大阪市西成区女医変死事件 警察、殺人容疑などでの告訴状受理
大阪・西成区で2009年、医師・矢島祥子さん(当時34)が遺体で発見された事件で、22日、遺族が殺人と死体遺棄の容疑で告訴状を提出し、警察に受理された。遺族は23日、その胸の内を語った。
23日午後2時すぎ、矢島祥子さんの父親・祥吉さんは「最初は、過労死による自殺と言われていたが、どうしても納得できない。まずは、遺体が何を語っているのかをはっきりさせることが大事」と話した。
娘は本当に自殺したのか。
真相を追い続ける両親の思いが、1歩前へと進んだ。
大阪市西成区にある診療所で医師として働いていた祥子さんは、診療所からほど近い場所で2009年、遺体となって発見された。
多くの路上生活者や日雇い労働者らが暮らす、あいりん地区。
祥子さんは、あいりん地区近くの診療所で医師として診療にあたったほか、ボランティア活動にも積極的に参加していた。
遺体で発見されるおよそ3カ月前に撮影された夏祭りでの祥子さんの映像で、隣にいるのは、当時余命1カ月と診断されていた、がん患者の男性。
笑顔を絶やさず、正面から患者と向き合う祥子さんの姿に、多くの人たちが救われていた。
祥子さんを知る人は「優しい先生で、『やっぱり矢島先生の担当がいい』という声は、利用者からも聞いたことがあります。(自分も)診察してもらった以外でも、相談に乗ってもらったり」と話した。
祥子さんを知る元路上生活者は「僕は5年(路上生活をしていた)。あっちこっち回っていて。(祥子さんが)1年間、真剣に考えてくれて、それで(路上生活を)終わらせてもらった。自分のことを投げ捨てでも、やるという感じでした」と話した。
しかし、2009年11月、西成区を流れる川の桟橋付近で、祥子さんの遺体が発見された。
祥子さんの兄・敏さんは「(祥子さんの遺体はどんな様子?)本当にきれいでした。眠っているかのように。僕はその時に、妹に何があったのか、よくわからなかったから、ガンガン妹を触りながら、『何があったんだ、どうしちゃったんだ』と...」と話した。
祥子さんの死体検案書に記された死因は、溺死だった。
そして、亡くなった理由については、警察は当初、祥子さんの死を自殺の可能性があるとしていた。
しかし、両親は、祥子さんの遺体や当時住んでいた部屋の様子などから、疑問を抱いていた。
祥子さんの兄・敏さんは「ここ(首に)...、明らかに紫色の痕があったんですね。その時はもう、自分の中から込み上げる怒りが抑えられなかった。爆発しそうになりましたね」と語った。
そのほかにも、祥子さんの後頭部にはこぶがあったが、当時、警察は、遺体を引き揚げた時にできたものだとしていた。
しかし、医師でもある祥子さんの父・祥吉さんと母・晶子さんは、その傷やこぶが、自殺ではない何よりの証拠だと話す。
祥子さんの父親・祥吉さんは「こぶが後頭部のところにあったが、『何でできたんですか?』と(警察に)聞いたら、『釣り人が遺体をつり上げて、落とした時にできた』と。両頸部(けいぶ)の圧迫痕については、『死後につり上げた時にできた痕。それは鎖でつり上げた』と。船員や釣り人に聞いてみると、『つり上げたなんて言ってない』と」と語った。
さらに、遺体発見直後に家族が撮影した祥子さんの部屋の様子でも、家族はある異変を感じ取っていた。
次兄の洋さんは「テレビの裏のこのへんを...。ほこりがついていません。これはちょっと気になります」と話した。
祥子さんの母親・晶子さんは「こういうところにないと...。絶対あり得ません。(おかしいでしょう)これは絶対、あり得ない」と話した。
ほこりが全くない部屋。
また、この映像が撮影される直前に行われた警察の現場検証では、室内から祥子さんの指紋が1つも検出されなかったという。
祥子さんの兄・敏さんは「(誰かに拭き取られていた?)そうですね...。そうとしか考えられない」と語った。
さらに、遺体とともに見つかった携帯電話にも不審な点があるという。
警察は、死亡推定時刻を2009年11月14日午前としているが、祥子さんの携帯電話は、15日午後2時半ごろまでコール音が鳴っていたという。
水没していたはずの携帯電話が、なぜ鳴っていたのか。
祥子さんの父親・祥吉さんは「『ここ(あいりん地区)へ来て、とてもつらかったんじゃないですか?』、『だから自殺だったんじゃないですか?』と最初に警察に言われた。一番つらい思いをしている時に、4〜5人寄ってきて、『つらいけどね、自殺の可能性が一番高いよね』と」と話した。
祥子さんの死にまつわる数々の疑問。
警察が、自殺の可能性があるとした理由の1つに、祥子さんの手帳の記述があるという。
祥子さんの父親・祥吉さんは「こういう形で、『'09年4月1日付で矢島祥子』と書いてあって。『もし、わたしがこういう形で(何か)あった時は、自分の残った金を寄付してください』と」と、手帳の内容などから自殺した可能性を指摘した。
一方で、この記述について、祥子さんの母親・晶子さんは「遺言というか、リビングウイルで、大変なところにいるんだから、いつ何時、何があるかわからないから、文章を残しておかないと、親の勝手にしちゃうよというふうに言って、毎年『葬儀はどうしてほしい』とか書こうという約束事があって、(家族)みんな書いていた」と話した。
その後、警察は、遺体のこぶは、祥子さんが死亡する前にできたものだと認め、本格的な捜査に乗り出すと家族に伝えてきたが、それは、あくまで事件と事故の両面から調べるというものだった。
そこで、両親は22日、祥子さんの死は事件だとして、殺人と死体遺棄の容疑で告訴状を提出し、警察に受理された。
祥子さんの死から3年余りたった、あいりん地区。
23日、祥子さんが勤務していた診療所や遺体発見現場には、祥子さんをしのぶ人たちの姿があった。
23日、祥子さんの元患者は、「自分が患者で、(祥子さんに)見てもらってたから、惜しい人を亡くしたなっていうのは、今でもあります」、「4日前に木津川(遺体発見現場)に(手を合わせに)行った、夜の12時に。なんであの子が死ぬんや。俺の顔を見て、『おっちゃん!』て笑ってたのに」などと話した
告訴状の受理が、いったいどういう意味を持つのか、元東京地検特捜部副部長の若狭 勝弁護士は「(警察は)きちんとした結論を出さないといけない。あいまいなまま、終わらせるわけにはいかないという効果が生まれる。慎重かつ、積極的に捜査をしていかなければならない事案だと思う」と語った。
両親は23日、あらためてその胸の内を語った。
祥子さんの父親・祥吉さんは「これから、さらに真実が明らかになっていけば、その第1歩が出たなと考えています」と語り、母親・晶子さんは「祥子は今、笑って、『お母ちゃん、ちょっとはえらかったよ。お父ちゃん、ちょっとはえらかったよ』。みんな、兄や弟のことも、ありがとうって言ってくれてます」と話した。