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メンバーの裁判

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2012年8月23日 (木)

アートビレッジ四万

 「そういう人が群馬にいるなら、協力してもらわない手はない」として、07年8月、当時の入内島中之条町長からもらった一本の電話から、四万温泉入口と山口駐車場の2ケ所の総合案内板と「日向見」、「山口・温泉口」の地区案内板の制作につながり、それまでは国道17号線の向こう側の辺り程度の地理的知識しかなかった中之条町との縁ができた。
 時期を重ねるように開催された第1回中之条ビエンナーレから1年おきに開かれる同展に興味を持ち、昨年の3回目を見に行ったとき、町長と話し「アーティストが50人移住してきたら面白い」との言葉に間髪を入れず同意した。なにしろ回を追う毎に見に来る人の数が倍々に増え、昨年の第3回目は42日間の開催で、尾瀬の年間のハイカーの数を上回る30数万の人が訪れている。昼飯時に初めてできた空き待ちの行列に幾軒もの食堂やレストランが驚き、アートがもたらした賑わいに町の人たちがアートに対する認識を新たにし、アートによって生まれた空気に興味を持ち楽しんだ、と多くの人たちが町長の言葉を裏付けるように言うのを聞いた。ビエンナーレの総合プロデューサーを中心に若手アーティストが7、8人移住してきており、普段は町からの委託を受け中心街の再開発事業で王子原にできた『Tsumuji』を運営しているという。面白いことに、親子ほどの歳の開きはあるが、みんな私の多摩美の後輩にあたる。町長と話したやりとりの端々に「中之条に、どう?」というニュアンスを感じた。
 昨年10月、片品小学校の並び、花の谷公園の向かいにある居酒屋『心音』の看板制作を、店が入る建物の大家から頼まれ、なぜ店主からじゃないの?と訝りながらも、「木暮が作って、これかい?」とだけは言われたくない思いで、幸い店の若い店主も気に入ってくれるものができた。大家とのやりとりでは、ギャラの金額で折り合いがつかない、と見た私は若い 店主からの提案で、彼が持っていた栃の木を現物支給の形で受け取ることで了承した。
 長さ2メートル30センチ、幅70〜80センチ、厚さ15センチの栃の木は立派なテーブルになるが、それを使うには我が家は狭過ぎ、かと言って部屋の広さに合わせて切ってしまうのはいかにも惜しい。これだけの大きさがあれば、立てかけておくだけで充分に威風堂々の看板ができる。ただし、置かれる舞台にはそれなりの設えが要る。四万温泉の幾軒もの宿が浮かんだ中、4年前、総合案内板を作ったとき四万温泉協会会長をやっていた、「木づくりの宿」をうたい文句にしている『鍾寿館』のご主人に電話を入れた。「その木を見てみたい」の返事に、写真を撮り、文字をレイアウトしてメールで送った。「ぜひ、欲しい」。話は簡単に決まった。
 プレゼン用にロゴをあしらったもの、書き文字をレイアウトしたものを作ってメールで送り、「やっぱりロゴでしょ」と意見は一致。基本構想は即決した。木工の作家や職人であればチギリを入れるだろう小さな裂け目はそのまま作品の風景にしたい、文字の色は彫りながら考えたい、アートの意識で作りたい、という私の思いに「すべてお任せします」の言葉をもらった。私のような鼻っ柱の強いクリエーターに「お任せします」は殺し文句である。きっちりしたものを作ろう、という意識はより強まる。
 ガレージを作業場にして、入口に風避けのビニールシートを張り、ストーブを持ち込んでも3度以上に上がらない寒さの中、背中から腹にかけてできた帯状疱疹の痛みと闘いながら、毎晩深夜までの楽しい作業はひと月に及んだ。最後にマークとロゴを奄美の大島紬からヒントを得た泥染めで仕上げ、クリスマスの深夜、威風堂々、だが、決して威張っていない看板ができあがった。
 ハーレーを積めるように特殊なフックを取り付けた軽トラックを借りてビニールシートで包んだ看板を荷台に固定し、翌朝、吹雪のような雪が降る中、四万へ運んだ。木づくりの宿にイメージしていた通り、泥染めのマークとロゴをあしらった白い大きな栃の木は、しっくりと馴染んだ。
 「いっそ、四万へ来ない?」。鍾寿館のご主人も3回のビエンナーレで地域にアートの空気が加わることの面白さに気がついたひとりだった。空き家や空き店鋪があるから、と場所や家賃を調べておいてくれることになった。
 正月休みが明けて四万へ行き、温泉協会の事務局長に件の物件を案内してもらった。昭和レトロの雰囲気が漂う四万でも最もその特徴が色濃く残る「新湯」、落合通りにある射的とスマートボールの元遊技場。大正時代に建てられたと思われる旧く大きな日本家屋の店鋪部分がアトリエやギャラリーになったら・・・、そこで某かの作業をしている私自身の姿を想像すると次々にイメージが沸いた。お呼びがかかるうちが華。可能性が感じられない片品にいるより、「おいでよ!」と言ってくれる人たちがいる所で暮らす方がどれほど楽しいか。気持ちは大きく四万へ傾いた。
 2月に入ると、温泉協会から話をしたいと連絡が入った。出向いてみると、すでに私が四万に移る前提での話が待っていた。協会の主だった人たちも地域づくり委員会の人たちも口を揃えて、「地元の人間からはその枠の中の発想しか出てこない、その枠に囚われない発想が欲しい」と言う。町長と初めて会った日の彼のブログhttp://iriuchi.kazelog.jp/iriuchi/2007/08/post_3b72.htmlにある「なるほど、感性が違う」に通じていた。片品の行政には望むべくもない意識に、同じ群馬にありながら国道17号線を挟んだだけで利根沼田と吾妻はどうしてこうも違うのかを、改めて思った。
 3月に入ると、4年前に四万温泉の案内板を作ったとき予算の関係で先送りになっていた「新湯」と「ゆずりは」の2つの地区案内板制作の依頼が中之条町役場から来た。四万への移住を決心しろ、と背中を押されるようなタイミングに、雪が融け、4月に入ったら引っ越しをしようと決めた。落合通りの候補になっていた場所に、片品では実現できなかった名前『アートビレッジ四万』と入れて、4月に入ってすぐ原稿を渡した。参加型セミナーやワークショップを開くときの名前は『アートカレッジ四万』。担当者は「前町長が気に入るネーミングだと思います」と笑顔で言った。
 温泉協会事務局長から、町が空き店鋪対策事業を展開しているからと聞き、担当者と会うように言われた。温泉協会から話が伝わっていたらしく、この担当者の話も私が四万へ移る前提になっていた。話の後半は専ら私が昔東京でやっていた仕事の話題になった。クリエーターにとって大事なのは常に次の作品である。30年以上の前の仕事への評価に悪い気はしなかったが、複雑でもあった。ただ、役場までが歓迎してくれることは素直に喜んだ。片品の役場にはまったく見られない姿勢だった。
 4月14日、上毛新聞の「視点オピニオン21」に四万温泉協会の現会長のコラムが載り、
すでに私が四万へ移ることが書かれていた。私がオピニオンに書いていたときは、入稿から掲載までふた月ほどあったが、最近のものを読むと、それほどのタイムラグはないようだが、仮に半分と見ても、3月半ばには四万温泉協会内部では私の四万への移住は決まっていたようである。
 『Tsumuji』で前町長と会うと、彼の中でも私が四万へ移ることになっていた。「でも、辞めちゃったから」と、2期をひと区切りに引退したことで、これからは中之条町長としての立場ではサポートできないことを気にしたように言ったが、初めて会った日から二日続けて書かれた彼のブログを読めば、彼とのつき合いに肩書など要らないことが分かる。
 新年度に入っての人事異動に伴って担当者が変わったことで引き継ぎに時間がとられたこと、町の空き店鋪対策事業の対象になったことで様々な書類の提出が必要になったことで、予定していた4月初旬の引っ越しは延期せざるを得なくなったが、町が受け入れてくれる条件も整い、あとは必要な書類が揃うのを待つだけになった。
 実は落合通りにある元遊戯場であるが、スマートボールは(はす向かいに1軒が営業中)止めるにしても、射的は続けて欲しい、というのが温泉協会の希望する条件だった。昭和レトロな四万温泉にその希望は解らぬではなかったが、それには風俗営業の許可が要るという。しかも、その許可が下りるには厳しい条件があるらしい。タバコ銭程度しかあてにできないものに、そこまでする必要があるか。そもそも私の構想にはアート関連のもの以外はない。ここで私にとっては無駄な時間が流れた。
 スマートボールと射的を撤去するなら欲しい、という申し出が1軒の旅館からあり、既存の土産屋や遊戯場と旅館の共存という問題に新規参入する立場で深く関わりたくない私は結論が出るのを待つことに決めた。そして、お盆休みも済んで、当初の予定から四ヶ月以上がたって、ようやく遊戯場としてのアイテムがすべて撤去され、書類にサインをするだけになった。
四万へ移るからといって、先々どうなるかは神のみぞ知る。ただ、私がイメージし、考えていることに何ひとつ反対することなく、温泉協会も町も受け入れてくれることになった。時間はかかっても、それらのひとつひとつが実現してゆけば面白いことになるだろうし、新しい土地で新しい人たちと出会い、新しい関係を作って行く中で、新しいイメージもアイデアも沸くだろう、と思う。来年か、その2年先か、あるいは・・・、いずれはそのスペースとそこで暮らす私をひっくるめて中之条ビエンナーレの出展作品のひとつになれば、それこそ目指すところである。せめて「木暮が作って、これかい?」とだけは言われないように心しよう。一応、「あまり期待し過ぎないでね」と予め釘は差してあるが。(木暮溢世)

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ビエンナーレ中之条には第一回から時々覗いています。それより広範囲にはなりますが、トリエンナーレ新潟も楽しみの一つです。両方ともイベント屋丸投げのみなかみ祭りと比べると、はるかに将来を感じさせてくれます。木暮さんのご活躍を楽しみにしています。

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