« 自己愛性人格障害一考察 4ー「被害者」は何故被害に遭ったのか | トップページ | 自己愛性人格障害一考察 6ーチェックリスト »

自己愛性人格障害一考察 5ー「彼ら」のその後

※自己愛性人格障害の治療に関しての結論はこのページ末尾にあります。

身近な人間に「それ」がいたために、最近親しくしようとした人間のいいようのない「気持ち悪さ」が分かり、これからその人間が迎えるだろう最期が見えたように思う。(最も、先の2人の方がその人間よりずっと軽症だったが)

4代にわたる連鎖を知ったとき、他の人間の「それ」を最近見たとき、確かに彼らの慢性的な異様な思考形態は常人には理解できまいと思った。

彼らに同情をしてはいけない。その後も何度もやり直す機会が与えられても、それを無視したのを知っているから。

治ったと言う自己愛傾向だった人は10代半ば位までに自分で自覚して変わると思う。彼らに感化されただけだから。

最近自己愛傾向の人間がネットのチェックリストで思い込むケースが多いような気がする。

自己愛は誰にもあるもので自省するのは良い事だが、本当の彼らの反省の「振り」は言葉の意味を知らない「記号」としか理解していない。

もし、万が一、自分が自己愛性人格障害と思ってこの記事を見ている方、その診断を受けた方ー医者も人格障害は併用するため診断をするのは難しいので、診断が変わる可能性もあるー本当に当てはまっているかどうか注意して欲しい。

彼らに特徴的なのは「国語力」の無さ。本を一切読まず、読解力・理解力・構成力が無く、「言葉の意味が理解できない」為、幾度彼らの悪癖を具体的に説明しても理解しない。(言語記憶・理解を司る海馬、大脳の左半球の発達の遅れが原因か)だから多用するメールも(直接的なコミニュケーションを避けるため)短く用件のない意味の無いものが多い。

書く文字は大人でも小中学生のような文字を書く傾向が多い。(例外もあるが)

仕事以外の私的に使う語彙の中に、思春期以降は別な言葉に置き換えるはずの「幼児単語」がある。

そもそも「自覚」できる肉体的な強さを持っていず、反省したり考え続ける根気もないし「逃げ」の思考を思いつき、記憶を塗り替え抹消する。

一時的な弱さでそう思い込まないほうが良いと思うが、そう思い込んで、自分の欠点を正すのは良いと思う。

ただ、治ると周知して「母親役」に希望を抱かせてはならない。

幼児期の刷り込みは絶対と言うほど変えられない。無意識の判断レベルだから

―治るのは「奇跡」と言われているそうだ。―

(それも海外の著名な精神科医で、奇跡的な好条件が幾重にもあった末の事だそうだ。治療とは公的な社会生活がとりあえずできるレベルまでで、現実に直面し「うつ」になるのを緩和する薬物療法が主。認知療法は「振り」をするためのもの。)

多分に「自己愛性人格障害」と診断されても、その症状の度合いは様々だと思う。軽症の方は「自覚」ができて非常に苦しい思いをして治療の為に努力をしていると思う。

周囲の人間は幼い頃から日々それを繰り返してきた事を念頭において、周囲を絶対巻き込まずに一人で一生続けて欲しい。医療関係者も治らない事を承知で治療を続けているのだから。

(最近会った仕事関連の40代のその人間は、黒子のように常に側につかない限り、その認知の歪み、語彙の使い方、大人のコミュニケーションのとり方を正す事は難しいと感じた。「思いやり」があったと思った言葉が、実はただの「振り」だったことを知った時、人形(ひとがた)をした「張りぼて」と話している「気味悪さ」しか感じられなかったのが悲しい。)

また「償い」と自分の言動に「責任」を持って欲しいと思う。

決して自分より酷い「犯罪者」や「戦争責任者」を引き合いに出したり、「皆もやっている」なぞと関係ない事を言い訳に「自己正当化」等せずに

仮に、「彼ら」のそれが「運命」ではなく「宿命」だったとしても、人は皆、それぞれの「宿命」を受け入れ、その中で「運命」を切り開き、人にしがみ付くことなく精一杯幸せになるために生きてゆくものだ。)

決して彼らは「被害者」ではない。本人に最初で最後の責任を取らせるべきだ。

周囲の人間の人生を破壊しておいて、幼児期に自分を育てた人間や環境が悪いと、また正当化し「被害者」になる機会を与えるべきではない。

彼らに破壊された人間が病床に伏しても、早世しても、発狂しても、自分だけは関係ないという顔をする「彼ら」。

それでも「彼ら」を許すべきだろうか?「可哀想な人」として「被害者」というべきだろうか?

その事すら記憶から抹消してしまう「彼ら」を?

他人の同情や好意や信頼を踏みにじって、嘘で同情を引き依存する「彼ら」は「卑怯」としか思えない。

先に守るべきは、彼らに依存され人生を狂わされた人々であり、「彼ら」ではないのではないか。

彼らの卑怯でずるいやり方は同じ人間の理解を超えている。

だが、人間誰しも何かしらの「必ず得られる愛情」というものを彼らはとうとう一度も知ることなく孤独に文字通り一人ぼっちで死んでいくのだ。公的にも私的にも。

かといって、自ら「死」を実行する事はまず無い。口にはするが人が彼らを助けなければ罪悪感を感じる事を知っているからに過ぎない。また「弱さ」を売り物にする「卑怯さ」と言う事も理解できない。

それよりも、「彼ら」には実行する「度胸」も「覚悟」も無い。

彼らが実行するとしたら「狂言自殺」だけだ。しかも周囲の人間の目前で、痛い思いもすることなしに。止めた後、周囲の人間は「可哀想な彼ら」の為に彼らの願いを叶える為に奔走する。

既に80才をすぎ、とうとう理解させることも感じさせることもできずに送らざる終えない抜け殻のような人間を見て、何の為に彼らは「人間」として生まれてきたのか、と思う。

勿論、洗脳されてしまった「母親役」が一生サンドバックになってついている場合、物理的に「彼ら」は一人ではなく「家族」がいる。但し、その場合、「妻か夫」「子供」のうち一人の人生は台無しになってしまう。距離を置いて「仮面家族」を形成すれば、外に「彼ら」は「母親役」を作りに行く。それも外の人間にとっては困った話だが。恐ろしいのが、家内の「母親役」がうすうすそれを知っていて、自分に被害が及ばないなら他人に、と黙っている事だ。ただし、責任感の強く、母性本能の強い、犠牲的精神の持ち主で、自尊心の低い素直な人間か、様々な事情でそうせざる負えない人間であれば、外へ被害を出さず「彼ら」のために側にいてくれると思うが、正直酷な話だ。相手の度合いにもよるが、もって20~30年かと思う。それ以降は生きて一緒にいられても、「母親役」の精神か命がもたない。「彼ら」には3人の「母親役」が必要になる。自分の生活全般を見てくれる保護者である「母親役1」と「聖母としての母親役2」と「聖母を理想化する為死ぬまで蔑む事のできる娼婦としての母親役3」2から3や1に移行する場合が多いが、1,2,3を役割分担させることもある。いずれの「母親役」ももたない。)

いつもの思い込みや勘違いでそんな彼ら本人が愛し愛されてると騙されている間はいい。(彼らは、「愛情」と「甘え」、「愛情」と「執着」の区別がつかない。一生「愛される」事は無い。)

いずれ無意識に気づき、最期は本当に一人ぼっち。

人は生まれる時も死ぬ時も一人だが、周囲と心を通わせ生を全うしてゆく。

彼らはその意味でも「孤独の闇の中」死んでいく。

それでも精神的に満たされなくても、少なくとも人は何かしら人生の中でやり遂げる事や、人に誇れる事がある。

それも全く無く、何のために生まれてきたのか。

もっとも、厳しいようだが彼らが選択したたった一度の人生だ。

その「人間の形をした何か」さえ、「神様」は公平に最後に引き受けてくださる。それだけが「救い」だ。

※下記を読む際に「このサイトを読むに当たっての注意事項」を一読して下さい。

(※自己愛性人格障害といっても、個々によって症状の度合は様々であり、周囲の協力や本人の努力で社会に溶け込めるようにみえる人間もいるかと思う。症状によっては本質的なものは変わらなくても、表面上の人との付き合いであれば問題はないところまでの治療は、決してできない事はないと思う。他の健常と思われる人間でも、それぞれのパーソナルがあるのだから。本文中の3人は重篤な方なのかもしれない。安易に他人にラベリングしたり、自身が診断されこの記事のみで判断せずに、他者に相談したり専門家に相談して慎重に判断したほうが良いと思う。)

****************

自己愛性人格障害の治療に関しての結論(現時点での私の調べた範疇での各専門書より)

    

現時点ではコフートとカーンバーグの理論を議論中。ごく一部の軽症であり、治療者の忍耐と患者のあきらめない意思があれば、長い期間をかければ社会的生活者(まともな人格の振り)として治療余地あり。もっとも、他の人格障害を併用している事が多い為、その治療には個人差があり、一概に「可能」とは言えないそうだ。また、患者が治療者に失望したり憤怒を感じたりしてやめてしまう例が多いらしいが。本人の「自覚」と「共感」が無いと困難。この欠落があるからこそ、人格障害なのだが。「まともな人格の振り」は誰か一人の人生が犠牲になる。(個人的には20代後半以降は難しい気がする。本文中の身近にいた40代は社会に出て早々引きこもりがちになり、半ば頃には少し元気になったが、30過ぎの結婚後、長くはもたなかった。専門家でも共感の欠落から自分の意見を診断より優先してしまうため、治療法なしと断言する方もいるので、現時点では大変困難という。)

いずれにせよ、専門医の診断を受けたほうが良いと思う。

誇大的な自己愛性人格障害や慢性的なものは治療困難だそうだ。(ほとんどが慢性化しやすい)

「彼ら」に接する事により、「被害者」が「彼らと同じ言動」に一時的になる事がある。長い期間一緒にいた場合、自分を少しでも守ろうと「被害者」も変わってくる。その場合、彼らに貶められた自尊心を回復したり、また利用されないようにチェック項目の1~3、あって4くらいだと思うが、似通った言動になってくる。但し、2次的なものなので、例えチェックに該当しても、20前後で「自覚」できるのであれば修正は十分可能だと思う。必ず専門医の診断を受けて欲しい。「自覚」「反省」「言葉の意味の理解」「人の感情のあり方」「良心」「罪悪感」そういった当たり前の認識が無意識レベルでできないのが「自己愛性人格障害」であり、一時的に(何年でも)感化された方は、10代20代前半には気付いて十分改善出来ると思う。

ただ、個人的には20代後半には修正しない限り、30過ぎには本来なら2次的なそれも(正常な人間の性格もそうだが)固定してしまうと思う。

自己愛性人格障害は、遺伝ではないが、遺伝に近い症状を引き起こすのは、1次的な人間に接して自分を守るために、相手と同じ振る舞いを選ぶ事にあるから。または、「親」である1次的自己愛性人格障害に同化するべく育てられるから。

1次的自己愛性人格障害は3才頃から症状が顕在し始め、7才頃には固定化してしまうと思う。(祖母から聞いた本文中の40代の例と私自身の記憶より)

また、ネットでの快復者手記等の真偽は分からない。何故なら、自己愛性人格障害の特徴・症状からいって過去を振り返り記憶していることは極めて困難だからだそうだ。(自分の都合の悪い出来事は、記憶自体を削除・作り変えるので、事実が変わる。本当の事実を認めない限り快復しないが、記憶自体を変えるか削除したらそれがもうできない。)

|

« 自己愛性人格障害一考察 4ー「被害者」は何故被害に遭ったのか | トップページ | 自己愛性人格障害一考察 6ーチェックリスト »

自己愛性人格障害」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。