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父のこと

父は60代後半(70代だったかと思ったが13年前だった)に脳梗塞になった。
手術入院を繰り返し、自宅療養をしていた頃、仕事が終わって父の部屋へ行くと(私は自宅に戻ると、とりあえず父・母・姉の様子を見に行く癖が付いていた。単に愚痴を聞いたり慰めたりするだけだが)めずらしく父が笑顔を浮かべている。
何かあったかと聞くと、昼間不自由な体をおして、医者の勧めに従って、散歩に行ったそうだ。
少し歩っては休み歩っては休みを繰り返し、道端で休んでいたところ、小学校低学年のの男の子達が父に話しかけ心配して手を引いてくれたそうだ。
父「赤の他人なのに親切だった。まだ小さいのに、ああいう優しい人間もいたんだなと思った。」と嬉しそう。
父「普通ならこっちが弱いと思って、帽子を取られるか杖を取られるかと慌てて逃げようとしたら転びそうになったんだ。そうしたらその子達が支えてくれて手を引いてくれた。こずかいが欲しいかと小銭をやろうとしたら、受け取らなかった。ああいう子供もいるんだな。」
それを聞いたときの私の気持ちが分かるだろうか・・
私「何今更言ってるの。他人は優しいよ。そんなに悪い人ばかりじゃないよ。今まで気付かなかっただけだよ。」
父「あの子たちが特別なんじゃないか。」
私「そんなことないよ。思ってるほど悪い人はいないよ。相手を悪い人間だと思ってると、そういう人しか寄ってこないよ。いい人は結構たくさんいるよ。気付かなかっただけだよ。」
父「そうだな・・」

すこぉしだけ幸せそうに見える父を見ながら、(遅かったかもしれないけど、父が脳梗塞で左半身が不自由になったのは、きっと神様が父にそのことを気付かせるためだったのかもしれない。ああやっと、やっと死ぬ前に残りの人生を人間らしく生きる事ができる。これで私と母が長い間戦って泣いた気持ちも報われる。良かった。きっと神様が最後に父を哀れに思って、その子達を父の前に連れてきてくれたんだ。)そう思って、自室に戻ってその夜は泣いた。
幼い時から実の娘である私にすら常に疑っていた父。小学校の時から学校の教材を買ってもらうと、必ずその金は何で稼いだとか、泣きながらお前を育てたんだとか、年を取ったら面倒をみてもらわなくちゃとか、いい忘れない父。
犬を蹴り続けるのを泣きながら止めても止めなかった父。父に殴られるとハンマーで殴られたようだった。気に入られようとどんなに家事をやっても勉強しても生涯ただの一度も誉めてくれた事のない父。何かミスをすると迷惑そうな顔をした父・・様々な過去の出来事が次々と浮かんだが、もう「過去」のことだ。やっと、やっと私と母の言葉が伝わったんだ。

それから10日とたたないうちに、父の口からいつものように母への悪口が出た。
通帳と印鑑を姉に預け、店の金をとられる、他人は俺が動けないと思って馬鹿にしてるんだ。他人は信用できない、と始まった。
私「この間、他人は優しいって言ってたじゃない。何かあったの?」
父「お前には関係ない。あれはあの子達が「特別」だったんだ。きっと、学校の実習か何かでいいカモにされただけだ。」

悪夢を見ているようだった。もうこの人は駄目だ。もうこの人は駄目なんだ。神様がせっかくチャンスをくれたのに。脳梗塞で死に掛けたのに。2ヶ月以上毎日見舞いに通って励ましたのは私だったのに、いつの間にか姉が来ていた事に話は変わり、反論しても父は信じていないようだった。
彼らは変わらない。
何かのきっかけで本人が気付いたら「変わる」と本に書いてあったのに。確か「生死に関わる程の何か大きな時」に。本人が気付かなければ「変わらない」とあったけど。きっと「その時」がきたんだ、「奇跡」が起きたんだと思ったのに。

どうか神様、せめて「死」を迎える時は、たとえ錯覚でもいい、人間らしく父を逝かせてください。

今、父は周囲の人間に自分は大切にされていないと言い募り、様子を見に行くと、いつもあの猫背の姿勢で下を向いて、TVもついていない電気もつけていない姉も来ない暗い部屋で、一日一人黙って座っている。

※「自己愛性人格障害一考察」記事 「ドラマな日々サイトマップ」はこちらへ

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