額の傷
私の額の中央には手術跡がある。3才の時怪我をして3針程縫った傷だ。(手術跡は一生残る。後10才の時私の手術を再び執刀した医師が覚えていた。)
近所の遊び仲間5~6人(私は一番下)で広場で遊んでいると、いつも柱の陰で仲間に入れてもらえない女の子がこちらを見て隠れている。
仲間の中で一番下の私は、トロくて危ないので、いつも周りの年上の子達(4才、5才)が見ていてくれ、いろいろ世話をやいてくれていた。
「その子」は私より年上だったが、子供達のお母さん達も自分の子供には、「その子」と遊ばないよう注意をしていた。
私は年上の正義感の強い5才の子(A)から、「皆仲良く公平に」と教わっていたので、「その子」の事も遊び仲間のグループに誘っては、「その子」が慣れたようなら手を離す、を繰り返した。(単に砂場で遊んでいる子供達の輪の中にいれ、一緒に遊べるようなら、自分のグループに戻った。)私が離れると「その子」の周囲から子供が少しづついなくなり、一人ぼっちになってしまう。何故なら、私がいなくなってしばらくすると、周囲の子達を突き飛ばしたり砂を投げたりと乱暴を始めるからだ。
一人になると、やはり唯一「その子」を誘う私を、私が声をかけるまで「その子」はじっと見ていた。
「その子」は 虐待を受けていたのだと思う。 4才だったが、その頃の子供というのは笑うか泣くか食べるか位で生きてるものだ。
小さな悩みは抱えても、そんなに長くは考えない。
ところが、「その子」は「めちゃくちゃ暗かった」そこにいるだけで「暗いオーラ」が出ているくらい空気が違った。笑顔も無いし、口もほとんどきかないし、服も汚れていた。
そう思うのは私も殴られていたからだが、そうなるのはわかるので、見ればわかる と言えばよいだろうか。
但し、服の下の時々見え隠れする肌には痣があったので、私の母や父や姉と違って、物で殴っていたのだと思う。(手の平を使って服に隠れている処を殴ると、痕が残らないし目立たない。殴るほうの手も痛いが。父や母を誉めてるのではない。
もっとも、何故あの頃他のだれか、例えば大人のお母さん達が気付いて「あの子」を助けないのだろう。とは思っていたが、自分の子に「あの子」に近づくなと注意していたのだから、「人様の家のことには口出ししない」「でも自分の子は守ろう」と思っていたのだろう。私の場合、素直なのに、そういうことは母の言う事を聞かずに自分の判断で動いてたから、「自業自得」だったのかも・・あっ話が終わってしまう・・)
はっきり言って、余計なお世話だったが、当時の私は「傲慢」だったのだと思う。
自分も毎日殴られていたが、それでも「笑うかどには福来る」と祖母が教えてくれたように、いつも笑うようにしていた。たとえ家の中では殴られようが、外部の人間はそれを知らない。外部でそれをそのまま持ち込めば、当然排斥される。
だから、たとえ中で何があろうと、外へ出たら笑っていたほうが自分の為には良いと 「その子」に教えたかった。
何度か Aにも「もうかまわないほうがいい」と言われたが、それでも誘い続けたある日―
皆で広場を出て駄菓子やさんへ走っていった。私の右斜めわずか後ろにAがついて、私の後ろに「その子」が続いた。
私の背中を小さな腕が強く押す。私は正面から前へ転んだ。目の前には大きな尖った石があった。前を走っていた姉が私の周囲の子供達の声で引き返す。涙と鉛のように重い頭と衝撃で、視界がぼやける。
額の真ん中に黒い三角の穴が開いたそうだ。出血はなかった。(子供の頭は柔らかいから助かった)
騒ぎの中、大人がつれて来られ、何が起こったのか問いただす。周囲の子は泣き始め、姉は見てもいないのに、「aiが勝手に一人で転んだんだ!」と叫び、私の家族がそう言った事で、私の心は決まった。「わからない」と言い張ったのだ。
とりあえずその場は終わり、母を呼びに行き、私は自宅へ連れて行かれる。
Aは何か言いたそうに私の顔と「その子」を見比べていた。
その時「その子」の表情を見て、彼女が私を憎んでいた事に、やっと気付いた。(間抜けな話だ)
年下の私が誘わなければ、誰も気に留めるどころか避けられる自分。
突き飛ばしても、砂をかけても私だけは怒らず、周囲に溶け込むように自分と皆の橋渡しをしようとする。
トロくて面倒ばかりかけているようなのに、忘れられることなく皆にかまわれる私。
良かれとしたことが、「その子」のプライドをひどく傷つけたのだ。
私は3針縫って、包帯を頭に巻いたまま数日後広場の仲間にところに戻った。Aが待ち構えていたように、「aiちゃん。「あの子」に突き飛ばされたんだよね。」とこっそり言った。
私は「背中は見えなかったし、わからなかった」(実際自分の目で見たわけではなく、大変な事になるので口に出せなかったのもある。
ただ、「その子」しかいなかったのは事実だが)「わからなかったから、Aちゃん絶対言わないでね。」と口止めした。
数日後、Aのお母さんが私の見舞いに来て、母に「Aが元気がないようなので、わけを聞くとaiちゃんが先日怪我をした時「あの子」が後ろから、こう肘をつかって突き飛ばしたのを見た と言っております。Aは嘘をつくような子ではありません。」と言った。
子供心ながら、立派なお母さんだ Aもお母さんに似て正しい子供だ と思うと同時に、当事者の私が納得をしてダンマリを決めたのだから それに、姉の「aiが勝手に・・云々」も嘘になってしまう、と余計な事を言って寝た子を起さないで欲しいと思って、その後母から詰問された時にも、やはり知らぬ存ぜぬを通した。
今思うと、あれから数十年も経っているが、また 余計なお世話をして 痛い目を見てしまった。
(Mに何度も信じてもらおうと「貴方の助けになる事しか考えていない」と言った時、この事を思い出していたのに、なんでさっさと離れなかったのだろう。なんで何度も引き止められても振り切らなかったのだろう。最後に暴力的になられて、やっと離れられる。「あの子」は「彼ら」ではなかったと思うが。)
人の少しでも助けになろうと思うことは やはり 「傲慢」なのだと思う。例え「助けて」というサインを散々だされても、今後 無視 するか 相手をよく見定めよう。(人間不信になった人は、相手からはっきり聞かれた時直接対峙することはできるから。もっとも、そうできない人はやむおえない。騙そうとする人からは逃れられるが、同時に助けようとする人も拒絶する。いつか「あの時のあの人は自分を助けようとしてくれていた」と気付けば癒された という時期がきたと思って、今度頑張るしかない。それでも、いつか「その時」は必ずくる。・・もっとも私の場合、「大きなお世話」になっているかもしれないから、自重しよう。ただ、私自身、皆に助けられてばかりだから恩返ししたかったんだけど・・う~ん)
その事件?の1ヶ月後、「その子」と母親は引っ越していった。私は口止めしたAがお母さんに話してしまったので、しばらく怒っていたが、(Aは本当の事を言ってくれたのに、悪いとは思っていたが)その内仲直りしてまたいつもの日常が帰ってきた。「その子」が引っ越すまで、どんなに「その子」が私が誘うのを待っていても、半径1.5m以内には近寄らないようにし、決して誘うことはなかったし、誰もその後「その子」と遊ぼうとする子(私以外いなかったけど)はいなかった。
時々、今でも母が、私の額の傷に気付くと(メイクで完全に隠れないので)その話をしてしつこく聞く。私はやはり知らぬ存ぜぬを通している。一生家族には口は割るまい。
毎日鏡を見ると、時々思い出す。
「あの子」は今どうしているだろう。幸せでやっているだろうか。怪我をさせたことは忘れているだろうし、忘れた方がいい。どうか幸せになっていて欲しいと、願わずにはいられない。
(当時、「あの子」は4つでまだ子供だったからやむおえない。当時子供だった私が言うのもなんだが。
う~ん、もしかしたらこれがいけないのかな・・ もしかしたら、当時4才でも「何をやったのか」それなりに責任を取らせるべきだったのかな・・そうしたら、「あの子」の母親も自分が子供をどこまで追い詰めていたか気付いただろうか。逆に折檻されそうな気もしたが。
もし気付いたら、母親は変わっただろうか。私は間違っていたのかもしれない。
せめてあと1年生きていれば、もっと賢かったはずだし、そういう気も回ったし、違った対応ができたかもしれない。
いや、姉のあの言葉がなければ だ。多分「あの子」が4才でも、それなりに責任をとらせるべきだったと思う。たとえ「あの子」のプライドを私が傷つけていても。
姉の言葉を「嘘」にできなかった私にも問題があった。
自分の「傲慢さ」に気付いて負い目もあった。
どうか、私の過ちはともかく、幸せになっていて欲しいと思う。
この後に及んで「私の過ち」と思ってしまうところが私の「傲慢さ」かもしれない。
当時「額の傷」は私自身受けるべくして受けたのはわかっていたが、子供心ながら、だからと言ってやりすぎじゃないか、と思った。黙って甘んじて受けたのに・・ゆめゆめ忘れないようにしよう。)
※「自己愛性人格障害一考察」記事 「ドラマな日々サイトマップ」はこちらへ
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コメント
思い起こす事が多々あります。
「教えてあげたい、今の自分に出来る事をしてあげる」
傲慢、その通りなんでしょう。目から鱗です。
その子もAも姉も周りの子もその親も、医者も、みんな自分の価値観で生きている。
人は自分と同じとは限らない。行き過ぎた価値観の押し付けになっていないか?
そうバランスを取ろうと考えれる事が大事なんだろうと思う。
安易に助けてサインを出してしまう人はその感覚が薄れている可能性が高い。
それに手を貸してしまうのも感覚が薄れているのかもしれない。
世話を焼くのは自分が守りたいと思える人に専念すればよく、
その時にこそ甘さでなく優しさ、怒りでなく厳しさのバランスが大切なんだろう。
人の失意や落胆や感傷に気付きやすい人もいれば
そんな人種の察知に長けた人もまた存在し、狙われる危険性もある。
その事を頭の片隅に置いておきたいです。
多くの人は無意識のうちにそれを感じていて
「自己責任」「君子危うきに近寄らず」と言えるとしたら感心してしまいます。
(追伸:僕もその子が「彼ら」だとは思いません)
投稿: もっしゃん | 2012年8月23日 (木) 21時36分