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日本人外交官が殺された
11月29日、イラクで二人の日本人外交官が殺害された。イラク復興会議に出席しようとティクリットを訪れた外務省の奥参事官と井ノ上三等書記官が何者かに襲われ、殺されたのだ。痛恨の極みである。二人はイラク復興のためにと、武器を持たず、ほとんど護衛もなくイラク全土を駆け回っていた。志なかばにして斃れた二人の気持ちは無念だったろう。その行動力と勇気に敬意と哀悼の意を表したい。
もともとイラクは親日的な国だ。いや、親日的な国だった、と言った方がいいのか。我々が今年の2月イラクを訪れた際にも、それを感じた。「日露戦争で、ロシアを破った偉大な国」だと言い、「たとえ敗れたりとはいえ、アメリカと長きにわたり、戦った国だ」といって絶讃する。
「日本はサムライの国だ」と言う言葉も聞いた。又、一方で、「その日本が、なぜ、アメリカの言いなりになっているのだ!」という不満の声も聞いた。日本が好きだし、日本を頼りにしているからこその〈不満〉だろう。
現在の日本人で人気があるのは、サッカーの中田だ。日本人と見れば、よってきて、いろんな質問をする。日本は「サムライの国」「カラテの国」だと言う。だから、ジャッキー・チェンやブルース・リーまで〈日本人〉だと誤解している人もいる。それだけ、「日本びいき」なのだろう。
開戦間近のイラク市内を歩いても、全く危険はなかった。「フセインの悪口」は言えないが、それ以外は全て自由だし、物もたくさんある。治安もいい。イラクを訪れた我々のグループの中には、勝手に一人で出歩いたり、夜も遊びに行く人もいた。それでも安全だった。いや、日本人とみれば、みな笑顔をみせ、寄ってくる。 我々の中には、「ここだけは写してはダメだ」と言われてたのに、わざわざ、行って写して警察に捕まった人もいる。しかし、すぐに釈放してくれた。
開戦前夜という緊迫した空気は何もなかったし、イラク人は明るく、解放的だった。ところがアメリカが戦争をしかけ、占領した。フセインの銅像は倒され、フセインの肖像画は取り去られた。今、フセインの悪口を言う自由はある。しかし、それだけだ。物は不足し、盗みは横行し、治安は悪化の一途だ。全土で、アメリカ軍が狙われ、スペインなど他の国の兵士も狙われている。テロとかゲリラとか言う前に、これは〈戦争〉がまだ続いているのだ。
ところが日本政府は、「戦争は終わった」「復興支援のために自衛隊を出す」と言っている。そうした「アメリカべったりの態度」が(親日的な)イラク人を激昂させている。今回の事件で、「テロに屈するな」と政府や保守系の新聞は言っている。石原都知事は、「やり返せ。殲滅しろ! 日本軍の強さを見せてやれ」と吠えている。
イラクの「復興支援」はいい。しかし今は、まだ戦争のまっただ中だ。そんな中で、米軍と行動を共にすることは、イラクに戦争を仕掛けることだ。
小泉首相は自分のメンツと、米国への義理だけで自衛隊派遣を強行しようとしている。しかし、自民党の中からすら、「これは大義のない戦争だ」という人間が続出している。今こそ、アメリカにも勇気をもって諫言し、方向転換を迫るべきだろう。米軍を撤退させ、どんなに不満でも、イラクはイラク人に任せる他はない。「親米的なイラク政権が出来るまで占領を続ける」なんていうこと自体が間違っている。そのことをアメリカにもキチンと言い、日本人にも言うべきだ。今、日本は大きな岐路と試練に立たされている。
(と、これは急遽書き加えた。以下は、その前に書いておいた本文だ)。
(1)30年後、塩見孝也さんとの対談本を出す!
「死の恐怖」を味わった人は皆、長生きだ。「あの時、死んだと思えばあとは附録だ」と思って、リラックスして生きられる。ストレスもない。もう恐いものもない。だから何才までだって生きられる。
あの日野原重明さんを見てみなさい。91才で現役の医者だ。聖路加国際病院理事長で、〈長寿〉の本を何十冊も出している。本屋にいったら、溢れ返っている。何百冊かもしれん。毎週のように新刊を出している。「ゴーストライターがいるんじゃないか」という噂もあるが、喋っているにしろ、本人の言ってることだろう。それに、対談本もずいぶん出している。ともかく、凄い91才だ。
この人は、子供の時から病弱だった。とても長生き出来ないと言われていた。ところが33年前(1970年)に、「よど号」ハイジャックに遭った。「これで死ぬのか」と思った。でも助かった。それからは、「あとは附録だ」「おまけだ」と思って、楽な気持ちで生きてこれた。気がついたら91才だった。「よど号」ハイジャックという、いい「お薬」のおかげだ。
ハイジャックをした赤軍派の9人は、そのうち、3人が死んでいる。2人が日本にいて、残り4人が北朝鮮にいる。50になるかならないかで3人が死んでいる。若死にだろう。でも、「人質」になった人は皆、生きている。元気だ。そして長寿だ。スチュワーデスなんてあの頃25才として今は60才近いのに、皆、30代、40代の顔をしている。「ハイジャック」は若返りの妙薬なんだろう。
本屋に行ったら、又もやこの日野原さんの本が出ていた。もういいよ、と思ったが、今度は瀬島龍三との対談本だ。瀬島も91才。本の題名もズバリ、『九十一歳の人生論』(扶桑社・1333円)だ。瀬島は戦争中は大本営参謀で、戦後、シベリアに抑留され、「死の恐怖」を味わい尽くした。11年後に帰国。そして今度は伊藤忠に入社。商社の世界で今度は〈戦争〉をする。その戦いの軌跡は、彼をモデルにした山崎豊子の『不毛地帯』を読んだらいいだろう。映画化もされ、ビデオにもなっいる。
これは面白そうだな、と手に取ってみた。〈二人で182才の頂上対談、ついに実現!
日本を代表する二大長寿が初めて語り合った「命の使い方」の極意〉と本の帯には書かれている。
うん、いいね。僕も塩見孝也さん(元赤軍派議長)とやってみようか、30年後に。「左右あわせて182才の頂上対談」なんて銘打って。「今明かされる迷宮入り事件の真実!」と書いたりして。三億円事件、ハイジャック事件、連赤事件、赤報隊事件、朝鮮征伐隊事件、そして「訪朝サギ事件」など、全ての〈真実〉を解き明かし、ぶちまける。いいねえ。
よし。塩見さんに電話して、対談日を決めよう。時間と場所も今から決めておこう、と思った。月刊「創」でやらしてもらおう。しかし、30年後の手帳なんてないから、日時を決められないな、こりゃ。
そうだ。「あの人」たちなら分かるだろう。と思った。この前テレビに出ていたが、天才的な記憶力・計算力を持った人たちだ。たとえば、「30年前の5月5日は何曜日だ」とすぐに分かる。30年後も分かる。「エスパー」のような人たちだ。
でも、天才なのに、天才にふさわしい生活をしていない。これだけの人なら、大学教授にするとか、政府の重要なポストにつけるとか、使い道があるはずなのに、そんな仕事にはついてない。テレビで、「世界のビックリ人間」とか「世界の衝撃ニュース」とかいった特番があると出るが、それだけだ。あとは出番がない。それに、これだけの記憶力を持ってる人は「天才」だと思うが、実は〈病気〉なんだという。「後天性サバン症候群」と言うんだそうな。テレビでは、アメリカにいる二人の人を紹介してたけど、世界には何人か(あるいは何十人か)いるんだろう。
見たもの、読んだものは全て記憶してしまうというのは天才だと思うが、忘れることが出来ないのは〈病気〉なんだという。よく分からんが、頭がコピー用紙のように全てを記憶していたら、キツイんだろう。いや、脳がそのことだけに働いて、他のことをやらないんだろう。だから、サバンの人たちは普通の社会生活をしてないようだ。特殊能力があるのに、もったいないことだ。
そうだ。日本のエスパーに知り合いがいたな。「エスパー清田」さんだ。小学生の気に、スプーン曲げでよくテレビに出ていた。今は、40才過ぎのオジさんだ。「超能力少年」ではなく、「超能力中年」だ。ロフトに何度か一緒に出た。目の前で、本当にスプーンを曲げ、ポキッと折ってみせた。本当だ。どうして曲がるのか、その理由、原理は分からないが、曲がるのは事実だ。
でも、このエスパー清田さん、じゃ全てに超能力があるかというと、それがない。お金には困っている。奥さんには逃げられた。しょっちゅう風邪をひいている。「超能力で奥さんを呼び戻してみろよ」と言ったら、「それは無理です」という。背も低く、ずんぐり、むっくりしている。「超能力で背を伸ばしてみろよ」と、ひどい事を言う人もいるが、それも出来ない。格闘技の会場でもよく会う。「風邪をひいた」といって、グスングスンといってる。「頭が痛い」と言っている。そんなのも治せない。でも、スプーンは曲げられる。
じゃ、スプーン曲げなんか出来なくてもいいから、風邪もひかず、健康で、収入もあり、女もわんさか寄ってくる生活の方が、ずっといいじゃないか。そう思いましたね、私は
。 でも、格闘家の前田日明と酒を飲んでいて、超能力で前田を転倒させたことがある、と言っていた。この時、前田は「超能力暴力反対!」と言ったそうな。でも、リング上で前田と闘ったら、絶対に勝てやしない。あんまり役に立たない超能力だと思うけどな。
ちょっと話が回り道をした。塩見さんと30年後に対談しようと思い、本人に電話した。「いいですよ。やりましょう」と言っていた。でも、「30年後」と聞いて、唖然としていた。そして絶句していた。「それまで元気で生きていたらやりましょう」という。でも、「俺はせいぜい70才までだな。病気をかかえているから」と心細いことを言う。「鈴木君なら悩みがなくてノホホンと生きてるから、90まで大丈夫だろうけど」と言う。塩見さんは数年前、心臓の手術をしたんだ。バイパス手術をした。「だから、今は二級障害者だよ」と言う。障害者手帳もあるという。それにしては元気だ。それに、一級、二級というのがよく分からない。「日本のレーニン」といわれ、「人間国宝」かと言われる人なのに、「二級」は失礼なような気もする。だから言ってやった。
「二級というのは変ですね。思想的には一級障害者なのに」。
「そうか、俺は一級か」とホクホクと喜んでいた。素直な人だ。「がんばって90になったら、全ての秘密を暴露してやりましょうよ」と言ったら、「もう何も秘密はないよ。全て鈴木君に暴露されたから」と言う。
(2)ハイジャックに遭えば長生きできる!
では、日野原、瀬島の対談本『九十一歳の人生論』の話だ。真中あたりに、〈ハイジャックされた「よど号」に偶然乗り合わせて思ったこと〉という章がある。ここがこの本のハイライトですな。
九州の学会に行く為に、「よど号」に乗ったんですな、偶然。もっとも、乗客は皆が、偶然乗ったんだ。知ってて乗った乗客はいない。「ハイジャックがありそうだから、体験したくて…」なんて人はいない。超能力者がハイジャックを予知して、「これを体験したら有名人になるから」と乗った人もいない。サバン症候群の人も乗ってない。
「よど号」は韓国で4日間も拘禁され、山村代議士が身代わりで乗り込んできて、やっと人質は解放され、9人の赤軍派は北朝鮮に行く。その時の機中の話を日野原さんがしている。〈それで、いよいよ山村さんが乗り込んでこられるという前の晩に、赤軍派のメンバーは、「なぜ我々が北朝鮮を目指したか、なぜハイジャックをしたかについて、これから喋るから聞け」と言って、赤軍派の思想や行動についてぶったわけですね。9人のうち一人は17歳ぐらいで、その人はあまり喋りがうまくありませんでしたが、それでもみんな10分ぐらい政治演説みたいなのをして、で、「何か質問はないか」と聞いてきました〉
この17才で、喋るのが下手な人は柴田泰弘さんだ。当時は高校生だ。「エッ、お前は高校生だったの?」と他の同志も驚いたらしい。大学生だと思って誘ったんだ。いいかげんなハイジャックだ。高校生だから喋れなくても仕方ない。その上、北朝鮮に行って、数年したら全員が結婚するが、彼の嫁さんになったのは八尾恵だ。『謝罪します』(講談社)を書いた人だ。「ヨーロッパで有本恵子さんを拉致しました」と告白した。又、北朝鮮では、無理矢理、柴田と結婚させられた、と告発していた。「柴田にレイプされた」「私は慰安婦だった」「生理の日も犯された」と生々しい告白をしている。
柴田さんもかわいそうに。元妻からは「強姦魔」として糾弾され、91才の日野原さんからは、「演説が下手だった」と馬鹿にされ。立つ瀬がないやね。それでも立ってたんだろうけど。今は、日本にいて、時々僕も会う。パソコンの仕事をしている。元妻に「強姦魔」と言われてショゲてるかと思ったら、意外と元気だ。いつも若い女の子を二、三人連れている。「出会い系サイト」で知り合ったらしい。女たちは、元妻の告発を知らないのだろうか。いや、知ってるから、付き合ってるのかもしれん。「強姦魔? いいじゃん。そんなに強い人ならグーよ!」とか言って寄ってきたんだろうよ。きっと。
さて、ハイジャックの話に戻る。機中で、9人の赤軍派メンバーは演説し、「何か質問はないか」と聞いた。怖くて誰も質問なんかしないと思ったら、出たんですな。何と、「ハイジャックというのはどういうことですか?」という質問だったという。皆初めて聞く言葉なんだな。僕だったら、「馬鹿野郎。これがハイジャックだ。文句あっか。はい、次の質問!」と言うけどね。でも、赤軍派は真面目だから、真面目に答えようとする。でも、本人たちも、「ハイジャックの定義」がよく分からない。まごつきますよね。〈彼らがハイジャックの第一号で、まだハイジャックという言葉が一般に認識されていない時代でしたから。けれど、赤軍派の連中にはそれについてうまく説明できないんです。
それで僕が手を挙げて、「僕が解説します」と言いました。そうしたら僕の手の縄を解いて、前に行けということになりました〉人質のくせに、犯人になり代わって「説明」したんだと。これじゃ「共犯」になるんじゃないか。と思ったが、ならん。行動を共にしたり、犯罪を手伝ったわけじゃない。「解説」をしてやっただけだ。
〈みんなの前に出た僕は、ハイジャックとはどういうものかということを説明し、そしてこう付け加えたんです。「ハイジャックをする人が、ハイジャックのスペリングを知らないとは、おかしいです」と。すると、それまで4日間、一言も喋れなかった反動でしょう。みんながワーッと笑いました〉
赤軍派の9人も笑ったんでしょうな、一緒に。あるいは苦笑したか。本当の凶悪犯なら、「生意気なことを言うな!」と言って、殺してますよ。政治犯相手だから、言っても大丈夫だと思って、日野原さんも言ったんですよ。それに、両者の間に〈信頼関係〉も生まれたんですな。いわゆる「ストックホルム症候群」ですよ。
「ハイジャック」については赤軍派も人質もろくに知らずに、日野原さんだけが知っていて「解説」をした。実は警察も知らなかったんだ。だって、ハイジャックの直前に赤軍派議長の塩見孝也さんが逮捕された。ハイジャックを企画し命令した人だ。持っていた手帳にも、「H.J」と書かれていた。しかし、警察はこれが分からない。人の名前と思ったのか。「橋本譲二」とかいう人だと。あるいは、「浜子と情事」の暗号だと思ったのか。とにかく、アホな公安だ。これがハイジャックだと分かったら、事件を阻止できたのに。
又、ハイジャックされた「よど号」の話に戻る。赤軍派の人々は演説し、質問に答え、そのあと全員で「インターナショナル」を歌った。すると乗客の一人がすぐさま、「返しうたを歌います」といって、「北帰行」を歌った。この辺も、和気あいあいとした雰囲気が感じられる。やっぱり、「ストックホルム症候群」だよ。実際、日野原さんも、この言葉を使っている。〈私たちが解放される時、新聞各紙は、「もう4日間は限界だ」と報じてました。たしかに限界といえば限界でしたが、飛行機を降りる時には、赤軍の若者と一体感のようなものも芽生えていました。そうはいっても、ひとつ間違えば大惨事にもなりかねない事件ですから、軽はずみな報道ができないことはわかります。けれども詩吟を謡ったり、「インターナショナル」を歌ったり、そして乗客が降りる時に、「頑張れよ!」と赤軍の若者に声をかけたこともまた事実なのです。
こういうものをストックホルム症候群というんでしょうかね。たしか浅間山荘事件の時もそうで、人質の泰子さんは、警官隊が撃ち込む時に、「危ないからこっちに隠れろ」というふうに犯人の手でかばわれた。あの時、泰子さんには一体感があったのです〉これはその通りだ。だから牟田泰子さんは、「犯人は紳士的だった」と言った。そしたら、「警察官ら三人が殺されたんだ。紳士的とは何だ!」とワーッと批判された。それでもう二度と、泰子さんは喋らなくなった。これはおかしい。この点、日野原さんはもう91才だし、恐いものはない。何でも言えるんだ。この対談本も、その点をキチンと活字にしてるから偉い。でも、テレビだと、こうはいかないんだ。
〈僕はハイジャック体験者ということで、同じような事件が起こると、よくコメントを求められるのですが、コメンテーターにはふさわしくないんです。その証拠に、僕の「一体感が生まれた」という経験を話すと、テレビのプロデューサーから「本番では、その話はしないでくれ」と言われてしまいます。視聴者から文句が出ると困るからだそうで、もっとお通夜のようにしていないといけないんですね〉
ウーン。これは問題だね。しかし、文句をいう視聴者が悪い。何も知らないくせに。「経験者が言うんだから本当だ。お前はハイジャックに遭ったこともないくせに、分かるのか!」と怒鳴りつけてやったらいい。プロデューサーじゃ出来んから、まとめて日野原さんに抗議の声は届け、日野原さんから叱ってもらったらいい。でないと、「歴史」が正しく伝わらないよ。
一方、瀬島さんも、いい話をしていた。長く辛い11年のシベリア抑留生活だ。毎日が死と隣り合わせだ。その時、何度も何度も自殺を考えたという。でも部下のこと、日本にいる家族のことを思うと死ねない。それに、自殺しようにも何もないし、監視の目も光っている。それで、独房の壁に石で仏像を描いたという。〈監視から見ると、ちょうど死角になるところがあって、そこに描きました。そんなにうまく描けませんが、下手でも何でも、これが仏像なんだと自分に言い聞かせて、お念仏を唱えておりました。
不思議なもので、お念仏を唱えた夜は、亡くなった母が必ず夢枕に立ちましてね。「りゅうちゃん、辛抱するんですよ。辛抱するんですよ」と、母が言いました。
その時に、やっぱり信仰心のある家庭に育ってよかったと思いました。自分にとっていちばん辛い時代を、「南無阿弥陀仏」と唱えたおかげで乗り越えることができましたからね。心の平静を保つためには、やはり何か宗教をもっていたほうがいいんじゃないかと、私はそう思っております〉これは感動的な話だ。これほどの極限状況ではないが、僕だって、同じような体験がある。〈祈る〉ことによって、危機を何度も乗り越えることが出来た。やっぱり、「宗教心のある家庭に育ってよかった」と思う。
もっともっと紹介したいが、あとは、本を買って実際に読んでみたらいいでしょう。
【お知らせ】
(1)12月10日(水)は午後6時から、一水会フォーラムです。天木直人さんの『私が外務省にケンカを売ったわけ』です。天木さんは前駐レバノン特命全権大使です。イラク戦争について小泉首相に諫言して、クビになった人です。勇気のある人です。イラク戦争の実態、政府・外務省の実情なども詳しく話してくれると思います。場所は高田馬場シチズンプラザです。(いつもより1時間早く6時から始まりますので気を付けて下さい)。
(2)一水会の「レコンキスタ」が最近充実して、読みごたえがあると評判です。12月号は何と12面です。野分祭の報告や、イラク自衛隊派遣問題、憲法問題など盛り沢山です。僕も「平成文化大革命」を書いてます。1部500円、年間6000円です。申し込みは一水会へ。郵便番号161-0033 東京都新宿区下落合1の2の5 第23鈴木総合ビル3階 一水会 TEL 03(3364)2015 FAX 03(3365)7130
(3)12月26日(金)はロフトに出ます。宮台真司さんたちとトークで、この一年を締めくくります。
(4)松藤竹二郎さんの『血滾ル 三島由紀夫・憲法改正』(毎日ワンズ・1400円)が発売されました。「楯の会」の改憲試案の全貌が紹介されています。この「楯の会」の「憲法研究会」の代表は阿部勉氏でした。阿部氏は一水会副会長でしたので、この話はよく聞いてましたが、全体が出るのは、これが初めてです。野分祭実行委員長の伊藤好雄さん(「楯の会」一期生)の話も、出ています。読んでみて下さい。
(5)12月6日発売の「創」(1月号)に、例の訪朝事件のことを書きました。題して、「『壮大なる訪朝』始末記」です。この発端から、中止までの全てを書きました。何を目指し、どう動き、何故、失敗したか。余すことなく書いてます。
(6)12月9日(火)発売の「週刊女性」にコラム「なぜ人を殺してはいけないのか」を書きました。リレーコラムで、毎週、いろんな人が書いてます。難しい問題ですよね。評論家、作家、タレント、お笑い芸人などが、このテーマに必死に取り組んで書いてます。まるでテストされてるみたいですね。私も苦悶し、七転八倒して、何とか書きました。