なかのひと
2007-05-09 23:32:01

慰安婦は贅沢に暮らしていた?

テーマ:従軍慰安婦関連

以前のエントリ に、こんなコメントをもらいました。


■同じリポートの中に下記の記述があるそうですが?

彼女らはビルマの他の所と比べて高級地近くに住んでいた。
この事は彼らのビルマ2年目では特にそうである。
彼らは贅沢に暮らした、それは彼女らの食事や物質は大量には配給されず、
彼女らが望む品物を買えるだけの十分なお金を持っていたからである。
彼女らは服、靴、タバコ、そして化粧品を買え、
実家から慰問袋を受け取った多くの軍人から、多くのプレゼントを貰っていた。
ビルマに留まっている間は将兵と共に、スポーツイベントに参加したり、
ピクニックに出席したり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。
彼女らは蓄音機も持ち、町の中では買い物に行くことも許された。


みょみょ 2007-05-09 13:54:19


ま、これを読んでも、慰安婦は高収入とも高給とも書いてないので、別に矛盾するとも思えませんが、念のため検証してみましょう。


では、対応する部分を原文で見てみましょうか。(原文


"They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places."
なので、「高級地近く」ではなく、「他の場所に比べ、ビルマでやや贅沢に暮らしていた。」ですね。
軍慰安所は後方施設なので、前線や僻地に比べて、物資を集中しやすい場所なのは当然でしょう。まして、ほとんどの物資を軍が流通を管理していたでしょうから、軍が駐留していない地域に比べ慰安所のある街の物資が豊かであったのも不思議ではありません。そういう意味(in comparison to other places.)では、たしかにやや贅沢(near-luxury)と言えるでしょう。


それに慰安婦一人一人が内地での陸軍大将より高給取りであったなら、このようなささやかな表現にはならないでしょう。少なくとももっとストレートに「They lived in luxury in Burma.」と書いたはずです(もっと強調してもいいくらいです)。でなければ、日本の陸軍大将は、「他の場所に比べ、ビルマでやや贅沢」以下の生活だったことになります。


"This was especially true of their second year in Burma."
この報告書にある慰安婦がビルマに来たのは1942年8月です。2年目と言えば1943年を指します。エントリにもありますが、軍票のインフレが悪化するのは1943年後半からです。ビルマの防衛体制に日本軍が不安を感じ始めるのも1943年後半からです。
この一文は、1943年以外(特に1943年後半以降)、「やや贅沢(near-luxury)」ですらなかった可能性を示唆しています。一貫して「やや贅沢(near-luxury)」だったのなら、この一文は不要ですから。


"They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles."
慰安婦の食糧・物資はほとんど配給制限されず、欲しいものを買うのに十分な金があったので、暮らしぶりは良かった。
とあります(rationは「割り当てを制限する」と言う意味があるので、「大量には配給されず」は誤訳だと思いますよ。前後の文脈から考えても不自然でしょ)。これは前文からの続きなので1943年のことだとわかります。ビルマ方面の情勢が安定していた1943年の時点で配給制限されてたり軍票がインフレを起こしていたら異常ですから、これも不思議ではありませんね。ついでに、「plenty of」は「多くの」とも「十分な」とも訳せますので、有り余るほど金を得ていたわけではありません、一般人が普通に購入できる範囲と同レベル(何でも全て買えるわけではないが、全く買えないわけでもない)と考えるべきでしょう(だからnear-luxuryであってluxuryではない)。


"They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmetics to supplement the many gifts given to them by soldiers who had received "comfort bags" from home."
具体的に購入できた物ですね。服、靴、タバコ、化粧品。購入の他に兵士から多くの贈り物もあった、と。兵士は内地からの「慰問袋」で贈り物用の物品を得ていました。くどいようですが、1943年のことです。日本軍の補給線がつぶされ始めてからは流通に著しい支障をきたしたでしょうから。


"While in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men, and attended picnics, entertainments, and social dinners."
これは、「While in Burma」とあるので、1943年に限定されませんが、収入云々に言及してない箇所なので関係ありません。むしろ1943年の状況を示している前文までとの区別のために、「While in Burma」と記載したように読めます。
they amused themselves」から慰安婦自身楽しんだ、とありますが、これは誰に尋問したかによって解釈が分かれるところでしょう(尋問出来た相手は、20人の朝鮮人慰安婦の他に2人の日本人楼主がいます)。つまり、日本軍将兵の慰安としてスポーツイベントやピクニック、娯楽、夕食会にも、参加させられた、という解釈も成り立ちます。


例えば、鉾田市議の視察旅行でのセクハラが問題になったことがありますが、加害者側の主張では、セクハラ被害者も楽しんだことになってます。なので、皆仲良く楽しんだ、と即断するのは危険だと思います。


さらに、こういった夕食会などへの参加は、慰安婦自ら楽しんだのだから業務とみなされず無給だったとも考えられるわけです。もしこの尋問に答えたのが楼主なら「慰安婦自ら楽しんだ」と証言するためのインセンティブが十分にあります(給料出してないので)。


"They had a phonograph and in the towns they were allowed to go shopping."
「a phonograph」なので、各人1個ではなく、慰安所全体で1個の蓄音機があったと言うことでしょう。これも上記の夕食会などに用いる蓄音機を楼主は金を出さず、慰安婦達に金を出させて買った、とも考えられます。その場合、楼主が尋問で「慰安婦達が金を出し合った自分達の物として買った」と答えれば、「They had a phonograph」という表現になるのは不思議ではありません。もし、慰安婦の一人が自らの希望と費用で蓄音機を買ったのなら、「They had a phonograph」と言う表現は不自然です。

「町の中では買い物に行くことも許された。」はその通りでしょう。あくまで「in the towns」であって、自由に別の街に行くことは許されてなかった、ということです。




要するに、慰安所のあったミッチナは補給上の要衝でもあり、少なくとも1943年まで他の場所に比べて比較的物資は豊かであったと。また1943年時点(特に前半)ではインフレもそれほど激しくなく、慰安婦は給料で物を買うことが出来たし、兵士から贈り物ももらえた、と。

慰安婦は、売春だけでなく、夕食会などの接待にも参加させられた、と。
街の中での買い物は許されていた、と。


こんな感じですね。
特に不思議なことはありませんね。
私がエントリで言及しているのは、1943年末以降のことですし、それでも内地換算で約40円の月収と推定しています。
内地換算40円もあれば、市場に物資が流通さえしていれば、物資の無い他の地域に比べてやや贅沢な暮らしはできたでしょう。
特に矛盾が生じるとも思いません。



問題の箇所。
PAY AND LIVING CONDITIONS;
The "house master" received fifty to sixty per cent of the girls' gross earnings depending on how much of a debt each girl had incurred when she signed her contract. This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the "master". Many "masters" made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.

ここで記されている内容の時期は明記されてませんが、おそらく捕虜となる直前、つまり1944年7月のことでしょう(尋問するなら最も直近の状況についてするでしょうから)。


これが1944年のことと考えると、インフレと戦況の悪化によって物価が高騰し、「Many "masters" made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.」(多くの楼主が、慰安婦に高額で食糧などを売りつけたため、慰安婦の生活は非常に困難になった)という部分の説明がつきます。

同じ報告書中に、矛盾する記載があるように一見見えますが、対象の時期が違うに過ぎません。

また、慰安婦の暮らしは、よかった時期でも、”他の地域に比べれば”、”やや贅沢”だった程度と述べているだけです。


冒頭のコメントで指摘された報告書の部分が、「従軍慰安婦問題・慰安婦高額報酬説のトリック 」に記載した内容と矛盾するわけではありません。


要は、報告書とかは、ただその文面だけを読むのではなく、当時の状況など(この場合ならビルマの戦況や物価指数など)も把握した方がいい、ということですかね。自戒をこめて。



コメント

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1 ■無題

ミッチナでも、最初の1年は英軍が残した資産、物資で豊かだったのではないでしょうか? 贅沢に暮らせた瞬間が無かったわけではないかもしれません。

それを食い尽くしたあとがどうだったかは、日本の補給次第ですね。

しかしそれにしても、「二階建ての建物の大きな部屋が個室として与えられ」って、まるで、コンドミニアムかワンルームマンションのように書かれていますが、そこは学校などの建物の転用だし、その部屋は女性の住居ではなくて、10時~23時までは大勢の相手、朝までは将校のお泊り、という24時間勤務の 『仕事場』でしょう。

蓄音機はうらやましい限りですが、それとて、お仕事しながらしか聞けない、将兵たちをcomfortする仕事の道具でしょ。将兵たちも、兵営では蓄音機は聞けなかったわけです。

それから、attendは“同伴”ですね。運動会、夕食会、お客さんと"同伴"でない楽しみはなかったはずです。いはば、彼女たちは、”酌婦”兼任"慰安婦"だったのです。

沖縄が44年10月の大空襲を受けた日、32軍の幹部は、前日まで作戦演習会同をおえ、慰安婦をはべらし夜通しの打ち上げ宴会で、米機が頭上に来ても二日酔いでどうにもならなかった、という話は有名ですね。

まあ、空襲を予測できなかった精神主義のお粗末さですが、そういう現場には必ず慰安婦のお姉さんたちが侍らされていた、ということです。

2 ■はじめまして

他に、従軍慰安婦は日本語が明瞭には使えなかったため、楼主が通訳を担当し、環境が良かったかのような発言にねじまげられたという説もありますね。
ちなみに、この慰安所を管理していた丸山大佐は公私混同いちじるしい人間だったらしく、尋問報告第二号という関連資料に「部下たちは米と塩だけでいのちを維持していた」「彼は、自分はもちろんのこと「慰安婦」が、望み次第の食べ物と楽しみをほしいままにできるように手配した」とあるそうです。

3 ■無題

>ni0615さん
>彼女たちは、”酌婦”兼任"慰安婦"だったのです。

「酌婦」にしろ「慰安婦」にしろ、売春婦の実態を欺瞞する名称ですし、表向きの仕事として酌婦本来の仕事も勤めさせたのでしょうね。


>ほっけさん
はじめまして。米軍は日本語担当の語学将校を増やした、と聞きますが、韓国語のできる語学将校は少なかったでしょうから、「楼主が通訳を担当」というのはありそうな話ですね。



4 ■推測

"They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places."
これは、日本人の証言を直接英訳して書き記したわけでなく。
尋問した結果をアメリカの将校が要約した結果ですよね?
ということは、当時のアメリカ人の感覚としnear-luxuryと推測されます。
想像を含みますが戦争前の日本とアメリカの豊かさはかなりの差があったと思うのですが・・・
そうすると、当時のアメリカ人の感覚では、
日本の陸軍大将は、「他の場所に比べ、ビルマでやや贅沢」以下の生活だったことになります。
という可能性は十分あると思うのですが・・・

5 ■通訳

他に、従軍慰安婦は日本語が明瞭には使えなかったため、楼主が通訳を担当し、環境が良かったかのような発言にねじまげられたという説もありますね。

「楼主が通訳を担当」というのはありそうな話ですね。


アメリカの将校が立ち会わずに、伝言ゲームのように事情聴取が行われたのでしょうか?
現代の日本人の感覚だと、お互いに片言の英語のほうが意思が通じ合う場合があるように感じるのですが。
(日本人?)の楼主が朝鮮語ができたということですか?
楼主が朝鮮人で比較的豊かで学校で日本語教育を受けられた、
しかし、慰安婦は学校に行けず日本語教育を受けられなかったということですか?

どんな資料でも、そう読める可能性があるを積み重ねていけば本筋から離れていくと思うのですが。
尋問結果の資料も証言と同程度の信憑性しかないということでよろしいのでしょうか。

6 ■>freshさん

コメントありがとうございます。

当時の日米間の裕福さが乖離してたというのは正しいと思いますが、わざわざ”in comparison to other places”とつけていることを考えると、アメリカ基準ではないと思います。

7 ■続き

>アメリカの将校が立ち会わずに、伝言ゲームのように事情聴取が行われたのでしょうか?

楼主は朝鮮まで行って慰安婦を確保しているので、朝鮮語が出来たのは間違いないでしょう。楼主の記録上の名前は日本名ですし、Japaneseとあることから日本人だと思います。

米軍・慰安婦・楼主の中で日本語と朝鮮語が話せるのが楼主だけ、というのは不自然ではないと思いますよ。

>どんな資料でも、そう読める可能性があるを積み重ねていけば本筋から離れていくと思うのですが。

具体的にどの個所が本筋から離れてるとお考えでしょうか。
また、本筋とはなんでしょうか。

8 ■返答1

贅沢の基準が当時の日本人とアメリカ人で違ったのではないかと言う事です。
当時の日本人が考える贅沢な暮らしでも、
当時のアメリカ人から見ればそんなに贅沢ではなかった可能性は十分あるえるということです。
よって、当時の日本人の感覚で十分贅沢(大将以上)な暮らしをしていても、
当時のアメリカ人の目には大して贅沢に映らなかった可能性があるということです。
「They lived in luxury in Burma.」とは映らなかったのではないか。

また、「やや贅沢な」ですが、
出典は、吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店pp.439-452
では、ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
と約されているようですが。
ttp://members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02_1.html

9 ■返答2

尋問がどの様に行われたかの記録があるのですか?
慰安婦に対する直接尋問でなく楼主が(すべて)通訳したという記録が書かれているのでしょうか?
また、吉見訳を見ると朝鮮在住だったと思いますが、例えば戦前・中に満州に渡った人は全員中国語ができたのでしょうか?
日本人楼主⇔朝鮮人慰安婦の意思疎通とはかぎらないのでは?
日本人楼主(日本語のみ)⇔朝鮮人通訳⇔朝鮮人慰安婦の可能性の方が高いのでは、
朝鮮では当時は日本語による教育が行われていたと思いますが、
朝鮮語が出来る日本人<<日本語が出来る朝鮮人と思われるのですが。

10 ■本筋

本筋=文面そのままの意
のつもりで使用しました。

まず、根本の「やや贅沢」と言う訳に自体に疑問があります。


要は、報告書とかは、ただその文面だけを読むのではなく
上記を言及している割に、このレポートがアメリカ兵の主観によって書かれている点への留意が足りないように感じます。

11 ■返答2(修正)

>例えば戦前・中に満州に渡った人は全員中国語ができたのでしょうか?

満州の例は期間等を考えると不適当
よって、
例えば戦前・中に台湾に渡った人は全員中国語ができたのでしょうか?
に修正いたします。

12 ■>freshさん

>当時のアメリカ人の目には大して贅沢に映らなかった可能性があるということです。

正直、かなり特異な解釈だと思いますが、
仮にそうだとしても、「当時の日本人の感覚で十分贅沢(大将以上)な暮らし」をしていたとも書かれていないので、慰安婦が贅沢な暮らしをしていたことを示すわけではありませんね。

吉見教授の訳で「贅沢であった」ではなく「贅沢ともいえるほどあった」という言い回しなので、間違っているとは思えませんし、私の訳と意味が大きく違うとも思えませんが。要は「luxury」ではなく「near-luxury」の意を汲んでいればいいわけですから。

>日本人楼主(日本語のみ)⇔朝鮮人通訳⇔朝鮮人慰安婦の可能性の方が高いのでは、

可能性の高低は知りませんが、49号のケースでは「朝鮮人通訳」なる人物はいないと思いますよ。

13 ■続き

>本筋=文面そのままの意

なら、
They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places.
を報告者のアメリカ人の感覚云々するのは違う気がしますが。


>要は、報告書とかは、ただその文面だけを読むのではなく上記を言及している割に、このレポートがアメリカ兵の主観によって書かれている点への留意が足りないように感じます。

すみません、freshさんの意図がわかりません。
「どんな資料でも、そう読める可能性があるを積み重ねていけば本筋から離れていくと思うのですが。」
と言われていたので、文面そのままを読むべき、というお考えかと思ったのですが違うのですか?
「アメリカ兵の主観」云々は、「そう読める可能性があるを積み重ねてい」く行為と思えるのですが。

14 ■続き2

>例えば戦前・中に台湾に渡った人は全員中国語ができたのでしょうか?


逆に聞きたいのですが、戦前・中に台湾に渡った人は一人も中国語ができなかったのでしょうか?


わかっているかと思いますが、「全員」「一人も」「すべて」という条件をつけると、ほとんどの場合、”極論”となってしまい議論に適しませんので留意していただいた方がよろしいかと思います。

15 ■返答1

朝鮮人通訳
一般論での朝鮮人通訳です。
この報告書においては、朝鮮人慰安婦の中で日本語が達者だったものがいて、その役割を担っていた可能性があります。
日本人楼主が朝鮮語を話せたと言う根拠は?
報告書にはその様な記述は見当たりませんが。
逆に、朝鮮人慰安婦が全員日本語での意思疎通が出来なかったという記述も見当たりませんが。
慰安婦全体の印象として、その様に受け取れる可能性のある記述がないともいえないですがね。

16 ■返答2

正直、かなり特異な解釈だと思いますが、
以下略

別の解釈例です。
それを特異と感じるかどうかは人それぞれの主観です。
では、「やや贅沢」は大将以下の暮らしと明示されていますか?

私の解釈では、尋問したアメリカ兵の感覚では「luxury」と表現するにはとまどい(贅沢とは到底思えない)があったので、
控えめに「near-luxury」と評したです。

17 ■返答3

意図
本筋=文面そのままの意

資料の意味をそのまま捉えればよいのではないですか。
解釈を持ち込めば、文面そのままの意味から離れていきます。


上記とは別に、あえて解釈を持ち込むなら
報告書がアメリカ兵の主観で書かれているという点にも留意するべきではないですか。


これで意味が通じなければ表現の仕様がありません。

18 ■返答4

極論を述べた意図は、
当時朝鮮にいた日本人がすべて朝鮮語が使えたといえない以上は、
自動的に日本人楼主が朝鮮語を使えたとするんは無理があるのではないかということです。

ならば、日本人楼主が朝鮮語を使えたか使えなかったかの可能性を考慮するべきではないですか?
私が考慮するには、可能性は低かったとkんが得ます。

19 ■返答4(修正)

>私が考慮するには、可能性は低かったとkんが得ます。

私が考慮するには、可能性は低かったと考えます。

20 ■返答2に対して

>それを特異と感じるかどうかは人それぞれの主観です。

そうですね。freshさんの主観で特異と感じないのなら、freshさんの主観にけちはつけません。
ただ、同意は出来ませんけど。

21 ■返答3に対して

>解釈を持ち込めば、文面そのままの意味から離れていきます。

本エントリのどの個所についてか、具体的に示していただけますか?

22 ■回答4に対して

>ならば、日本人楼主が朝鮮語を使えたか使えなかったかの可能性を考慮するべきではないですか?

「楼主は朝鮮まで行って慰安婦を確保しているので、朝鮮語が出来たのは間違いないでしょう。」と述べてます。「間違いない」というのが気に入らないなら「高い可能性をもつ」と言い換えても構いません。

日本人楼主が朝鮮語を使えなかった可能性を示唆する具体的な資料がない限り、使えたか使えなかったかを考慮する必要性を私は感じません。

freshさんが必要性を感じるのは結構ですが、それならご自身で検証するべきかと思います。ただ、「使える可能性は低かった」と言われても、はあ、そうですか、としか答えようがありません。

23 ■返答1に対して

>この報告書においては、朝鮮人慰安婦の中で日本語が達者だったものがいて、その役割を担っていた可能性があります。

可能性はありますね。最初の尋問報告などにあたって検証してみてはいかがでしょうか?米軍か英軍が保管しているかと思いますよ。
これに関する私の意見は「「楼主が通訳を担当」というのはありそうな話ですね。」という推論にすぎません。推論を覆すような事実があった場合は、論を立て直すことは吝かではありません。


24 ■推論

別にあなたが明確に推論であると理解しているならかまいませんよ。

私の推論を証明する、明確な記述は報告書にないし、
貴方の推論を証明する、明確な記述も報告書にはない。

まず、この点は同意できますか。

次に推論というのは事実ではなく。
これはお互いの推論にたいしても言えますが。
悪く言えば(なれば)憶測、
さらに悪く言えば(なれば)妄想
などといっても差し支えなくなる場合もあると理解できますか。

25 ■無題

ま、これを読んでも、慰安婦は高収入とも高給とも書いてないので、別に矛盾するとも思えませんが、念のため検証してみましょう。

別の方にも書きましたが、兵士から物をもらっていたのに、それを収入と考慮していない様に見受けられますが、物資が貴重ならその価値を無視できないと思いますが。
また、報告書にはどの程度の物量をもらったまでは書かれていませんが、仮に大量にもらっていたなら、物資が不足して物価が高騰するときまで、一部を取り残していた可能性も否定できないと思いますが。

26 ■朝鮮語

私も他人の主観にケチをつけるつもりはありません。
が、もう一度可能性を低いとした推論をまとめて述べます。

①当時、日本人が内地(?)で朝鮮語を勉強できた確率と、朝鮮人が日本語を勉強できた確率は、朝鮮人が日本語を学べた可能性が高いと考えられる。

②よって、内地(?)の日本人が朝鮮に渡って商売をする場合は、朝鮮語を習ってから行くより、現地で日本語が出来る通訳(朝鮮人)を雇った方の確率が高いと考えられる。

上記より、日本人楼主が朝鮮語を使えた可能性は低いと考えます。

27 ■解釈

①「near-luxury」を「やや贅沢」という解釈
②物を収入に加えているない(と見受けられられる)解釈

28 ■推論に対して


「「楼主が通訳を担当」というのはありそうな話ですね。」
freshさんは、この表現が推論と読めませんでしたか?
"ありそうな話"と言っているんですが、これが断定の表現に読めました?

>別にあなたが明確に推論であると理解しているならかまいませんよ。

いちいちこんな確認をされるとは思いませんでした。
理解しているから上記のように表現しております。
ご理解いただけましたでしょうか?

29 ■可能性

>また、報告書にはどの程度の物量をもらったまでは書かれていませんが、仮に大量にもらっていたなら、物資が不足して物価が高騰するときまで、一部を取り残していた可能性も否定できないと思いますが。

可能性というなら、否定できませんね。
もちろん、freshさんは、それらの物資がすぐ消費してしまう程度の微々たる量であった可能性も認めますよね。

言うまでもないことですが、可能性で可能性を否定することはできません。
コインを投げて「表が出る可能性」があるから、と言って「裏が出る可能性」を否定できるわけじゃありませんので。

こんな可能性もある、と主張したいのなら自身のブログなどで発言することをお勧めします。
私の示す推論を否定したいのなら、推論が正しくない”可能性”ではなく、推論が正しくない”根拠”を検証してからコメントいただきたく思います。

30 ■比較の方法

>①当時、日本人が内地(?)で朝鮮語を勉強できた確率と、朝鮮人が日本語を勉強できた確率は、朝鮮人が日本語を学べた可能性が高いと考えられる。

言語取得機会について日本人一般と朝鮮人一般で比較しても意味がないと思います。
ここで必要なのは、楼主(周旋業者)という業種に就いている日本人と、前借金で売られるような境遇の朝鮮人女性の言語習得機会の考察ではないでしょうか。
少なくとも、「日本人が内地(?)で朝鮮語を勉強できた確率」のように7000万人の日本人を母数にするのではなく、50万人の在朝日本人を母数にすべきでしょう。

31 ■返答1

①推論
別に「楼主が通訳を担当」という部分でなく、
ここの「慰安婦は贅沢に暮らしていた?」
自体の大部分が推測と理解しているならそれで良いですという意味です。

②可能性
コメント欄に私の推論が書かれるのが特に困るというなら、止めますし、削除してもかまいませんよ。
推論とすぐ分かる様、表現には気を使っていますけど、両論併記の様な状況になると困ることがありますか?

32 ■比較方法

内地(?)としたのは、
貴方の発言の
「楼主は朝鮮まで行って慰安婦を確保しているので、
を受けてなんですけどね、
「朝鮮まで行って」は、素直に内地から向かったと思ったのですが?
ですけど、断定するのはいけないので(?)をつけたのですがね。
素直に慰安婦を確保しに朝鮮に渡ったと解釈したのですが、
慰安婦を確保しに行ったのに朝鮮に渡ってから朝鮮語を習得するわけですね、まぁ可能性は否定できませんね。
一応、あなたの発言に沿ったつもりだったのですがね・・・

前借金で売られるような境遇の朝鮮人女性の言語習得機会の考察
あくまでもそれは売られた当時の状況ですよね。
初等(等の)教育当時は教育を受けられる環境にいて後に没落することはありませんか?

あと、朝鮮人慰安婦は20人で日本人楼主は2人で、最初から10倍の差がついているのを忘れてないですよね?
私の推論は日本語が出来る慰安婦が1人いればいいですから。

33 ■返答1に対して

>①推論
>別に「楼主が通訳を担当」という部分でなく、
>ここの「慰安婦は贅沢に暮らしていた?」
>自体の大部分が推測と理解しているならそれで良いですという意味です。

文脈からそうは読めませんでしたが・・・。
ま、本エントリに関して言うなら、推論表現を使っている箇所は推論です。



>②可能性
>コメント欄に私の推論が書かれるのが特に困るというなら、止めますし、削除してもかまいませんよ。
>推論とすぐ分かる様、表現には気を使っていますけど、両論併記の様な状況になると困ることがありますか?

自分でブログを作るのが怖いとかなら、別にコメントしてもらって構いませんが。
ブログ主常識の範囲内で回答する価値と暇があると判断すれば回答しますし。
以前、言ったように「はあ、そうですか」としか返せないこと(そもそも返答も返さないこと)もあるかと思いますが。

ただ、「両論併記」にしたいのなら、エントリとコメントではバランス悪いので、自身のブログを作ってTBするのが良いかと思いますけど。

あ、あと、引用文の場合は何らかの引用符をつけてもらませんか?

34 ■比較方法に対して


>内地(?)としたのは、貴方の発言の(中略)
>「朝鮮まで行って」は、素直に内地から向かったと思ったのですが?
>一応、あなたの発言に沿ったつもりだったのですがね・・・

ああ、そうでしたか。そりゃどうも。
ただ、そこに立脚して議論をするのなら、まずわたしの発言よりも原文を確認した方がよろしいかと。
別に揚げ足取りをしたいわけじゃないでしょうから。
「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日」
「東南アジア翻訳尋問センター 心理戦 尋問報告 第二号 一九四四年一一月三〇日」
くらいを見てみてはいかがですか。

35 ■比較方法に対しての論点

日本人楼主の朝鮮語が話せたかどうかの論点として、私は2つを想定しているのですがね。

①純粋に日本人楼主が朝鮮語を使えたかどうかの可能性につて

②あなたが、日本人楼主が朝鮮語を使えると解した推論の(流れの)妥当性。
(あなたの推論能力、資料収集能力等への妥当性の検証)


貴方のコメント
■続き
scopedog 2007-06-16 02:42:27
>「楼主は朝鮮まで行って慰安婦を確保しているので、朝鮮語が出来たのは間違
>いないでしょう

は、主に②に対する指摘ですけど


そもそも、私は以前の書き込みで
■返答2
fresh 2007-06-16 04:06:52
>また、吉見訳を見ると朝鮮在住だったと思いますが、

と朝鮮在住の可能性を指摘しているのですが?
資料を読めってこのことかな?

で、朝鮮在住で、元料理屋で楼主に商売換えしたのを知っていて、なぜ

>「楼主は朝鮮まで行って慰安婦を確保しているので、朝鮮語が出来たのは間違
>いないでしょう

という表現になったのですか?
>「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日」
上記、資料の日本人の名前の後の地名は明らかに朝鮮の地名の様ですが?
もともと、朝鮮に居たのだし、料理屋をする為に朝鮮に渡ったようですが???
推論能力や資料収集能力でなく、単なる日本語表現ミスですか?

36 ■失礼しました。

私が説を紹介した後で長いやりとりになるとは思わなかったので、チェックが遅れました。
とりあえず手元にある上杉聡『脱ゴーマニズム宣言』の19章より、説の根拠をいくつか紹介します。

まず「日本語で書かれていた(リーフレットの)……内容を理解できた慰安婦はほとんどいなかった」とあります。日本語が堪能ではなかったということですね。また、尋問した米兵は日本語のできる日系兵士だったとのこと。
さらに、尋問報告書の前半は捕虜・慰安婦から聞き取ったと書かれているのに、後半では情報提供者が「楼主」などと書かれている点も注意が必要とのこと。
ちなみに楼主は朝鮮人夫妻だったようです。

これらの根拠から、尋問報告書で楼主が翻訳で歪曲していないとしても、慰安婦の考えが正しく記されていないという説は説得力を感じます。

37 ■日本語能力

ほっけさん、情報ありがとうございます。

では、まず一般的な日本語能力について考察して見ましょう。(日常会話能力と読解力)

あたなた、日本語能力に関して、
>日本語が堪能ではなかったということですね。

とおっしゃいますが、リーフレットの内容が理解できなかったということは、日本語の読解力が十分でなかったということですよね?
尋問に対応するには、必ずしも読解力は必要ない思うのですが、
あなたの手元にある資料に、慰安婦の日本語の日常会話能力に関する記述はありますか?


次に、「ほとんどいなかった」と言う表現は明らかに「一人もいなかった」と言う表現とは違うように感じられますが、その点はどうお考えですか?
日本語の読解力がある慰安婦は、明確に1人もいなかったのですか?

38 ■楼主

では、楼主が朝鮮人夫妻だったして、
アメリカ軍に拘束されている状況で、
どれだけ、日本や日本軍に義理立てをするのでしょうか?
自己保身には走りそうですが・・・

(日本人捕虜尋問報告 第49号 吉見訳より)
>多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。

楼主に対して不利な記述がある「報酬および生活状態」は信用できそうですね。

よって、あなたの言う
>さらに、尋問報告書の前半は捕虜・慰安婦から聞き取ったと書かれているのに、後半では情報提供者が「楼主」などと書かれている点も注意が必要とのこと。

はどの部分を指しているのかお教え願えませんか?
それとも、部分部分で真贋を判断せずに頭から報告書の全部を信用するなと言うことでしょうか?

>これらの根拠から、尋問報告書で楼主が翻訳で歪曲していないとしても、慰安婦の考えが正しく記されていないという説は説得力を感じます。

?第一の論点は、楼主が翻訳で歪曲したか否か出会ったはずですが?
また、上記と同様に、報告書全体がだめなのか、具体的にどの部分がだめなのかお教え願えますか。

39 ■補足説明

少し補足説明をさせて頂きます。

「前半」「後半」に関して
私も、報告書で必ずしも表現が一致していないのは知っています。
ttp://members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02.html
(ただし、上記の解釈に賛同しているわけではありません。稼ぎに物が入っていないしね。)
ただ、私は今まで「前半」と「後半」で聴取相手が違うという確定的な情報には接していなかったので、その真偽を確かめたく思いました。

>はどの部分を指しているのかお教え願えませんか?
上記は、確定的な情報であるならば、具体的に書かれているであろうと考えられるので、その「前半」と「後半」の境目の場所を具体的にお教え願いたいということです。

40 ■無題

>「前半」「後半」に関して
私も、報告書で必ずしも表現が一致していないのは知っています。

具体的にどの箇所で、それについて、どう考えているのか、ご自身の考えをお聞かせ下さい。

41 ■回答(1)

>具体的にどの箇所で、それについて、どう考えているのか、ご自身の考えをお聞かせ下さい。

はい、喜んで回答させていただきます。
私は、別に自分ができないことを他人に望んでいる訳ではありません。

では、例として以下を示しているので
ttp://members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02.html
上記で取り上げられている3つに関して話します。

>(1)「とかく自己中心的で、自分のことばかり話したがる」
>と記述する一方で、
>「彼女たちは、「慰安婦」が捕虜になったことを報じるリーフレットは使用しないでくれ、と要望した。彼女たちが捕虜になったことを軍が知ったら、たぶん他の慰安婦の生命が危険になるからである」
>と記述したりしています。
> 自己中心的で、自分のことばかり話したがる人物が他人の心配などするのでしょうか?


に対する私の解釈。
>「とかく自己中心的で、自分のことばかり話したがる」

これの原文は、
>She is inclined to be egotistical
原文からも分かるように、傾向を示した文です。
エゴイストであると断じた文章ではありません。
自己中心的なことしか言わなかったのであればエゴイストであると断じたのではないかと考えられます。
つまり、自己中心的な発言以外もしたのでエゴイストとは断じなかった。
要するに、ほかの慰安婦の身を案じる発言もしたので、傾向を示すに留めたのではないかと私は推測します。

42 ■回答(2)

修正:3つでなく4つでした。

>(2)慰安婦の宿泊していた建物を
>「通常、個室のある二階建ての大規模家屋」
>と表現したその直後に
>「普通は学校の校舎」
>と表現しています。
>ふつう、学校の校舎を家屋などとは呼びません。

これは、前半と後半の差異には含まれないが、解釈は無数にあるし、なにが問題かわからない。
たとえば、片方の表現が尋問結果を重視した表現、もう片方は尋問結果からこの文の書き手が受けた印象。
(日本とアメリカでは住宅事情(土地の広さ)が違う、当時はどうか知らないが教育システム(教室の大きさ、1クラスの人数等)も違う)
また、「学校の校舎」はその外観イメージにとどまる等。
私には、ここを問題視する理由がよく分からない。

43 ■回答(3)

>(3)慰安婦たちの暮らしぶりを
>「贅沢ともいえるほど」、
>「欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった」
>とする一方で、
>「多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った」
>ともしている。
>生活困難なのに贅沢で良い暮らしなんてできないでしょう?

上記はあなたには言うまでもないが、時間経過がある可能性。
最初は豊かだったが、後に窮乏した。

44 ■回答(4)

>(4)「彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、また、ピクニック、演奏会、夕食会に出席した。彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された」
>としている一方で、
>将兵の利用時間は兵が「午前10時~午後5時」、下士官が「午後5時~午後9時」、将校が「午後9時~午前0時」と
慰安婦にとっては「午前10時から(深夜の)午前0時」とほぼ一日中慰安所に缶詰めの状態であり、
利用日も休業日が週1日だけで、それも昼は定期健康診断で、夜は、「将校は週に夜7回利用することが認められていた」ため、つぶれることがあったことは容易に推測できる。
> こんなに忙しいのにどうやって出かける時間がつくれるのでしょうか?

上記は、この文を書いている筆者も言っている通り推測。
しかも、定期健康診断がどのくらい時間がかかったという記録もないし。全員の健康診断が終わってから、全員でピクニックに必ず行かなければならない訳ではない。
また、
>「将校は週に夜7回利用することが認められていた」
だからと言って、全員の夜がずっと塞がっていたと解するのはいささか乱暴だと感じられる。

45 ■回答終了

一応、筋の通った説明を終えたつもりです。
上記4つの回答に対して質問を受け付けないわけではありませんが、
まずは、scopedog さんが

>「楼主は朝鮮まで行って慰安婦を確保しているので、朝鮮語が出来たのは間違いないでしょう


まるで、私が資料をよく読んでいないかの様に断じた
>「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日」
>「東南アジア翻訳尋問センター 心理戦 尋問報告 第二号 一九四四年一一月三〇日」
くらいを見てみてはいかがですか。

上記発言に対して、必ず筋の通った説明をしていただけるものと期待してお待ちしております。

46 ■回答になってないですよ。

別にサイトの評論を頼んだわけじゃありません。

>私も、報告書で必ずしも表現が一致していないのは知っています。

というコメントに対し、

>具体的にどの箇所で、それについて、どう考えているのか、ご自身の考えをお聞かせ下さい。

と聞いているのです。


あなた自身が「必ずしも表現が一致していない」と思う箇所で結構です。
「私には、ここを問題視する理由がよく分からない。」(回答(2))とか、「この文を書いている筆者も言っている通り推測。」(回答(4))とか思う箇所を示す必要は全くありません。私はそのサイトの製作者じゃありませんので。

言うまでもないことですが、「表現が一致していない」と思う箇所はサイトからの引用ではなく、「日本人捕虜尋問報告第49号」からの引用でお願いします(あなたの言う「報告書」とは「日本人捕虜尋問報告第49号」のことですよね?)。

私は、そのサイトに対するあなたの評論を聞きたいわけじゃありません。
「報告書で必ずしも表現が一致していないのは知っています」というのは、”報告書”のどの箇所か、それについてどう考えているのかが聞きたいのです。


ですので、
>一応、筋の通った説明を終えたつもりです。
には、同意できません。質問に対する回答になってません。


改めて、報告書中の”あなた自身”が「表現が一致していない」と思う箇所、およびその表現の不一致に対する”あなた自身”の解釈をお願いします。

繰り返しますが、私は、そのサイトに対するあなたの評論を聞きたいわけじゃありませんので、くれぐれもお間違えにならないようお願いします。

もちろん「喜んで回答」いただけるものと期待しております。

47 ■回答

>あなた自身が「必ずしも表現が一致していない」と思う箇所で結構です。

?その3箇所は私も表現が一致していないと思うのですけけど?

>「日本人捕虜尋問報告第49号」からの引用でお願いします
?そのサイトは、「日本人捕虜尋問報告第49号」からの引用のようですが、貴方には理解できませんか?

私の回答の趣旨は、「表現の一致がない」ところはないでなく、
「表現が一致していない」からと言って問題があるわけでないと言う趣旨ですが、
それも理解できませんか?


それよりも、質問する前にこちらの質問にまず答えていただきますか?

48 ■ふーん

>?その3箇所は私も表現が一致していないと思うのですけけど?

ほう。

回答(2)のfreshさんの発言
「これは、前半と後半の差異には含まれないが、解釈は無数にあるし、なにが問題かわからない。」

差異には含まれないと自分で言っとりますが?

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