米国務省は16日の会見で、今後は「慰安婦(comfort women)」と「性奴隷(sex slave)」という表現を同時に使用すると発表したが、これに対して日本はただちに「『性奴隷』は誤った表現」と反発した。日本はこれまで「過去に韓国を統治していた時代に、女性を売春婦として強制動員した事実はない」と主張してきたため、このような反応は当然予想できた。数日前には大阪市の橋下徹市長が「慰安婦が強制動員された証拠を提示すべき」などと妄言を吐いたが、これも国家次元で行われた性的暴行を一貫して否定する日本の右翼勢力の本心が反映されたものだ。
「慰安」とは誰かを慰労する行為のことであり、これを与える側には自発的な思いがあるはずだ。「慰安婦」と呼ばれていた韓国の被害者たちは、そのような自発性があったことを強く否定すると同時に、苦痛が与えられたと訴えており、だからこそ日本に謝罪と賠償を一貫して要求しているのだ。日本軍を慰労する意思が少しもない女性を無理やり連れ出し、慰安所に入らせて脅迫して行わせた「強制的な慰安」が、日本が主張する「慰安」の実態なのだ。
映画『密陽』の原作として知られる李清俊(イ・チョンジュン)氏の『隠れた指 虫物語』には、被害者の心の傷を無視し、自らが犯した罪による精神的苦痛から逃れようとする殺人者が登場する。小説の主人公の女性は、自分の息子を誘拐し殺害した犯人に会うため、犯人が収監されている刑務所に面会に行く。ところが実際に会ってみると、犯人の表情は非常に穏やかだった。犯人は「神様が許してくれたので、救われた」と語った。加害者が神を利用し、殺人者という罪の意識から逃れたのを目の当たりにしたこの女性は、自らの命を絶ってしまう。李清俊氏はこの女性の死について、「自分自身を許した加害者を見詰める被害者の絶望を表現したかった」と述べた。「女性を性的奴隷とするのではなく、女性から慰安を受けた」とする日本の詭弁(きべん)をずっと聞かされてきた被害者たちの心も、これと同じ絶望感に満たされているはずだ。
今年3月、米国のクリントン国務長官が「性奴隷」という用語の正式使用を表明すると、韓国の外交通商部(省に相当)も「慰安婦」から「性奴隷」へと名称の変更を検討する動きを示した。その後「慰安婦」と「性奴隷」のどちらを使用するかについて論争が起こったが、これは「性奴隷」という直接的な表現が、被害女性の心に傷を負わせるとの指摘があったからだ。「被害を直接的に表現する『性奴隷』という表現は控えるべき」との声から、社会は被害女性が受けた苦痛に配慮していることが分かる。クリントン長官が「性奴隷」の前に「強要された」という言葉を付けたことも、日本の蛮行を表現しながらも、被害女性の尊厳を守ろうとする配慮と読み取ることができる。
慰安婦強制動員の歴史を知った米国人たちは、昨年のニュージャージー州に続きニューヨーク州にも「慰安婦記念碑」を建てた。日本は民間によって建てられたこの記念碑の撤去を求めたが、拒絶された。日本は今後もその記念碑を見るたびに苦しむことだろう。フランスの小説家スタンダールは「自らの苦悩を直視することこそ、自らの心を慰める道だ」と述べた。日本は慰安婦という用語に隠された歴史を否定することを直ちにやめなければならない。勇気を持って謝罪し、賠償することこそ、日本人が過去の過ちによる苦しみから抜け出す道だ。