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 加害者はどのような人間か 
「おまえを愛しているからこうしてるんだ」「おまえのためなんだ」
「そのままのおまえじゃ生きていけないから、俺が教育しなおしてやってるんだろう」・・。

加害者はこう言い訳して被害者を虐待する。

加害者とは、「暴力・虐待」「執着」と「愛情」の区別がつかない異常者である。

そして加害者になる男は、「強さ」や「女」「家庭」「権力」への歪んだ認識を持つ。
「強さ」とは弱い者の上に立つこと。弱い者を虐げること。「女」は殴っていいもの。男に従うもの。「家庭」とは、唯一自分が支配できる処。
「愛情」とは、自分のすべてを受入れ、自分の要求に100%応えてくれること。そして自分の思い通りになってくれること。
加害者が求めるものはただそれだけなのだ。

加害者にとって恋人・配偶者とは、「所有物」「奴隷」「人形」に他ならない。そういう関係しか知らない。
そうなってくれると思ったから、恋人にし、配偶者にしたのだ。
言うことを聞かない、思い通りにならない=反抗・敵意、加害者のいう「愛情関係」の崩壊になるのだ。

加害者になるような人物は自分の弱さ、甘え、心の傷を自分で解決することができない、非常に幼稚で破壊寸前の精神状態である。

モラル・ハラスメントの加害者 すなわち<自己愛的な変質者>は子供の頃に心に大きな傷を受け、そのトラウマのせいでこういった人格になったと考えられる。
もしそうなら、加害者は自分自身が過去の出来事の被害者であるとも言える。
そういった意味ではかわいそうな人々でもあるのだ。
だが、(略)過去の出来事を理由に<自己愛的な変質者>を被害者としては扱わない。
暴力の背景を探って加害者にも同情の余地があると考えていくのは
その後でよい。(中略)守られるべきはまず モラル・ハラスメント被害者のほうなのだ。
 「モラル・ハラスメント」抜粋
 加害者とは
被害者の話を聞いてみると加害者と思われる人物には、年齢も性別も育った地域も違っていても、共通する特徴があることに気が付きます。その特徴を少し下記に述べていきたいと思います。
 2面性〜極端な思考回路
モラル・ハラスメント加害者の代表的な特徴としてよく言われるのが2面性です。
加害者になるような人物は外面が大変良く、世間的には「いい人」で通っているとよく言われ、被害者に見せるような姿を決して外にさらすことはありません。この特徴は加害者の考え方を大きく反映しているものと私は考えます。
つまりモラル・ハラスメント加害者の基本的な考え方は、二極化、つまり「0か100か」「敵か味方か」「善か悪か」という両極端な傾向が見られます。加害者は対人関係をこのような歪んだ認識でとらえており、相手が自分にとって敵か味方が、上か下か、支配するかされるかを計り、相手との力関係によって態度を変えます。
その相手が自分(加害者)にとって何らかの形で役に立つ人間だと思ってる間は、敵に回さないように気を使いながら接しているのです。ここには本来の対等、親密な人間関係は存在しません。

加害者は対外的には「いい人」「立派な人」として通っていますが、内面では自分に対してほんの少しの批判や拒絶を自分に対する攻撃、敵意、人格を傷つけるものとして、敵意を持ちます。また完全に自分の味方につかない人物や、自分を脅かす恐れのある人物に対しては、密かに悪口を流したりして、言葉の武器を使って相手の価値(=評判)を下げていきます。
 弁が立つ
さらに加害者の特徴の1つで、非常に弁が立つ人物が多いようです。加害者は言葉は最大にして最高の武器として利用します。言葉を使えば自分が手を汚さずに、相手を自在に操り、破壊することが可能なのです。
加害者は有能感や知性を感じさせるために難しい言葉を多用したり、論争を好みます。加害者との話し合いは常に問題を解決する、意見の相違を埋めるものではなく相手を完全に否定し自分が勝つためでしかありません。ですから語り口は自己完結的で、相手の欠点や問題点を叩きます。
そして話を一般化し、真実を話しているような言い方をする、誰かを軽蔑し悪口を言う、相手の考えや行動の意味を勝手に決めつけるなどの方法を使います。時に嘘も入り交じえて自分の言い分をもっともらしく脚色される場合もありますが、加害者自身でさえ何が嘘で何が真実であるかわからなくなっている場合もあります
 支配
加害者の人間関係は、支配されるかするか、勝つか負けるかの論理しかありません。
それゆえ対人関係では自分より力のあるものには迎合する反面、弱い者・敵と見なした者には支配的、威圧的な態度をとります。
しかしいざという時のために、自分を支持し味方してくれる人間を必ず用意しておき、虐待している人間から攻撃を受けたときのために備えをしてある。
 自己愛的
自分は特別
加害者は自分が特別な存在だと思っています。
何の裏付けも実績もなくても自分には特別な才能があり仕事ができると思っていますし、自分が<常識>であり真実や善悪の判定者のように振る舞います。また周囲も同じように自分を評価すべきであると思い込んでいます。
また自分を偉く有能に見せるためにすべてわかっているような振る舞いをします。他人の考えや行動の意味を勝手に決めつけたり、自分以外の物事を手厳しく論評します。
また弁が立つので加害者の強引な論理も一般化されてしまったり、もっともらしく思えてしまうことさえあります。
しかし加害者のこうした自信満々に見える態度とは裏腹に、批判されたり拒絶されると過剰反応を示します。加害者には価値観の違いがあることを知らないかのように、反論や拒絶を「攻撃」「敵」として認識します。

よってこうした思いこみのために、加害者を批判したり拒絶したときには想像を超える攻撃を受けることがあります。
相手の考えや行動の意味すら勝手に決めつけますので、何を反論しても聞く耳を持ちません。相手を打ち負かしたい一心で、妄想さえも交えて相手の問題を暴き立てたりします。加害者は自分は真実や善悪の判定者であり欠点や間違いは絶対にないと思いこんでいるので、自分の思いこみや妄想が事実であって相手側の意見は嘘だと決めつけたりします。
加害者には自分に対して賛同するか打ち負かすかの二者択一しかないので、被害者にはこの人物と話し合う余地はなくなります。相手からの指摘が加害者にとって的確であればあるほど、また完全無視されると加害者の憎しみは倍増してくるので攻撃もエスカレートしてきます。
誹謗中傷やストーカー行為にまで発展する場合もあり、そのような時は相手にせず離れた方が懸命でしょう。
しかしこうした加害者の異常な行動は、健全な人から見ればその原因と激しい怒りのバランスが取れておらず、加害者に問題があることがわかってきますので、加害者の異常さが明らかになります。
羨望
加害者は他者からの賞賛や評価を渇望しています。
それゆえ自分より賞賛されている人や、自分が持っていないもの特に才能や地位、考え方などを持っている人や、幸せそうにしている人に対して羨望を抱きます。それは次第に強い憎しみにも似た感情に変わってきます。加害者にとって羨望を感じさせられることは自分を否定されることだと思いこみ、その感情を抱かせた対象を憎むのです。
健全な人であれば同じものを持てるように努力するか、諦めるでしょう。しかし加害者は違う行動にでます。
それは羨望するものを持っている人を支配したり、その人の上に立とうとしたり、その人の悪口を言って相手の価値をおとしめることで満足を得ます。自分と相手の差が埋まること、他人からの評価を下げることができたら(それを暴けたら)自分が優れた人物だと感じることができるし、相手との距離が近いことで満足を得る歪んだ価値観を持っているのです。
他人に無関心
加害者は他人からの賛同や評価を渇望している反面、他人に興味がありません。
自分の目的のために他人を平気で利用します。
他人が苦しんでいても同情を感じませんし、共感に欠けます。罪悪感を感じることもありません。
この人々に苦しさを訴えても、理解するどころか逆にその人々の弱さや問題点をあげつらうだけかもしれません。そしてその苦しみは人生にはつきもので、生存競争の厳しさなどに話を一般化してくるかもしれません。
しかし加害者自身はこれとは大変矛盾した態度を取ります。人には手厳しく完璧を求める反面、自分は全て責任転嫁し、自分を省みることはしません。つまり能書きは垂れますが、行動が全く伴なっていません。道徳家のふりをすることはあっても、加害者は道徳家ではないのです。
責任の転嫁
モラル・ハラスメントの加害者は起きたことの責任をすべて他人のせいにして、他人の欠点を厳しく暴き立てます。自分は非難の対象外だと思い込んでいる加害者は、問題が起こるときまってそれは世の中の人や相手が間違っていると決めつけて、自分の問題を他人や周囲の問題にすり替えるのです。こうすることで、自分の欠点や問題には目を向けなくて済みますし、努力する必要もなくなりますし、自分には欠点がないと思い込むことができるからです。
たとえば反論する対象が特定できない場合は、強引な理由をつけてでも無関係な人間に責任をなすりつけたりすることもあります。自分は完全であるはず、そう思い込んでいる人達にとって、自分の問題を指摘するものを叩きつぶす他ないのである。
責任や自己への問題点を感じて自分を見直すことには耐えられないからです。

しかし人は精神的に成長するには、自分の欠点を見つめたり、自分を省みることは避けて通れません。
こうした人々はその場は誰かのせいにして安堵できても、すぐに同じようなトラブルを繰り返していくことでしょう。
世間や自分自身に「自分」がさらけ出されるのを恐れている
加害者と思われる人々は、世間では「いい人」「立派な人」と言われており、反面家庭では全く別の顔を見せます。同一人物か疑いたくなるほどの落差があり、どちらも極端で加害者の二極化的な考え方がよく表れていると思います。
しかし加害者が「いい人」を演じるためには、相当な精神的エネルギーとストレスを抱えていると思われます。
一体加害者をこうさせるものは何なのでしょうか。

それは「恐怖」ではないかと思います。加害者達は、世間や自分自身に、本当の「自分」がさらけだされるのを恐れているように思います。

加害者が異常に自己愛が強く、他者からの賞賛や高い評価を渇望したり、些細な批判や拒絶に過剰反応を示すのは、実は隠れた自尊心の低さがあるのだと思います。しかし現実の生活は加害者の思う通りにはいきません。加害者はそれを自分の問題だとは思うことができず、うまくいかないことは全て他人の責任にして、自分のことは考えなくてすむようにするのです。

この人々は「症状のない精神病者」(「モラル・ハラスメント」より」)とも言われます。
これは加害者が内心の葛藤を自分自身では引き受けられないことから来ています。たとえば神経症の患者であれば、内心の葛藤を自分で引き受けるためにそれがさまざまな症状となって表れてきます。だが、モラル・ハラスメントの加害者は、それを自分の内で処理することができないので、他人にそれを転嫁するのです。

加害者たちは精神的緊張が極限まで高まっているのかもしれません。
もはや自分を省みることは精神を破綻する状況まで高まっており、そういう人達にとってはナルシシズムや責任転嫁で生きることは自分を守るための方法なのかもしれません。
しかしこの人々は絶え間なく不安と恐怖にさらされる人生を送ることになります。そしてはだかの王様であるこの人々を愛し、救おうとする人までも「敵」としか思うことができずに虐待を繰り返す加害者には、怒りよりも哀れみと寂しさを感じます。
 妄想症
モラル・ハラスメント加害者は、妄想症の人格に近いところがあります。
妄想症とは、「妄想」という名前がついているように現実を受入れず、妄想によって他者の言動を疑う傾向があります。
特徴としては、まわりの人を疑ったり、妬んだりしやすく、ちょっとした状況の変化に敏感です。また議論好きで訴訟好きな傾向もあるようです。ほんの些細な言動を取り上げて「裏切られた」という反応を起こしたりもします。
自己愛性人格障害のニュアンスを含んでいると、相手の弱点や欠点を指摘する反面、自分のことを言われると激怒するようなことがあったり、自分の(潜在)能力について現実離れした妄想を持っていることもあるようです。
また、人を信頼することができないので、親密な友人はほとんどいないことが多いようです。そのため、距離をとった対人関係を持つことが多いのですが、中には親密な対人関係をまた他人に対して教訓を垂れるのが好きである。これはモラルハラスメント加害者によく似た特徴でもある。
なんでもない出来事を自分への悪意の結果だと思い、「相手は危険な存在だ。放っておけば相手は必ず自分に攻撃してくる。だからそうなる前に、自分の方から相手を支配するか、支配できないのであれば破壊しなくてはならない」と考えている。このあたりも妄想症の患者の行動とよく似ている。
築いてまわりをコントロールしようとするタイプの人もいるようです。
モラルハラスメント加害者と妄想症の人間との違いは、モラルハラスメント加害者は、社会生活を行っていく上で必要な決まりは知っているくせに、そういった規則の網をくぐり抜けることに喜びを覚えることである。巧みに能力を発揮して社会に適合し、人を惹きつけるその魅力を振りまきながら、自分の加害者としての攻撃性や悪を言葉巧みにごまかして生きているのです。
 加害者の心のキズ
加害者がこのような人物になった原因を考えると、推測と独断と偏見でしかありませんがおそらく過去に不幸な出来事があって、それが加害者の人格に大きな影響を与えたと思われます。
加害者が育った家庭はなんらかの形の機能不全家族で、幼い頃の加害者はかつてアダルト・チルドレン(※下記参照)であり、かつては被害者であったと考えられます。(詳しくはこちらをご覧くださいアダルト・チルドレン)

その時に適切なサポートを受けられず、そこから回復ができないままでいるように思います。自分の身に起きたことが「虐待」だと認識できず、あれは自分が劣っているために「躾」をされたのだとか、「教育」「愛情」であったなどと誤認してしまうと、それと同じ理由で同じ行為を他者に向けてしまったり、権力によるパワーゲームに負けたと誤認してしまうと、権力を欲しがったり勝ち負けへのこだわりを持つ、加害者となってしまうのかもしれません。

加害者の虐待行為は、自分がかつて受けた苦しみに対する復讐であり、子供の頃から続く被害者の立場から抜け出すために相手を攻撃しているのです。自分が受けた苦しみは、他の誰かにも味わって貰わなければならない、そう無意識に考えているのです。

 精神的な未熟さ・弱さ、男らしさの誤解と女性への理想と偏見
DVを振るう人間は精神的に幼稚です。
上記で述べたように加害者もACで不幸な家庭に育ったが故に、家庭や女性、男らしさに対してかなり歪んだ、そして自分勝手な認識を持っているように思います。

まず一つに、幼い頃に親に十分な愛情を得ることができず機能不全家庭に育った人は、大人になっても「親のような愛情」というものに執着しているような気がします。それは親からしか受けられない愛情の形なのに、それを男女関係においても【愛情】として配偶者に求めます。
自分のすることを全部良いように受け止めてくれて、自分の要求は全て叶えてくれるのが愛情だと。だから気分のムラや細かい要求を配偶者に突きつけ、それができないと「いやがらせか?!」と怒りだしたり、自分の未熟さ故に弱い者に暴力を振るうことを、「殴らせるようなことをするほうが悪い」と本気で思い込んでいるわけです。

また女性に対する憧れと偏見もあるように思います。
加害者の両親の間にもDVやモラル・ハラスメントはあったと思われます。そういった環境に育った子供には大変な悪影響が与えられます。例えば「強い者が弱い者を制す」「男は女を殴って良い」「社会的地位の高い者がすべて」「親のような夫婦関係が普通」というような誤解を持ってしまうことがあります。
殴られる母親を見てきた男の子は、いつしか女性を殴る男になったり、また女の子は男性に殴られるような女性になってしまうこともよくあることのようです。

この2つの要素が組み合わさるので、DV加害者というのはたちが悪いわけです。
 結婚生活への高い理想 〜矛盾に満ちた加害者
夫婦間のモラル・ハラスメントは、結婚を期に始まる場合が多いようです。
被害者となる配偶者には、なぜ新婚なのに加害者から憎まれているのか、なぜ冷たい空気が流れるのか理解できず、混乱状態になっていきます。そして理由を尋ねても、加害者は常に被害者に問題があることを「におわす」だけなので、具体的に話し合うことができません。

しかしこの状態は被害者に問題があるのではなく、加害者自身の内面の混乱が引き起こしているものであり、それを被害者に転嫁しているだけだと私は考えています。
結婚は、それまで「個」であった人が2人になることです。その親密さは親子や友人より深くなります。しかし加害者にとっては他者と親密な関係を築いたことがありませんし、親密になることを恐れています。
それは加害者が恐れている「本当の自分」を知る人間が自分以外にも存在してしまうことになるからだと思われます。
また家庭は加害者にとって特別な思いがある場ですから、自分が配偶者から支配されることは避けなければなりません。
この極端で異常な思いから配偶者に対して完全な支配をして、思うとおりになる人間にしなければならないと脅迫的な考えを持つのだと思われます。

ここでおかしなことに気づきます。
加害者は他者と親密になるのを恐れるのであれば、なぜ結婚したんでしょうか。
独身でいることのほうが、加害者にとっても楽なはずです。
これが加害者の混乱の大きな理由だと私は思います。加害者は他人と親密にはなりたくないのですが、結婚生活には大きな理想を持っていてるのです。かつて家庭において心に大きなトラウマを負った人は、結婚生活でその傷を癒そうと考える場合があります。しかし現実は加害者の思うとおりにはいきません。そこで起きた理想と現実の差をすべて被害者に責任転嫁しているのだと思います。
加害者の思考は矛盾に溢れています。
加害者は配偶者に親のように深い愛情を求め、自分を丸ごとありのまま受入れることを強く求めます。
赤ん坊のような要求を配偶者に強く求めていきますが、しかし加害者は配偶者を受入れることは全くありません。他人の苦しみや気持ちに全く理解しませんし、共感を持つこともありません。そして自分のために人を平気で利用していきます。配偶者の意思や価値観、感情さえも認めない反面、自分への賞賛と同意を強く求めます。

また家庭にトラウマがあってそれを自分で乗り越えることができなかった加害者は、今度は自分が家庭を持ったときにどこかで再現することになります。自分が受けた苦しみは、他の誰かにも味わってもらわなければならない。そうすることで自分は被害者の立場から抜け出すことができ、過去への復讐を果たすことができるのです。
こうして罪なき被害者にいいがかりをつけて虐待を行っていくのです。

加害者は狩りの練習をする獣のように、被害者を虐待していきます。
すぐに屈服するようでは面白くありません。適度に反抗させたり不安を抱くように間接的な攻撃や曖昧なほのめかしを使います。被害者から話し合いや問いかけをしてくるようにし向け、そこで被害者を打ち負かすことで自分の有能感を満足させます。そこで被害者がまったく相手にされなかったりバカにされると激しく相手の人格を攻撃したり、被害者が逃げようとするとその罪悪感の感じやすさにつけこんで、逃がさないようにするのです。

加害者にとって配偶者は「人」ではないのです。
配偶者の意思や価値観などはどうでもよく、自分の理想と矛盾をすべて引き受けてくれる存在でなければならないのです。
加害者にこのような異常な思惑があるからこそ、被害者が何を訴えてもどう努力しても何の改善にもならないのです。

このような人間(加害者)を誰が誠実に愛することができるでしょうか。
    
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しかし被害者は、加害者のこのような状況に同情して自分の手で救おうとは思わないように。
被害を受けながら加害者をサポートし回復させることなどできるはずはありません。そのようなことをしても一層の被害を受けるだけなのです。しかし、他の誰かがサポートしようとしても、その人もまた次の被害者になる可能性は高く、結局加害者のサポートは非常に難しいことになるでしょう。