サントリー芸術財団サマーフェスティバル2011『映像と音楽』

野々村 禎彦

 サントリー芸術財団の公式サイトによると、1986年秋にサントリーホールが開業した次の夏から、サマーフェスティバルの原型が始まったことになっている。ただし、当初の内容はまさに「夏休みのクラシック音楽祭」であり、その後の現代音楽祭の面影はない。ホール開業当初の現代音楽企画の中心は武満徹が監修する「国際作曲委嘱シリーズ」であり、86年度には5人、翌87年度にも3人の作曲家への委嘱初演が行われた。その顔ぶれも、クセナキスケージブソッティノーノといった、戦後前衛のメインストリームをなぞる錚々たるものだった。だが、この路線も88年のパブロが最後で(そのトリを飾ったパブロ《風の道》が、武満が監修した委嘱の最大の成果だと筆者は思っている)、89年以降は年1回(時に2回)、専ら武満の個人的交遊を反映した音楽史の潮流とは無関係な作曲家が続いた。

 他方、サントリーホール自体は東京圏を代表するコンサートホールの地位を急速に確立し、在京オーケストラの定期演奏会の主な舞台となった。もはや「夏祭り」による客寄せは不要となり、サマーフェスティバルがサントリーホールにおける現代音楽企画の中心になってゆく。89年(平成元年であり、秋吉台国際20世紀音楽セミナー元年でもある)の20世紀音楽史を俯瞰する企画を皮切りに、翌90年に創設された芥川作曲賞選考演奏会を日程の一部に組み込んで現代音楽祭としての体裁が整った。その概要は、テーマ作曲家の個展、「近代」=20世紀前半と「現代」=20世紀後半の古典的な作品を振り返る特集、「現代の潮流」と題されたオール日本初演の近作演奏会というもの。

 この基本路線は名称以外は10年以上保たれたが、2004年に転機を迎えた。国際作曲委嘱シリーズの監修者は、99年から実験工房以来の武満の盟友湯浅譲二に交代していたが、この年から独立企画ではなくサマーフェスティバルに組み込まれ、テーマ作曲家=委嘱作曲家という位置付けになった。これは、有り体に言えばコストカットなのだろうが、これを機に音楽祭の性格も変わり、20世紀前半の作品の比重が減って「現代音楽」に特化した内容になった。21世紀を迎えて「近代」の主要作品もようやく、たとえ無調的なものでも在京オーケストラのプログラムに定着したことの反映である。このような経緯で生じた枠でケージ《ユーロペラ5》、グリゼー音響空間》、シュトックハウゼングルッペン》など20世紀を代表する作品の日本初演が実現し、早々に完売となった盛況は記憶に新しい。

 そして2011年、音楽祭は再び転機を迎えた。プログラムの中核だった「現代の潮流」シリーズが、ついに見直された。音楽祭開始当初のこのシリーズは、各国の戦後前衛第一世代の近作を順繰りに紹介するだけの単純なプログラムだったが、その後数年で状況は大きく変わった。秋吉台国際20世紀音楽セミナー開始以降、戦後前衛第二世代およびベビーブーム世代以降の作曲家たちや時代様式が日本にも広く紹介される「第二の開国」に直面し、「現代の潮流」シリーズもそれに対応した内容が求められるようになった。だが、その実態は微妙なものだった。この当時は既にCDが普及し、ドナウエッシンゲンヴィッテンなど主要現代音楽祭の内容は2年程度でディスク化されて輸入盤店に並ぶようになっており、それに先立って海外の話題作を日本初演するのは難しい。それならば音楽の歴史は上澄みの歴史と割り切って、5〜10年程度のスケールで「傑作」と企画者が判断した作品を並べれば良かったのだがそうもならず、「現代の嘆かわしい潮流(をわざわざ紹介する謎の企画)」と揶揄されるような内容になっていた。

 さらにここ数年は、インターネット環境のブロードバンド化が進み、新作情報はネットラジオを通じてほぼリアルタイムで聴取し、ディスク化に先立つ有料ダウンロードで音情報も相当な音質で得られるようになった。また、新作の譜面をpdf化してサイトにアップすることが一般化し、SNSを通じた国境を越えた音楽家どうしの交流の敷居も下がった結果、自主企画でリアリゼーション可能な規模の編成ならば、むしろそちらの方が新鮮な曲を熱のこもった演奏で聴ける状況になっていた。「現代の潮流」シリーズの見直しは遅すぎるくらいだったが、「新作を生で聴く」ことは現代音楽祭本来の目的だけに、代わりの企画が貧弱では目も当てられない。念入りに準備した『映像と音楽』で、湯浅が作曲委嘱を監修する最後の年に新企画を始めたのは、タイミングとしては良かった。


 音楽祭のオープニングでもある22日の大ホール公演は、シェーンベルク《ある映画の一場面への伴奏音楽》(1929-30) で始まった。近代西洋音楽における「無調音楽の祖」となったシェーンベルクだが、弟子のヴェーベルンは無調音楽に特有の形式と持続を身体感覚で掴み取り、ベルクは形式をフレームと捉えて無調と調性を自在に行き来したのに対し、彼自身の形式感は調性音楽の伝統に深く根ざしており、無調音楽の作曲にはテキストという器を必要とした(表現主義時代)。やがて12音技法を発明したことでピアノ小品以外の器楽曲も書けるようになったが、音高以外の組織にはバロック組曲の形式を借用するような新古典主義的なアプローチだった。

 そんなシェーンベルクが表現主義時代の柔軟な形式感を取り戻したのは、最晩年の弦楽三重奏曲(1946) 以降の数作、米軍占領兵の誤射で命を落としたヴェーベルンの魂が乗り移ったかのような作品群だが、ナチス台頭による米国移住直前にもその境地に近づいた作品があり、そのひとつが本作である。架空の映画の筋書きに沿った映画音楽というフレームは奇妙だが、そのような設定を必要とするほどシェーンベルクにとって古典的形式の縛りは強固だった。秋山和慶東京交響楽団による解釈は、音楽の流れを形作る音型を浮かび上がらせて自由な構成を浮き彫りにし、譜読みを音楽に昇華した見事なものだった。

 続けて、シュニトケフルジャノフスキーグラスハーモニカ》(1968)。あからさまな体制批判を作品に込めて当局からマークされていたアニメーション作家が、前衛的な作風のため当局にマークされていた作曲家に映画音楽を依頼して実現したコラボレーション。フルジャノフスキーは「絵を描けないアニメーション作家」であり、歴史的有名人の肖像画や宗教画を切り貼りしてアニメを作る。権力と民衆の関係をテーマにした寓話的内容は、体制批判としてはわかりやすい方向性。監督ひとりで頭から順に作り、シュニトケもそれに合わせて音楽を付けてゆく。アニメと音楽がお互いのその後に影響を与えあう関係性は、どちらも個人作業だからこそ起こり得た。通常は、集団作業の映画制作に合わせてスケジュールを組み、音楽は編集が終わった時点で限られた時間の中で付けることになる。作曲家はシナリオを読んで準備し、実物を見ながら尺を合わせる方式になるので、勢い主要登場人物や繰り返し舞台になる場所ごとにテーマを設定するライトモティーフ方式になりがち。

 だが、順撮り随時変更方式ではそうはいかない。目の前のシークエンスを埋め、物理的な時間でブツ切りにされては新たなシークエンスが始まることの繰り返し。場面が進めば以前の似た場面と音楽的関連を持たせることもできるが、寓話だけにその後の場面で意味が反転する可能性もあり、踏み込んだ仕掛けは施しにくい。結局、「いかにも」な素材を表層的に組み合わせ、カット割りをそのまま音楽に変換した神経症的なカットアップ音楽になる。すなわち、70年代から80年代前半にかけて、《交響曲》シリーズや《合奏協奏曲》シリーズで開花したシュニトケの音楽性は、まさにこの作品の制作過程で生まれた。この日の演奏も、全体像に拘らずに部分を強調して盛り上げる、作品にふさわしいものだった。このような歴史的意義のある作品の公式初上映だけに、存命の監督に話を聞きたくなるのは人情だが、旧ソ連当局の弾圧の過酷さを作品と同じ尺で壊れたテープレコーダーのように繰り返すはトークは、残念ながらなくもがな。

 休憩を挟んで、ヴァレーズ/ビル・ヴィオラ》(1950-54//94)。ヴァレーズのこの室内管弦楽作品は、ミュジック・コンクレートとアンサンブルを融合させた最初期の作品として、また第二次世界大戦中・戦後に作曲活動から離れていた大家が最晩年に取り組んだ大作としてしばしば取り上げられてきた。だが、音楽のみを聴く限り、《アルカナ》《エクアトリアル》などの全盛期の作品と比べてしまうと、音楽的密度が些か乏しく空虚、という印象が拭えなかった。

 この長年の印象が一変しただけでも今回の上演の意義は大きい。ただしこれは、従来の解釈が間違っていたということではない。この作品は、映像を伴って初めて完成するように構想されていたことが明らかになったということだ。演奏会のプログラムノートでも、作曲者がこの音楽にふさわしい映像作家を必死で探していたことが紹介されており、ウォルト・ディズニーも候補のひとりだったという。結局、この作品のパリでの世界初演の不評に打ちのめされたヴァレーズは、適切な映像作家を見つけられないままヴィデオアート草創期に亡くなったが、この作品はその後の音楽状況の変化を生き延び、ヴィオラという良き理解者に巡り会えた。

 2006年に六本木・森美術館で行われたヴィオラの回顧展は本サイトでも筆者が年間ベストに挙げており、あらためて紹介する必要はないだろう。ヴィデオ作品の音響/音楽も彼自身が制作しており、大学では音楽も学んだ彼はヴァレーズを当時からリスペクトしていた。上演に先立って上映されたインタビュー映像では映像のコンセプトに加えて彼のヴァレーズ観も語られたが、ロマンティックな思い込みに引きずられないよう留意し作曲家自身の言葉にインスピレーションを求める姿勢は、モダニストどうしの時空を超えた理想的な共同作業だった。ヴィオラにとって特に重要だったのは、沙漠は「砂」に限った概念ではなく、火の沙漠や水の沙漠もある、というヴァレーズのメモ。これらの要素はヴィオラがそれ以前から素材として用いてきたものであり、創作の自然な発展として位置付けられる。

 冒頭のアンサンブル(弦楽合奏を排し、空間を吹き抜ける金管合奏が大きな役割を果たす、ヴァレーズ作品では馴染み深いテクスチュア)の中から浮かび上がるのは、意表を衝いて寒々とした水中シーン。そこにスローモーションで飛び込むシルエット、カメラが陸に上がると飛び込んでくるのは燃えさかる火…と、この作品に至る80年代〜90年代初頭のヴィオラ作品を特徴付ける要素が続く。荒涼たる砂漠の映像も現れるが、往々にして蜃気楼の彼方でゆらめいて、水や火の映像との境界が曖昧になる。だがコンクレートが始まると一変し、日常の風景を超スローモーションで、フェルメールの絵画を思わせる人工的なセットと照明で撮影したシーンに切り替わる。これ以降のヴィオラ作品で大きな位置を占めるイメージの出発点がここにある。アンサンブルとコンクレートが入れ替わりながら進行する《沙漠》の音楽に映像も追随するが、最後のコンクレートで日常映像の主役だった男がカメラに向かって倒れ込み、カメラが引くとそこには水面が広がり、アンサンブル部分で繰り返し現れた水に飛び込むイメージときれいに繋がる。男に続いて、静物画を構成していた机の上の小物類も次々と水中に落ちてゆき、アンサンブルによるコーダの背景を形作る。

 専らヴァレーズの音楽を聴いてきた側からは、この急転直下のラストシーンは淡々と進む音楽にオチを付けすぎているのではないか、また専らヴィオラの映像作品を見てきた側からは、普段のヴィオラ作品と比べてインパクトに欠けるのではないか(それに、オチを付けるのも彼らしくない)、という指摘が出ることは想像に難くない。だが、ここでヴィオラが意図したのはあくまで音楽と映像がひとつになって完成する作品であり、音楽の映像化でもなければふたつの完成作品の同時リアリゼーションでもない。そもそも成り行きがはっきりしていることはヴァレーズ先品の特徴のひとつであり、音楽が淡々としているということは映像でオチを付けるべきだということである。音楽が薄味で映像の余地を残しているということは、映像も音楽がBGMにならない程度に薄味なのが望ましいということである。この意味でヴィオラの映像はヴァレーズの音楽に対してほぼ理想的なバランスを保っており、『映像と音楽』というテーマに対する映像側からの回答になっている。

 このような作品解釈を行う上で、音響技術を担当した有馬純寿の貢献は本質的だった。従来の録音や実演で用いられてきたミュジック・コンクレートは、威圧的な音響を多く含む最終版だが、ヴィオラが用いたのは、それよりも静謐な音響を多く含む初期版である。有馬は今回も入念なリマスターを行い、多重録音で団子状に潰れていた個々の素材を再び浮き立たせた。その結果、超スローモーションのデジタル映像に匹敵する解像度をコンクレートも持ち、映像と音楽のアンバランスが回避された(なお、youtubeのリンク動画では、この処理は施されていない)。


 日を改めて、ブルーローズ(小ホール)で溝口健二望月京瀧の白糸》(1933//2007)。無声映画と新作現代音楽の組み合わせは、本サイトでも鈴木治行の試みをレビューしてきたが、映画=第七芸術の国フランスではより盛大に企画されており、シネフィルではない作曲家にもしばしば声がかかる。望月がこの溝口作品を選んだのも、映画の趣味というよりは使用可能なフィルムを調査した結果だったようだ。溝口のヨーロッパ知識層における絶大な人気に加え、邦楽器を全面的に用いながらコンパクトな編成にまとめた(邦楽器もポピュラーな物に限った)ことで繰り返し再演されてきたが、今回が日本初演となる。この音楽祭では2回演奏され、筆者が聴いたのは27日午後の2回目の上演。

 邦楽器のうち、三味線(辻英明)と箏(後藤真起子)はほぼ伝統的な奏法の枠内で扱われ、文明開化以前の因習的な習俗や日本的情念と関連付けられる。これに対応するのがヴァイオリン(野口千代光)とハープ(篠崎和子)。比較的穏当な奏法の範囲で、文明開化以降の西洋化した生活様式や近代的ロマンティシズムと関連付けられる。尺八(藤原道山)と打楽器(池上英樹)の位置は両義的で、尺八は伝統的な奏法に加え、フルート並みに安定した音程で旋律を担うこともしばしば。打楽器パートの使用楽器自体は西洋的だが、日本的なリズムを叩き出せばたちまち伝統楽器の役割も兼ねる(緊迫した場面は、常に陣太鼓風のリズムパターンを伴う)。さらに電子音響(有馬純寿)が加わるが、不定形の音響で内面を描写するような使い方は殆どなく、蹄の音や風の音といったSE的な使い方が中心。

 溝口の強靭な映像に「あえて」音楽を付ける手際が見所だったが、望月は伴奏に終始した。相乗効果や異化を目指すのではなく、「なくもがな」という批判の回避が第一のアプローチ。従って、画面の向こうで音楽が鳴っている場面には極力忠実に音楽を付ける。主人公は旅芸人一座の看板芸者なので、一座の場面では三味線主体の音楽が鳴るが、主人公の水芸の場面のみ、ハープと金属打楽器の幻想的な音楽になる。映像のテンションが高まるほど音楽は寡黙になり、心理劇の頂点でついに沈黙が支配する。登場人物の感情の動きを説明的になぞるような音楽ではないとはいえ、大半の場面で何らかの音は鳴り続けているので、この処理はギャンブルだ。映写機による上映ならば最低限リールの回転音が残るが、今回はデジタル上映だったのでますます。結果的に、テロップの多さと場内の騒がしさ(音楽志向の客層のせいか、名画上映や現代音楽の演奏会よりも客席の緊張感は低く、パンフレットやコンビニ袋を弄るノイズが常時聴こえる状態)のおかげで間は保っていたが。

 この音楽は「名画を損ねなかった」ことで高く評価されたが、溝口のオリジナルに新たな次元を付け加えたわけではない。この状況を打破するには電子音響の役割を再検討するのが早道だろう。音楽ともSEとも明確に異なるホワイトノイズや高周波発振音を用いれば、精神的葛藤のようなものにも対応できる。あるいはサンプリング音を多用し、SEと内面描写の境界を溶かしてしまうようなアプローチも有り得たのではないか。なお、杉山洋一が指揮したアンサンブルの緊密さは特筆しておきたい。


 《瀧の白糸》から夕食休憩を挟んで、短篇映像集。前半は1980年以前に作られた歴史的作品、後半は少なくとも音楽は00年代後半以降に作られた近作集。望月作品以外はPAを必要とし(音響技術:有馬純寿)、セットリストは以下の通り:

 久里×一柳作品は、一柳作品の音源に久里が映像を付けたものだが、バランスは映像が主で音楽は従。前半は、《弦楽器のために》(1961) と思しき特殊奏法混じりのヴァイオリン独奏の音高の上下を、クセナキスのUPICシステムの図形楽譜のようなシンプルなアニメ映像でなぞる。特殊奏法の場面で現れる形象が良いアクセントになり飽きない。後半は、60年代半ばのアンサンブル作品と思しきテクスチュアだが、前半の映像から枝分かれしてイメージの自由連想が猥雑に動き回る映像(youtubeのリンク動画では、性的イメージは神経質にカット)を即物的に合わせると、《東京1969》のような60年代末のカットアップ電子音楽に聴こえてくる。久里のカラッとした通俗性は、一柳の作風にぴったり。続く松本×湯浅は、60年代から記録映画・実験映画・インスタレーションで何度も共同作業を行ってきた。この作品では、打ち寄せる波に原色フィルターをかけた映像に、色の一般的イメージに忠実な音響を付けた。すなわち、寒色系は電子的発振音と変調音、暖色系は声を素材にしたミュジック・コンクレート。映像も音楽も素材の単純反復がややBGV/BGM的で、生真面目×生真面目なだけに物足りない。加藤×藤枝作品は、藤枝のピアノ独奏曲《Falling Scale No.2》(1975) の素材を電子変調した《Radiated Falling: version II》(1980) に合わせてメリーゴーランドのストロボ写真を映写する。今回はさらに原曲をライヴ電子変調する新版(2011) を重ねた。コンセプトがカチッと決まって気持ちよいが、あくまで一時代の記録である。

 休憩を挟むとさらにモヤモヤした気分に。中村作品は、インドや東南アジアの仏像を撮って加工し環境映像と合成した背景に、打ち込み伴奏に乗ったベルカント的発声の歌唱を流す「マルチメディア作品」。需要がある限り無碍に批判したくはないが、この居心地の悪さは、北京郊外の大山子798芸術区のギャラリー群で、現代美術風の絵とラッセンおおた慶文風の絵が雑然と並んでいた光景を思い出す。少なくとも日本では、両者の市場は分野によらず分かれていると思っていたのだが… マン・レイ+望月作品は、音楽が必要とは思えない3分程度のシュールレアリスティックな映像に、スペクトル書法の習作のような望月らしからぬ音楽を付けただけ。山口×藤倉作品は、ヴァイオリン独奏を変調した音響から1〜3本の線が絡み合う映像をリアルタイム生成し映写したもの。音楽にはシャリーノケージの切れ味も、シェルシクセナキスの密度もなく、強いて言えばバルトーク無伴奏ソナタの民族色を脱臭したような曲想。映像も久里×一柳作品のように音楽との対応関係が直接見て取れるわけでもなく、どうにも退屈だった。

 この澱んだ空気を、最後の飯村×鈴木作品――飯村が米国のヒッピー運動と黒人暴動の記録を素材に制作した映像(1966-70) に、鈴木が音楽を付けた作品(2009) の生演奏版――が一変させた。抽象的変換プロセスを通じて意図的にボカされた白黒の断片が急速に交替する映像に、まず画面1ショットに1音(あるいは1フレーズ)を付けてゆく。序盤は鈴木が操作するCD-J音源が際立ち、アンサンブルはおずおずとついてゆく。低音の分節など、電子音が担っていた役割が徐々にアンサンブルに受け継がれてゆき、電子音はホワイトノイズ的なものに特化する一方、アンサンブルが奏するフレーズは豊かになってゆく。やがて映像の切替速度が上がり、フレーズは一音に凝縮されて再び電子音とアンサンブルが一体になる。抽象化された方法論を通じて対象のエネルギーのみを巧みに掬い取った映像に、音楽も別種の方法論でそれに匹敵するエネルギーを正面からぶつけた。ヴァレーズ×ヴィオラの隙間を作って噛み合わせるアプローチとは対照的だが、これも時を超えたモダニストどうしの濃密な共同作業である。最後は、映像がさらにぼやけてホワイトアウトしてゆき、音楽もフェードアウトしながら追随する。音楽的企み満載の普段の鈴木作品よりも構造は単純だが、「映像に付ける音楽」としてはちょうど良い。


 個々の作品に関しては辛口に見えるかもしれないが、筆者は総合的にはこの企画を高く評価している。『映像と音楽』は一見ポピュラーなテーマだが、個々の分野における高度な達成が両者の境界領域で実現することは稀で、芸術ならではの超越体験がヴァレーズ/ヴィオラと飯村×鈴木の2作も味わえれば十分だろう。本サイトでは鈴木のサイレント映画における音楽に関する論考、及び彼自身がサイレント映画に付けた音楽を取り上げてきたが、まだ一般的認知は不足している。望月に注目し、財団40周年記念事業として室内オペラ《パン屋大襲撃》(2008) を日本初演したサントリー芸術財団が今回の特集で《瀧の白糸》を取り上げたのは自然な成り行きだった。むしろ、大家の歴史的作品やヨーロッパで活躍する若手〜中堅の作品を前に絶対的な質の違いを見せつけた鈴木に、一層の注目が集まることを期待したい。

(2011年8月22, 27日 溜池山王・サントリーホール 大ホール&ブルーローズ)

(c) 2011-12 Yoshihiko NONOMURA

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