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help RSS 坊津「一乗院の謎Part3」(その1)

<<   作成日時 : 2008/08/15 21:41   >>

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 坊津の一乗院は調べれば調べるほど、その謎の虜になってしまいます。適当なところで手を引こうと思いながらなかなか手を引けません。Part2と同じように2夜に渡って、Part3の「日野中納言某」について、お届けします。

画像

(中央の日本式の墓が一乗院中興の祖「成円上人(日野少将良成)」の墓。回りの四角い石組みの墓は渡来人僧の墓か?)

日野中納言某とは何者?

 一乗院を再興した日野少将良成の父の「日野中納言某」というのは、たして何者なのでしょうか。
一乗院に関する最近のいろいろな資料に接すると、1347年に日野少将良成(成円上人)が、一乗院を再興したという記載があります。それらの資料の根拠は坊津町誌に拠るものだと思われます。抜粋して紹介します。(少し長くなりますが、我慢して読んで下さい)

「1357年に、成円法師なる人が一乗院を再興して中興第一祖となった。この成円法師は日野少将良成という身分ある人であったが・・・・・・・。良成の父は日野中納言某といい、罪を得て隣の鹿篭(枕崎)の硫黄崎に流人として下っていた。・・・・・良成は父の身を案じて薩摩に下ってきたが、父のことが気にかかってこのまま都に帰る気になれず、坊津に滞留して空しく日を過ごすのみであった。悩みの果てに発心して当地西光寺住持の日成律師について出家し・・・・京都に上がって仁和寺常鍮伽院御室一品入道寛性法親王に従い、真言宗広沢派の真言密教を得、・・・・・京都滞在中に足利尊氏に謁して一乗院の再興を願い出て・・・1354年ついにその許可を受けることに成功した。時に第六代島津氏久が協力し再建をさせたがその竣工が1357年である。・・・・」 

 この坊津町誌の根拠は西南方郷土史(西南方村は昭和28年以前の坊津・泊・久志・秋目)に拠るものです。西南方郷土史は何に拠るかといいますと、「一乗院宝物記」に拠るものだと思われます。この宝物記は1748年に快宝和尚が一乗院に伝わる古記録を編纂したもので、日野少将良成のことが記されています。
坊津町誌によりますと、良成の父は「罪を得て流人として下った」とあります。この良成の父のことについて、お隣の枕崎市誌はもっと詳しく記しています。東南方村郷土史に拠るとして記述した部分を抜粋して紹介します。

 「南北朝のその昔征西大将軍懐良親皇が薩州を征して、谷山に行宮を置き給いしとき、副将軍日野大納言国光卿来りて鹿篭を循(した)がえ小湊に滞在せらる。土豪田中某卿に奉仕し、その女を卿に侍せしむ。既にして卿の去らんとするや侍女孕むあり。乃ち正宗作の短刀と緋甲とを賜うて遺物とす。・・・・・」(鹿篭(かご)は現在の枕崎)(大納言は中納言のミスプリか?)

また、枕崎市誌は「三国名勝図会」の坊津一乗院の項の紹介で、

「・・・其父中納言某鹿篭硫黄崎ニ配流ス・・・・・」と記載しています。またその根拠となった「一乗院宝物記」の該当項目を次のように紹介しています。
「・・・・・父中納言有故在鹿篭郷硫黄崎・・・・・」

坊津町誌も枕崎市誌もまた、「三国名勝図会」も日野中納言某は鹿篭へ配流されたと記しています。しかし、それらの根拠となる一乗院宝物記はよく見ると「父中納言某は故あって鹿篭郷の硫黄崎に住んでいた。」としか書いていません。配流とか罪を得てとかいう記述はありません。

 枕崎市誌では日野中納言某を征西副将軍日野中納言邦光として、その根拠とする「加治木日野氏家系図」(島津列朝制度の中に収蔵されているのか?)を紹介しています。それによると邦光は後醍醐天皇と共謀して討幕運動をした罪で佐渡に配流後殺された日野資朝の息子で、幼名は久麻和迦とあり、小湊に居たとなっています。その項を原文で紹介しますと、
「・・・・国内凡属官軍邦光在川辺郡鹿篭其地称小湊○○(不明)狭地也兵威振隣国・・・」
となっています。
要約すると「三国の殆どを臣下に従えた官軍の邦光は川辺郡の小湊に住んで周辺の国に威光を振るっていた」となるのでしょうか。ここにも配流とか流刑とかは伺えません。
 三国名勝図会の編者ははなぜ日野中納言某は配流されたと記述したのでしょうか。     (明晩へつづく)


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
ゆうと様 オリンピッツクに隣国燃ゆる終戦日が俳句としては
一番好きです。。あくまでも私の拙い思い込み?
お母様もお元気なのですね暖かい思い伝わりました
軍神に、、、はトップの有り方目線を低く聞く耳を持たないと、、一時成功の様でも、崩れるのですね、底辺が大きい犠牲を、強いられることに、これからの日本に安定を願います  みみ
射手座
2008/08/16 20:18
みみさん、こんばんわ。南九州の今日は久しぶりに強い夕立で涼しくなっております。先日の新聞に東条英機元首相の手記が公開されていましたが、更にどれだけの国民を死に追いやれば彼は満足したのだろうと、複雑な気持ちになりました。今年のお盆は田舎には帰れず、母と電話で長話をいたしました。
時事詠みは、自己満足に陥りやすく、後で読み返すと「ナンダ」というのが多く難しいですね。
ゆうと
2008/08/16 21:10
「鹿児島を愛するヨカニセ」さん、ご指摘ありがとうございます。一乗院の間違いです。長年中断したままのブログでコメントだけは受信メールにはいるようになっていて気づきました。気づいたものの間違ってコメントを削除してしまいました。重ねてお詫び申し上げます。一条院の変換ミスは修正しておきます。(本ブログの編集の仕方を再勉強してからですが・・・)
ゆうと
2011/07/11 11:46
元気ですか〜!
私も嫁も子供も元気でやっとります〜。
あんつき
2011/12/28 23:06
あんつき〜〜〜!!。なつかしいなァ〜。まだ、SDECだったかな。2年ほど前にやめたブログだったけど、コメント欄と受信メールBOXのリンクはそのままだったので気づいたよ。それにしても、何故、このブログの所在がわかったのだ?このブログの最後の日が妻の悪性リンパ腫の宣告を受けた日でした・・・・。そ〜うか・・・家族みんな元気で頑張っているんだな。陸奥のご両親もお元気かな?3月の地震は大丈夫だったかな。私は南島で一人の生活をエンジョイしていますよ。遊びにおいで。 
ゆうと
2011/12/29 23:08
元気そうでよかったですぅ〜〜。このブログ、最近嫁が見つけたんですよ。んで、奥さんのことがあって何度か電話したんですけど。。。んで、今年の夏に奄美帰省したんで浦上行ったら。。。義理の父に捜索願出そうかと思ってました(笑)3月に長女が高校受験です。来年の夏は船を出して下さいね。楽しみにしてます。それではよいお年を!
あんつき
2011/12/30 00:37

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