人の日本人記者の日本語での呼びかけにも完全無視を決め込み足早にバスに乗り込んでいった。しかも前述したイタリア在住の女性記者は中田英寿ももちろん顔を知っており旧知の仲であるにも関わらずである。この女性記者のこの日の落胆振りは側で見ていた私も同情して可哀想になってくるほどであった。
 さらに中田はこの日メインスタンドの最前列に日の丸を持って陣取って、必死で応援していた日本人応援団の呼びかけにも一切、応えようとはしなかった。
これまた日本では取材に来てない記者が憶測記事で「スタンドの日の丸を見て思わず笑顔を見せるシーンもあった」などという“嘘もいいとこ”といったデタラメな記事が横行していたようであるが、こういう中田英寿に対する事実とは全く違う提灯記事を目にすると、きちんと現地で取材をしている私などは憤りを感じずにはいられないのである。

 それとは対照的な対応を見せたのが、最後に取材エリアに姿を見せた、この日の主催者、フィーゴであった。私を含めたジャーナリストの質問にも丁寧に応対し、
「今日、参加してくれたすべての選手に感謝したいね。(サッカーの)シーズンが終わったこの時期は、いろんなゲームや旅行、バカンスでみんな予定がいっぱいだからね。出場を約束してもらうのはとても難しいんだ。あとは観客とスポンサーにも感謝したい。今夜のイベントがこの日スタジアムに集まった全員が楽しめて幸せな気分になれたことを願うよ。このイベントは、例えば3歳から12歳ぐらいまでの、経済的、その他の危機で家がないような子供や少年たちのために新しい家を作るようなそんなプロジェクトの手助けになればいいと思っている。だから僕にとっては一番大切な“お祭りなんだ”」と語ってくれた。
 その後、フィーゴは、この日特別パスを与えられたスポンサー関係者の家族とも笑顔で写真撮影やサインに応じて、夜遅くまで外で出待ちをしていた子供たちにも丁寧にサインをしていたのが印象的だった。

 もちろん、この日の主催者だったからという見方もできるが、以前から取材していてフィーゴは特に子供にはとても優しいことも知っている。ポルトガル代表の練習見学に集まった子供たちに自分の着ているトレーニングウェアをその場で脱いでプレゼントして、裸で立ち去るのを見たのも一度や二度ではない。「ポルトガルのヒーロー(フィーゴ)」と「日本のヒーロー(中田英寿)」の人間的な魅力と人としての“器(うつわ)”の違いを見せつけられたようで、日本人としては残念な思いでスタジアムを後にしたのである。

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